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JSL東西対抗戦


JSL東西対抗戦


JSL東西対抗戦(JSLとうざいたいこうせん)は、1966年から1991年にかけて日本サッカーリーグ(JSL)が主催した対抗試合であり、後のJOMO CUPの始祖となる大会である。1986年からはJSLオールスターサッカーとして開催された。

歴史

JSLが発足され翌年の1966年に第1回が開催された。当初は2回戦制で行われており、ボール型の優勝トロフィーは(1勝1敗の場合に備えて)2分割できるように作られていた。休止期間を経て1979年に1回戦制として復活。

1986年よりJSL初のスポンサー付き賞金大会に生まれ変わり、日本コダック(現・コダック)がスポンサーを務めたため「コダック・オールスターサッカー」と呼ばれるようになる。コダックはJリーグ発足後のオールスターでもスポンサーを務めた。MVPの他、敢闘賞にあたるアトラクティブプレーヤー賞が設けられていた(受賞者は賞金が与えられた)。

主に芸能人で結成されたサッカーチーム「ザ・ミイラ」が、前座としてJSLのOBチームや監督チームなどと試合をしていた。

試合結果

個人記録

  • 最多選出選手 落合弘 11回
  • 最多試合出場 落合弘 17試合
  • 連続試合出場 落合弘 10試合
  • 最多得点 釜本邦茂 21得点
  • 連続試合得点 釜本邦茂 6試合12得点(1970年 第2戦-1979年)
  • 最多ハットトリック 釜本邦茂 3回(1967年 第2戦、1968年 第1戦、1971年 第1戦)

脚注

参考文献

  • 『サッカーマガジン』記録コーナー/ベースボール・マガジン社
  • ’87コダックオールスターサッカーガイド

関連項目

  • 日本サッカーリーグ
  • Jリーグオールスターサッカー



Text submitted to CC-BY-SA license. Source: JSL東西対抗戦 by Wikipedia (Historical)



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