1960年ローマオリンピック(1960ねんローマオリンピック)は、1960年にイタリアのローマで開催されたオリンピック競技大会。
開会式・閉会式、ならびに各種目を含めた総入場券発行枚数は318万2122枚、収入総額は当時の為替レート換算で15億3707万412円に上った。
招致までの経緯
ローマは1908年の大会の開催地に決まっていたものの、財政的な理由で大会を返上しムッソリーニ時代にも第12回大会(1940年)の開催地に名乗り出たが、東京の強い要請を受けて最終的には立候補を降りていた経緯がある。
今回の大会の立候補地はローマの他、ローザンヌ(スイス)、ブリュッセル(ベルギー)、ブダペスト(ハンガリー)、デトロイト(アメリカ)、メキシコシティ(メキシコ)、東京(日本)の7都市であった。1955年6月15日、第50次IOC総会において3回目の投票で最終的に35対24でローザンヌを押さえ開催地に決定した。
東京は1回目の投票でわずか4票にとどまり(他国の得票はローマが15、ローザンヌが14、ブダペストが8、メキシコシティが6、デトロイトが6、ブリュッセルが6。)、落選した。
ハイライト
- ソ連が1952年のヘルシンキオリンピック以来3度目の参加で、初めてアメリカを抜いて金メダル獲得数で首位に立った。以後、2つの超大国はスポーツでも競争を激化させていった。
- ハンガリーのアラダー・ゲレビッチが、6回連続となる金メダルを獲得する。
- 日本は次回1964年東京オリンピックの開催国として強化の途上にあったが、前回の1956年メルボルンオリンピックと並ぶ金4個になり、総数では18個(金4、銀7、銅7)と前回を1個下回った。男子体操では団体5連覇のスタートとなり、小野が2大会連続の金メダル獲得と活躍したが、前回金を獲得した競泳やレスリングで逃し、躍進にはもう一歩で終わった。
- マラソンで優勝したアベベはローマのコースを裸足で駆け抜け、一躍有名になった。アベベの母国エチオピアにとっては、かつて自国へ侵攻したイタリアの首都における勝利という政治的な意味も持っていた。
- 自転車の男子団体ロードレースでは、デンマークの選手達がトレーナーから興奮剤のアンフェタミンを投与されて出場した結果、レース後にヌット・エネマルク・イェンセンが死亡し、他2人が入院するという事件が起こった。これにより、国際オリンピック委員会(IOC)ではようやくオリンピックでのドーピング防止対策が本格的に検討されるようになった。
- ボクシングライトヘビー級で金メダルを獲得したクレイ(後のモハメド・アリ)はアメリカに帰国後、レストランへの入店を黒人差別を理由に拒否されたことへの抗議として、金メダルを川に投げ捨てた話が有名になった(弟によると創作であるとのこと)。36年後、アトランタオリンピックでIOCはアリに改めて金メダルを授与した。
- 南アフリカ共和国のオリンピック参加は、このローマ大会を最後に途絶えることとなった。同国のアパルトヘイト政策に対する国際的批判がその原因で、同国の復帰はアパルトヘイト政策が中止され、黒人中心の新政権が発足した後の1992年バルセロナオリンピックまで32年間を要した。
- 前回の1956年メルボルンオリンピックの盛り上がらなかった閉会式の反省から、陸上は日程の後半となった。
- イタリアでは全競技がテレビ放送された。
主な競技会場
- スタディオ・オリンピコ
- スタディオ・フラミニオ
- スタディオ・オリンピコ・デル・ヌオート
- パラエウル
- ベロドロモ・オリンピコ
- パラゼット・デッロ・スポルト
- スタディオ・アルテミオ・フランキ (フィレンツェ)
- スタディオ・オリンピコ・カルロ・ゼッキーニ
- スタディオ・トンマーゾ・ファットーリ
- スタディオ・アルマンド・ピッキ
- スタディオ・アドリアティコ
- スタディオ・サン・ニコラ
実施競技
各国の獲得メダル
主なメダリスト
- 金メダル
- 小野喬(日本、体操男子跳馬、体操男子鉄棒)
- 相原信行(日本、体操男子徒手)
- 相原信行・遠藤幸雄・小野喬・竹本正男・鶴見修治・三栗崇(日本、体操男子団体総合)
- ピーター・スネル(ニュージーランド、陸上競技男子800m)
- ハーブ・エリオット(オーストラリア、陸上競技男子1500m)
- アベベ・ビキラ(エチオピア、陸上競技男子マラソン)
- アル・オーター(アメリカ、陸上競技男子円盤投)
- レイファー・ジョンソン(アメリカ、陸上競技男子十種競技)
- ウィルマ・ルドルフ(アメリカ、陸上競技女子100m)
- ウィルマ・ルドルフ(アメリカ、陸上競技女子200m)
- ウィルマ・ルドルフ(アメリカ、陸上競技女子4×100mリレー)
- ヨランダ・バラシュ(ルーマニア、陸上競技女子走高跳)
- ドーン・フレーザー(オーストラリア、競泳女子100m自由形)
- ユーゴスラビア(サッカー男子)
- ヴァチェスラフ・イワーノフ(ソビエト連邦、ボート競技男子シングルスカル)
- カシアス・クレイ(後のモハメド・アリ)(アメリカ、ボクシング男子ライトヘビー級)
- ボリス・シャハリン(体操男子個人総合)
- ボリス・シャハリン(体操男子平行棒)
- ボリス・シャハリン(体操男子あん馬)
- ボリス・シャハリン(体操男子跳馬)
- ラリサ・ラチニナ(体操女子個人総合)
- ラリサ・ラチニナ(体操女子ゆか)
- ソビエト連邦(体操女子団体)
- ドイツ(近代五種障害飛越団体)
- ハンガリー(フェンシング男子サーブル団体)
- ハンガリー(近代五種男子団体)
- コンスタンティノス2世(ギリシャ、セーリングドラゴン級)
- 銀メダル
- 三宅義信(日本、ウエイトリフティングバンタム級)
- 松原正之(日本、レスリングフリースタイルフライ級)
- 山中毅(日本、競泳男子400m自由形)
- 大崎剛彦(日本、競泳男子200m平泳ぎ)
- 石井宏・福井誠・藤本達夫・山中毅(日本、競泳男子800m自由形リレー)
- 竹本正男(日本、体操男子鉄棒)
- 小野喬(日本、体操男子個人総合)
- オーストリア(競泳女子4×100mリレー)
- オーストリア(競泳女子4×100mメドレーリレー)
- ボリス・シャハリン(体操男子つり輪)
- ソビエト連邦(体操男子団体)
- ラリサ・ラチニナ(体操女子平均台)
- ラリサ・ラチニナ(体操女子段違い平行棒)
- チェコスロバキア(体操女子団体)
- 銅メダル
- 田中聰子(日本、競泳女子100m背泳ぎ)
- 大崎剛彦・清水啓吾・富田一雄・開田幸一(日本、競泳男子400mメドレーリレー)
- 田辺清(日本、ボクシングフライ級)
- 吉川貴久(日本、ライフル射撃男子フリーピストル)
- 鶴見修治(日本、体操男子あん馬)
- 小野喬(日本、体操男子つり輪、平行棒)
- ボリス・シャハリン(体操男子鉄棒)
- ラリサ・ラチニナ(体操女子跳馬)
脚注
関連項目
- 国際オリンピック委員会
- 夏季オリンピック
- 1960年ローマオリンピックの日本選手団
- ローマパラリンピック
- プロジェクト:オリンピック
- フォロ・イタリコ
- ローマ・オリンピック1960 - 公式記録映画
- ミルカ
外部リンク
- IOC Rome 1960 Page
- JOCオリンピックの歴史
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