『戦争と人間』(せんそうとにんげん)は、1970年(昭和45年)から1973年(昭和48年)にかけて公開された3部作の日本映画である。日活製作。監督は山本薩夫。
五味川純平の同名大河小説『戦争と人間』の映画化作品で、日本映画としては同じく五味川の小説を映画化した『人間の條件』の9時間31分に次ぐ9時間23分の長さを誇る、日活製作による戦争大河超大作である。
物語は、1928年(昭和3年)の張作霖爆殺事件前夜から1939年(昭和14年)のノモンハン事件までを背景に、様々の層の人間の生き様から死に様までを描いている。そして、その後の太平洋戦争に至る経緯について丁寧に表現されている。
第三部ではソ連国内でモスフィルムの協力の下撮影が行われた。ノモンハン事件の大規模な戦闘シーンはソ連軍の協力で撮影されており、ソ連ロケ・ソ連軍全面協力の戦闘シーンという日本映画としては異例の大規模映画となっている。(稼働状態の戦車を準備する必要上、史実・考証とは異なるがT-34-85の実車が撮影に使用されている)
当初は東京裁判による伍代家の破滅まで描いた四部作を予定していたが、豪華キャスト・本格的な戦闘シーン・海外ロケと日本の映画史上でも屈指の大作であったため、当時の日活の経営悪化もあり結果的に予算が続かず、第三部で完結を強いられた。第一部だけでも3億5000万円の製作費がかかったが、大ヒット作となった。
大正から昭和に元号が改められて間もなく、日本陸軍は中国北部満州の進出を計画していた。当時の日本は昭和恐慌による不景気が蔓延している。満州には無数の資源が埋まっており、そこで産業を興せば日本経済は回復し、特に東北地方農家の出稼ぎ労働、娘の身売り問題を解消できると将校達に唱えていた。そのために日本が支援する張作霖の奉天派軍閥の援軍要請を刻一刻と待っていたが来ないどころか、息子張学良達の説得により蒋介石との同盟に移行し日本に対抗しようとしていた。
1928年、三・一五事件により標耕平の兄、共産主義者の標拓郎は警察の手によって検挙される。その数日後、中堅財閥伍代の邸宅にてアメリカから帰国した長男の伍代英介歓送会が行われ、財閥の工場で技長の矢次憔夫は耕平を連れて当主由介、満州担当の弟喬介、次男の俊介、長女由紀子、次女順子の前に引き合わせる。パーティーでは日本の中国進出を巡る話題で持ちきりで由介は四大財閥を超えるため満州進出と軍需産業への参入を示唆し英介にそのプロジェクトに参画してもらうよう説く。一方、心優しい俊介は満州進出に疑問を抱くものの由介から、そんな心持では伍代の人間とは言えないと諭され矢次は耕平と遊びに行かせて二人は親友となる。由紀子は矢次との不倫願望を抱き彼を誘惑するが紳士を貫く彼に失望・失恋、遅れてやってきた憲兵の柘植進太郎に接近し、新たな恋に燃える。
当の満州では喬介の名は「満州伍代」と呼ばれており、流通業の一方阿片の密売など汚い仕事も手がけており、仕事とあれば危険な地でも赴く商社マンの高畠正典、伍代と酒、金のためなら暗殺を始めとした汚れ仕事を何でもこなす鴫田駒次郎が支えていた。
1980年1月3日(木曜)から同年1月5日(土曜)まで東京12チャンネル(現・テレビ東京)で、『連続3日間特別ロードショー』と銘打ってのテレビ放送が行われた。全3回。放送時間は3日間ともに19:00 - 22:48 (日本標準時)。
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