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三菱重工長崎硬式野球部


三菱重工長崎硬式野球部


三菱重工長崎硬式野球部(みつびしじゅうこうながさきこうしきやきゅうぶ)は、長崎県長崎市に本拠地を置き、日本野球連盟に加盟していた社会人野球の企業チームである。2017年から活動休止中。

運営母体は、三菱重工業。三菱重工業が母体の硬式野球部では、1917年に創部した当チームが一番長い歴史を有していた。

概要

1917年、三菱造船の長崎造船所を拠点に『三菱造船長崎硬式野球部』として創部。その後、本社の改称などに伴うチーム名の改称が数回あり、1964年から『三菱重工長崎硬式野球部』として活動。

社会人野球の九州地区においては、新日本製鐵八幡(旧:八幡製鐵)やJR九州(旧:門司鉄道局)や日鉄二瀬などが長年強豪チームとして君臨し、さらに電電九州などの台頭もあり、長年全国大会への出場にまで至らなかった。

本格的なチーム補強が実り、1975年に念願の都市対抗野球に初出場を果たした。1984年には、日本選手権に初出場を果たしている。

1991年の都市対抗野球では、小島啓民・林修治・牧瀬寅男らの活躍で決勝に進出するが、東芝に敗れ準優勝に終わった。チームとして小野賞、小島が久慈賞を受賞した。1999年の都市対抗野球では、内薗直樹・貝塚政秀・伊藤大輔・竹下慎太郎(大分硬式野球倶楽部から補強)らの活躍で8年ぶりに決勝に進出する。しかし、再び東芝に敗れ準優勝に終わった。伊藤が久慈賞を受賞した。

2000年は、投手陣で入社2年目の杉内俊哉が台頭し、打線も好調で圧倒的な力で都市対抗九州予選を突破。竹下慎太郎(大分硬式野球倶楽部)・帆足和幸(九州三菱自動車)らを補強し、万全の態勢で都市対抗野球に臨むが、準々決勝で優勝チームの三菱自動車川崎に逆転負けを喫した。

2001年は、都市対抗野球では2回戦で優勝した河合楽器に敗退。しかし、九州第1代表で出場した日本選手権では、社会人野球の金属バット使用が最後の大会で打線が爆発。2回戦の松山フェニックス戦では1試合チーム最多得点となる23点をたたき出し、決勝では都市対抗野球で2度優勝を阻まれていた東芝に快勝し、悲願の全国制覇を達成した。MVPはエース右腕の後藤隆之、首位打者賞は開田博勝、打撃賞は村上竜太郎が受賞。万全ではなかった杉内も最後には好投し、大きな手土産を作ってプロ入りしていった。

野球教室の開催など、地域密着の野球チームを目指す活動も行っており、2005年にチームの公式サイトを開設、2006年にユニフォームのロゴも"JUKO"から"Nagasaki"へ変更された("JUKO"の文字は"Nagasaki"の文字の上に残されている)。

2016年、シーズン終了をもって三菱日立パワーシステムズ横浜(旧:三菱重工横浜)と統合され、『三菱日立パワーシステムズ』として神奈川県横浜市を拠点に活動することが決定した。同年は、都市対抗野球への出場は逃したが、日本選手権に出場し1回戦で敗退。その後、長崎市での活動休止が正式に発表された。

設立・沿革

  • 1917年 - 『三菱造船長崎』として創部
  • 1934年 - 本社改称に伴い、チーム名を『三菱重工長崎』に改称。
  • 1950年 - 本社改称に伴い、チーム名を『西日本重工業長崎』に改称。
  • 1952年 - 本社改称に伴い、チーム名を『三菱造船長崎』に改称。
  • 1964年 - 本社改称に伴い、チーム名を『三菱重工長崎』に改称。
  • 1966年 - 産業対抗野球に初出場(1回戦敗退)。
  • 1975年 - 都市対抗野球に初出場(1回戦敗退)。
  • 1984年 - 日本選手権に初出場(2回戦敗退)。
  • 1991年 - 都市対抗野球で準優勝。
  • 1999年 - 都市対抗野球で準優勝。
  • 2001年 - 日本選手権で初優勝。
  • 2016年 - シーズン終了をもって活動休止。三菱日立パワーシステムズ横浜と統合。

練習場

  • 三菱重工業長崎造船所スポーツセンター野球場(通称・三菱球場) - 長崎県長崎市稲佐町1番地
    • ラグビー部やマラソン部と共用しており、野球部専用の野球場ではない。

主要大会の出場歴・最高成績

  • 都市対抗野球大会:出場17回、準優勝2回(1991、1999年)
  • 社会人野球日本選手権大会:出場11回、優勝1回(2001年)
  • JABA九州大会:優勝4回(1993、1994、2005、2010年)
  • JABA岡山大会:優勝1回(2005年)
  • JABA高砂市長杯争奪大会:優勝1回(1992年)

主な出身プロ野球選手

  • 山本公士(外野手) - 1963年に阪急ブレーブスに入団
  • 猿渡寛茂(内野手) - 1969年ドラフト5位で東映フライヤーズに入団
  • 矢野俊一(内野手) - 1972年ドラフト5位で大洋ホエールズに入団
  • 御手洗久文(内野手) - 1981年ドラフト外で近鉄バファローズに入団
  • 本西厚博(内野手) - 1985年ドラフト4位で阪急ブレーブスから指名を受け、翌1986年シーズン終了後に入団
  • 松永幸男(投手) - 1989年ドラフト3位で中日ドラゴンズに入団
  • 本東洋(投手) - 1991年ドラフト3位でオリックス・ブルーウェーブに入団
  • 吉元伸二(外野手) - 1994年ドラフト4位でヤクルトスワローズに入団
  • 篠原貴行(投手) - 1997年ドラフト2位(逆指名)で福岡ダイエーホークスに入団
  • 内薗直樹(投手) - 1999年ドラフト4位で読売ジャイアンツに入団
  • 貝塚政秀(捕手) - 1999年ドラフト5位で西武ライオンズに入団
  • 杉内俊哉(投手) - 2001年ドラフト3位で福岡ダイエーホークスに入団
  • 松永浩典(投手) - 2005年ドラフト希望入団枠で西武ライオンズに入団
  • 河田寿司(捕手) - 2005年大学生・社会人ドラフト4位で東北楽天ゴールデンイーグルスに入団
  • 奥村政稔(投手) - 統合に伴い三菱日立パワーシステムズに移籍し、2018年ドラフト7位で福岡ソフトバンクホークスに入団

元プロ野球選手の在籍選手

  • 野原将志(元:阪神タイガース) - 内野手(2014年 - 2016年)
  • 加治前竜一(元:読売ジャイアンツ) - 外野手(2015年 - 2016年)→チームの統合に伴い、三菱日立パワーシステムズに移籍
  • 岸敬祐(元:読売ジャイアンツ、千葉ロッテマリーンズ) - 投手(2015年 - 2016年)

かつて在籍していた主な選手・監督・コーチ

  • 大久保哲也(捕手) - 選手・コーチとして在籍。2002年秋より九州産業大学監督、2019年から大学野球日本代表監督。
  • 小島啓民(内野手) - 選手・監督として在籍。バルセロナオリンピック日本代表。
  • 後藤隆之(投手) - 選手・コーチ・監督として在籍。2001年の日本選手権でMVPを受賞。
  • 開田博勝(外野手) - 選手・監督として在籍。2001年の日本選手権で首位打者賞を受賞。オリックス・ブルーウェーブからの2000年ドラフト5位指名を拒否し残留。
  • 村上和幸(内野手) - 選手・コーチとして在籍。
  • 村上竜太郎(外野手) - 選手・コーチとして在籍。2001年の日本選手権で打撃賞を受賞。

脚注

関連項目

  • 社会人野球チーム一覧
  • 都市対抗野球大会 (長崎県勢)
  • 三菱重工業の硬式野球部
    • 三菱重工East硬式野球部(旧:三菱重工横浜硬式野球部、三菱パワー硬式野球部)
    • 三菱重工West硬式野球部(旧:三菱重工神戸・高砂硬式野球部)
    • 三菱重工名古屋硬式野球部
    • 三菱重工広島硬式野球部
    • 三菱重工三原硬式野球部 - 2014年に廃部。
  • 三菱重工業長崎造船所の部活動
    • 三菱重工長崎サッカー部
    • 三菱重工長崎ラグビー部
    • 三菱重工マラソン部

外部リンク

  • 三菱重工長崎 硬式野球部-LOVE BASEBALL

Text submitted to CC-BY-SA license. Source: 三菱重工長崎硬式野球部 by Wikipedia (Historical)


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