『ハイ!土曜日です』(ハイ どようびです)は、1966年12月3日から1982年3月27日までフジテレビ系列ほかで生放送された、関西テレビ制作の朝のワイドショー・トーク番組である。放送時間は、1980年3月までは毎週土曜 9:00 - 10:25、同年4月以降は8:30 - 9:55(JST)。
2024年現在放送中の『土曜はナニする!?』に至るまで50年以上にわたり続く関西テレビ制作の土曜午前帯のワイドショー番組における最初の番組である。
元々、この時間帯はフジテレビ制作によりFNS系全国ネットで放送されていた帯番組『小川宏ショー』が月~土の週6日編成で放送されていたが、1966年11月に土曜日の放送を打ち切り、フジテレビの意向でその枠を準キー局の関西テレビに譲って本番組が開始された。ただし開始当初は『小川宏ショー』の土曜版という位置づけであり、テーマ曲もアレンジ曲が使われていた。また、初回の放送には小川宏もゲスト出演している。
プロデューサーは古吟勲一(こぎん くんいち:放送期間中は関西テレビの制作部員)。『ウィークエンドモーニングショー』(毎日放送制作・NETテレビ(現・テレビ朝日)系列)に次ぐ2番目に誕生した在阪局制作のワイドショー番組である。
1982年春の改編で『小川宏ショー』が終了するため、本番組も3月27日をもって終了、15年4か月の放送に幕を閉じた。そして、『小川宏ショー』も4日後の31日で終了した。
放送開始当初は総合司会に漫才師で俳優の南都雄二、アシスタント役に元宝塚歌劇団男役トップスターの藤里美保(放送上の名義は本名の「松永園子」)と鈴木紘夫(当時関西テレビアナウンサー)を起用していた。後の南都の病気降板に伴い、1967年6月からは落語家の桂米朝がメイン司会を受け継ぎ、程なくしてSF作家の小松左京がレギュラー(コーナー司会)として参加。このほか、西洋史学者の会田雄次(京都大学名誉教授)と薬師寺住職の高田好胤、E・H・エリック、俵萌子、文化人類学者の石毛直道(国立民族学博物館名誉教授・元館長)が準レギュラーとして出演した。また、イーデス・ハンソン、藤本統紀子(藤本義一の妻)、古城都(本郷功次郎の妻)、芥川麻実子などが歴代のアシスタントを務めた。
当初は硬派なトーク番組だったが、後にゲストを迎えてトークをする形式に変更された。
1976年頃まではオープニングで前述のテーマ曲をBGMにして体操を行い、放送当日の内容紹介を行っていた。そして最後には、フジネットワークのマークと「制作著作 関西テレビ」のテロップとネット局一覧を表示した。
1975年からは、番組アシスタントの桑原征平(当時関西テレビアナウンサー)が毎週日本各地または世界各国で体を張って危険なことに挑戦する「征平の挑戦!」のコーナーを放送。酒問屋からの中途採用(1969年8月入社)ゆえに局内で不遇を託っていた桑原の名を、一躍全国に知らしめた。
1980年11月からは、「とれとれ全国天気概況」のコーナーでは、当時関西テレビのお天気キャスター、日本気象協会の福井敏雄が気象衛星ひまわりからの画像を交えて気象情報を伝えていた。このコーナーは、後の番組にも引き継がれた。
他に、高田好胤がお経を読むコーナーもあった。
系列は当時の系列。
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