長野市(ながのし)は、長野県の北信地方にある県内で最も人口が多い市であり、長野県の県庁所在地、中核市に指定されている。また、長野都市圏・北信地方の中心都市。
1998年には第18回冬季オリンピック長野大会及び第7回冬季パラリンピック長野大会が開催された。また、2005年には第8回スペシャルオリンピックス冬季世界大会が行われた。
市内にある長野県庁本庁舎は、標高371.3メートルの地点に建っており、日本の47都道府県庁舎の中で最も高い場所にある。
地理
地形
長野市は上信越高原国立公園の飯縄山、戸隠山、黒姫山などの北信五岳を背景に、市内の中央には一級河川である千曲川、犀川の2大河川が流れている。
長野盆地
長野盆地は、東部山地と西部山地に挟まれた、面積およそ300平方キロメートル、標高330~380メートルの盆地である。善光寺平とも呼ばれてきた。長野盆地の中には千曲川・犀川・裾花川など大小の河川が多数流れ込み、千曲川に合流している。長野盆地内の千曲川は高低差が小さいため、流れが穏やかである。千曲川沿いには、洪水の際に川が氾濫して土砂が堆積した沖積地が広がっている。洪水の被害を受けやすい沖積地は昔から主に耕作地として利用されてきたが、治水が進んだ現代では市街地化が進んだところも見られる。
西部山地から流れ込む犀川と裾花川は、上流から多量の砂礫を盆地内へ運び込んでいるため、傾斜が緩やかで大規模な扇状地を形成している。長野市の主な市街地は、こうした扇状地の上に形成されている。
西部山地
西部山地は戸隠山や聖山、虫倉山など一部の山を除くと、標高1000メートル以下のなだらかな山々から構成されている。山地をつくっている地層が比較的新しくて軟質なため、地滑りが多く発生している。古い地滑りの跡地は、とてもなだらかな地形をしていて土壌も肥沃なため、耕作地や住宅地として利用されている。
西部山地の斜面は、かつては薪炭林や農耕に必要な採草地として利用されていたが、現在ではあまり利用や手入れが行われておらず、荒廃が進んでいる。
東部山地
東部山地は、高いところで標高1200メートル以上以上もある高い山地で、しかも硬い岩盤でできているため、とても急峻な地形をしている。山地に平地が乏しいので耕作地は少なく、その大半が森林となっている。若穂や松代の山際には、小規模な扇状地が見られる。土壌が砂礫質で地表に水が乏しいため、一部が住宅地として利用されているほかは主に果樹園として利用されている。
- 主な山
- 飯縄山
- 妻女山
- 高妻山
- 地附山
- 戸隠山
- 聖山
- 皆神山
- 髻山
- 虫倉山
- 主な峠
- 主な高原
- 主な川
- 中洲
- 主な谷
- 主な湖
- 主な池
- 浅川大池
- 大座法師池
- 猫又池
- 大花見池
- 鏡池
- 金井池
- 田子池
- 柳久保池
- 嫁殺しの池
- 主な湿地帯
土地利用
2008年における地目別の土地面積は次の通りであった。
- 水田 - 38.36 km2
- 畑 - 78.71 km2
- 池沼 - 0.33 km2
- 山林 - 323.85 km2
- 宅地 - 61.67 km2
- その他 - 133.24 km2
- 総計 - 730.83 km2
隣接する自治体
- ※ 北の妙高市以外は、長野県。
- 北 - 上水内郡信濃町、飯綱町、新潟県妙高市
- 東 - 中野市、上高井郡小布施町、須坂市
- 南 - 上田市、千曲市
- 南西 - 大町市、東筑摩郡麻績村、筑北村、生坂村
- 西 - 上水内郡小川村
- 北西 - 北安曇郡白馬村、小谷村
気候
市の中心部は盆地に位置することから寒暖の差が激しい。夏に高温を記録することも多い一方で、冬の寒さは厳しい。このように、気温の日較差、年較差が大きい大陸性気候と言える。中央高地式気候の典型とされることもあるが、日本海側気候の特色も併せ持ち、市北部の山間部は日本海側気候の豪雪地帯である。一方で、市街地中心部は降雨も降雪も限られている。
気温は年間を通して東北地方南部の会津若松市や山形市と同程度であり、県庁所在地としても冷涼な都市に属する。冬季の寒さは日照時間の短さに由来するが、一方で平均的な雲量は7前後と決して多くないことから放射冷却が発生しやすく、日没後には気温が急速に低下する。1月の平均最低気温は−3.9 ℃と、全国的に見ても低い。ただし、長野県内では高い方である。最低気温記録は−17.0 ℃(1934年1月24日)であるが、これは長野県内では高い。曇天の日が多いこともあり日中の気温が上がらず真冬日を観測することも珍しくなく、長野県内の主要都市では諏訪市と並んで真冬日が多い地域とされる。最低気温については上昇傾向が見られ、これはヒートアイランド・都市化の影響を受ける市街地で顕著である。かつては毎年のように記録していた−10 ℃以下の気温が観測されることは80年代以降少なくなっている。21世紀に入ってからその傾向は顕著となり、2007年から2023年までの間で−10 ℃以下の気温を観測したのは2012年、2016年、2018年、2022年、2023年のみである。1961年以降の最低気温は−15.0 ℃(1967年1月17日)、2000年以降では−12.0℃(2001年1月16日)と、県内の気象観測地点では県南部の南信濃に次いで高い。
長野市でも北部山間部は、日本海側気候の特性が強い豪雪地帯である。その一方で、中心市街地より南は、山脈の下降気流の影響を受けるため、降雪量は少なくなり、そこそこ積もるという程度である。中心市街地に近い長野地方気象台(長野市箱清水1丁目)を例にとると、年間降雪量は163 cmで、従前の平年値に比較して100cmほど減少したものの、それでも豪雪地のイメージを持つ新潟市を上回る量であり、冬型の気圧配置による降雪だけでなく南岸低気圧の影響による降雪も見られるため、降雪が少ないとは言えない。ただし冬期の降水量は月間で50mm前後に過ぎず、年間の最深積雪も40cm以下に収まる年が多い。観測史上の最深積雪も1946年12月11日に観測された80 cmであり、より降雪量が少ない松本市の78cmと同程度となる。
降水は年間を通して少なく、都道府県庁所在地中最小の降水量である。長野市以外の県庁所在地で降水量が少ない都市として岡山市や甲府市、札幌市が挙げられるが、いずれも平年降水量は1100 mmを超えるのに対し長野市の平年降水量は965 mmと、際立って低い印象を受ける。ただし、2000年以降は年間降水量が1000mmを超える年が目立っており、2011年から2020年までの間で1000mmを下回った回数は2012年と2017年のみである。
夏は、日本国内で見れば晴天が多く、日照時間も多い方であり、日射しも強い。観測史上の最高気温は1994年8月16日の38.7 ℃である。8月の平均最高気温は31.1 ℃に達し、猛暑日が観測されることも珍しくないなど昼間の暑さは厳しい。1994年以降は年間の猛暑日日数が0日になったことがない。相対湿度も日本の中では上位だが、一方で日本気象協会が提唱する「ジメ暑日」は少ない。最低気温は比較的低く熱帯夜になることは稀に観測する程度で記録がない年も多く、朝晩は過ごしやすいと言える。
長野地方気象台は1889年から気象観測が行われてきたことと、観測露場の環境が良いために、気象庁による東日本の平均気温の算出地点の1つにされている。
- 気温 - 最高38.7 ℃(1994年(平成6年)8月16日)、最低−17.0 ℃(1934年(昭和9年)1月24日)
- 最大日降水量 - 132.0 mm(2019年(令和元年)10月12日)
- 最大瞬間風速 - 31.4 m(1948年(昭和23年)8月23日)
- 最深積雪 - 80 cm(1946年(昭和21年)12月11日)
- 夏日最多日数 - 133日(2013年(平成25年))
- 真夏日最多日数 - 80日(2023年(令和5年))
- 猛暑日最多日数 - 24日(2023年(令和5年))
- 熱帯夜最多日数 - 11日(2023年(令和5年))
- 冬日最多日数 - 143日(1943年(昭和18年)寒候年)
- 真冬日最多日数 - 33日(1945年(昭和20年)寒候年)
人口
地域
地区
14の管区と52の地区から構成される(以下の人口はいずれも2023年3月1日現在の推計人口。
長野管区 (人口215,642人)
中条管区 (人口1,524人)
大字・町丁
- あ行
- か行
- さ行
- た行
- な行
- は行
- ま行
- や・わ行
歴史
原始から古代 - シナノから信濃国へ
長野市域における人類のあゆみは飯綱高原などの高原や山地から始まった。代表的な飯綱高原の上ケ屋遺跡は約2万年前の旧石器時代のものである。縄文時代の遺跡も、豊野地区の上浅野遺跡(市有形文化財)、中条地区の宮遺跡をはじめとして多彩に見つかっており、当時のムラの様子をうかがうことができる。
弥生時代には長野盆地でも稲作が行われるようになる。また、この時代にはコメなどをめぐり争いが発生。柳原地区の水内坐一元神社遺跡は、防御用の大きな溝を巡らせた環濠集落であり、そのことがうかがえる。弥生時代後半には「赤い土器(箱清水式土器)」が特徴的に使われだし、長野盆地を中心とした千曲川・犀川流域は「赤い土器のクニ」と呼ばれる独自の文化圏を形成した。
4世紀の中ごろ以降、千曲川を見下ろす山の上には、川柳将軍塚古墳(篠ノ井石川)や和田東山3号墳(若穂保科)といった大型の前方後円墳が築かれるようになる。これらは地域の「王」であるのと同時に、ヤマト政権のメンバーでもあった。5世紀中ごろになると、大型古墳の築造と入れ替わるように、大室地区に集中的に古墳が築かれるようになる。総数500基を超える大室古墳群は朝鮮半島とかかわりのあった人々の墓と考えられる。
善光寺平の中心とした「シナノ」のクニは少なくとも4世紀前半にはヤマト政権のもとに入っていたと考えられる。「シナノ」は和銅5年(712年)編纂の『古事記』では「科野」、養老4年(720年)の『日本書紀』では「信濃」が統一的に使われている。このことから、7世紀後半には「科野」が用いられ、大宝令の制定を経た大宝4年(704年)に諸国の刻印が初めて鋳造された際、「信濃」の表記に改称されたと推定される。
中世 - 門前町の発展と相次ぐ戦乱
長野市の代表的な寺社に善光寺と戸隠神社がある。善光寺の名が文献上初めて登場するのは平安時代、10世紀に成立した『僧妙達蘇生注記』で、このころには地方の有力寺院となっていたことがわかる。一方、戸隠神社は、11世紀初めの『能因歌枕』で歌枕のひとつに「とがくし」が挙げられているなど、存在が中央に認められつつあったことがわかっている。
治承4年(1180年)、木曾義仲は平氏を追討するため兵を挙げ、中信から東北信に進出した。これに対し、越後の平氏方の城資職は数万騎を率いて信濃に入る。平氏約4万、源氏約3千の両軍が養和元年(1181年)に篠ノ井の横田で戦った。これが横田河原の戦いである。義仲は、高井郡の井上光盛ら北信濃の豪族たちの助力によって勝利した。
長野市は善光寺の門前町として発展してきた。善光寺は治承3年(1179年)焼失したが、源平合戦に勝利した源頼朝の命によって10年後の建久2年に再興された。その後も執権・北条家が善光寺を篤く信仰し、鎌倉時代には善光寺信仰が全国に広まり、門前町として地域が形成されていくことになる。『一遍聖絵』からは、この当時の善光寺と門前の賑わいを見て取ることができる。
鎌倉幕府が滅びると、北条時行が諏訪氏を頼って挙兵。八幡河原、篠井河原、四宮河原で信濃守護・小笠原貞宗と戦った。中先代の乱(青沼合戦)である。観応の擾乱に続く南北朝の争いでは国人領主達が2派閥に別れ、これらが守護や関東管領の命令に従わず、市内や近隣の各所は戦場と化した。
南北朝の動乱がようやく治まった応永6年(1399年)、室町幕府の足利義満は小笠原長秀を信濃守護に任命。それに対し、地元の北信濃きっての有力国人「村上氏」たちは大文字一揆を形成。二者は対立し、大塔合戦が起きた。結果、小笠原氏は降伏し、京都に逃れることとなる。
戦国時代になると武田信玄と上杉謙信が対立し、天文22年(1533年)に両軍は川中島で決戦することとなった。戦いは小競り合いも含めて5回起き、中でも永禄4年(1561年)秋の戦いは激戦となった。この川中島の戦いは地域の武将だけでなく、寺社にも影響を与える。善光寺の本尊・善光寺如来は権威の象徴として、武将の手を転々とすることになる。まず武田信玄とその子・勝頼、次に織田信長、徳川家康、そして豊臣秀吉の手に渡る。最終的に善光寺に帰るまでの44年間、本尊は各地を流転し、そのため門前町も衰退することになった。また戸隠神社は騒乱に巻き込まれたため、信徒たちは文禄3年(1594年)まで、30年間も小川筏ヶ峰(現在の小川村)に避難を余儀なくされた。
戦国時代後期、現長野市域を含む北信濃は武田領であったが、1582年の武田氏の滅亡によって一時的に織田領となった後、本能寺の変以降は上杉氏が北信濃の川中島四郡(高井郡、水内郡、更級郡、埴科郡)を慶長年間初頭まで支配した。なお、川中島の合戦の際に武田方の拠点として松代に造られた海津城は、江戸時代に入ると川中島四郡を治める信濃国最大の領国の中核として発展した。
近世 - 繁栄と災害
江戸時代になると主要5街道に次ぐ脇街道として北国街道が整備された。北国街道は追分宿(軽井沢町)で中山道から分岐し、矢代宿(千曲市)を過ぎて2つに分かれる。ひとつは千曲川と犀川を越えて善光寺宿から牟礼宿(飯綱町)に至るルート、もうひとつは松代城下を通り、福島宿(須坂市)北で千曲川を渡り長沼宿から牟礼宿に至るルートであった。江戸時代初期以降、繁栄する善光寺町を通る前者が北国街道の主となり、後者は犀川の洪水による舟留めの際の迂回ルートとして利用された。
北国街道は諸大名が参勤交代するルートとしても使われた。また、江戸まで距離も短く難所も少ないため、佐渡金銀の「御金荷」を運ぶ輸送路にもなっていた。
またこの時代、長野市域の大半は松代藩領で占められ、そこに善光寺や戸隠山といった寺社領、飯山藩領、須坂藩領、上田藩領、塩崎知行所などが所在した。その松代藩の政庁である松代城は、先に述べた海津城がその始まりとされる。その後、城下町も整備され、松代城は北信濃支配の拠点として重要な役割を担うようになっていった。
元和8年(1622年)、真田信之が移管されて初代松代藩主となる。ここに真田氏による松代藩の治世が始まり、それは明治維新まで10代250年も続いた。信之は町づくりや産業振興に力を尽くす一方、質素倹約を励行すると共に文武を奨励。それは幕末や明治に活躍する佐久間象山や長谷川昭道を輩出する下地となった。
一方、衰退していた善光寺と門前町だが、本尊が戻ったことによって次第に復興していく。本堂が火災で焼失すると、その資金調達のために自ら出向いて出開帳を行い、全国へさらに善光寺信仰を広めるきっかけとなった。全国各地から善光寺参りの参詣者が集まり、門前町はより繁栄。信濃へ入る道はすべて善光寺道と呼ばれた。
発展した長野市域だが、江戸時代には巨大な災害が2つ起きている。寛保2年(1742年)、7月下旬から起きた大暴風雨によって千曲川本流支流ともにすさまじい氾濫が起きた。被害は甚大で、松代藩領では住宅の被害が2835軒、死者1220名、死んだ馬が32匹に及んだ。松代城にまで浸水し、「戌の満水」と呼ばれる。
また弘化4年(1847年)3月24日夜10時ごろ、マグニチュード7.4と推定される大地震が北信濃を襲った。今日では善光寺地震と呼ばれ、長野県下で発生した地震の中でも最大規模とされている。折しも善光寺では御開帳が行われ、大勢の参詣者が集まっていた。多数の家屋が倒壊すると共に、門前町は猛火に包まれ、数千人の犠牲者が出たとされる。また二次災害として山崩れ、洪水なども起き、死者は8586人に及んでいる。
近代 - 長野市の誕生
長野県の前身は中野県だったが、松代騒動に続く明治3年(1870年)の中野騒動により、現在の中野市にあった中野県庁が焼き討ちに遭って焼失。結局、明治4年(1871年)に長野村の善光寺町へ県庁を移転、長野県に名前を変更することが決まった。最初の長野県は旧幕府領を管轄する県だったが、明治4年の廃藩置県に伴い、東北信6郡を管轄する長野県となった。さらに明治9年(1876年)、筑摩県の中南信4群をあわせて、旧信濃国10郡が長野県となった。
明治7年(1874年)、長野村は長野町となり、同9年(1876年)長野町は箱清水村と合併。さらに同22年(1889年)の町村制で長野町、南長野町、西長野町、鶴賀町と茂菅村が合併して新たな長野町が誕生した。さらに、明治30年(1897年)には県下最初の市制を施行して、ついに長野市となった。
明治21年(1888年)、長野から直江津まで鉄道が開通したことをきっかけに、商工業が発展し近代的市街地が形成された。大規模敷地を要する官庁や文化施設は市街地縁辺部に設置され、市街地との連絡道路が建設されることで、新しい町が生まれて市街地が拡大していった。
明治には富国策として繊維産業に力が入れられ、その影響で市域でも蚕を飼う養蚕農家が急増した。そんな中、明治7年(1874年)には旧松代藩士・大里忠一郎ら数名が、松代町西条に国内初の民間資本による器械製糸場を設立した(西条村製糸場、後に六公社と改称)。六公社には官営の富岡製糸場で工女として働き、蒸気器械製糸技術を学んだ和田英らの十数名も技術指導者として参画した。
しかし、世界恐慌が起きると昭和5年(1930年)には生糸関連の価格が大暴落する昭和恐慌が始まった。ほとんどの農家が養蚕を行い、製糸工場の女工も多かった長野市の影響は甚大だった。昭和7年(1932年)には景気が急激に回復するが、製糸工場はその波に乗り遅れ、少しずつ衰退していった。
太平洋戦争の敗色が濃厚になった昭和19年(1944年)、天皇と直属の最高作戦指導機関の大本営を東京から長野に移す計画が始まる。同年10月に松代の象山、舞鶴山、皆神山に巨大な地下壕を設ける工事が開始。翌年8月15日、日本の降伏で戦争が終結したため工事は中止されたが、本体の8割方は完成していた。工事の主要な労働は勤労動員、学徒動員、朝鮮労働者らが担ったとされる。
またアメリカ軍による本土爆撃も激しさを増した昭和20年(1945年)、8月13日の早朝午前6時50分ごろから午後3時50分ごろまで、6回に渡って長野市は機銃の掃射や爆撃を受けた。終戦2日前のことであり、長野空襲と称される。この時の死者は47人であったとされる。
現代
戦後から現在に至るまで、4回の市町村合併が行われた。まず昭和28年(1954年)の昭和の大合併で、長野市へ周辺の10か村が編入された。次に昭和41年(1966)年にはさらに篠ノ井市など7市町村と大合併を行う。そして平成の大合併では平成17年(2005年)に4町村を、同22年(2010年)にはさらに2町村を長野市に合併した。
一方、昭和40年(1965)年から松代で微小の地震が日に何度も起こる松代群発地震が発生。4年後終息するまで、64万8000回を数えた。昭和60年(1985年)には地附山で大規模な地滑りが発生し、26人の死者と多くの住宅被害を出した。台風による犀川や千曲川の氾濫、堤防の決壊は戦後何度も起こり、そのたびに農地や家屋が被害に遭った。特に令和元年(2019年)の台風19号災害では、長沼地区や豊野地区を中心に例を見ないほどの多くの被害が出た。
また交通分野では、平成5年(1993年)に長野自動車道・上越自動車道が開通。平成9年(1997年)には、長野新幹線が開通した。さらに、平成27年(2015年)には長野‐金沢間が開通し、北陸新幹線として開業した。
平成10年(1998年)に開催された長野オリンピック・パラリンピックでは競技会場が充実すると共に、外国からの訪問者との交流も盛んになった。その中でも一校一国運動はその後、世界的に広まった。現在、長野市は国際会議観光都市として認定されている。
沿革
町村制施行前の沿革については上水内郡、更級郡、埴科郡、上高井郡も参照
- 1601年(慶長6年) - 水内郡長野村・箱清水村・七瀬村・平柴村が善光寺領とされた。
- 1871年(明治4年) - 善光寺領長野村・箱清水村・七瀬村・平柴村が、中野県の管轄に変更。中野県が県庁を長野村の善光寺町に移転して長野県に改称。
- 1874年(明治7年)11月8日 - 長野村が、長野町に改称。
- 1876年(明治9年)5月30日 - 水内郡問御所村・権堂村・七瀬村が合併し、鶴賀村と改称。長野町が箱清水村を合併。
- 1879年(明治12年)1月4日 - 長野県で郡区町村編制法が施行されたことにより、水内郡長野町・鶴賀村・腰村・妻科村・茂菅村が上水内郡の所属に変更。
- 1881年(明治14年)6月24日 - 上水内郡妻科村が、南長野町と改称。
- 1881年(明治14年)11月10日 - 上水内郡腰村が、西長野町と改称。
- 1885年(明治18年)2月19日 - 上水内郡鶴賀村が、鶴賀町と改称。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、上水内郡長野町・西長野町・南長野町・茂菅村および鶴賀町の一部(七瀬および居町を除く)の区域を以って長野町が発足。
- 鶴賀町の残部(七瀬および居町)は、上水内郡芹田村の一部となった。
- 1897年(明治30年)4月1日 - 上水内郡長野町が市制施行して長野市が発足(長野県第1号、全国第43号)。
- 1923年(大正12年)7月1日 - 上水内郡吉田町・芹田村・三輪村・古牧村を編入。
- 1954年(昭和29年)4月1日 - 上水内郡朝陽村・古里村・柳原村・若槻村・浅川村・長沼村・安茂里村・小田切村・芋井村・大豆島村を編入。
- 1966年(昭和41年)10月16日 - 長野市・篠ノ井市・更級郡川中島町・更北村・信更村・上水内郡七二会村・埴科郡松代町・上高井郡若穂町が合併し、改めて長野市が発足。
- 1967年(昭和42年)3月29日 - 市旗・市章を制定。
- 1999年(平成11年) - 中核市へ移行。
- 2005年(平成17年)1月1日 - 上水内郡豊野町、戸隠村、鬼無里村、および、更級郡大岡村を編入。
- 2010年(平成22年)1月1日 - 上水内郡信州新町・中条村を編入。
「長野」という地名の由来
「長野」という地名が歴史上初めて登場するのは、戦国時代・元亀元年(1570年)の武田信玄の書状である。長野市立図書館のある長門町一帯が、近世には「長野町」とも呼ばれていたようで、上長野・下長野という小字名がある。また、現在の信大教育学部のあたりには袖長野・中長野・西長野の小字名があり、信大教育学部あたりから長門町付近にかけての緩傾斜地についた小土地名が「長野」と考えられる。
この「長野」という地名は、善光寺平に裾花川が砂礫を運んでつくった扇状地に由来すると思われる。「野」はゆるく傾斜する場所を意味することから、長い緩やかな傾斜地を「長野」と呼んだのだろう。
「長野村」と「善光寺町」
「長野村」という地名は、中世末期から見られたらしい。中世末から近世にかけての「水内郡長野村」は、おおよそ現在の長野市大字長野に相当する。1601年(慶長6年)に、同郡箱清水村、七瀬村、及び三輪村の一部(間もなく平柴村に変更)と共に善光寺領とされた。
箱清水村は、1875年(明治8年)に長野町と合併、七瀬村は1876年(明治9年)に鶴賀村の一部となり鶴賀町を経て長野町へ、三輪村は1889年(明治22年)に三輪村、平柴村は1889年(明治22年)に安茂里村を経て、いずれも現在は長野市に属する。長野村のうち、善光寺南の参道は門前町として、また北国街道のルートとされたことから宿場町としても発展して市街地化(町場化)した。こうして市街地化した区域、および松代藩領でこれに隣接して同様に市街地化した妻科村(現長野市大字南長野)および権堂村(現長野市大字鶴賀の一部)のそれぞれ一部も含めて、町場全体の総称として善光寺町(または「善光寺宿」)という呼称が行われるようになった。その結果「長野村」とは、同村のうち町場の「善光寺町」および善光寺境内を除いた北西部の農村区域を指すものと理解されていた。
しかし、検地帳上の公的な村名は善光寺町の区域も含めて「長野村」であり、そのまま明治維新後に至った。すなわち、「善光寺町」とは本来「長野村」の一部であり、明治になってから「善光寺町」が「長野村」と改称されたわけではなく、「善光寺町」が「長野村」の旧称であったわけでもない。
行政
市長
- 歴代市長
- 現職 荻原健司 (2021年11月11日就任 1期目)
環境事業
長野県は1995年の段階で、ゴミのリサイクル率17.0パーセントと、当時の日本の都道府県の中で2位の水準にあった。そんな背景がある中で、長野市では環境問題への取組みとして、第6回持続可能な地域社会をつくる日本の環境首都コンテストに参加した。
議会
長野市議会
長野県議会
- 選挙区:長野市・上水内郡選挙区
- 定数:11人
- 任期:2019年4月30日 - 2023年4月29日
- 投票日:2019年4月7日
- 当日有権者数:330,530人
- 投票率:41.39%
衆議院
- 長野1区
- 選挙区:長野1区 (長野市(旧大岡村・豊野町・戸隠村・鬼無里村・信州新町・中条村域を除く)、須坂市、中野市、飯山市、上高井郡、下高井郡、下水内郡)
- 任期:2021年10月31日 - 2025年10月30日
- 当日有権者数:425,440人
- 投票率:59.74%
- 長野2区
- 選挙区:長野2区 (長野市(旧大岡村・豊野町・戸隠村・鬼無里村・信州新町・中条村域)、松本市、大町市、安曇野市、東筑摩郡、北安曇郡、上水内郡)
- 任期:2021年10月31日 - 2025年10月30日
- 当日有権者数:382,123人
- 投票率:57.03%
公的機関
行政機関
司法機関
- 裁判所
独立行政法人
施設
警察
- 本部
- 長野県警察
- 長野中央警察署 - 旧上水内郡・上高井郡の区域
- 長野南警察署 - 旧埴科郡・更級郡の区域
- 交番
- 駐在所
- 長野中央
- 七二会駐在所(長野市七二会甲)
- 芋井駐在所(長野市桜)
- 綿内駐在所(長野市若穂綿内)
- 保科駐在所(長野市若穂保科)
- 川田駐在所(長野市若穂川田)
- 戸隠駐在所(長野市戸隠豊岡)
- 鬼無里駐在所(長野市鬼無里)
- 中条駐在所(長野市中条)
- 長野南
- 共和駐在所
- 信里駐在所
- 塩崎駐在所
- 信更駐在所
- 大岡駐在所
消防
医療
- 主な病院
- 朝日ながの病院
- 篠ノ井総合病院
- 長野市民病院
- 長野赤十字病院
- 長野中央病院
- 長野松代総合病院
- 国立病院機構東長野病院
- 長野市保健所
- 2021年4月に松本市保健所ができるまでは、県内市町村の中で唯一、単独で保健所を設置する、保健所政令市であった。
図書館
郵便局
集配郵便局
無集配郵便局
簡易郵便局
文化施設
- 集会施設
- 長野県県民文化会館
- 長野市芸術館
- 蔵春閣(閉館)
- 勤労者女性会館しなのき
- もんぜんぷら座
- TOiGO WEST
博物館・記念館
運動施設
- 長野運動公園
- 長野運動公園総合運動場総合市民プール(アクアウィング)
- 長野市営陸上競技場
- 長野県営野球場
- 南長野運動公園
- 南長野運動公園総合球技場
- 長野オリンピックスタジアム
- 長野市オリンピック記念アリーナ(エムウェーブ)
- 長野市ボブスレー・リュージュパーク(スパイラル)
- 長野市若里多目的スポーツアリーナ(ビッグハット)
- 長野市真島総合スポーツアリーナ(ホワイトリング)
- 北部スポーツ・レクリエーションパーク
- 長野市青少年錬成センター
- サンマリーンながの
- 主なスキー場
(かつては飯綱高原スキー場、地附山スキー場があった。)
- 主なキャンプ場
公園・自然公園
- 城山公園
- セントラルスクウェア
- 川中島古戦場史跡公園
- 長野市茶臼山恐竜公園、茶臼山自然植物園
- 昭和の森公園
- 奥裾花自然園
対外関係
姉妹都市・提携都市
国外
- 姉妹都市
- クリアウォーター市(アメリカ合衆国フロリダ州)
- 1959年(昭和34年)3月、姉妹都市締結
- 友好都市
- 石家荘市(中華人民共和国 河北省)
- 1981年(昭和56年)4月、友好都市締結
国内
- 集客プロモーションパートナー都市
- 上越市(新潟県)
- 2005年10月14日集客プロモーションパートナー都市締結
- 金沢市(石川県)
- 2007年2月15日集客プロモーションパートナー都市締結
- 甲府市(山梨県)
- 2007年9月1日集客プロモーションパートナー都市締結
- 静岡市(静岡県)
- 2010年7月1日集客プロモーションパートナー都市締結
- 富山市(富山県)
- 2012年10月2日集客プロモーションパートナー都市締結
- 福井市(福井県)
- 2013年8月9日集客プロモーションパートナー都市締結
教育
大学
- 国立
- 信州大学 長野(教育)キャンパス・長野(工学)キャンパス
- 公立
- 私立
短期大学
- 私立
専修学校
- 公立
- 私立
高等専門学校
- 国立
高等学校
県立:12校(普通科9校、職業科3校)
- 長野県の県立高校は、校名の前に「長野県」と付く。
市立:1校(職業科1校)
私立:8校(普通科8校)
- 長野清泉女学院高等学校(※中高併設)
- 長野女子高等学校
- 長野俊英高等学校
- 長野日本大学高等学校(※中高併設)
- 文化学園長野高等学校(※中高併設)
- さくら国際高等学校長野キャンパス
- つくば開成学園高等学校長野学習センター
- 祥雲高等学院
中学校
国立:1校
市立:25校
私立:4校
- 長野日本大学中学校(※中高併設)
- 長野清泉女学院中学校(※中高併設)
- 文化学園長野中学校(※中高併設)
- グリーン・ヒルズ中学校(※小中併設)
小学校
特別支援学校
- 長野県長野養護学校
- 長野県若槻養護学校
- 信州大学教育学部附属特別支援学校
- 長野県長野聾学校
- 長野県長野盲学校
交通
長野市は都市圏人口が約60万人である。車社会が進展している一方で、日本の中規模地方都市としては公共交通手段を利用した通勤・通学が盛んであり、朝夕のラッシュ時には鉄道駅やバス停が多くの通勤・通学客で混雑する。そのため信越本線は朝ラッシュ時6両の編成による運行が見られ、長電長野線においても短い間隔で通勤形車両によって運行されるほか、通勤利用による混雑の対策として長野駅には自動改札機が設置されている。また、路線バスにおいては川中島バスが長野駅~松代間にて座席指定制の「通勤ライナー」を運行するなど、通勤利用対策を行っている。
鉄道
東日本旅客鉄道(JR東日本)、しなの鉄道、長野電鉄の3社の路線が市内を通る。
- 東日本旅客鉄道(JR東日本)
- 北陸新幹線
- ■信越本線
- 篠ノ井駅 - 今井駅 - 川中島駅 - 安茂里駅 - 長野駅
- ■篠ノ井線
- ■飯山線
- しなの鉄道
- 長野電鉄
- ■長野線
- 長野駅 - 市役所前駅 - 権堂駅 - 善光寺下駅 - 本郷駅 - 桐原駅 - 信濃吉田駅 - 朝陽駅 - 附属中学前駅 - 柳原駅
過去の路線
- 長野電鉄
- 岩野駅 - 象山口駅 - 松代駅 - 金井山駅 - 大室駅 - 信濃川田駅 - 若穂駅 - 綿内駅
- 善光寺白馬電鉄
- 南長野駅 - 山王駅 - 妻科駅 - 信濃善光寺駅 - 茂菅駅 - 善光寺温泉東口駅(仮設駅、1936年廃止) - 善光寺温泉駅 - 裾花口駅
- 長野市開発公社
- 雲上台駅 - 地附山頂駅駅
新交通システム・LRT構想
2011年12月6日、松代・若穂・篠ノ井・更北・川中島の沿線5地区の住民自治協議会長の連名で、長野電鉄屋代線廃止後の跡地を活用したLRTの導入を求める請願が長野市議会に提出され、同年12月16日の長野市議会12月定例会にて全会一致の賛成で採択された。これを受けて長野市は市の交通対策審議会に諮問、新交通システム導入検討部会において、LRT及び長野駅‐松代駅間の新交通システム導入に関する調査検討を行った。
2013年5月29日から同年6月21日に実施した「長野市新交通システム導入可能性調査」の結果を踏まえて、長野市交通対策審議会は2014年2月12日に、旧屋代線を除いた計画中の5ルート(長野駅 - 善光寺、長野駅 - 若槻団地、長野駅 - 綿内駅、長野駅 - 松代、長野駅 - 篠ノ井駅)での採算性や事業実施の難易度(市が検討する中で最も営業区間の長い長野駅 - 篠ノ井駅ルートの場合、市が負担する事業費を172億円、年間運行経費が6億4000万円と見込み1人当たりの平均運賃を試算すると、LRTで570円、BRTでは280円にのぼる)を考え、中期的にはBRTについて検討を進め、長期的には将来の需要喚起や技術革新などを勘案した上で、LRTへの移行を踏まえ今後検討を深めていく必要があるとした。
その後、2014年7月30日に発表された「新交通システムの導入に関する中間報告書」においては、「LRT化には、大規模な投資が必要となるが、投資を上回る事業便益が生じてこない状況」(「継続した運行のためには、相当高い運賃設定」か「相当な観光客の誘客(現状松代地区に年間60万人であるところ、215万人)」が必要)とし、運行は「沿線人口の大幅な増加又はLRT利用観光客の大幅な増加」もしくは「赤字分を全て行政で負担」が条件だが、いずれもその可能性は低いと評価した。
バス
- 路線バス
- 長電バス
- アルピコ交通(通称・川中島バス)
- ぐるりん号(市内循環、若里・更北ぐるりん号、東北ぐるりん号の3系統)
- 長野市営バス(合併前の自治体が営んでいた路線バスを吸収)
道路
- 高速自動車国道
- E18上信越自動車道(長野IC、須坂長野東IC(※所在地は須坂市))
- E19長野自動車道(市内をかすめているがICは無い。)
- 一般国道
- 国道18号(長野バイパス、篠ノ井バイパス、長野東バイパス、アップルライン)
- 国道19号(長野南バイパス、県庁通り、昭和通り)
- 国道117号(県庁通り)
- 国道403号(谷街道)
- 国道406号(平林街道)
県道(一部)
- 有料道路
- その他主要道路
- 中央通り、長野大通り、ターミナル通り、東通り、若槻大通り、サンロード、戸隠バードライン、浅川ループライン、長野環状道路、北信五岳道路、南長野公園通り、二線路通り、ユメリア通り
- 道の駅
経済
都市の成り立ちが県庁所在地であり、官公署が集中していたことから、卸売業を中心に商業が発達している。現在は卸売業・小売業・宿泊業・飲食サービス業の企業が多い。これらのうち卸売業・小売業では飲食料品小売業が、宿泊業・飲食サービス業では飲食店が、それぞれ最も多い業種である。
また、工業の特色としては、企業数で食料品、印刷業、生産用機械器具がトップ3を占め、製造品出荷額では、電子回路基板、みそ、無線通信機械器具、オフセット印刷、電子計算機(パソコンを除く)の品目が出荷額の多い順になっている。
明治以降から印刷業が発達してきたため、長野市では印刷業の企業数およびその製造品出荷額が非常に多い。近年のデジタル化、紙離れなどにより業界は厳しい状況にあるが、現在でも脈々とその流れは続いている。
また、出荷額の多い電子回路基板、無線通信機械器具、電子計算機の品目を製造する企業のほとんどは、昭和初期から戦争中の疎開によって長野市に移転したものである。戦後も当地に留まり、時代の流れと共に大きく発展した。
製造品出荷額のトップ20には食料品製造業の「みそ」を筆頭に、惣菜、精米・精麦があり、自然の豊かな長野市の気候風土を反映しているといえる。
産業別生産
第1次産業 - 農業産出額(2020年)163.4億円(県3位)
第2次産業 - 工業製造品出荷額(2020年)5938億円(県2位)
第3次産業 - 年間商品販売額(卸売業・小売業、2015年)1兆6850億円(県1位)
日本一
- きのこの人工栽培・販売・売上高・生産量
- 市に本社を置くきのこメーカーのホクト株式会社はきのこの年間売り上げ高、ブナシメジの生産シェア、エリンギの生産シェアで日本一になっている。
- そば粉・そば茶
- 市内に本社を置く日穀製粉株式会社は、そば粉の生産量とそば茶の生産量が日本一である。
- 日本最古のスキーメーカー
- 市内の小賀坂スキー製造所は、日本最古のスキーメーカーである。
商業
- 長野駅周辺の主な商業施設
- 主な繁華街
市内に本社機能を置く主な企業
マスメディア
FM長野は松本市に本社を置くが、それ以外の局は長野市に本社、本部を置く。
新聞・通信社
- 地方紙
- 信濃毎日新聞 本社:長野市南県町(長野県の地方紙、県内購読率約6割)
- 長野市民新聞 本社:長野市南長池
- 新建新聞 本社:長野市南県町
- 全国紙・ブロック紙
- 朝日新聞 支局:長野市栗田
- 毎日新聞 支局:長野市妻科
- 読売新聞 支局:長野市上千歳町
- 日本経済新聞 支局:長野市県町
- 産経新聞 支局:長野市北石堂町
- 共同通信社 支局:長野市南県町(信濃毎日新聞本社内)
- 時事通信社 支局:長野市南県町(信濃毎日新聞本社内)
- 中日新聞 支局:長野市岡田町
- 日刊工業新聞社長野支局
- 日本農業新聞信越支局
放送
- テレビ
- NHK長野放送局 本部:長野市稲葉
- NHK総合長野放送局 (1ch)
- NHK教育長野放送局 (2ch)
- SBC信越放送 本社:長野市問御所町(6ch)
- NBS長野放送 本社:長野市岡田町 (8ch)
- TSBテレビ信州 本社:長野市若里 (4ch)
- abn長野朝日放送 本社:長野市栗田 (5ch)
- ※ テレビはリモコンキーIDのチャンネルで掲載。長野市では全般的にはテレビ・FMラジオは善光寺平中継局の電波を受信する。
- ケーブルテレビ
- 長野市(一部地域を除く)をサービスエリアとするケーブルテレビ局。インターネット接続サービスや、テレビ局は長野県の地上波放送局 (NHK, SBC, NBS, TSB, abn) に加え、テレビ東京(キー局)を再送信。ラジオ局は長野県のFM局(NHK-FM、FM長野、FMぜんこうじ)に加え、関東地方のTOKYO FM(キー局)とJ-WAVE(キー局)を再送信。
- ラジオ
- NHKラジオ第1(長野819 kHz)
- NHKラジオ第2(長野1467 kHz)
- NHKFM放送(美ヶ原84.0 MHz, 善光寺平85.7 MHz)
- 信越放送(長野1098 kHz)
- 長野エフエム放送 支社:長野市南千歳(美ヶ原79.7 MHz, 善光寺平83.3 MHz)
- FMぜんこうじ 本社:長野市新田町(長野76.5 MHz)
- FMぜんこうじは長野市を中心に北信地方を放送範囲とするコミュニティFM放送局。
- ※その他、場所により関東地方のAM局を終日聴取可能。東海・関西地方のAM局は深夜に限り聴取可能。
観光・文化
エリア別解説
善光寺・表参道エリア
- 善光寺は今から1400年前に創建されたとされる。本堂は国宝、山門は重要文化財となっており、その他にも境内では様々な建築・仏像・塚などを見ることができる。善光寺一山には、大勧進を本坊とする天台宗25院と、大本願を本坊とする浄土宗14坊があり、宿坊として参詣客を迎え、信仰を支えている。また、仲見世通りには、50以上の店が軒を連ね、景観も素晴らしい。その門前町にも注目である。
松代エリア
- 松代藩の繁栄により、今なお多くの武家屋敷や古寺が残り、往時の面影を忍ばせている。松代城、映画やドラマのロケにもよく使われる文武学校、旧横田家住宅、など松代藩を象徴する重要な建物や史跡がある。また、真田邸、真田家の菩提寺である長国寺、重要文化財の真田信之霊屋、など藩主にまつわるもの、さらに佐久間象山を祀る象山神社、第二次大戦末期に大本営を移すため掘られた象山地下壕など、いわれのある神社仏閣や歴史的遺跡が数多くある。
川中島エリア
- 武田信玄と上杉謙信の川中島の戦いの地で、川中島古戦場史跡公園がある。御厨戸部伊勢社の「おたや(御旅屋)祭り」が有名。
篠ノ井エリア
- 長野市茶臼山動物園、茶臼山恐竜公園、茶臼山自然植物園があり、恐竜公園は実物大の恐竜が25体あって、これは日本一の規模である。また、書家・川村驥山が晩年を過ごした地でもあり、驥山館がある。さらに、長野オリンピックの開閉会式場になった南長野運動公園もあり、その敷地には長野オリンピックスタジアム、南長野運動公園総合球技場、などがあって、スポーツの聖地となっている。
飯綱エリア
- 飯綱高原は、古くから飯縄権現・修験道で知られた霊山である飯縄山の麓に広がる高原である。いいづなリゾートスキー場や大座法師池、飯綱高原キャンプ場など、レジャー施設が点在するリゾート地。また、飯綱火まつりは長野市の夏の花火を代表するイベントである。
戸隠エリア
- 太古の神話に彩られた山岳信仰のメッカ。霊山戸隠山の麓にあり、奥社・中社・宝光社・九頭竜社・火之御子社の5社からなる戸隠神社は、その中心的存在である。中でも奥社への参道は、2キロにも及ぶ樹齢約400年の杉並木が続いており、圧巻の景色である。また、中社・宝光社には伝統的な宿坊が立ち並び、国の重要伝統的建造物群保存地区に選ばれている。このほか、鏡池や戸隠牧場、戸隠キャンプ場などで自然と触れ合うこともできる。
鬼無里エリア
- 豊かで美しい自然を多く抱える、伝統と文化の里。奥裾花自然園では、広大なブナの原生林の中で、7ヘクタールもの湿原地帯があり、81万本ものミズバショウが群生している。秋には一帯が紅葉狩りの名所となる。ほかに白髯神社、鬼女紅葉伝説の松厳寺、鬼無里神社などがある。春と秋には鬼女紅葉祭りが開かれ、普段は鬼無里ふるさと資料館に展示されている屋台が町を練り歩く。
信州新町エリア
- 琅鶴湖とジンギスカンで有名。琅鶴湖は屋形船遊覧も楽しめ、秋には景勝地「久米路峡」で船上から見事な紅葉を楽しむことができる。昭和20年代からジンギスカンは信州新町の名物料理として知られており、国道19号線は料理店が多いことから「ジンギスカン街道」と呼ばれる。その他にも、信州新町美術館、有島生馬記念館、信州新町化石博物館、ろうかく梅園のほか、その上部の武富佐神社は知る人ぞ知る親孝行のパワースポットであるなど、様々な見どころがある。
国指定等文化財
その他の名所・旧跡
寺院・神社
城跡・古戦場
近代遺産
旧住宅
温泉
- 国民宿舎 松代荘
- 豊野温泉 りんごの湯
- 温湯温泉 湯~ぱれあ
- 戸隠神告げ温泉
- 加賀井温泉
認定物
- 信州三十三観音札所:市内10か所の霊場が選ばれている。
- 日本の音風景100選:善光寺の鐘
- 棚田百選:大岡地区の根越沖・原田沖・慶師沖、信州新町地区の塩本、中条地区の栃倉・大西・田沢沖の7か所が認定。
- 信州のサンセットポイント:「妻女山展望台」「松代町~若穂千曲川右岸堤防」「城山公園」「芦ノ尻道祖神」「鏡池」が認定。
- 歩きたくなるみち500選:日本ウォーキング協会が「牛に引かれて善光寺参り、展望のみち」を認定。
- 日本100名城:財団法人日本城郭協会が松代城を認定。
- 甦る水100選:建設省が選定。城山公園堀切沢での事業が評価。
名産物・郷土食
名産品
- 信州牛
- 長芋 - 松代地区を代表する特産品。
- 綿内れんこん - 若穂綿内でつくられる。
- 戸隠大根
- おかわさび - 葉や茎を酒粕と合わせてわさび漬けとして食べる。信州新町が産地。
- マコモタケ - 豊野地区
- 果物 - 長野市は標高が高く、雨量が少ないので果樹の栽培に大変適している。6月のアンズから2月のりんごまで、年間を通して旬の果物を楽しめる。
- その代表であるりんごは、平成18年市町村別生産量で全国2位だった。また、2012年から2014年に総務省が日本の県庁所在地と政令指定都市を対象に家計調査を行った結果、りんごの1世帯当たりの年間購入量の平均値は、長野市が日本一であった。
- ももは川中島の名前を冠した「川中島白桃」「川中島白鳳」が全国で栽培されて人気を博している。ほかに、「なつっこ」「黄金桃」なども川中島で生まれた。
- ネクタリン - モモの変種である。長野県は2014年現在、ネクタリンの収穫量で日本の74.9パーセントを占めており、長野県内では松本市周辺などと並んで長野市周辺もネクタリンの産地として知られている。
- プルーン - 長野県は2014年現在、日本におけるプルーンの収穫量の67.7パーセントを占めており、長野県内では佐久市周辺などと並んで長野市周辺もプルーンの産地として知られている。
- その他にも、ぶどう、なしなどが収穫される。
- 信州そば - 日本三大そばのひとつ「戸隠そば」、善光寺界隈で有名な「門前そば」、「鬼無里そば」「大岡そば」「信州新町左右高原のそば」など、各地で特色がある。
- 七味唐辛子 - 八幡屋礒五郎の七味唐辛子は日本三大七味の一つとされる。
- 善光寺精進料理 - 39ある宿坊でそれぞれのものを味わえる。
- ジンギスカン - 信州新町。国道19号は「ジンギスカン街道」と呼ばれる。
- 信州みそ - 日本で消費される味噌の4割が信州みそと言われ、市内には老舗の味噌蔵が多くある。
- 地酒 - 「よしのや」「今井酒造店」「酒千蔵野」「尾澤酒造所」「西飯田酒造店」「大信州酒造」「東飯田酒造店」など。
- 松代焼 - 陶器
- 戸隠竹細工 - 根曲がり竹を使用する。
郷土食
祭事・催事
- 弥栄神社の御祭礼(ながの祇園祭御祭礼屋台巡行)
- 長野びんずる祭り
- 松代藩真田十万石まつり
- 長野灯明まつり
- 善光寺花回廊
- ろうかく梅園花祭り - 旧信州新町時代にふるさと創生事業補助金を活用して始まったもの。
- 長野マラソン
- 仏都花祭り
- おたや(御旅屋)祭り
- 飯綱火祭り
- 善光寺お盆縁日
- 信州新町納涼大会
- 川中島古戦場まつり
- 長野えびす講煙火大会
伝説
- 善光寺
- 善光寺だけでも多数の伝説がある。善光寺#伝説参照。
- 天岩戸伝説
- 神々の時代、天照大神が怒り、天岩戸の中に隠れてしまった。困った神々は天照大神の隠れた岩戸の前でにぎやかに歌い、踊った。その様子を聞いた天照大神が岩戸を少し開けたとき、手力雄命がその岩戸を引き開けて飛ばしてしまった。その岩戸の落ちた場所が、今の戸隠だという。
- ダイダラボッチ伝説
- ダイダラボッチが飯縄山に座り、一歩踏み出したときに湿地帯に足がはまってしまった。そうしてできたのが大座法師池だという。
- 鬼女紅葉伝説
- 平安時代、紅葉という女性が京の都から水無瀬(今の鬼無里)に追放されてきた。紅葉は妖術で村を荒らすようになり、鬼女と呼ばれるようになった。朝廷は平維茂に鬼女退治を命じる。維茂は征伐に向かうが、最初は太刀打ちできず失敗してしまう。そこで維茂は上田の別所にある北向観音に祈願した。すると紅葉の妖術は聞かなくなり、退治に成功。水無瀬は「鬼無里」と呼ばれるようになったという。
- 一夜山の鬼伝説
- 天武天皇が遷都を計画し、その候補地に水無瀬(今の鬼無里)がよいのではないかという案が出た。それを知った水無瀬の鬼たちは、都ができぬように里の真ん中に山を造ってしまった。そのために遷都ができなくなり、天武天皇は阿倍比羅夫に命じて鬼たちを退治してしまった。このときから水無瀬は鬼無里と呼ばれるようになったという。また、鬼たちがつくった山を一夜山と呼ぶようになったともいう。
スポーツチーム
- 野球
- 信濃グランセローズ:株式会社長野県民球団が市内に本社置いている。日本プロ野球独立リーグのBCリーグに所属する。
- 信越硬式野球クラブ(旧:NTT信越硬式野球部):当市に本拠地を置くJABA社会人野球のクラブチーム。
- サッカー
- AC長野パルセイロ:当市に本拠地を置くサッカークラブ。
- AC長野パルセイロ・レディース:長野市に本拠を置く女子サッカークラブ。
- フットサル
- ボアルース長野:長野市に本拠を置くフットサルクラブ。
- バスケットボール
- 信州ブレイブウォリアーズ:長野市、千曲市などに拠点を置くバスケットボールクラブ。
出身・関連著名人
近代以前の人物
政財界
法曹界
官界
学界・教育界
社会科学・人文科学
自然科学
文学
芸術
サブカルチャー
芸能
報道機関
音楽
スポーツ
囲碁・将棋
長野市を舞台・ロケ地にした作品
- 生存~LifE~(漫画・ドラマ)画・かわぐちかいじ、原作・福本伸行
- 信濃のコロンボシリーズ(小説・ドラマ)著・内田康夫
- 五分後の世界1&2(小説)著・村上龍
- けいさつのおにーさん(漫画)からけみ - 権堂町交番が舞台。
- 仮面ライダークウガ(2000 - 2001:テレビ 特撮)- 劇中序盤の舞台およびロケ
アニメ
- 世紀末オカルト学院(2010:テレビ)- 主な舞台は松代地区
- 空の境界(2013:映画) - アクアウィング 檀田通り
- 長門有希ちゃんの消失(2015:テレビ)- 主な舞台は兵庫県西宮市だが、作中の旅行先で善光寺とその周辺が登場する。
- ツルネ -風舞高校弓道部-(1期 2018、2期 2023:テレビ) - 長野高校と長野西高校がモデル。
映画
- 野菊の如く君なりき(1955) - 千曲川関崎橋周辺 若里姫塚
- 喜びも悲しみも幾年月(1957) - 西尾張部 八幡神社
- 風花(1959) - 千曲川(関崎橋周辺) 若穂 村山(小坂家)
- 笛吹川(1960) - 千曲川関崎橋周辺
- 黒の死球(1963) - 長野駅東口(旧レンガ倉庫) 二線路通り など
- トラック野郎・熱風5000キロ(1979) - 善光寺、真田邸、飯綱高原、川中島古戦場、旧長野駅前、旧長野中央青果市場他
- 羊のうた(2002) - NTT東日本長野病院 植木商店
- 蝉しぐれ(2005) - 文武学校
- 転校生-さよなら あなた-(2007) - 善光寺周辺一帯 松代 戸隠
- ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ(2008) - アクアウィング
- ラストゲーム 最後の早慶戦(2008) - 文武学校 旧長野県庁舎(自治研修所)
- 凍える鏡(2008) - 豊野ひがし保育園 長野市豊野支所 他
- 山桜(2008) - 文武学校 松代城跡、真田邸(真田公園)
- クラシコ(2010) - AC長野パルセイロのドキュメンタリー。
- 花のあと(2010) - 文武学校、松代城跡
- 学校をつくろう(2011) - 文武学校 横田家住宅
- 君へ。(2011) - 鬼無里
- 清須会議(2013) - 松代城跡
- 蜩ノ記(2014) - 文武学校
- るろうに剣心 伝説の最期編(2014) - 旧長野県庁舎(自治研修所)
- アイスマン(2014年の映画) - 戸隠スキー場
- 海月姫(2014) - 旧長野県庁舎(自治研修所)内 備品
- 64-ロクヨン- (2016)
- 殿、利息でござる!(2016) - 松代(真田邸、文武学校、松代城跡、加賀井温泉)
- ホテルコパン(2016) - 長野駅前 今井ニュータウン他
- 紅い襷〜富岡製糸場物語〜(2017) - 旧横田家住宅。和田英を描いている。
- 仮面ライダーアマゾンズ THE MOVIE 最後ノ審判(2017) - 旧長野県庁舎、大座法師池、鏡池、大望峠、長野県道506号戸隠高原浅川線
- 散り椿(2018) - 文武学校 真田勘解由家
- ニセコイ(2018) - 戸隠神社奥社参道 戸隠牧場
- 楽園(2019年の映画) - 長野市戸隠上祖山平出集落、長野市豊野町蟹沢 大蔵そば(ヤングイレブン)
- 兄消える(2019) - JR長野駅善光寺口駅前広場
- サヨナラまでの30分(2020) - 善光寺仲見世通り(高田屋銘産店、滝屋本店)、大門町(玉屋長野大門)、妻科神社、松代の個人住宅(主人公:颯太の部屋)
- るろうに剣心 最終章 The Final(2021) - 旧長野県庁舎
- 流浪の月(2022) - 主な舞台は松本市だが、長野市役所周辺も使用されている。
- 峠 最後のサムライ(2022) - 旧文武学校
脚注
注釈
出典
参考文献
- 『図典 日本の市町村章』小学館、2007年。ISBN 978-4-09-526311-3。
- 『NAGANO検定公式テキストブック改訂版 ながの市完全読本』NAGANO検定実行委員会、2018年。
外部リンク
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