ゆずは、日本のフォークデュオ。セーニャ・アンド・カンパニー所属。公式ファンクラブ名は「ゆずの輪」。
ここではゆずの公式YouTubeチャンネルにて配信を行っているアニメ映像によるデュオ「MIZU」についても記述する。
ストリートミュージシャン出身のフォークデュオのパイオニア的存在で、1997年頃から始まった第2次路上ライブムーブメントの先駆けとされる。路上時代は主に神奈川県横浜市中区伊勢佐木町の横浜松坂屋前で路上ライブを行っていた。1996年3月結成。結成後すぐにオリジナル曲を作る。最初は客はほとんどいなかったが、1年ぐらいしたときに初めてリクエストしてくる客が現れた。路上の最終日(1998年8月30日)は、台風直撃にもかかわらず、約7,500人が集まった。
2人の出会いは小学生の頃だが、クラスが違ったためあまり面識がなかったという。(それゆえ、幼馴染ではなく幼知人と言っている。)中学3年で初めて同じクラスになり、仲良くなり始める。中学時代にキャンディーズの「春一番」を、一緒に歌った。2人は別々の高校に進学したが、卒業後に中学時代の友達で4人組のバンド(北川がドラム、岩沢がボーカル)を結成する。しかし「残りの2人(ベース、ギター)と合わない」という理由から、先述のような経緯で2人でデュオを結成するに至った。
結成当初は2人が吸っていた煙草にちなんで(北川は現在、禁煙)「Light's」という名前だったが、これを自分達に英語のユニット名は合っていない上にダサいと感じていた北川が、2人が当時一緒にやっていたアルバイト先の食事会で北川が食べた柚子シャーベットから「ゆず」へと変更(なお、岩沢が食べたのはバニラアイス)。90年代当時、音楽グループ名に日本語を採用するのは珍しかった。
音楽プロデューサーにJUN SKY WALKER(S)のベーシストである寺岡呼人を迎え、1997年『ゆずの素』でインディーズ・デビューする。翌年1998年1stシングル「夏色」、2ndシングル「少年」で立て続けにブレイク。1stフルアルバム『ゆず一家』は最終的に100万枚近い売上を記録した。フォーク復興の立役者として、「ネオ・フォーク」と呼ばれる新たなるフォークの1ジャンルを確立した(本人らの自称は「平成爽やかフォークデュオ」)。
2003年・2004年・2009年・2011年・2013年・2015年〜2022年には「NHK紅白歌合戦」に出場。2017年には「栄光の架橋」で大トリを務めた。もともと1999年に一度オファーを受けながらも辞退したが、2003年に初出場。2003年、初のカウントダウンライブを横浜で行う。2005年のベスト・アルバムの発売、2007年の10周年などを経て以降は、様々なアーティストとの共演や各種イベントへの参加、メディアへの露出など、それまであまりなかった形での活動もより積極的に行われるようになった。
ゆずのファンのことを「ゆずっこ」と呼ぶ。公式ファンクラブ名は「ゆずの輪」(1998年10月発足)である。ライブ前には演者と客・スタッフ・警備員含め全員で「ラジオ体操第一」を行い、アンコールのコール代わりにゆずの曲を歌う(観客の誰かが歌い出し、いつしか大合唱)というのが定番となっている。その際の曲は「贈る詩」が多く、その他に「する〜」「サヨナラバス」「友達の唄」「虹」などが歌われる。ライブでは、ラッキィ池田などが考案した振り付けを会場全員で踊る「ダンスコーナー」のようなパートが設けられることが多く、「夏色」と並びライブのハイライトとなっている。
ほとんどの曲のアレンジはゆずとプロデューサー・寺岡呼人によるものであったが、2008年のアルバム『WONDERFUL WORLD』以降は外注のアレンジャー(蔦谷好位置など)が参加するようになり、アレンジに大きな変化が起きている。このことについて、岩沢は『ここ5年くらいから二人組の役得というか、バンドではないので、いろんな人と試せるチャンスが実は凄いあるなということに気がついて』『デビュー当時とかは、俺達の音楽が変わっちゃうんじゃないかと思ったり、壊されたり踏み入られるのを嫌だった時期もあったんですけど、10周年超えたくらいから、ゆずという素材を使っていろんな人に「料理してください」と言えることを覚え始めて』と語っている。
音楽配信サービス開始当初は消極的であったが、2009年ごろからは配信限定シングルのリリースや、CD作品を先行配信するなど積極的な姿勢も見せている。2013年にはレコチョクアーティスト別年間ダウンロードランキングで、シングル部門7位、着うた部門10位となり、配信でもトップクラスの順位を記録している。
「ゆず2018プロジェクト with 日本生命」で、2018年平昌オリンピック・パラリンピック日本代表選手団を応援していくためテーマソング「うたエール」を作るための新メンバーを募集。新たに2018名が公式メンバーとして加わり、「ゆず2018(ニーゼロイチハチ)」として2017年12月から2018年春にかけて活動した。
単独名義のシングルには、ゆずの2人が必要ないと感じているため基本的にはカラオケver.等のインストver.は収録されていなかったが、44thシングル「マスカット」で初めてカラオケver.が収録された。
「LIVE FILMS」はコンサートの模様を収録したもの、「録歌選(ろっかせん)」はプロモーションビデオ(ミュージックビデオ)を収録したものとなっている。太字でないものはファンクラブなどの通販限定で販売されたもの。
公式サイトのディスコグラフィに記載されていない作品。
フル音源が先行配信されることが発表された時点で、発売日などのCDで発売される日程が既に発表されている楽曲。「終わらない歌」はこれには該当しないが、シングル表題曲になっているため便宜上ここに記載する。
その他多数
自身のグループ名と冬至の日に柚子湯に入るという日本の習慣にちなみ、1997年から2017年まで毎年12月22日に「冬至の日ライブ」と称して無料ライブを敢行していた(暦上との冬至が12月22日以外の日である年でもゆずの冬至の日ライブは12月22日に開催)。録音録画完全可のライブとなっているが、その代わりに当日朝までライブ会場はシークレットとなっている。2010年以降は警備や場所、スケジュールの問題により、YouTubeなどの動画配信媒体を通してファンのもとに届けられることが多かった。2017年12月22日に「冬至の日ライブファイナル」としてカトレヤプラザ伊勢佐木の屋上でのライブをAbemaTVで生配信し、20年の歴史に一旦幕を下ろしたが、2021年に4年ぶりに復活し、Rakuten TVにて独占配信された。冬至の日ライブの開催地、開催形式は以下の通り。
1999年に一度出演依頼があったが、「まだ出れる器ではない」とし、出演を辞退。
「J-POP Magic」(東海ラジオ)内で放送されていた番組。1997年10月10日からスタート。東海ラジオのスタジオ内にリスナーを招待し、ライブを行っていたこともあった。
TOKYO FMをキー局にJFN38局ネットで放送されているラジオ番組、『SCHOOL OF LOCK!』内「ゆずLOCKS!」に2006年1月3日 - 2007年3月27日の間出演。また、ゲスト講師として、コーナーを受け持つ前や終了後にも度々出演している。
ゆずの楽曲がCMソングでないもの
(50音順)
MIZUは、アニメーション映像によるフォークデュオ。キャッチコピーは雫型フォークデュオエンターティナー。
ゆずの2人によく似た共に19歳のジンジンとガンガンによるデュオで、神奈川県横浜市の伊勢佐木町にあるという文令堂の前でトークメインの路上ライブを行っている様子のアニメーション動画を毎週土曜日の夜にYouTube Liveで配信している。2020年1月23日にゆずの公式YouTubeチャンネルで活動開始を発表する動画が公開され、1月25日に同チャンネルで初回のライブ配信が行われた。2020年2月14日には初の作品として、初回配信から披露していたオリジナル曲「水色」を配信リリース。3月4日には1stミニアルバム『MIZU』でCDデビューした。3月28日からはゆずのツアー「YUZU ARENA TOUR 2020 YUZUTOWN」に「ファーストアクト」として出演するため、4月4日をもってライブ配信は一旦最終回となる予定だったが、新型コロナウイルス感染拡大の影響で同ツアーが2021年秋以降に延期となり、ライブ配信の最終回も延期になった。新型コロナウイルス感染が拡大するなか、4月25日に「手洗いソングを作ってみないか」という北川悠仁からの発案を受けて制作された新曲「手洗いブギウギ」が公開され、翌26日には手洗い時間に適したショートバージョン音源を無料配信した。
Twitterでは、ゆずの公式アカウントとは別に単独で MIZUのアカウント を運用している。
もともと、ライブ配信を行う以前に北川悠仁がWEBサイト「よみタイ」にて連載していた4コマ漫画『まいんち ゆずマン』のキャラクターで「MIZU」というデュオが登場していた。
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