時雨 音羽(しぐれ おとは、1899年(明治32年)3月19日 - 1980年(昭和55年)7月25日)は、昭和期の作詞家。出生時の戸籍上の名前は池野 音吉(いけの おときち)であるが、1961年(昭和36年)に筆名を本名に改名したため、没年時の本名も時雨音羽である。
北海道利尻島沓形村番外地出身。5人兄弟の末っ子として生まれる。父邦蔵は、新潟県佐渡郡の出身。 新湊小学校、沓形小学校高等科卒業。1916年(大正5年)沓形村役場に附属員として勤めていたが、1918年(大正7年)秋頃上京する。日本大学法科に検定で合格し、1923年(大正12年)卒業後、大蔵省主税局織物課に勤めた。
1925年(大正14年)、新大衆誌『キング』9月号に講談社の依頼で民謡詩「朝日をあびて(後の出船の港)」を掲載。この詩は、中山晋平が作曲し藤原義江が歌ってヒットした。翌1926年(大正15年)3月には、『キング』3月号に民謡詩「金扇(後の鉾をおさめて)」を掲載。この詩も中山、藤原のコンビによって歌われた。1928年(昭和3年)創設されたばかりのビクターレコードに文芸顧問として入社。「君恋し」、「浪花小唄」とヒット曲を書き、レコード界草創期の流行歌作詞家となった。また童謡、唱歌も作り、1942年(昭和17年)には、平井康三郎作曲で、小学校のための文部省唱歌となった「スキー」を作詞している。
一方で、演劇界にも活動の場を広げて、1927年(昭和2年)には、二代目市川猿之助の歌舞伎座上演脚本に「最初の悪魔」で応募し、一等当選。 1957年(昭和32年)公開の東宝映画「雨情」の原作、文藝春秋「樹下の一夜」など数々の脚本を手がけた。
1961年(昭和36年)12月、佐々紅華作曲、寺岡真三編曲、フランク永井歌唱により、「君恋し」で第3回日本レコード大賞受賞。
1969年(昭和44年)、紫綬褒章を受章。1977年(昭和52年)7月より利尻町名誉町民。1980年(昭和55年)7月25日死去。
同年10月、佐々紅華作曲、フランク永井歌唱により、「君恋し」で日本作詩大賞特別賞受賞。1981年(昭和56年)6月10日、幌延町名山台に詩碑「天塩川」除幕式。
主な著作に、日本講演協会『塩と民族』、『島物語』、現代教養文庫『日本歌謡集 明治・大正・昭和の流行歌』などがある。
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