AWA世界ヘビー級王座(AWAせかいヘビーきゅうおうざ、AWA World Heavyweight Championship)は、アメリカン・レスリング・アソシエーション(以下AWA)が認定するプロレスの王座の一つである。かつてはNWA世界ヘビー級王座、WWF世界ヘビー級王座と並び「三大世界王座」と呼ばれていた。
なお、俗に「AWA」と冠された王座はボストン(ボストン版)やオマハ(オマハ版)をはじめ、シカゴやオハイオなどにも存在したが、最終的に消滅または本項で記述するバーン・ガニアのミネアポリス版王座に吸収された。カール・ゴッチやドン・レオ・ジョナサンの来歴に「AWA世界ヘビー級王者」とあるのは、それら各地区版のヘビー級王座の獲得歴をもとにしている。
1996年にAWAスーパースターズによって同名のタイトルが復活しているが、それについてはWSL世界ヘビー級王座の項参照。
1960年5月、NWAミネアポリス地区のプロモーターを兼任していたバーン・ガニアがNWAを脱退してAWAを設立。当時のNWA世界ヘビー級王者であったパット・オコーナーを初代AWA世界ヘビー級王者(NWA世界ヘビー級王座との二冠。記録上の戴冠日はNWA王座の戴冠日でもある1959年1月9日)として認定し、ガニアとの指名試合を勧告。90日以内にガニアとの試合を行わない場合は、AWA王座を剥奪すると通達した。しかし、オコーナーはガニアとの指名試合を拒否したため、勧告から90日後にオコーナーからAWA王座を剥奪。8月1日に指名挑戦者であったガニアをAWA世界ヘビー級王者として認定した。その後、AWA王座はNWA王座から切り離され、独自の世界王座として定着した。
1963年8月25日にはガニアが、オマハ版の世界ヘビー級王者であったフリッツ・フォン・エリックを破って王座を統一し、オマハ版王座を吸収。このことから、日本では世界ヘビー級王座(オマハ版)をAWA世界ヘビー級王座(オマハ版)と呼称する場合がある。
日本でも度々タイトルマッチが開催され、1970年代から1980年代前半にかけては、提携先の国際プロレスや全日本プロレスのリングでチャンピオンのガニアやニック・ボックウィンクルが、ビル・ロビンソン、ラッシャー木村、大木金太郎、ジャンボ鶴田などを挑戦者に迎えて防衛戦を行った。
1985年10月21日には全日本プロレスの両国国技館大会において、AWA世界ヘビー級王者のリック・マーテルと、NWA世界ヘビー級王者のリック・フレアーとの間で史上初のAWAとNWAの世界ダブルタイトルマッチが行われている(結果は両者リングアウト)。
AWAの衰退期である1980年代後半には、マサ斎藤の仲介で新日本プロレスと関係を持つようになった。日本人レスラーでは鶴田と斎藤が王者になっている。
1991年、AWAの活動停止に伴い封印された。
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