チルドレン・オブ・ボドム(Children of Bodom)は、フィンランド出身のデスメタル・バンド。通称チルボド、COB。
アレキシのギターとヤンネのキーボードの速弾きを中心にしたリフやソロが上に載るスピード感のあるクラシカルなメロディックデスメタルを信条としており、そのサウンドはアレキシのデスヴォイスを除けばオーセンティックなヘヴィメタルに近い。
1960年にエスポー近くのボドム湖で実際に起こったボドム湖殺人事件がバンド名の由来である。4人の若い男女が湖畔でキャンプをしていたところ3人が斧で惨殺され、残る一人も発狂してしまった。2005年に残る一人が犯人であるとされ逮捕、裁判となるが無罪判決を受けており、依然として謎に包まれた事件である。事件の詳細は、同事件の項目を参照。
1993年春に、フィンランドの都市・エスポーで、前身バンドであるインアースド(Inearthed)が学校の友人同士で結成される。中心メンバーは、アレキシ・ライホ (Vo/G)とヤスカ・ラーチカイネン (Dr)であった。その2人以外の初期メンバーは、流動的であったが、サムリ・ミエッティネン (B)、ヤニ・ピリショキ (G)が加入し4人体制で一応安定する。その後、1994年に1stデモテープ『Implosion of Heaven』を作成している。続いて、1995年に2ndデモテープ『Ubiguitous Absence of Remission』、1996年には3rdデモテープ『Shining』をリリースしている。また、このデモのリリースの間にメンバーチェンジが起こっており、1994年にヤニ・ピリショキが脱退、1995年には、サムリ・ミエッティネンも脱退した。同年に、アレクザンダー・クオファラ (G)、ヘンカ・ブラックスミス (B)が加入している。また、それに加えて、ヤニ・ピリショキがキーボーディストとして復帰している。
3rdデモテープがきっかけとなり、ヨーロッパの小さなレーベルと契約する。そして、1stアルバムを制作するも、完成直後にスパインファーム・レコードから契約の申し出があり、所属レーベルとの契約を破棄するためにインアースドは解散する。解散後、チルドレン・オブ・ボドム (Children of Bodom)が結成され、スパインファーム・レコードと契約する。形式上、解散・結成の形をとっていたが、実質的にはバンド名変更であった。解散・再結成と前後して、ヤニ・ピリショキが解雇され、ヤスカ・ラーチカイネンの学友のヤンネ・ウィルマン (Key)が加入する。加入当初はアルバム作成時のみ参加のセッションメンバーとしての加入であったが、すぐに正式メンバーとして加入することとなった。そして、同年に1stアルバム『Something Wild』でデビューした。同アルバムは、フィンランドのアルバムチャートで、最高20位を記録した。また、1998年のシングル「Children of Bodom」は、フィンランドのシングルチャートで8週連続1位を獲得した。
1999年に、2ndアルバム『Hatebreeder』をリリース。同年7月には、川崎クラブチッタと大阪で行われたスウェーデンのメロディックデスメタルバンドイン・フレイムスのライブのサポートバンドとして、日本でライブを行っている。クラブチッタ公演の模様は、ライブ・アルバム『Tokyo Warhearts - Live In Japan 1999』として音源化されている。
2000年には、3rdアルバム『Follow The Reaper』をリリース。2001年には、ダーク・トランキュリティと共に再来日している。
2003年、4thアルバム『Hate Crew Deathroll』をリリースする。同アルバムで、フィンランドのアルバムチャートで初の1位を獲得。同年2月にはハルフォードのオープニングアクトとして来日した。しかし同年7月、アレクザンダー・クオファラがツアーに対する疲れにより脱退したことが発表される。その後、元ストーン、ワルタリのギタリストで、アレキシと共にシナジーに在籍しているローペ・ラトヴァラをサポートに迎えツアーを継続する。このサポート加入は、ローペ・ラトヴァラから参加の話が持ちかけられたことがきっかけであった。当初、アレキシは「2つのバンドでギタリストが同じ」ということに疑問を持っていたことを話していたが、ミュージシャンとしてだけでなく人間的な面でもバンドに合っているということで、セッション参加から1年ほどが経過した2004年にローペが正式なメンバーになる。
2005年に、5thアルバム『Are You Dead Yet?』、2008年に、6thアルバム『Blooddrunk』をリリースする。また、2006年・2009年には日本のヘヴィメタル・フェスティバル、「LOUD PARK」に出演した。
2011年に、7thアルバム『Relentless, Reckless Forever』をリリース。同年6月には、アモルフィスとのカップリングで来日。渋谷、大阪、名古屋、横浜でライブを行った。
2012年に、ワールドワイドでは初のリリースとなるベスト・アルバム『Holiday at Lake Bodom: 15 Years of Wasted Youth』をリリースした。また、同年6月には、15年間所属したスパインファーム・レコードからニュークリア・ブラストに移籍した。更に、10月には日本でのリリース契約をアヴァロン・レーベルと結んだことを発表した。また、同年10月27日に行われたLOUD PARK 12に出演。
2013年、8thアルバム『Halo of Blood』をリリース。
2015年5月29日、ローペ・ラトヴァラの脱退が発表された。後になってラトヴァラが語ったところによると、この脱退はバンド側からの解雇であり、次作のアルバムセッションを開始する日に通告されたとのこと。後任については当初は決まっておらず、脱退発表翌日のライブではヤンネの弟アンティ・ウィルマンが仮のセカンドギタリストとしてプレイした。10月、9thアルバム『I Worship Chaos』をリリース。
2016年1月19日、ノーサー(2012年解散)、ネイルダウンのギタリストであるダニエル・フレイベリの加入が発表された。ダニエルは2月から行われるワールド・ツアーから参加した。
2019年3月に10thアルバム『Hexed』をリリース。
2019年11月1日、同年12月15日のヘルシンキでのライブを最後にヘンカ・ブラックスミス、ヤスカ・ラーチカイネン、ヤンネ・ウィルマンがバンドを脱退すると発表した。発表の中で、脱退する3名は、生活の方向性を変えると書かれている。ただし、12月末に発表された3名連名の声明では、3名がミュージシャンを引退するようなことはなく、今後もミュージシャンであり続けるとも述べている。併せてここ数年、チルドレン・オブ・ボドムの活動において、各メンバーが共通の目標を共有することが難しく、音楽とは関係が無いものの責任を伴う重要な決定を行うことが出来なかったとも述べている。また、バンドに残るアレキシとダニエルは、今後の計画についても発表するとしている。この発表の後、フィンランドの音楽誌「サウンディ」(Soundi)に掲載された記事よれば、元々3人の脱退は以前から決まっていたものの、2020年までツアーを行う予定であったとのこと。しかし、2019年10月に行われたロシアツアー中にバンドメンバー間でトラブルが発生し、一時は即時脱退という状態になった。しかしながら、結局2019年12月をもって3名が脱退することに落ち着いた。また、チルドレン・オブ・ボドム (Children of Bodom)の名称に関する権利は、AA・アンド・セウィラ・コンサルティング (AA & Sewira Consulting Oy)が2019年10月1日から5年間の独占使用権を獲得しており、同社を経営するヘンカ・ブラックスミス、ヤスカ・ラーチカイネン、ヤンネ・ウィルマン、つまり今回脱退する3名の許可が無ければ使用できないことになっている。アレキシ・ライホは、同誌の記事の中で、チルドレン・オブ・ボドムの名前を使い続けず、別の名前を用いて活動を継続することを示唆している。ただし、その際にもチルドレン・オブ・ボドムと関連性のあるような名前にするとも述べている。脱退した3名の声明によれば、元々アレキシ・ライホは、この会社の経営者に名を連ねていたが、会社の株式を売却してしまったため、バンド名の使用に関する権利を失っており、その売却についても合意の下行われたとのことである。
2020年3月、アレキシ・ライホとダニエル・フレイベリは、新バンドとしてボドム・アフター・ミッドナイト (Bodom After Midnight) を結成することを発表した。バンドメンバーは、アレキシ・ライホ (Vo, G)、ダニエル・フレイベリ (G)、ミトヤ・トイヴォネン(B、元サンタ・クルス)、ワルッテリ・ヴァユリュネン(Ds、パラダイス・ロスト)の4名。これに加えて、ラウリ・サロマー (Key)がライヴセッションとして参加する。また、新バンドは6月下旬のトゥスカ・フェスティバルにて初ライヴステージに立つことも発表された。その後、アルバムの制作に入るとされる。なお、正式に解散の発表は為されていないものの、チルドレン・オブ・ボドムに残った2名が新バンドで活動することや、ボドム・アフター・ミッドナイトの結成報道の中で、チルドレン・オブ・ボドムの活動終了プロセスは予定通りに進んだと述べられており、後継となるこの新バンド結成をもってチルドレン・オブ・ボドムの活動が全て終了したと考えられる。
2021年1月4日、公式ウェブサイトやレコード会社のSNSアカウントよりバンドの中心人物であるアレキシ・ライホが12月末にヘルシンキにある自宅で亡くなった事が公表された。死因は明かされていないが長年健康問題を抱えていたという。享年41。
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