中村 太地(なかむら たいち、1988年6月1日 - )は、将棋棋士。第65期王座。米長邦雄永世棋聖門下。棋士番号は261。東京都府中市出身。
早稲田大学系属早稲田実業学校中等部・高等部、早稲田大学政治経済学部卒業。東京都立大学非常勤講師(2014年〜)。NHK総合「NEWS WEB」ナビゲーター(2014年)、NHK Eテレ「将棋フォーカス」司会(2015年〜2019年)、YouTubeチャンネル「棋士中村太地将棋はじめch」(2020年開設)などを通じて将棋の普及にも努めている。
将棋との出会いは幼稚園(4歳)の頃。当時は父の仕事の都合により札幌市に住んでおり、冬季は積雪により外遊びが困難だったため、父に室内で遊べるボードゲームを複数種類教えてもらっていたが、その中に将棋があったという。 宮城県仙台市から東京都へ引越してきた小学2年生の頃より八王子将棋クラブに通い、プロ棋士への道を意識するようになったのは小学4年頃からだった。
1998年度(第23回)小学生将棋名人戦で4年生でベスト8、準々決勝で当時6年生の戸辺誠に敗北した。2000年度(第25回)の同大会では6年生で決勝進出するも当時5年生の都成竜馬に敗れ準優勝。同年、奨励会試験に合格し、6級で入会。
2006年春にプロ入り(四段昇段)。
第40期(2009年度)新人王戦で、決勝三番勝負に進出。広瀬章人との早稲田大学在学生対決となったが、2連敗で敗退。
第23期(2010年度)竜王戦で6組優勝(5組昇級)。渡辺明竜王への挑戦権を争う本戦トーナメントでは、初戦で戸辺誠に敗退。
2011年度、勝率0.8511(40勝7敗)を記録し、第39回将棋大賞の勝率1位賞を受賞。勝率8割5分以上は中原誠が1967年に記録した 0.8545(47勝8敗)以来史上2人目で、史上2位(当時)の高率。なお、7敗のうち2敗は新人王戦で奨励会員(三段)から喫した。また、同年度の第70期順位戦C級2組では10戦全勝でC級1組へ昇級。
第83期(2012年度)棋聖戦では、森内俊之名人や佐藤康光王将のタイトル保持者等を破り、挑戦者決定戦で深浦康市に勝利して、自身初のタイトル挑戦を決め、同時に六段へ昇段した。番勝負では羽生善治に3連敗でタイトル獲得ならず。第60期王座戦でも挑戦者決定戦まで勝ち上がるが、羽生に敗れた。
さらに第61期(2013年度)王座戦でも2期連続で挑戦者決定戦まで進み、郷田真隆に勝利、再び羽生への挑戦を決めた。番勝負では第3局までで2勝1敗と初タイトル獲得に王手をかけたが、その後2連敗し、タイトル獲得はならなかった。
第74期(2015年度)順位戦C級1組では、9勝1敗・1位の成績でB級2組への昇級を決めた。
2017年には、第65期王座戦挑戦者決定戦で青嶋未来五段に勝利、自身3回目となる羽生王座への挑戦者に決定した。五番勝負は10月11日の第4局で中村の3勝1敗で決着し、中村は初タイトルとなる王座を獲得した。同日付で「タイトル1期獲得」により七段に昇段。
2018年は、第66期王座戦にて斎藤慎太郎の挑戦を受けたが中村の2勝3敗で失冠した。一方、第68期王将戦と第60期王位戦では予選を勝ち抜き挑戦者決定リーグに進出。王将リーグは1勝5敗に終わり、王位リーグ(白組)では3勝2敗と勝ち越すも、リーグ陥落となった。
第80期(2021年度)順位戦B級2組では、1月時の対局において8戦全勝とし、B級1組への昇級を決めた。最終的には9勝1敗・2位の成績であった。
第81期(2022年度)順位戦B級1組では、13回戦で羽生善治に敗れたものの、競争相手であった澤田真吾の敗戦により9勝3敗・2位でA級への昇級と八段への昇段が決まった。順位戦の規定による昇段日が改定された第67期以降、対局に敗れた日が八段への昇段日となったのは史上初。さらに中村は同日時点で竜王戦(第36期)では4組に在籍していたが、順位戦でA級に在位しながら竜王戦では4組に在位した棋士は加藤一二三(2001年)以来史上2人目で、竜王戦で4組に在籍したまま順位戦でA級に昇級した例は史上初。
第36期竜王戦では、4組ランキング戦1回戦で宮田敦史に、同昇級者決定戦で佐藤紳哉に、同残留決定戦で川上猛に、それぞれ敗れ5組降級を喫した。順位戦A級に在籍中の棋士が竜王戦では5組以下に在籍するケースは史上初。
横歩取り、角換わりを得意とする居飛車党。中村は自身の棋風について、攻め将棋であると述べている。
奨励会時代およびプロ入り当初は振り飛車党であったが、2006年にデビューしてすぐに居飛車党への転身を図った。振り飛車党の時代は藤井システムを好んで指していた。
家族は両親と姉。「太地」という名前の由来は、「太陽と地球からとった」とされる。嫌いな食べ物はしいたけ。
幼少時の夢はFBI捜査官とサッカー選手。小学2〜3年生までサッカーチームに入っていたが、プロ棋士を意識し始めて以降は将棋に専念した。2023年現在、日本将棋連盟のフットサル部に所属している。
同姓同名のヴァイオリニスト・中村太地と交友がある。2013年頃に共通の知人から紹介され、その後、定期的に食事に行くなどしている。
プロデビュー当時は早稲田実業高等部に在学中で、同学年には夏の甲子園で活躍した斎藤佑樹がいた。早稲田実業学校高等部在学時は生徒会評議員を務め、生徒会運営に携わっていた。2007年、早稲田大学政治経済学部に進学。在学中、論文コンクールで優秀な成績を収め、2010年3月25日、同大学の政治経済学術院奨学金(政経スカラシップ)を授与された。論文名は「無党派層の政党好感度 政策と業績評価からのアプローチ」。田中愛治ゼミに所属した。
5歳の時の正月に4歳上の従兄と将棋を指し、負けたことが将棋に熱中するきっかけだったという。
2008年10月、フランスのパリで行われた第21期竜王戦七番勝負の第1局で記録係を務めた。会場設営の際に感電する事故に見舞われ、解説で同行していた佐藤康光棋王が「もしものことがあれば私が記録係を務めます」と申し出る程だったが、大事には至らず務めを果たした。
対局と普及の両立を大事にしていた師匠・米長邦雄の影響を受けており「将棋界のためになる活動は積極的にしていきたいと考えています。」と発言した。このような考えから、2014年4月より首都大学東京において法学系特別講義「将棋で学ぶ法的思考・文書作成」の非常勤講師を務める。また、一般社団法人生徒会活動支援協会の相談役でもある。
NHK教育『将棋フォーカス』に出演していた当時の出演者(山崎隆之、伊藤かりん)やスタッフとはその後も交友があり、「太地会」という親睦会を定期的に開いているという。山崎が第5回ABEMAトーナメントでチームメイトの一人に中村を指名したのも、『将棋フォーカス』での繋がりが背景にあったとしている。
登場回数4回 獲得1回
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