山口市(やまぐちし)は、山口県の中部に位置する市。山口県の県庁所在地で、中枢中核都市に指定されている。
山口県の県庁所在地であるが、人口規模は関門都市圏構成都市である下関市に次ぐ2番目、市内総生産(総額ベース)では製造業の拠点を多く有する周南市・下関市に次ぐ県内3番目である。民間調査会社・ブランド総合研究所が2018年に調査した主要都市の「認知度」では、山口市は下関市や萩市を下回り、47都道府県の県庁所在地の中で最下位であった。
現在の山口市は3代目に当たり、平成の大合併で旧・山口市と吉敷郡3町(小郡町・阿知須町・秋穂町)及び佐波郡徳地町が合併して発足した。合併直前まで人口が約14万人に過ぎず、都道府県庁所在地最小(後述)にして、下関市、宇部市、周南市に次ぐ県内第4の都市であった。合併後、市域面積は県内最大となったがそれでも人口規模は20万人に到達せず、人口密度は県内19市町中12位の194.8人/km2であり下関市や宇部市、周南市などよりも低い。なお旧・山口市と旧・小郡町、旧・阿知須町は戦時中に一度合併したのちに再び分離している(後述)。
隣接する防府市と共に都市雇用圏である山口都市圏を構成するが、特に徳地地区(旧・徳地町)は佐波川沿いにあり町村制時代に同じ佐波郡を構成していた防府市との交流が多く、また阿知須地区(旧・阿知須町)は隣接する宇部市との交流がある(宇部市西岐波・東岐波は町村制の時代には吉敷郡に属していた)。
湯田温泉周辺や山口県庁などが所在する地域を含む旧来からの山口市街地は、東西の主要幹線のひとつである山陽本線ではなく、支線である山口線の沿線にある(#鉄道も参照)。
市民歌は2006年の新設合併を記念して当年に制定された「ふるさとの風 〜山口市民の歌〜」で、2010年の阿東町編入に伴い歌詞が増補・改訂された。
山口県のほぼ中央に位置しており、市域は南北に長く南端は瀬戸内海(山口湾)に面し、北端は島根県と接する。道路網が整備されており、県内のほぼ全域から1時間30分以内で到達することが出来る。山口盆地の中央を南北に椹野川が貫き、その両岸に市街地が形成されている。
森林セラピー基地認定地域。
山口市の中・南部域は瀬戸内海式気候のため比較的温暖・少雨であるものの、北部域は中国山地の南西端となっており寒暖の差が激しい。冬季は比較的雪が降りやすく、関東以西太平洋側の県庁所在地としては岐阜市に次いで降雪量が多い。また市内に地方気象台は存在せず、下関市にある下関地方気象台が県内全域の気象観測を担っている。
山口市の人口は、1955年の国勢調査以降、全国の県庁所在地の中で長らく最下位であった。平成の大合併の動きの中、2005年10月に秋穂町・阿知須町・小郡町・徳地町・山口市が合併し3代目の山口市が誕生したことで人口が約5万人増加し、2005年の国勢調査では三重県津市を抜いて一時的に最下位ではなくなった。しかし2006年1月1日に津市が周辺9市町村と合併すると再び山口市が最下位となった。その後、2010年1月16日の阿東町との合併もあり2010年の国勢調査では島根県松江市を上回る46位。2015年の国勢調査では、鳥取県鳥取市、山梨県甲府市を上回る45位(全国の都市では112位)となっている(山口県内の最多は下関市の83位)。
都道府県庁所在地としては静岡市、富山市、札幌市に次いで4番目に面積が広く、人口密度は最も低い。また、全国の都道府県庁所在地47市区のうち、人口密度が都道府県全体のそれよりも低いのは山口市のみである。
山口市の地名を参照。
南北朝時代の延文5年/正平15年(1360年)に周防国を平定した大内弘世が大内氏の本拠地を吉敷郡御堀氷上(現在の山口市大内御堀)から現在の山口市中心部に移したのがルーツとされている。室町時代には大内館が築かれ、日明貿易が行われる。応仁の乱以後には京から乱を逃れてきた文化人を歓迎したので大内文化、「西の京」として栄え、戦国時代には大内義興、大内義隆が市街を整備し栄華を極めた。義興に庇護され後に京へ戻った室町幕府10代・12代将軍の足利義尹(義稙)、雪舟、フランシスコ・ザビエルなど、この町に縁のある人たちは多い。
天文21年12月9日(1552年12月24日)に山口の宣教師コスメ・デ・トルレスらが、司祭館に日本人信徒を招いてクリスマスの祝を催した。このため、日本のクリスマスの発祥の地は山口である。
大内氏の滅亡後、毛利氏の支配のもとで山口奉行が置かれたため山口は防長二国における政治的中心地となった。関ヶ原の戦いののち、防長二国に減封された毛利輝元が萩に居城(萩城)を構えたため、山口の政治的中心性は一旦消滅することとなった。
江戸時代の間、吉敷毛利家の領地となり萩と三田尻(現在の防府市中心部)を結ぶ萩往還の中継地として栄えた。幕末になると、長州藩は藩庁を萩から山口へ移す(この経緯については山口移鎮の項目を参照)。山口に移された藩庁は山口政事堂と呼ばれ、長州藩における討幕運動の拠点となった。
明治に入ると廃藩置県が実施され、長州(山口)藩庁は山口県庁にそのまま移行した。一時期県庁移転が提起されたこともあったにもかかわらず、実現には至らなかった。山口は山口県成立から現在に至るまで、そのまま県政の中心地であり続けている。
一方、長州藩の藩校である明倫館は藩庁移転の際に私塾山口講堂(後に山口講習堂)を「山口明倫館」と改称(萩明倫館も存置)、旧制山口高などを経て、現在の山口大学へとつながっている。山口大学は1973年に平川へ移転完了したが、旧亀山校地(山口明倫館跡地)にはパークロード(県道203号)を中心に県立図書館・県立博物館・県立美術館が整備されている。
2024年、ニューヨーク・タイムズの『2024年に行くべき52カ所』に選ばれた。
山口市は、下記のように新設合併によって3度設置されている。前身の山口町については当該項目を参照。
2005年10月1日の合併以降の住所表記は以下の通りとなる。
市外局番は、083。MAが複数あるため、旧徳地(0835区域)・阿知須(0836区域)両町域を除き、2013年12月1日から統一されている。
旧山口市域は、おもに083-9xxが使われている。
宮野地区(旧宮野村)には、財産区である「宮野財産区」がある。これは旧山口市が旧宮野村と合併する際、旧宮野村有林の伐採益を宮野地区に限定して使うことを法制上確約したものである。実際に旧村有林の伐採益は山口市立宮野小学校の補修など宮野地区のために限定して使われている。財産区は特別地方公共団体の一種であり、地方自治法で定める議会が設置され、議員は公職選挙法に従って選挙されている。(ただし無投票が続いている。)
本庁である山口市役所の他、2005年の新設合併前の市町村域を単位として「総合支所」が設けられている(山口市役所本所内にも「山口総合支所」が設けられている。)。また、公民館である「地域交流センター」の大半に行政窓口(市役所出張所相当)を設けている。
山口市は県庁所在地ではあるものの、その他の主たる産業は公共施設や公共事業などを除くと、後述する観光業と流通業程度で日本では数少ない行政都市に特化した印象が強い。
小郡地区(旧小郡町)は、道路網や鉄道網が新山口駅を中心として四方へ広がっており、県央地域の交通拠点となっている。このため、同地区では小郡町時代から全国企業の山口県統括担当となる支店や営業所などが多く設置されており、商業、特に流通業に特徴がある。商業地の標準地公示地価も市内の他の標準地に比べて小郡高砂町(旧小郡町、JR新山口駅南側)が突出して高い。また、宇部市を中心とした宇部都市圏を主な商圏とする阿知須地区(旧阿知須町)が市内にあることもあり、山口市の年間商品販売額は山口県内第1位である(2006年度)。アパレル大手のファーストリテイリングは登記上本社を市南部の佐山地区に置いている。
瀬戸内海に面した地域に秋穂漁港、相原漁港、阿知須漁港、山口漁港の4つの漁港が存在し、椹野川では内水面漁業による鮎の養殖などが行われている。
山口駅周辺に山口市中心商店街が広がり、歓楽街である湯田温泉には宿泊施設が複数立地している。山口駅周辺の商店街内には百貨店の山口井筒屋(旧ちまきや)が存在することもあり、一定の集客力を持つが、商店街でもう一つの核となっていたダイエー山口店が閉店(現在は跡地に生活協同組合コープやまぐちが出店)したほか、市内の郊外や同一商圏内の近隣都市に広い駐車場を備えた大型ショッピングセンター(大内地区のゆめタウン山口やザ・ビッグ大内店、平川地区のフジグラン山口やハイパーモールメルクス山口、小郡地区のイオンタウン小郡、防府市のイオン防府店など)が林立したこともあり、最盛期に比べ衰退傾向にある。
一方、市内の阿知須地区にも旧阿知須町時代に地元商業者が中心となって開業させた大型ショッピングセンター「サンパークあじす」があるが、先述の通り同地区は隣接する宇部市を中心とした宇部都市圏および小郡地区が主な商圏であるため、中心部の商業への影響は少ない。
観光業は山口市の主要産業のひとつであり、2011年度に市内を訪れた観光客数は下関市に次ぐ4,284,090人である。市内の主な観光地については、後述の「観光」節を参照。
山口市は都道府県庁所在地で唯一銀行の本店が存在せず、都市銀行の支店もみずほ銀行山口支店が存在するのみであり、日本銀行の支店も下関市に置かれている。かつての第百十国立銀行(山口銀行の前身の一つ)は山口市にて設立されたものの、普通銀行転換前に下関市に移転している。信用金庫は萩山口信用金庫が本店を置くほか、西中国信用金庫(本店・下関市)は前身の吉南信用金庫が旧小郡町に本店を置いていた関係で店舗が複数存在する。
山口市内に本支店などを設置している主な金融機関は以下の通り。
県域放送局については、周南市に本社を置く山口放送以外の各社が山口市に放送局を置く。また山口市に本拠地を置く県域新聞社は存在しない(山口新聞を発行するみなと山口合同新聞社は福岡県と接する下関市に本社がある)。
ケーブルテレビ局の山口ケーブルビジョンでは福岡県域局のテレビ西日本(フジ系)・TVQ九州放送(テレ東系)による区域外再放送がそれぞれ行われており、加入率は70%を越えている。
山口市役所・山口県庁などが立地する当市の中心市街地の最寄り駅は山口駅であり、時刻表においても当市の中心駅として表記されている。一方、市内の駅で最も乗降客数の多いのは山陽新幹線および山陽本線が乗り入れる新山口駅(旧小郡駅)であり、当市は新山口駅周辺を産業交流拠点と位置づけ整備を進めている。
山陽本線が山口駅ではなく小郡駅を経由することになった経緯について、山口市内で発行される郷土誌では「三田尻から山口を経由して小郡に向かう計画を地元が反対し断念させた」などと主張するものもあるが、同線にあたる路線を建設した山陽鉄道の広島 - 赤間関(後の下関)間の経路の候補が示された公文書には、三田尻と山口のいずれかを経由する複数のルートが掲載されているものの、三田尻から山口へ向かうルートは掲載されていない。
山陽鉄道では1888年(明治21年)1月に神戸 - 赤間関(現・下関)間の鉄道建設免許を受けたが、1892年(明治25年)7月時点で広島以西の経由地は未決定であった。同社は当初から、工事の難易度や経済効果などから、山口を通過しない徳山(現・周南市) - 三田尻(現・防府市) - 小郡(後の新山口)を経由する現在線に近い海岸線ルートの認可を望んだが、参謀本部が軍事上の理由から、五日市付近より山間部に入り須万(現在の周南市須万)または津和野を経て山口に至り、そこから伊佐(現在の美祢駅付近)・吉田を経由して海岸付近を一切通らず赤間関に至る山間線ルートを主張した。最終的には参謀本部の提案した山間部を通るルートは技術的問題、経済的問題を解決できず、赤間関付近の軍事的にリスクのある箇所などを調整して概ね当初の海岸線ルートに敷設許可をした旨の経緯が閣議決定の資料に記されている。
最寄りの空港は山口宇部空港である。新山口駅などから連絡バスが運行されている。
市内では以下の路線バス、高速路線バスが運行されている。
太字は山口市内の停車地
山口市内を始発・終着とせず、山口市が途中停車の一部である高速バスも含む。
なお、かつては下関市に本社を置くサンデン交通が山口市を経由する下関発着の夜行高速バスや山口市と下関市を結ぶ高速バスを運行していたが、夜行高速バス「ふくふく東京号」は2006年11月30日限りで、同「ふくふく大阪号」は2013年6月30日限りで、下関 - 山口線は2014年9月30日限りで廃止されたため、現在は山口市内発着の高速バスは運行していない。
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