ハライチは、ワタナベエンターテインメントに所属する日本のお笑いコンビ。M-1グランプリ2009・2010・2015・2016・2021ファイナリスト。2006年結成。
2人とも埼玉県上尾市大字原市出身で、コンビ名は出身地に由来する。幼稚園からの幼馴染みであり、小学生のときにはすでにお楽しみ会でコントを披露していた。当時はもう1人の同級生を加えたトリオであり、岩井と澤部は共にボケ担当だった。
M-1グランプリに憧れ、高校卒業直前の2005年1月にコンビ結成。同年3月にワタナベコメディスクールの『お笑いメジャーリーグ』に出場して高校生の部のグランプリを受賞、2期生として特待生入学。2006年3月、ワタナベコメディスクールを卒業、同年4月からワタナベエンターテインメントに所属。2009年頃から「ノリボケ漫才」のネタで注目を集め始め、2009年のM-1グランプリにて決勝に初進出、翌年も決勝進出を果たした。2010年にはユニットコント番組『ピカルの定理』(フジテレビ)のレギュラーに選ばれ、同番組は人気番組となった。
その後はメンバー単独での活動が増え、特にツッコミやリアクションに長けた澤部がピンで活躍する機会が多かった。澤部はフジテレビの『笑っていいとも!』の曜日レギュラー(2012年~)や、ABCテレビ『探偵!ナイトスクープ』の探偵局員(2013年 - )など伝統ある人気番組にもピンで抜擢されたほか、2015・2016年にはタレント番組出演本数ランキング(ニホンモニター)で全体3位を占めた。一方その間、岩井は同ランキングで20位圏内に入っておらず、テレビでの活躍の少なさから「コンビ間格差」をネタにされることも少なくなかった。ただし岩井は、ハライチの中ではバラエティで重宝されるのは明らかに澤部のほうだと思っていたため、深く嫉妬はしていなかった。また当時から岩井の芸風を好感的に見ていたタレントの1人に坂下千里子がおり、坂下に励まされていた岩井は後年坂下を「恩人」と公言している。
2016年にコンビでのラジオ初冠番組『ハライチのターン!』(TBSラジオ)が開始。2017年には『ゴッドタン』(テレビ東京)に岩井が「腐り芸人」として出演、後に「腐り芸人セラピー」がコーナー化されるなど、容赦なく正論を吐く岩井の毒舌的なキャラクターが「腐りキャラ」として徐々に認知されるようになる。この頃から岩井のバラエティ番組出演やコンビでの番組出演が増加。2021年頃からはコンビで単発特番などのMCを務める機会が顕著に増えた(後述の「出演」の項目を参照)。
なおM-1グランプリの出場権は2021年まで残っており、同年に4年ぶりにM-1グランプリに参戦して敗者復活・決勝進出を果たした。最終的にM-1グランプリの決勝進出回数は5回で、全出場組の中で同率2位、非吉本所属としては最多、いわゆる関東芸人としても最多である(2022年大会終了時点)。
2023年1月9日からは、フジテレビ系列の昼の帯番組『ぽかぽか』で、コンビ初の帯番組MCに就任した。澤部にとっては『笑っていいとも!』以来8年8か月ぶりのフジテレビ昼の帯番組レギュラー出演。また2023年3月までの2か月間、岩井は隔週土曜日に放送されている『我流しか勝たん!』で、澤部は日曜日に放送されている『なりゆき街道旅』でそれぞれMCを担当しており、ともに週6日フジテレビの昼の時間帯に出演していた。
ブレイクのきっかけとなったのは「ノリボケ漫才」と呼ばれるスタイル。岩井のボケに澤部がツッコまずついて行き、ボケ倒して笑いを増幅させるという形をとる。岩井が語呂合わせのような形で言葉を繋げていくうちに最初のテーマから徐々に外れていき、最後には全く無関係な言葉に発展して澤部が「もう関係なくなっちゃった!!」とツッコんで締める。岩井曰くこの方法は夢の中で思いついたという。
元々は序盤に普通の漫才を演じ、最後だけノリボケをやるという構成だった。しかし2008年の『M-1グランプリ』一回戦で「制限時間が2分と短いから全部いっちゃおうか」と岩井が提案、それを実行して準決勝まで進出して以降は終始ノリボケで通すようになった。
近年はノリボケ漫才だけではなく、スタンダードな漫才も合わせて行っている。
個人での出演については「岩井勇気」、「澤部佑」をそれぞれ参照。
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