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安芸国


安芸国


安芸国(あきのくに、旧字体:安藝國)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。山陽道に属する。芸州(げいしゅう)とも。

「安芸」の名称

安芸(安藝)は古くは「阿岐」と書いた。『古事記』には「阿岐国」と記載されている。スサノオノミコトの拠点は出雲国、安来(現;山陰、島根県)の地であり歴史的に混同されることが多かった。

領域

明治維新の直前の領域は、広島県広島市、呉市、竹原市、大竹市、廿日市市、安芸高田市、江田島市、安芸郡、豊田郡の全域および三原市の一部(概ね和田浜町、和田、宗郷、新倉、新倉町、沼田町、高坂町許山、久井町土取、久井町山中野、久井町小林、大和町大草、大和町大具、大和町椋梨、大和町下草井以西)、尾道市の一部(瀬戸田町各町・因島洲江町・因島原町)、三次市の一部(秋町・粟屋町)、東広島市の大部分(豊栄町飯田・豊栄町吉原を除く)、山県郡の大部分(北広島町西八幡原の一部を除く)にあたる。

沿革

7世紀に阿岐国造の領域に安芸国が設置された。

近世以降の沿革

  • 「旧高旧領取調帳」の記載によると、明治初年時点では全域が安芸広島藩領であった(522村・313,164石余)。蔵米3万石を安芸広島新田藩に分知していたが、封地は定めず。
    • 沼田郡(42村・25,941石余)、安芸郡(48村・38,327石余)、佐伯郡(85村・39,307石余)、山県郡(74村・31,639石余)、高田郡(59村・43,836石余)、高宮郡(36村・17,923石余)、賀茂郡(90村・57,557石余)、豊田郡(88村・58,630石余)
  • 明治2年12月26日(1870年1月27日) - 広島新田藩が広島藩に編入。
  • 明治4年7月14日(1871年8月29日) - 廃藩置県により広島県の管轄となる。

国内の施設

国府

平安時代編纂の倭名類聚抄によれば国府は安芸郡にあった。遺跡は見つかっておらず、正確な位置は不明である。現在の安芸郡府中町と推定される。また、国分寺が作られた東広島市西条に求める説もある。

国分寺・国分尼寺

安芸国分寺
広島県東広島市西条町吉行。

神社

延喜式内社
『延喜式神名帳』には、以下に示す大社3座3社が記載されている。小社はない。大社3社は、全て名神大社である。
  • 佐伯郡 速谷神社(廿日市市)
  • 佐伯郡 伊都伎島神社(現 厳島神社、廿日市市宮島町)
  • 安芸郡 多家神社(安芸郡府中町)
総社・一宮以下
  • 総社:多家神社に合祀。
  • 一宮:厳島神社
  • 二宮:速谷神社

地域

  • 沼田郡 - 「ぬたぐん」と読む。鎌倉期までに豊田郡に編入され消滅した。寛文4年(1664年)に佐東郡を改称した近世沼田郡(こちらは「ぬまたぐん」と読む)とは領域が異なり、現在の東広島市東部や三原市西部などが該当。全7郷。
  • 賀茂郡 - 現在の東広島市中部など。1956年(昭和31年)に豊田郡と所属市町村を調整。全9郷。
  • 安芸郡 - 現在の安芸郡や呉市西部など。鎌倉期までに安北郡と安南郡に分割され、江戸期に安南郡を再改称した。全11郷。
  • 佐伯郡 - 現在の広島市南西部や廿日市市など。鎌倉期までに佐東郡と佐西郡に分割され、寛文4年(1664年)に佐西郡を再改称。全12郷。
  • 山県郡 - 現在の山県郡とほぼ同じ。全8郷。
  • 高宮郡 - 鎌倉期までに高田郡に編入。江戸期に安北郡を改称した近世の高宮郡とは領域が異なる。現在の安芸高田市高宮町・甲田町・美土里町などは古代高宮郡の領域であったとされる。全6郷。
  • 高田郡 - 現在の安芸高田市西部など。後に高宮郡と統合・再編される。全7郷。
  • 豊田郡 - はじめは「沙田郡」(ますたぐん)と表記。中世までに改称された。芸予諸島のうち広島県に属する部分の多くは豊田郡。全6郷。

江戸時代の藩

  • 広島藩、福島家(49.8万石)→浅野家(42.6万石)
  • 広島新田藩(広島藩支藩、3万石)

人物

国司

安芸守

  • 忍海人成:養老4年(720年)任官
  • 坂上苅田麻呂:宝亀2年(771年)任官
  • 藤原園人:延暦4年(785年)任官
  • 藤原伊勢人:大同元年(806年)任官
  • 豊前王:承和14年(847年)任官
  • 紀綱雄:嘉祥元年(848年)任官
  • 橘真直:嘉祥2年(849年)任官
  • 橘貞根:嘉祥3年(850年)任官
  • 清原瀧雄:斉衡3年(856年)任官
  • 百済安宗:天安2年(858年)任官
  • 大和吉直:天安2年(858年)任官
  • 藤原関主:貞観3年(861年)任官
  • 基兄王:貞観7年(865年)任官
  • 藤原興世:貞観11年(869年)任官
  • 橘岑守:貞観11年(869年)任官
  • 安倍肱主:仁和2年(886年)任官
  • 伴忠行:昌泰2年(899年)任官
  • 紀宣明
  • 源頼清:長元4年(1031年)任官
  • 源有光:康平5年(1062年)頃
  • 平清盛:久安2年(1146年)任官
  • 平経盛:保元元年(1156年)任官
  • 平頼盛:保元元年(1156年)任官
  • 源季遠
  • 佐伯景弘:寿永元年(1182年)任官

安芸介

  • 百済河成:承和13年(846年)任官

守護

鎌倉幕府

  • 1189年 - ? : 武田信光
  • 1196年 - 1221年 : 宗孝親
  • 1231年 - ? : 武田信光
  • 1235年 - ? : 藤原親実
  • 1270年 - 1276年 : 武田信時
  • 1293年 - ? : 名越宗長

室町幕府

  • 1335年 - 1345年 : 武田信武
  • 1345年 - 1368年 : 武田氏信
  • 1371年 - 1390年 : 今川貞世
  • 1392年 - 1394年 : 細川頼元
  • 1394年 - 1400年 : 渋川満頼
  • 1404年 - 1406年 : 山名満氏
  • 1406年 - 1411年 : 山名熙重
  • 1418年 - 1419年 : 山名教孝
  • 1429年 - 1433年 : 山名時熙
  • 1433年 - 1454年 : 山名持豊
  • 1454年 - ? : 山名教豊
  • 1462年 - 1475年 : 山名是豊
  • 1475年 - ? : 山名政豊

戦国大名

  • 安芸武田氏
  • 毛利氏
  • 吉川氏
  • 小早川氏

武家官位としての安芸守

江戸時代以前

  • 足利安芸守
  • 石川盛義
  • 加地春綱
  • 北条高広
  • 黒川晴氏
  • 小早川弘景
  • 小早川弘平
  • 小早川盛景
  • 宍戸隆家
  • 諏訪頼満
  • 諏訪時継
  • 武田信賢:安芸分群守護
  • 武田光和:安芸武田家当主
  • 仁科盛能
  • 毛利季光(安芸介)

江戸時代

  • 安芸広島藩主
    • 浅野光晟:第2代藩主
    • 浅野綱長:第4代藩主
    • 浅野吉長:第5代藩主
    • 浅野宗恒:第6代藩主
    • 浅野重晟:第7代藩主
    • 浅野斉賢:第8代藩主
    • 浅野斉粛:第9代藩主
    • 浅野慶熾:第10代藩主
    • 浅野長訓:第11代藩主
    • 浅野長勲:第12代藩主
  • その他
    • 大久保忠増:相模小田原藩第2代藩主・老中
    • 大久保忠真:小田原藩第7代藩主・老中
    • 酒井忠一:安房勝山藩第8代藩主
    • 諏訪忠虎:信濃諏訪藩第4代藩主
    • 諏訪忠厚:諏訪藩第6代藩主
    • 本庄道貫:美濃高富藩第9代藩主
    • 松平資俊:常陸笠間藩第2代藩主、遠江浜松藩初代藩主
    • 森長記:播磨三日月藩第2代藩主
    • 栗本鋤雲:外国奉行

安芸国の合戦

  • 1517年 : 有田中井手の戦い、毛利元就 × 武田元繁
  • 1523年 : 鏡山城の戦い、尼子経久・毛利元就 × 大内氏
  • 1540年 - 1541年 : 吉田郡山城の戦い、毛利・大内連合軍(毛利元就、陶晴賢) × 尼子詮久
  • 1554年 : 折敷畑の戦い、毛利元就 × 陶晴賢(宮川房長)
  • 1555年 : 厳島の戦い、毛利元就 × 陶晴賢
  • 1866年 : 芸州口の戦い(長州征討)、長州藩 × 江戸幕府

脚注

参考文献

  • 広島県 編『広島県史』《中世 通史Ⅱ》広島県、1984年3月28日。NDLJP:9575528。 (要登録)
  • 岸田裕広・編『広島県の歴史』、山川出版社、1999年。
  • 角川日本地名大辞典 34 広島県
  • 旧高旧領取調帳データベース

関連項目

  • 令制国一覧
  • 安芸 (曖昧さ回避)
  • 安芸 (戦艦)‐旧日本海軍の戦艦。薩摩型戦艦の2番艦。艦名は安芸国に因む。

Text submitted to CC-BY-SA license. Source: 安芸国 by Wikipedia (Historical)


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