ジョン・サミュエル・ヴァンダー・ミーア(John Samuel Vander Meer, 1914年11月2日 - 1997年10月6日)は、元メジャーリーグの投手。左投両打。アメリカ・ニュージャージー州ミッドランドパーク出身。ニックネームはThe Dutch Master。
メジャーリーグ史上唯一の2試合連続ノーヒットノーランを達成したことで知られる。
オランダ出身の石工の息子として生まれた。ニューヨーク・ジャイアンツの投手カール・ハッベルがあこがれの選手だった。
1933年、ブルックリン・ドジャースと契約し、その後ボストン・ブレーブス、シンシナティ・レッズに移籍。1937年4月22日にレッズでメジャーデビュー。
1938年6月11日、クロスリー・フィールドで行われたボストン・ビーズ(1936年にブレーブスから改名)戦でノーヒットノーランを達成。3四球、4奪三振。
4日後の6月15日、エベッツ・フィールドで行われたブルックリン・ドジャース戦で2試合連続ノーヒットノーランを達成した。8四球、7奪三振。9回は1アウトから3四球で満塁のピンチを迎え、ビル・マケシュニー監督がマウンドに向かい声をかけた。次の打者をサードゴロ本塁封殺に打ち取り2アウト。最後のバッターレオ・ドローチャーを浅いセンターフライに打ち取り大記録を達成した。故郷ミッドランドパークから両親も観戦に訪れていた。また、この試合は同球場初のナイター試合だった。フランクリン・ルーズベルト大統領から祝辞を贈られた。達成した記念ボールは、アメリカの歌手で野球グッズコレクターのSeth Swirskyが所有している[1]。
次の登板試合となった6月19日のボストン戦では4回1アウトまでノーヒットピッチングだったが、デブス・ガームスに左中間にヒットを打たれ、3試合連続ノーヒットノーランはならなかった。しかし、21回2/3イニング連続被安打ゼロのナショナルリーグ記録を作った。同年7月6日にレッズの本拠地クロスリー・フィールドで行われたオールスターゲームに初出場し、ナショナルリーグの先発を務め勝利投手となった。
1940年にはワールドシリーズ優勝を経験。1941年から3年連続でナショナルリーグ最多奪三振。第二次世界大戦中は海軍に入隊し、戦後メジャーに復帰。その後も1956年までマイナーリーグや独立リーグでプレーした。
1997年10月6日、フロリダ州タンパの自宅で死去。82歳。
投手としての球種はカーブ、チェンジアップ。 投球フォームはハーフサイドアーム(オーバーハンド)。(米書 「guide to pitchers」より)
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