気仙沼市(けせんぬまし)は、宮城県の北東端に位置する市。太平洋沿岸にあり、三陸海岸の一部をなす。
江戸時代は伊達氏領(仙台藩)であったが、伊達氏領には現在の岩手県南側も含まれていた。そのため、現在でも北接する岩手県大船渡市や陸前高田市や、内陸側で隣接する岩手県一関市とも関係が深い。
三陸海岸南部の交通や商業の拠点となっており、リアス式海岸を利用した観光も発展している。特定第三種漁港の気仙沼漁港をはじめとした市内の各漁港は、三陸海岸での沿岸漁業・養殖漁業、世界三大漁場「三陸沖」での沖合漁業、さらに世界の海を対象にした遠洋漁業の基地として機能し、関連する造船から水産加工までの幅広い水産業が立地する。
このような背景から、気仙沼都市圏の中心市としての買物客の集客や各地から訪れる観光客に加え、漁業・水産関係者の往来も多い。カツオを追って北上してくる千葉県・高知県・宮崎県などの漁船、サンマを追って南下してくる北海道などの漁船に乗った日本各地の漁民が行き交い、遠洋漁業の外国人乗組員や水産加工に従事する外国人研修者が働き、特産のフカヒレを買い求める中国人バイヤーなどが訪れ、常住人口に比して交流人口が多様な県内有数の交流拠点の一つである。名物(ご当地グルメ)の一つである「気仙沼ホルモン」は、このような人々の広域な交流と産業背景から生み出されたものとして知られる。
2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)では、地震そのものの被害に加え、津波や火災(津波火災)、地盤沈下によって大きな被害を受けた。
宮城県の北東端に位置し、東は太平洋に面する。東部の唐桑地区から気仙沼地区にかけては、三陸の他地域と同様にリアス式海岸が特徴的である。同じリアス式海岸でも当地方では岩手県沿岸と比較して標高が低く、なだらかな丘陵が多い。唐桑半島と岩井崎の間では、深く入り組んだ海岸線が波の穏やかな気仙沼湾を形成し、湾内には大島が浮かぶ。本吉地区に入ると穏やかな海岸線が見られるようになる。
山岳
河川
三陸沖の黒潮の影響によって冬は比較的温暖であるが、夏はやませの影響で冷涼である。
「気仙沼」は古くは延喜元年(901年)成立の日本三代実録に「計仙麻(ケセマ)」という地名の記述があり、これが、歴史上「ケセヌマ」という言葉が載っているもっとも古い文献であるとの説があるが、これは明白に誤りである。正しくは、気仙郡という郡名は『続日本紀』の弘仁2年(811年)の条が初出である。それ以前のいつかの段階で、桃生郡の北半分を分割して、陸奥国 気仙郡が建郡された。これは現在の宮城県北東部および岩手県南東部にまたがるものであり、現在の気仙沼市および本吉郡を含むものであった。 また平安中期の『和名抄』の各国郷名一覧には陸奥国気仙郡に「気仙郷」とは別に「気前郷」が見える。和銅6年(713年)の諸国郡郷名著好字令(好字二字令)により、奈良時代に国名、郡名、郷名が2文字表記と定められたので、この「気前郷」は「気仙前郷」が略されたものとされる。気前郷は、気仙郡の前(さき、道を行った先の方)の意味と解して今の釜石、大槌辺りに比定する説があるが、古代の地名の「前・後」は通常は「くち・しり」と読んで京都に近い方が「前」であるから、気前郷は「けせのくち」であり気仙郡の南端であるべきで、これを「けせのまえ」と誤読したことから「計仙麻」(けせのま)という地名が生まれた可能性もある(下記に詳述)。
語源としては以下のように諸説がある。
地名語源のアイヌ語説は以下の3説がある。(いずれも戦前の古い説である)
旧気仙郡の「ケセ」に「マ」がついたものという説。気仙沼は本吉郡に属していたが、本吉郡は早ければ1153年、遅くとも1189年に気仙郡の南半と桃生郡の北部とを分割して成立したものであり、それ以前は気仙沼は気仙郡に属していたという説と、気仙郡は含まれず桃生郡の北部だけで建郡し、それ以前は気仙沼は桃生郡に属していたという説がある。
2011年(平成23年)3月11日、マグニチュード9.0の東北地方太平洋沖地震が発生し、気仙沼市赤岩で震度6弱、本吉町および笹が陣で震度5強を記録した。大津波とそれによって流出した石油の引火による広域火災も発生し、被害は甚大なものとなった。cf. 東日本大震災。
2016年(平成28年)3月1日時点で、市内の被害状況は死者1,214人、死亡率1.95%、行方不明者220人、住家全壊が8,483棟となっている。
気仙沼では、災害に備えた設備点検も兼ねて、1日4回(6, 12, 18, 21時)に防災無線が鳴る。
いずれも旧:気仙沼市で既に宣言されていたものであるが、新市設置後の2006年(平成18年)9月27日に改めて以下の宣言が行われた。
2022年(令和4年)1月時点の各地区の人口と世帯数。
増減率は3年前の2019年(平成31年)1月時点との比較。
宮城県警察
気仙沼・本吉地域広域行政事務組合(管轄:気仙沼市・南三陸町)
主要施設のみ掲載。
公民館 全13館のうち、11館は直営で2館は指定管理である。
図書館
気仙沼市立図書館は2館と1館の分室で構成される。
文化施設
主な運動施設
漁業・水産業と観光が中心である。東日本大震災後は、ほぼ日刊イトイ新聞が支社を設け、糸井重里の助言を受けてセーター製造会社が起業されるなど新しい動きが見られる。
マグロ、カツオ、サンマは、全国有数の水揚げ高を誇る。ふかひれ(鱶鰭)の産地としても有名であり、水揚げ量は日本一である。市中心部には水産加工団地が発達している。牡蠣やホタテの養殖でも知られている。
小売業では、複数の商店街と、イオン気仙沼店などの大型店、郊外店がある。
店舗を含む海岸近くの市街地は、東日本大震災による津波で大きな被害を受けた。地元住民向けの小売・飲食機能の回復と市外からの観光客誘致を兼ねて、商業施設や復興商店街(下記参照)が新たに整備されている。前者では、2011年12月に「気仙沼さかなの駅」が、2014年に「気仙沼 海の市」(店舗のほかシャークミュージアムや氷の水族館で構成)が、2017年11月に「南町紫神社前商店街」が、2018年には内湾地区に「迎」(むかえる)が開業した。
なお、「気仙沼さかなの駅」については施設の老朽化等により、2023年1月15日で営業を終了することになり、大半のテナントの店舗は市内で個別に営業を続けることになった。
東日本大震災被災により、気仙沼市全域の飲食店の7割が津波により店舗を失った。気仙沼市では被災を受けた飲食店の仮設店舗集合施設が市内各所に設けられ、事業再開に向けた活動が行われていた。屋台村は、2017年3月20日をもって閉鎖された。
気仙沼市南町地区にて商店街運営をしていた。いろはにほへとちの言葉から、イ館~チ館と建物があった。主なものとしてイ館に理想産業・特急寿司、ロ館にとんかつ勝子、ハ館に焼肉牛べぇ、二館に福建楼、ホ館にあさひ鮨、ヘ館に揚げたてコロッケ屋、ト館に〇安、チ館にクボタスポーツがあった。2017年4月に閉鎖され、店舗は前記の「南町紫神社前商店街」に再出店した。
前述のように、ふかひれ生産やそれに加工されるサメの水揚げが多いことから、「サメまち気仙沼」という地域おこしに取り組んでいる。食品としての加工や水族館での展示に加えて、サメ皮製品の専門店もある。
バイオマス発電など再生可能エネルギーによる電力を調達して供給する「気仙沼グリーンエナジー」が市と民間企業の出資で設立され、2019年10月から電力供給を開始した。
ESD(持続可能な開発のための教育)が積極的に学校教育に取り入れられており、全ての小中学校および気仙沼高等学校がユネスコスクールに加盟している。
※以下は廃校(新制 気仙沼市以降)
気仙沼中学校、松岩中学校、松岩小学校は、文部科学省が推進する「学力向上フロンティア」指定校(フロンティアスクール)である。
※以下は廃校(新制 気仙沼市以降)
※以下は廃校(新制 気仙沼市以降)
認可保育所(市立・私立)
認定こども園(市立・私立)
幼稚園(市立・私立)
児童館
自動車教習所
郵便局
簡易郵便局
国土交通大臣指定に基づく高規格幹線道路(一般国道の自動車専用道路)
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