SCコリンチャンス・パウリスタ (ポルトガル語: Sport Club Corinthians Paulista) 、通称コリンチャンス (Corinthians) は、ブラジル・サンパウロ州サンパウロを本拠地とする総合スポーツクラブである。この項ではサッカークラブを中心に記述する。
1910年に創立した。ホームタウンはサンパウロである。コパ・リベルタドーレス優勝1回、カンピオナート・ブラジレイロ優勝7回、コパ・ド・ブラジル優勝3回、カンピオナート・パウリスタ優勝26回、(サンパウロ州では最多)FIFAクラブ世界選手権(現:FIFAクラブワールドカップ)優勝2回等、数々のタイトルを獲得してきたクラブである。
世界最大の会計事務所である『デロイト』が2014年1月に公表した統計によると、2012年度のクラブ収入は1億1330万ユーロであり、世界のサッカークラブの中では23位、南米では1位である。ホームスタジアムはワールドカップでも使用されたアレーナ・コリンチャンス。過去に、リベリーノ、ソクラテス、リバウド、ドゥンガ、リカルジーニョ、マルセリーニョ・カリオカ等が同チームでプレーしている。サンパウロ、パルメイラスとの試合は「サンパウロ・ダービー」として注目されている。
日本では1963年から1967年までの間、セルジオ越後が所属していたことがよく知られている。
1910年9月1日、SCコリンチャンス・パウリスタは5人の若い労働者たちによってサンパウロ近郊のボン・レチーロで設立された。クラブ名は1910年の設立当時に、ブラジル遠征で圧倒的な強さを誇っていたイングランドのサッカークラブ、「コリンシアンズFC」に由来する。当初のチームカラーはクリーム色だったが、後に入手が容易な白に変わったという。なお、「コリンチャンス」は「コリント人」という意味で、ニックネームのチモンは「偉大なチーム」の意。
初期のマークは「C」と「P」の組み合わせであった。1919年より代わりにサンパウロ州旗をモチーフに使用するようになり、1939年以降は赤い錨・櫂(オール)と組み合わさって出来た。
1990年代にはカンピオナート・ブラジレイロ・セリエA(1990・1998・1999年)とブラジルカップ(1995年)で4度の国内タイトルを獲得。2000年にヴァスコ・ダ・ガマをPK戦で下してFIFA世界クラブ選手権の初代王者となった。2004年にイラン人オーナーのキア・ジョーラブチアン率いる投資ファンド MSI (Media Sports Investment) と資本提携を結び、ヨーロッパのビッグクラブに匹敵する資金力を誇るクラブとなり、2005年に4回目のブラジル全国選手権優勝を手にした。しかし、MSIと経営陣との間では対立が続き、オーナーのキアの逮捕、及び投資に問題があるなど警察沙汰になり2007年に関係は解消された。そのため獲得していた殆どのレギュラー選手が売られ、補欠・ジュニアチームで挑んだ2007年のセリエAでは17位と低迷し、クラブの歴史上初めてのセリエB降格が決定した。2008年にはコパ・ド・ブラジルで決勝進出を果たし、セリエBでも優勝を果たして1年でセリエAへの復帰を決めた。2009年には元ブラジル代表のロナウドを獲得して話題を集め、カンピオナート・パウリスタ、コパ・ド・ブラジルの2冠を達成。2012年にコパ・リベルタドーレスのタイトルを獲得し、同年のFIFAクラブワールドカップ2012では決勝でチェルシーFCを1-0で下して2回目の世界王者となった。
2022年には前項のFIFAワールドカップ2012の世界王者から10周年を記念した、日本語のユニフォームを作成した。シャツには 『Aqui é Corinthians.』を日本語に訳した「これがコリンチャンスです。」を縦書きで書き連ね、各選手の背ネームをカタカナで表示した。
同じサンパウロを本拠地とする、パルメイラス、サンパウロ、サントスとはコリンチャンスを含め、サンパウロ州のBIG4と呼ばれ、これらのチームとの対戦は、クラシコと呼ばれる。パルメイラスとのクラシコは、オ・デルビー・パウリスタ(サンパウロ・ダービー)と呼ばれている。サンパウロとのクラシコはクラシコ・マジェストソ(壮麗なダービー)、サントスとのクラシコはクラシコ・アルビ・ネグロ(白と黒のダービー)とそれぞれ呼ばれている。この中でもコリンチャンスにとって最大のライバルはパルメイラスである。
コリンチアーノと呼ばれる熱狂的なサポーターを多く抱えることでも有名である。メインの応援団体は『Gaviões da Fiel』(ガビオェス・ダ・フィエル)と呼ばれている。 2012年12月にFIFAクラブワールドカップ2012出場の為にグアルーリョス国際空港まで約15000人が見送りに行き、コンコースを占拠した。
ブラジルでは日本(豊田・横浜)への応援ツアーが組まれ、日本在住ブラジル人だけでなく及びブラジル中からサポーターが駆け付けた。
ホームスタジアムのエスタジオ・アルフレード・シュリグ(通称:パルケ・サンジョルジ) は、「小さな農場」と呼ばれ、1万8千人しか収容することができなかった。そのため、コリンチャンスの試合で使用されることはほとんどなく(1年に3回程度)、しばしば新しいスタジアムの話題が挙がるものの、経営陣との間で話が中々決まらず、他のサポーターからからかわれていた。2013年まではサンパウロ市営のエスタジオ・ド・パカエンブーを中心に、一部をサンパウロFCの本拠地であるエスタジオ・ド・モルンビーでも開催した。
2014年、2014 FIFAワールドカップ開催用に建設された6万3千人収容のアレーナ・コリンチャンスに移転した。
2020年9月1日、ブラジルの大手製薬会社であるハイペラ・ファーマがスタジアムの命名権を取得し、呼称がネオ・キミカ・アレーナ (Neo Química Arena)へと変更された。
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
・🇧🇷マルキーニョス
サッカー部門の他にバスケットボール、アメリカンフットボール、フットサル、ハンドボール、自転車競技、柔道、水泳、アーティスティックスイミング、テコンドー、テニス、バレーボールなどの部門を持つ。
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