『キングコング対ゴジラ』は1962年(昭和37年)8月11日に公開された日本映画で、ゴジラシリーズの第3作。キングコングの権利を所有していたRKO社とのライセンス提携作品であるほか、東宝創立30周年記念作品でもある。日本での配給は東宝、アメリカではユニバーサル・インターナショナルがそれぞれ担当した。総天然色、東宝スコープ。略称は『キンゴジ』。
アメリカが生んだ怪獣キャラクターの元祖「キングコング」をゲストに迎え、ゴジラが7年ぶりに復活する。前作『ゴジラの逆襲』の続編であるが、前々作『ゴジラ』から描かれてきた反核のイメージはほぼ廃され、キングコングとゴジラの激闘をユーモアを交えて描いた、明快な娯楽映画の色彩が非常に強い作品となっている。封切興行時は『明治天皇と日露大戦争』に次いで邦画過去第2位(当時)、ゴジラシリーズ中では歴代1位となる1,120万人を動員する大ヒットを記録した。その後、1964年7月に東宝の契約館で再上映され、1970年と1977年に東宝チャンピオンまつりで改訂短縮版が公開された。
1955年公開の『ゴジラの逆襲』以来、7年ぶりの新作であり、ゴジラ映画としては初めてのカラー・ワイド製作、さらにシネマスコープの類にあたる「TOHO SCOPE」(東宝スコープ)で上映された作品である。また、関沢新一のゴジラ映画デビュー作でもある。本作品で初めて、ゴジラの体色や放射能火炎の青白い色が披露された。日米両雄の対決は、1958年に開催された力道山対ルー・テーズにちなむものであり、本作品以降、怪獣映画は単独キャラクターものから対決路線へと転換していった。内容や製作体制において、本作品が昭和ゴジラシリーズの礎を築いたとされる。
タイトルクレジットのバックの密林、キングコングがゴジラの口に木を突っ込むシーンや女性をさらって国会議事堂によじ登るシーンなど、本家『キング・コング』へのオマージュ的シーンが多い。公開時の宣伝スチールでは、本家のキングコングの写真がゴジラと合成されて多数使われていた。
主要襲撃地点は那須、東京、富士山麓、熱海。ミニチュアで作られた熱海城は、ゴジラとキングコングに破壊される。ファロ島では、本物と模型を使い分けた大ダコも登場する。
序盤のストーリーはテレビ業界が中心となっており、テレビの普及率が高まっていた公開当時の世相を反映している。監督の本多猪四郎は、当時のテレビ業界のイメージに対する皮肉を込めたといい、公開当時よりもテレビが普及した後の時代の方が、本作品での視聴率競争への問題意識が理解できるかもしれないとの旨を、後年のインタビューにて述べている。
昭和ゴジラシリーズでは、公開前後に何らかの媒体で漫画化されるのが恒例であったが、本作品は漫画化されていない。
自社提供のテレビ番組「世界驚異シリーズ」の聴取率不振に頭を痛めるパシフィック製薬宣伝部長の多湖は、南太平洋メラネシアに属するソロモン諸島の南部に位置するファロ島に伝わる「巨大なる魔神」が目覚めたという噂を仕入れ、これを聴取率アップの決定打にしようと企む。提携先のテレビ局のカメラマン・社会教育部員の桜井と古江はたった2人の探検隊として仕立てられ、ファロ島へ派遣される。乗り気でない桜井に対し、時を同じくして妹のふみ子のフィアンセ・藤田は、新開発の特殊繊維のテストをするため、しばらく日本を離れるという。
一方、北極海では海水の温度上昇が始まり、調査のために原潜シーホーク号が国連派遣の科学者を乗せて現地へ向かう。海上には青白く発光する氷山があったが、実はそれこそが大阪市でアンギラスとの戦いを終え、神子島で氷漬けにされたまま行方不明となっていたゴジラが眠る氷塊だった。まもなく氷が解けたことで目覚めたゴジラは原潜を沈め、某国基地を破壊して移動する。生物学の権威である重沢博士は、ゴジラは帰巣本能によって日本へ戻ると予測し、国内ではゴジラの話題で持ち切りになる。その影響で「巨大なる魔神」は話題にならず、多胡にとってゴジラはいら立ちの種でしかなかった。
ファロ島に上陸した桜井と古江は、島民たちの間に根強い魔神信仰があり、かつ「巨大なる魔神」が実在することを知る。その夜、海から現れた大ダコに島は大混乱となるが、そこへ山奥から巨大なる魔神=キングコングが出現し、大ダコを追い払う。キングコングは島民たちの用意したファロラクトンを飲み干し、彼らが踊りと共に捧げる祈りの歌を聴くと、たちまち深い眠りに就いてしまった。キングコングを日本へ連れて帰ろうという桜井の発案は、日本で一大旋風を巻き起こす。ホクホク顔の多湖だったが、部下の「キングコングとゴジラ、どちらが強いか?」という一言から次なる宣伝アイデアを思い付く。
そのころ、藤田を乗せた第二新盛丸が北海道沖でゴジラの潜航波によって遭難するという事件が発生し、慌てたふみ子はすぐさま現地へ向かう。だが、藤田は一足先に根室港で下船したため、命拾いしていた。ゴジラは松島湾から上陸して本土を南下する途上にあり、ふみ子を乗せた急行つがるも運転を中止してゴジラに破壊されてしまう。逃げ惑う人々の波から1人はぐれてしまったふみ子を救ったのは、事情を知って追ってきた藤田だった。
自衛隊によってゴジラ対策が急がれる一方、洋上ではキングコングが眠りから覚め、本土へ向けて北上を開始する。千葉東海岸から上陸したキングコングは、あたかも本能に導かれるように南下するゴジラを目指して進み出す。そして、ついに那須高原で初対決するが、緒戦はゴジラの放射能火炎に分があり、悠々と構えるゴジラを前に対抗できないキングコングは引き下がらざるを得なかった。
しかし、自衛隊による100万ボルト作戦が闘いの行方を想定外の方向へ導く。電流を苦手とするゴジラの首都圏侵攻は食い止められたものの、キングコングは高圧線に触れたことにより、ゴジラへの強力な対抗手段である帯電体質を得ていた。東京へ侵入したキングコングは、後楽園駅付近にて丸ノ内線の電車をつかみ上げて1人の女性を攫うが、それは避難の最中にまたも藤田とはぐれてしまったふみ子だった。ふみ子に満悦のキングコングは警戒網が張られた都内を進行し、彼女を攫ったまま国会議事堂へよじ登る。うかつに攻撃できない自衛隊や、駆けつけた桜井と藤田をよそに、キングコングはふみ子を手にしたまま悠然と休む。全身にキングコングへの怒りを表して罵倒する藤田の姿に、桜井はファロ島で原住民の踊りとドラムの音、そしてファロラクトンでキングコングが眠り込んだことを思い出し、キングコングを麻酔弾で眠らせる作戦を思い立つ。作戦は成功してキングコングが再び眠りに就き、ふみ子は無事に救出される。
キングコングは藤田の開発した特殊繊維のワイヤーとヘリウムガスの風船で吊るされ、富士山麓を進行中のゴジラのもとへ空輸されることが決まる。「両雄並び立たず、双方共倒れ」として、両者を共倒れさせる作戦によって再び合いまみえたゴジラとキングコングは激戦を展開する。ゴジラの放射能火炎とキングコングの放電が激突した末、両者はもみ合ったまま巨大な波しぶきをあげて熱海の海中へ落下する。やがて、沖合で浮上したキングコングはそのままファロ島を目指して南方へ逃れ、多湖は宣伝を断念する。一方、ゴジラは浮上しないまま行方不明となる。人々に未知なる自然の脅威と教訓を残しつつ、二大怪獣の死闘は終わりを告げた。
ファロ島のジャングルに生息するトカゲ。全長1メートルで、「ピーピー」と鳴く。
雷に驚いた古江に尻尾を掴まれ、振り回されてしまう。
参照
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本作品の基となったのは、1933年版『キング・コング』以降は不遇をかこっていた特撮マンのウィリス・オブライエンによって1961年にRKOに提出された、『キングコング対フランケンシュタイン』というタイトルの映画企画案であり、これは「フランケンシュタイン博士の孫が秘密裏に創造していた巨大合成怪獣と生存していたキングコングが戦う」というものだった。RKOに数点のスケッチを含むこの映画の企画書を提出した後、映画プロデューサーのジョン・ベックによりオブライエン本人も知らぬうちに『キングコング対プロメテウス』と改訂されて東宝に売り込まれ、本作品に至った。後年に本作品の存在を知ったオブライエンは、ひどく落胆したという。
ゴジラの登場について、東宝プロデューサーの田中友幸は『モスラ』(1961年)のヒットを受けてゴジラの復活を望む声が東宝社内で挙がっていたという。脚本を担当した関沢新一は、当初『ゴジラ対キングコング』の題で執筆していたが、アメリカ側への配慮から『キングコング対ゴジラ』になったと述べている。
本編の助監督を務めた梶田興治によると、キングコングの権利者であるRKOは東宝との契約に当たり、企画者の田中友幸自らが渡米して契約を結び、キングコングの名称使用権の契約料5年間分として8,000万円を要求した。東宝は当時の劇場映画3本分の制作費に匹敵するこの莫大な支払いの見返りを充分に受け、1,000万人を超える封切動員数を稼いだ。特撮キャメラマンの有川貞昌は制作に当たり、「とにかく久しぶりにゴジラ映画を作れるんだと、スタッフ一同とても嬉しい気持ちだった」と語っており、円谷英二以下特撮スタッフはゴジラよりも新怪獣のキングコングをどのように描くか、ひたすら尽力したという。本作品ではゴジラとキングコングの対決は曖昧な形で終わっているが、これは自国のキャラクターを敗者にすることを避けるために日米の関係者が議論を重ねた末の結果と言われている。脚本でも対決の決着は書かずに終わっている。
本作品では東京製綱がタイアップしており、藤田が「試作品」として披露し、キングコングの輸送にも使われる「鋼よりも強く、絹糸よりしなやか」な新時代の鋼線は、東京製綱のワイヤーロープの宣伝でもある。また、バヤリースとのタイアップにより、劇中で登場人物が同製品を飲む場面が頻出するほか、看板のミニチュアも登場している。
その後、本作品のヒットにあやかり『続・キングコング対ゴジラ』という続編企画が立てられたが、関沢新一によるプロットが作成されたのみで未制作に終わっている。後年、なべやかんが明かしたところによれば、巨大サソリとキングコングの戦いから始まった後、本作品で死んだゴジラが熱海の海から引き上げられて放電によって蘇生し、阿蘇山麓にてキングコングとの最終決戦に突入するが、新火口の噴火から爆発に遭って両者とも生死不明になるという、『モスラ対ゴジラ』『フランケンシュタイン対地底怪獣』『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ』に通じるような内容だったそうである。
監督の本多猪四郎は、当初キングコングの起用には抵抗があったが、会社からの強い要望であったといい、やるとなったからには一生懸命であったと述べている。本多は1933年版『キング・コング』を研究した結果、キングコングへの美女の悲鳴が演出上の要になると考え、該当シーンの演出や浜美枝への演技指導に力を注いだが、彼女の喉をからせるほどだったそのことへの申しわけなさから、1967年公開の『キングコングの逆襲』では浜を女性スパイ役にキャスティングしたという。浜がキングコングの手の実物大セットに掴まれるシーンは特撮班が撮影を担当したが、本多も演技を指導するために立ち会った。
桜井と古江のTTVコンビや多湖をはじめとするパシフィック製薬の描写は、東宝のサラリーマン喜劇の要素を取り入れている。主演の高島忠夫と藤木悠のコンビは、前年の『サラリーマン弥次喜多道中』に続いての起用であった。本多は、喜劇にしようと思ったわけではなく、会社命令で一生懸命やる人間の滑稽さを見せることが狙いであったといい、本人たちが真面目にやればやるほどおかしくなるという描き方をしている。ダブルヒロインであるふみ子とたみ江は、壮行会のシーンで和装と洋装で分けるなど個性を強調している。
クランクインは1962年5月14日を予定していたが、浜の負傷により17日へ延期された。
団地のセットのみ東宝撮影所ではなく三幸スタジオの第3ステージで撮影された。
世界驚異シリーズのシーンは、6月10日に第6ステージのセットで、シーホーク号の艦内セットは当時竣工したばかりの東宝撮影所第11ステージでそれぞれ撮影された。
パシフィック製薬のセットは、第1ステージに2階建てのものが組まれた。多湖が魔神様御席と題したソファを用意して悦に入るという場面も撮影されたが、カットされた。
藤田役の佐原健二は、マンションからロープでぶら下がるシーンの撮影において実際に3メートルほど浮いており、演技で「絶対に切れない」という信頼を見せていたが、自身はロープが切れたらステージの床に落ちる恐怖を感じていたという。
ゴジラを誘導するために河川にガソリンを流して火を放つシーンの撮影中、本多は誤って斜面を30メートルも滑落して負傷してしまったため、このシーンと藤田がジープを走らせるカットは助監督の梶田興治が演出した。その後、本多は後半の撮影に包帯姿で参加している。
ファロ島のロケは伊豆大島や江の島などで行われた。村の広場のセットは、第9ステージで撮影された。島民役には、東宝芸能学校の生徒も動員された。村を囲う木の杭は、『キングコング』での描写を踏襲している。島民がコングを囲むシーンは、第8ステージでのブルーバックで撮影された。
ふみ子がキングコングに拐われて藤田が地団駄を踏むシーンは、クランクアップ後に追加撮影されたものである。佐原は撮影完了済みのシーンであるために疑問に思ったが、もう1カットないと繋がらないからという理由であった。佐原は「より賢明さが伝わるカットになったと思う」と述懐している。自衛隊の移動式所は、飯野海運ビルの屋上を借りて撮影していたが、追加撮影では第9ステージにセットを組んでいる。
本作品の撮影にはタイの留学生が見学に訪れており、そのうちの1人は後に『ウルトラ6兄弟VS怪獣軍団』などを手掛けるソンポート・センゲンチャイであった。本多によれば、ソンポートは熱心に撮影現場を勉強していたほか、本多の滑落した場面も写真に収めていたという。その後、本多は作品のダビングで東宝を訪れていたソンポートと再会している。
ゴジラとキングコングの扱いについて、本編監督の本多はそれぞれが日米を象徴する形での対決を望んでいたが、特技監督の円谷英二は日米関係なく子供でも楽しめる怪獣同士が絡み合う面白さを優先し、特撮でもコミカルな描写を取り入れていった。撮影の有川貞昌は、どちらかといえば本多の意見に賛同していたと述べており、従来のゴジラとは異なるイメージを指示する円谷に困惑するスタッフも多かったという。後年のインタビューで本多は、本作品以降ゴジラが擬人化していったことに対して否定的な意見を述べている。
両者のパワーバランスについても、円谷は日本の映画では日本の怪獣であるゴジラの方が強いとしつつも強すぎては物語にならないため、「その都度適当にやろう」という方針であったという。スーツの構造上、ゴジラはキングコングよりも頭が高い位置にあるため、両者が並ぶ場面ではキングコングを台に乗せて釣り合いをとり、対等な力関係を表現している。
第1作では画面はスタンダードサイズで、ゴジラをアップにすることで恐怖感を演出していたが、東宝スコープとなった本作品では横長に広がった画面でのロングショットが多くなった。対決シーンのセットは平坦な作りであったため、有川は映画『用心棒』を意識し、物語性のある画面作りやアクションの面白さを見せる画面構成を意図したと語っている。
熱海城のセットは、大プールに設営されたオープンセットとスタジオセットが併用された。後者では水を張っていない。
撮影の富岡素敬は、プールでの撮影でゴジラとキングコングが熱海城を壊しながら海に落ちる際に、崩れる城壁の角を画面に入れるよう円谷英二から厳命されていたが、ゴジラの動きに合わせて城壁も映すことは難しく、そちらに気を取られて怪獣を撮り逃す方が問題であるため、本番でも城壁が入らないだろうと思い撮影したという。円谷はこれに涙を流しながら激怒し、富岡はこのときが一番怒られたというが、ラッシュで城壁が映っていたことが確認されると円谷は「使えるじゃないか」とあっさりとした態度であったといい、富岡はこの時のことは忘れられないと述懐している。
氷山のセットも大プールに設けられ、目線カットのために櫓を組んでレール撮影を行っている。そのほか、シーホーク号の航行シーンや北極基地のシーンなどでも大プールが積極的に活用された。
ブルーバックの発展により複雑な合成が可能となり、特撮班で人物を撮影して合成する場面も多くなった。一方、ゴジラへの埋没作戦で自衛隊員がゴジラを注視するシーンは、合成ではなく約600坪の特撮ステージ内で遠近法を用いて撮影されたものである。
後楽園付近のセットは第8ステージに組まれ、講道館や後楽園ゆうえんちなど当時の街並みを再現している。
キングコングが登る国会議事堂のミニチュアは、石膏で作られた。石膏を担当した安丸信行によれば、石膏ミニチュアは上からの力には強いため、キングコングが玄関を破壊するシーンでなかなか壊れず苦労したと述懐している。
進撃中のゴジラが高崎観音と対峙するシーンが撮影されているが、本編では使用されていない。予告編では、ゴジラが画面の手前に向かって咆哮する、本編にない映像が使われている。
キングコングの上に乗る自衛隊員のシルエットのアニメーションは、ピー・プロダクションが担当した。クレジットに記載はなく、円谷個人の発注であったとされる。
本作品のヒットを受け、ゴジラ役の中島春雄とキングコング役の広瀬正一に撮影所から5万円の大入袋が支給された。中島によれば、大入袋が出たのは後にも先にもこのときだけであったという。
音楽は、第1作『ゴジラ』(1954年)を手掛けた伊福部昭が担当。以後、伊福部は『怪獣大戦争』(1965年)まで連続してゴジラシリーズの音楽を手掛けた。録音は、公開の迫った1962年7月25日に行われた。
ゴジラのメインテーマには、『ゴジラ』でのゴジラが東京に上陸したシーンでの楽曲をアレンジして用いており、以後の昭和シリーズではこれがゴジラのテーマとして定着していった。この楽曲は、1978年に発売されたオムニバスアルバム『ゴジラ』にて「ゴジラの恐怖」と名付けられた。
キングコングのテーマは、ゴジラとは対照的に活発で律動的な楽曲とし、キングコングの敏捷性を表現している。自衛隊のテーマは、伊福部が手掛けた従来の怪獣映画や後年の平成ゴジラシリーズなどのようなマーチではなく、カノン形式となっており、本作品では怪獣同士の戦いが主軸であることを示している。
当時、劇伴の収録は映像に合わせて演奏を行っていたが、熱海でのキングコングとゴジラの対決シーンが長尺であったことから管楽器奏者が音を上げてしまい、テープ録音の繰り返しが用いられた。同場面では、低音部に風の効果音を出すウインドマシーンを用いている。
ファロ島の祈りの音楽は、後に『ゲゾラ・ガニメ・カメーバ 決戦!南海の大怪獣』(1970年)でのセルジオ島の祈りの音楽として流用されたほか、『大魔神』(1966年)の「魔神封じの神楽」にも一部の要素が引き継がれている。大ダコのテーマは、『フランケンシュタイン対地底怪獣』(1965年)での大ダコ出現シーンにも流用された。
藤田の部屋での食事シーンおよび壮行会のBGMは池野成が手掛けた映画『手錠をかけろ』(1959年)を、ラジオから流れる音楽は松井八郎が手掛けた映画『顔役と爆弾娘』(1959年)からそれぞれ流用している。
1970年3月21日と1977年3月19日の東宝チャンピオンまつりでも再上映された。上映時間は74分。二度目の上映は、前年に『キングコング』が公開されたことに合わせたものである。
1970年の再上映時、オリジナルのネガフィルムをカットして再編集版が制作された。オープニングはテーマ曲のイントロをBGMにキングコングとゴジラの対決シーンのハイライトを鳴き声入りで見せてからタイトルバックに変わるという構成だった。
同様にオリジナルネガがカットされた『海底軍艦』や『モスラ対ゴジラ』は複製フィルムが残っていたために全長版での視聴が可能であったが、本作品は複製が残っていなかったために完全な状態での視聴が不可能となった。
1980年代には特撮ファンの間でも本作品が短縮版しか残っていないことが知られており、1981年に開催された「第1回アマチュア連合特撮大会」では、特撮サークル「日本特撮ファンクラブG」がテレビ放送された短縮版の録画映像に海外版ビデオや本編音声が収録されたレコードなどをビデオ編集で組み合わせた復元版が上映された。翌年の第2回大会では、さらに修正した改訂版が上映された。
1983年には、全長版の音声を用いた完全収録ドラマ版のレコードがキングレコードより発売された。このレコードには協力者として日本特撮ファンクラブGのメンバーも記載されている。
1984年に、日本特撮ファンクラブGはフィルムレンタル会社日東映画が保有する本作品の16ミリフィルムが全長版のものであることを確認し、サークルで上映会を行うとともに、東宝側へも発見を報告した。このことは、雑誌『宇宙船』でも報じられた。フィルムは公開当時のもののため、発見時点で褪色し、傷も多い劣化した状態であった。
1985年に発売されたビデオソフトでは、カットされた部分を前年に発見された16ミリポジフィルムの映像で補ったものが、「オリジナル復元版」と銘打たれている。また、1986年に発売されたレーザーディスクの初版では、編集作業途中のマスターが誤って製品化されてしまい、回収されるという事態も起きている。
1991年には、カットされたネガと4ch音声の素材が東宝の倉庫で発見され、復元版レーザーディスクが発売された。しかし、その後発見されたカット部分のネガが再び行方がわからなくなった。2001年に発売されたDVDでは、LD版のマスターを修正したものが用いられた。2008年に日本映画専門チャンネルでゴジラシリーズがハイビジョン放送された際には、オリジナルネガの残っている短縮版をハイビジョン化したものにカット部分をDVDのマスターで補ったものが放送された。
全長版の復元フィルムによる劇場上映は不可能な状況だったが、行方不明となっていたフィルムの一部が発見されたことにより、2014年にHDリマスターによるBDが発売され、同年11月24日には日本映画専門チャンネルで「高画質版」と銘打って放送された。ただし、カット部分のネガのうちロール1が再び行方不明になったためいずれもフィルム原版の欠落箇所はビデオ素材のアップコンバートなどで対応している。
2016年にはロール1部分に相当する約23分のネガフィルムが新たに発見され、合計約2.7キロメートル全10巻のネガが完全に揃ったことから、全編4Kスキャン・レストアが実施された。この修復作業は、約10人の担当者が約3か月を要して傷や汚れを消す一方、特撮仕掛けのピアノ線など当時の技術は意図的にそのまま残し、音もうっすらノイズを残すことで空気感を守ったという。こうして完成した4K版は、東宝の3代目特技監督であり本作品に特撮技術班の助監督として携わった中野昭慶に「まるで最初の試写を観ているようだ」と賞賛された後、同年7月14日にはスカパー!4K総合で4Kデジタルリマスター版が、日本映画専門チャンネルで2Kダウンコンバート版がそれぞれ放送され、同日にはTOHOシネマズ新宿でイベント上映も行われた。2021年に発売された4Kリマスター版BDでは、モノラル版音声が初収録された。
海外版では伊福部昭の音楽はほとんど別の曲に差し替えられているほか、パシフィック製薬のドラマが大幅にカットされ、両怪獣の対決の行方を予想する科学者のシーンなどが追加されている。キングコングとゴジラの戦いは、国連本部に衛星中継されているという設定になり、衛星の描写として『地球防衛軍』の宇宙ステーションのシーンを流用している。ラストシーンの咆哮はコングのみとなり、コングに優勢な印象を与えている。
浜美枝と若林映子は、この海外版の上映でアメリカ側のイオンプロダクションのプロデューサーに注目され、5年後に『007は二度死ぬ』のボンドガールで出演依頼を受けている。
平成ゴジラシリーズの監督や脚本を手掛けた大森一樹は、本作品から無意識に影響を受けていたといい、「ゴジラと対戦相手がともに海に落ちる」というラストを『ゴジラvsキングギドラ』と『ゴジラvsモスラ』で用いている。
映画『隠し砦の三悪人 THE LAST PRINCESS』では、本作品の原住民の歌が同作の火祭りのシーンにアレンジして使用されている。
2021年公開の米国映画『ゴジラvsコング』は、本作品と同じくゴジラとキングコングの対決を描いているが、リメイクではないが、本作のオマージュと見られる描写がある。
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