オーボンヌ (Eaubonne)は、フランス、イル=ド=フランス地域圏、ヴァル=ドワーズ県のコミューン。
オーボンヌはモンモランシー谷の中心部にあり、パリの北西約15kmのところにある。コミューン内を南北に小河川が流れ、そのうち14kmほどはコミューン北部のモンモランシーの森を流れている。オーボンヌの浄水場はメリー=シュル=オワーズにあり、ヴェオリア・エンバイロメントが運営している。オーボンヌの飲料水は品質がよく、硝酸塩が低く、フッ素は非常に少ない。1999年にナノろ過が始まってからカルキが非常に減っている。
オーボンヌの古い名は、ラテン語で良い水を意味するアクア・ボナ(Aqua Bona)であった。ローマ軍団より水の質を高く評価されたからである。
ケルト時代に定住がなされたこの土地は、紀元前54年にローマに征服された。このときに多くの軍事用道路が建設され、そのうちの1つがのちに『ユリウス・カエサルの車道』と別称で呼ばれたもので、ルテティア(現在のパリ)からリールボンヌまでを通っていた道がオーボンヌも通っていた。
現在のオーボンヌの名が初めて現れるのは、635年のダゴベルト王の憲章においてである。
サン=ドニ修道院の領地となった後、11世紀からモンモランシー家の封土となり、17世紀からはコンデ公の領地となった。
村全体が未開発なまま、18世紀半ばには住民がおよそ200人いるにすぎなかった。軍人ル・ノルマン・ド・メジエールが1762年に領主となってから、村は劇的に変わった。彼はシャトー、衛兵宿舎、通り、ワイン製造者の住宅を次々と建設し、それぞれが規則的に並び左右対称とした。オーボンヌは休暇先として引っ張りだこになった。
『告白』の中でふれているように、ジャン=ジャック・ルソーはしばしばドゥトゥト夫人とオーボンヌを訪問した。
19世紀に村には少なくとも15のシャトーがあった。人口は増加していき、鉄道が敷かれた1846年から急速な都市化がもたらされた。1900年当時には野原も、南にあった湿地もなくなっていた。
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