志布志市(しぶしし)は、鹿児島県の東部に位置する市である。2006年1月1日、曽於郡の志布志町・有明町・松山町が合併し成立した。 市の南部は志布志湾に面し、国の中核国際港湾である志布志港が整備されている。志布志港からは国内外へ複数の航路が設けられており、南九州地域での重要な役割を担っている。
鹿児島県の東部、大隅半島の付け根の部分にあり宮崎県と接する。市域の南側は志布志湾に面している。 今後発生が予見されている南海トラフ巨大地震の際には、市内の海岸に最大6mの津波が到達することが予想されている。
合併前の旧町名を大字の前に冠している。
現在の志布志市域は廃藩置県まで日向国諸県郡に属していた。中世は隣接する大崎町域と共に救仁院を構成していた(明治の南諸県郡=中世の救仁院)。 志布志は古くから海を糧に栄え、平安時代末期に開かれた大隅・薩摩・日向に誇る広大な荘園・島津荘の唯一の水門(港)として発展し、江戸時代には薩摩藩の直轄領となり、現在の市域に志布志・松山の外城(1784年以降は「郷」)がそれぞれ設置された。海上交易が盛んになった江戸時代には内外交易でひらけ、「志布志千軒の町」とうたわれるほどの町並みを形成し活況を呈していた。調所広郷が弘化3年7月27日には志布志郷地頭となり、死去するまで兼職する。
当時の区域は以下の通り。
※有明町山重は大崎郷野方村の一部。
外城ごとには郷士の居住する「麓集落」がおかれ、志布志郷は志布志小学校周辺、松山郷は松山支所周辺に位置した。
旧日向国であった志布志市域では廃藩置県後複数回、所属県の変更が実施された。
1889年の町村制施行時に二郷はそれぞれ志布志村・松山村として発足。しかし志布志村は当時の自治体としては面積が広大であったため、1891年2月に東西に分割された。また、旧郷士の支配への反発から月野村が単独の自治体として独立した(月野村は昭和時代半ばに大隅町に編入、現在は曽於市の一部)。
この時点で志布志市発足前の3町域の各自治体(東志布志村・西志布志村・松山村)が成立した。3村は後にそれぞれ町制施行し、東志布志村が大正時代に志布志町、西志布志村と松山村は昭和時代第二次大戦後にそれぞれ有明町、松山町と改称された。
住所は志布志市の後に旧町の住所を合わせて表記する。すなわち、旧住所の「曽於郡」を「志布志市」に置き替える。
最寄り空港は鹿児島空港で、車で(東九州道曽於弥五郎ICより)1時間強。宮崎空港へは約2時間の距離にある。
中心駅は志布志駅であるが、1987年に接続していた志布志線、大隅線が廃線となった後、ホーム1面のみの無人駅となった。日南線は志布志駅から宮崎市方面に至る、宮崎県南部を縦断する路線である。そのため、鉄道で鹿児島県内の他市町村へ行く場合は、必ず宮崎県を通らなければならない。
旧志布志町の志布志バス停を拠点として運転されている。
主要地方道は宮崎県道・鹿児島県道3号日南志布志線、鹿児島県道63号志布志福山線、鹿児島県道65号南之郷志布志線の3本が通じている。この中でも県道志布志福山線は霧島市方面への最短路として機能している。
一般県道では県道飯野松山都城線が都城市方面へのアクセス路線として機能している。
志布志港は中核国際港湾に指定されており、長距離フェリーや国際定期コンテナ航路が運航されている。
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