ガイナックス、GONZO、Motor/lieZを経てオーバーロード所属。アニメ特撮アーカイブ機構副理事長や、IT企業のユビキタスエンターテインメントにおいてチーフ・ビジョナリー・オフィサーも務める。
愛称は「シンちゃん」(由来などは#人物像で詳述)。妻は、スタジオジブリでのハーモニー処理をしている高屋法子。
東京都新宿区生まれ、茨城県古河市育ち。茨城県立古河第三高等学校卒業。1984年 、高校卒業後に『さよならジュピター』の撮影見学時に特撮技術を志望、同年『ゴジラ』の怪獣造形に携わることで映画界に入る。最初の仕事は着ぐるみの脱ぎ着の補助だった。
1984年、『八岐之大蛇の逆襲』などで親交のあった庵野秀明らが設立したガイナックスに参加し、『王立宇宙軍 オネアミスの翼』にて助監督をつとめる。1992年、村濱章司らとともにGONZOを設立(その後に離脱)。
1995年、『ガメラ 大怪獣空中決戦』で特技監督を務め、日本アカデミー賞特別賞を受賞。
2002年、『ミニモニ。THE(じゃ)ムービー お菓子な大冒険!』で映画監督デビュー。
2005年、『ローレライ』を監督。2006年、『日本沈没』を監督。2007年、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』の、主にクライマックスのヤシマ作戦の部分を中心に画コンテを担当。
2007年、出身地である茨城県古河市の「古河大使」に就任。
2015年、『進撃の巨人 ATTACK ON TITAN』、『進撃の巨人 ATTACK ON TITAN エンド オブ ザ ワールド』を監督。
2016年、『シン・ゴジラ』を監督(脚本と総監督は庵野秀明)、翌2017年に同作品が第40回日本アカデミー賞最優秀作品賞を受賞。同作で総監督の庵野秀明とともに最優秀監督賞を受賞。また同作で、庵野とともに第37回日本SF大賞特別賞を受賞した。アニメ特撮アーカイブ機構副理事長。
2018年、テレビアニメ『ひそねとまそたん』に総監督として携わる。
2023年、八木景子によるドキュメンタリー作品『鯨のレストラン』に出演した。
中学生時代、CMの仕事をしていた叔母について東宝スタジオを見学し、特撮現場に初めて触れた。この時、案内を受けた特殊技術課課長の唐沢登喜麿からの紹介で特技監督の中野昭慶とも知り合った。それから撮影現場を度々訪れるようになり、映画『連合艦隊』の撮影などを見学していた。
その後、高校3年生のころ、見学者という身分ながら『さよならジュピター』や『零戦燃ゆ』などで特撮現場の手伝いを行うようになる。『さよならジュピター』で日本の特撮が変わっていくことを実感し、大学受験をせず撮影現場に通い詰めるようになったという。『零戦燃ゆ』では、撮影後の飲み会で酔いつぶれ、特殊効果の久米攻の車で嘔吐してしまい、その詫びとして特殊効果部で1ヶ月間タダ働きすることになった。
『ゴジラ』は、当初は『零戦燃ゆ』からのスライドで特殊効果部で作業していたが、正規のスタッフではないことが問題となりアルバイトとして雇われる運びとなったものの、前後して特撮研究所から研修のスタッフが入ることになったため、樋口の雇用は流れてしまう。
その後、特殊美術課課長の青木利郎の計らいにより、美術の井上泰幸の助手として正式に雇用される。当時、井上は特殊美術課で作業していたが、あくまで外部(アルファ企画)の人間であったため特美から助手をつけることはできず、正規のスタッフではなかった樋口が選ばれたという。井上の下では、図面に基づいた紙の裁断や、セットの模型製作が主な仕事であった。ビルの造型時に、対比用のゴジラを練り消しゴムで作り直したところ、その技術が認められて造型部へ参加することになる。樋口は、異動に際し井上から謝礼として『惑星大戦争』のスペースファイターとヘルファイターのミニチュアを譲り受けたという。
造型部では、安丸信行の下、パートの女性らとともに発泡ウレタンの成形などを行い、ゴジラのスーツが完成した後は撮影の手伝いをしていた。撮影後はミニチュア倉庫の整理に従事し、『ゴジラ』で使用したミニチュアを収納するため過去の作品で使用した造形物を多数処分しなければならなかった。倉庫整理を終えたころには、特撮映画の製作が途切れていたため東宝を離れ、別作品への参加を経てガイナックスへ合流することとなる。
(『シン・ウルトラマン』)
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