山陰本線(さんいんほんせん)は、京都府京都市下京区の京都駅から中国地方の日本海沿岸(山陰地方)を経由し、山口県下関市の幡生駅に至る西日本旅客鉄道(JR西日本)の鉄道路線(幹線)である。このほか、仙崎支線あるいは仙崎線と呼ばれる長門市駅 - 仙崎駅間の支線を持つ。
京都駅 - 園部駅間については、「嵯峨野線」も参照。
京都市から京都府内を西北へ延び、兵庫県北部や鳥取県、島根県、山口県北部の山陰地方の各都市を経て下関市に至る。路線の終点は幡生駅であるが、幡生側の列車は隣駅の下関駅まで運転されている。竹野駅から幡生駅までは日本海沿いを通る区間が多い。関西から山口県まで中国地方を東西に結ぶ路線として他に瀬戸内海沿いを通る山陽本線が挙げられるが、山陽本線が全線複線・電化区間なのに対して、本路線には単線・非電化区間が多く含まれる。
支線を除く営業キロは673.8 kmで、新幹線を除くJR線(在来線)としては日本最長である。2002年までは東北本線 (739.2 km) の方が長かったが、東北新幹線の延伸に伴い東北本線の一部が第三セクターのIGRいわて銀河鉄道および青い森鉄道へ経営移管されたことにより山陰本線の営業キロを下回った。
また、トンネルは全区間に大小176本(総延長60.3km)存在し、これはJRグループ全体では紀勢本線(180本)に次いで多く、1社完結路線としては最多である。
京都駅 - 園部駅間は旅客営業規則が定める大都市近郊区間のうち、大阪近郊区間に含まれており、この区間は沿線に嵯峨野・嵐山という京都の主要な観光地が位置していることから「嵯峨野線」という愛称が付けられている。京都駅 - 城崎温泉駅(胡麻駅 - 城崎温泉駅間は一部の駅のみ)と伯耆大山駅 - 出雲市駅間はIC乗車カード「ICOCA」の利用可能エリアに含まれている。嵯峨野線区間を含めた京都駅 - 城崎温泉駅間は、E の路線記号と、紫(■)のラインカラーが設定されている。これに加え、鳥取県を中心とした城崎温泉駅 - 米子駅間には、A の路線記号と、鳥取二十世紀梨をイメージした黄緑(■)のラインカラーが、島根県を中心とした米子駅 - 益田駅間には、D の路線記号と、日本海と宍道湖の夕日をイメージした朱(■)のラインカラーが、それぞれ2016年2月より導入されている(両区間の境界は米子駅となる)。なお、伯耆大山駅 - 米子駅間は伯備線の列車が乗り入れるため、重複して V の路線記号と、緑(■)のラインカラーが設定されている。
近畿エリアの路線記号の適用対象でありながら、2015年3月14日ダイヤ改正時点での構内の旅客案内への反映は嵯峨野線内の各駅にとどまっていたが、2016年3月26日ダイヤ改正より前述の米子支社(現・山陰支社)ともども、福知山支社(現・福知山管理部)管内の各駅における旅客案内や一部の所属車両の方向幕でも、米子支社制定分を含めたラインカラーや路線記号の本格使用を開始した。これに際し、上川口駅 - 城崎温泉駅についても紫色にEの路線記号に包含され、当該各駅でもこの路線記号を使用するようになり、同年4月頃には公式サイトの路線図にも反映された。
一方、広島支社管内の戸田小浜駅 - 幡生駅間には路線記号はないが、広島エリアの路線図や当該各駅の駅掲示時刻表のシンボルとして、オリーブ色(■)が使用されている。広島支社管内の駅ならびに博多南駅の運賃表でもこのカラーで表現されているが、米子支社管内の駅では2019年10月の運賃表への路線記号反映以降も、益田駅以西のみ従来通りコーポレートカラー(仙崎支線は灰色)で表記されている。
なお、支社および鉄道部の管轄は以下のように分かれている。
在来線としての営業キロは日本最長の路線であるが、起点から終点までを通して走る優等列車の設定が史上一度もない本線の一つとなっている。区間によって乗客の流動に大きな偏りがあり、東西方向の交流が必ずしも盛んでないことや、かつての日本国有鉄道(国鉄)や現在のJR西日本が、山陽新幹線開業以降、山陰本線沿いの各都市から山陽新幹線各駅を含む山陽地方主要都市に至る鉄道路線(陰陽連絡路線)を強化してきた結果である。
山陰と瀬戸内海側を結ぶ線には福知山線や伯備線などの電化された路線や智頭急行線のような高速新線があるが、山陰の横同士の連絡は最近まであまり考慮されず、電化もそれらの延長的存在で、つぎはぎ状態で行われた。後年の高速化工事も同様で、高速化された区間とそうでない区間がつぎはぎ状態になっている。それでも民営化後は鳥取駅 - 倉吉駅 - 米子駅 - 松江駅 - 出雲市駅の都市間輸送に力を入れるなど、以前に比べれば改善がみられる。
幹線扱いの長大路線でありながら近代化が遅れたことや、ローカル色あふれる風光明媚な車窓風景とあいまって、鉄道ファンであった作家の宮脇俊三は「偉大なるローカル線」と山陰本線を評した。この表現は山陰本線の実情をよく表したものとして、大方の鉄道ファンから賛同を得ている。特に出雲市駅以西の区間の輸送実態は地方交通線とほとんど変わらないといってもよいほどである。このほか、2010年に鉄橋からコンクリート橋に架け替えられた余部橋梁や、日本で3か所に現存するラチス式桁を持つ竹野川橋梁、浜坂駅手前にはラチス桁が残る田君川橋梁があるほか、須佐駅 - 宇田郷駅間にかかる惣郷川橋梁は日本海に注ぐ白須川河口にあるため、鉄道の撮影ポイントとしても有名である。
また、沿線には城崎温泉、玉造温泉、温泉津温泉など古くから知られた温泉が数多く湧出しており、観光客輸送の役割も果たしている。
以前は、京都・大阪あるいは東京方面と鳥取地区とを結ぶ列車は山陰本線の和田山駅 - 鳥取駅間を経由するか、東京方面の場合は新幹線連絡で津山線・因美線を経由した岡山駅経由がメインルートであったが、智頭急行が開業してからは智頭急行線を使うルートに取って代わられた。また、対米子地区についても山陽新幹線開業以降は山陰本線経由から伯備線経由にメインルートが移っている。現在、京都・大阪からの特急はほとんどが電車であり城崎温泉駅までの運転である。そのうち福知山駅は北近畿ビッグXネットワークの中心部分にあたる。 山陰本線線内のみ走行する特急列車は「きのさき」「スーパーまつかぜ」のみとなっている。
京都駅 - 鳥取駅間には下記の列車が走っている(定期列車・山陰本線経由分のみ記載。夜行列車は後述)。
陰陽連絡特急として、下記の列車が運転されている。これらの列車は、京都駅・新大阪駅で東海道新幹線、姫路駅・岡山駅で山陽新幹線と接続している。
鳥取駅 - 益田駅間は近年の高速化工事などにより、新型車両の特急を登場させるまでに至ったが、その一方で益田駅 - 幡生駅間は「いそかぜ」廃止以降、優等列車はなくなった。鳥取駅以西については、鳥取駅・米子駅・益田駅などを結ぶ都市間連絡特急として下記の列車が運転されている。鳥取駅 - 出雲市駅間で120km/h、出雲市駅 - 益田駅間で110km/h運転を行っている。
このほか、夜行列車として下記の列車が運転されている。大阪駅からの急行「だいせん」(大阪駅 - 米子駅)が2004年10月16日に、また東京駅からの寝台特急「出雲」(東京駅 - 出雲市駅)が2006年3月18日のダイヤ改正で廃止されてからは、伯備線経由の列車のみの運転となっている。
運転区間に普通列車区間を含む。複数区間が存在する場合、同時期に運転されていたとは限らない。現行区間の駅名は運転取り止め区間との接続駅以外省略。
運転区間は過去最長のもの。 詳細は各列車の記事参照。
国鉄時代は、ほぼ全線を通して運転されるような長距離列車が多く見られ、京都駅発の普通客車列車の行先だけでも園部駅や福知山駅のみならず、豊岡駅・浜坂駅・鳥取駅・米子駅・出雲市駅・浜田駅などもあったが、現在はおおむね下記の区間に細かく運転系統が分かれている。
主に中距離・都市間の速達輸送を担う快速列車が京都駅 - 福知山駅間(快速運転区間は京都駅 - 亀岡駅間)・鳥取駅 - 米子駅間(快速運転区間は鳥取駅 - 米子駅間)で運転されている。一方、園部駅 - 浜坂駅間でも2013年から一部の定期普通列車が快速列車に変更されているが、こちらは利用者の少ない駅を通過運転するものである。快速列車へ変更となった列車も引き続き他の普通列車と一体的な運行がなされている。また、2022年3月のダイヤ改正までは、出雲市駅 - 益田駅間で快速運転を行う列車も存在した。(詳しくはアクアライナーを参照。)
なお、一部列車を除き、ほとんどの区間の普通や快速列車でワンマン運転を行っている。
嵯峨野線の愛称がある。アーバンネットワーク圏内のため旅客数・列車本数とも多く、朝ラッシュ時の輸送力は飽和状態に近い。2010年3月7日に京都駅 - 園部駅間の複線化(京都駅構内は単線)が完成した。京都駅 - 園部方面への直通列車のほか、京都駅 - 嵯峨嵐山駅・亀岡駅間の区間列車が設定されている。
電化および高速化工事が行われ、特急の所要時間は短縮されたが、普通列車は対向列車との行き違いや特急の追い抜きのための停車時間が長くなった。また、区間内では大部分が単線でカーブが多く、速度制限があるため、所要時間はあまり短縮されていない。普通列車は1時間に1 - 2本程度の運転(日中は半数が園部駅 - 胡麻駅間の折り返し列車)である。一部を除きワンマン運転が実施されている。なお、2021年3月まではごく少数ながら安栖里駅・立木駅・山家駅を通過する快速が運転されていた。ほとんどの列車が園部駅 - 福知山駅間のみの運行を行っており、園部駅で嵯峨野線列車との接続は良好である。朝夕の一部列車は京都駅と直通するほか、2023年3月のダイヤ改正で福知山駅を越えて豊岡駅・城崎温泉駅まで直通する列車が設定された。嵯峨野線およびこの区間においては特急優先度が高く、途中駅で追い抜かれることが多い(一例として胡麻駅では、日中の下り列車を中心に特急の通過待ちが行われている)。ただ上り列車の場合、日中を中心に福知山駅を特急の約10分後に出発し、かつ園部駅で嵯峨野線快速との接続がある列車に関しては、京都駅まで先行する(反対方向に対しても、京都駅を朝夕に出発する列車を中心に、福知山駅まで先行する)。
単線部の複線化については、京都府は2022年度を目標とする奈良線複線化事業後の着手を考えたいとしている。
綾部駅 - 福知山駅間は舞鶴線と直通する列車も乗り入れて列車本数が多くなり、この区間は複線となっている。また、当路線の特急「きのさき」・福知山線の特急「こうのとり」と接続する舞鶴線直通の普通は「リレー号」として運転されていた。
福知山線の延長的存在として京都駅 - 園部駅間よりも早く電化されて、大阪・京都方面からの特急が多く運行されているが、高速化工事はされておらず、おもに福知山駅 - 上夜久野駅間では急曲線も連続することから特急も速度を落として運転している。この区間には対向列車待ち合わせのための宿南信号場がある。1996年3月15日までは大阪駅から福知山線経由で直通していた長距離普通列車も運転されていた。また、2013年3月から2021年3月までは玄武洞駅を通過する快速が早朝深夜帯に運転されていた。ほとんどの普通列車が福知山駅での折り返しで、一部列車は園部駅まで直通するが、大阪・篠山口方面への直通運転は行なっていない。和田山駅 - 城崎温泉駅間では播但線の特急も乗り入れている関係や、観光シーズンになると臨時列車の運行や乗降に時間を要し、遅延が発生することが多い。
1 - 2時間に1本程度が運行されている。普通列車は一部を除きワンマン運転を実施している。朝5時台に豊岡駅 - 城崎温泉駅間の区間列車がある。福知山駅 - 豊岡駅間の普通列車は基本的に電車が使われているが、和田山駅 - 豊岡駅間では、播但線と直通する気動車列車が朝に1往復設定されている。
城崎温泉駅から先は非電化となり、本数も1 - 2時間に1本程度とローカル色がより濃くなる。この区間には対向列車待ち合わせのための相谷信号場があった。普通列車は一部を除きワンマン運転を実施している。この区間の普通列車は基本的に豊岡駅発着となるが、一部列車は城崎温泉駅発着となる。一部の列車は香住駅で城崎温泉方面へ折り返す。この区間では2002年度の上半期に月一回の保守運休(代替バスなし)を行っていた。
かつてはこの区間にも特急「北近畿」との接続を目的として快速列車が運行されていた時期もあった。2011年4月からは、臨時快速として、豊岡駅 - 鳥取駅間に「山陰海岸ジオライナー」が土休日などに運行されていたが、2021年2月に新型コロナウィルス感染拡大の影響で当面運休になって以降は列車の設定がない。2012年春のダイヤ改正で玄武洞駅・鎧駅・久谷駅を通過する普通列車が設定され、2013年春のダイヤ改正でそれらの列車を快速列車としていたが、2021年春のダイヤ改正で全ての列車が各駅に停車する普通列車となった。
兵庫・鳥取県境を挟むこともあり、特急「はまかぜ」(1往復)を除けば、1・2両編成の普通列車が走るのみである(前節の臨時快速「山陰海岸ジオライナー」は、この区間では途中で岩美駅のみ停車していた)。
普通列車にはキハ47形気動車・キハ121系気動車が使用される。2018年3月17日ダイヤ改正時点ですべての普通列車がワンマン運転を実施している。ほとんどの列車が浜坂駅 - 鳥取駅間の運転であるが、日中の2往復は城崎温泉方面と直通する。この区間にはスイッチバック式停車場となっている滝山信号場があるが、現在では対向列車待ち合わせの用途には使用されていない。
末恒駅 - 倉吉駅間以外はトンネルが存在しない海沿いのなだらかな区間を通る。高速化工事により所要時間が短縮されたこの区間には、鳥取県内・山陰両県の都市間輸送を担う特急やこれを補完する鳥取駅 - 米子駅間の快速「とっとりライナー」が運行されており、再び幹線鉄道の様相を呈する。また京阪神発着の特急も智頭急行経由で乗り入れることから、特に鳥取駅 - 倉吉駅間で列車本数が多く、普通列車は行き違いや追い抜きのための停車時間が長い。普通列車は倉吉駅で乗り換えとなるものもある。普通列車はこの区間内で完結する列車のほかに、他の路線や区間との直通運転を行う列車として、伯耆大山駅から米子駅まで(一部列車は米子駅を越えて出雲市駅・西出雲駅まで)伯備線直通列車が多数乗り入れており、それ以外には鳥取発境線直通境港行き(平日のみ)や松江発鳥取行き、因美線智頭発米子行きが設定されている。途中の伯耆大山駅から電化区間となり、伯備線の列車の乗り入れにより運行本数も多くなり、米子駅を経て安来駅まで複線化されている。2024年3月16日ダイヤ改正時点ですべての普通列車がワンマン運転を実施している。
また、鳥取駅 - 出雲市駅間では、観光列車として臨時快速「あめつち」が運転されている。
伯備線と同時に山陰本線で最も早く電化された区間であるが、2022年3月12日ダイヤ改正時点で普通列車は115系電車が使用されている2往復を除き気動車で運転されており、1時間に1本程度運行されている。一方、快速列車は全て気動車である。電車で運行される普通列車の一部は伯備線に直通し、特急「やくも」や寝台特急「サンライズ出雲」も乗り入れる。宍道駅からは木次線からの直通列車として、朝に木次発松江行きが1本乗り入れており、平日のみ山陰本線内で快速運転を行う(途中の停車駅は乃木駅のみ)。2024年3月16日ダイヤ改正時点ですべての普通列車がワンマン運転を実施している。
また、1996年3月16日から2019年3月15日まで平日ダイヤの朝ラッシュ時に出雲市発(2003年10月1日から2010年3月12日までは西出雲発)米子行きで「通勤ライナー」が1本運転されていた。快速運転区間は宍道駅から松江駅までで、通過するのは来待駅・玉造温泉駅・乃木駅のみだった。運転開始から2001年7月6日まではキハ181系気動車が、2008年3月14日までは381系電車が特急形車両の間合い運用として使用され、2008年3月17日からは113系電車が、2010年3月15日から廃止時まではキハ126系気動車が使用されていた。
この区間は特急を含めると列車の運行本数がかなり多く、伯耆大山駅 - 安来駅間、東松江駅 - 松江駅間、玉造温泉駅 - 来待駅間は複線化がなされているが、この区間全線が複線化されている訳ではないので、対向列車の待ち合わせに10分以上要する場合もある。なお、揖屋駅から米子方約2kmの複線化がなされているが、1982年の伯耆大山駅 - 知井宮駅(現・西出雲駅)間の電化の時に用地は確保されていたにもかかわらず、施工されていなかった。
この区間は、西出雲駅から先は再び非電化区間となり、ローカル色が強くなるが、2001年7月7日に高速化工事が完成し、特急が島根県東西の都市間輸送を担っている。出雲市側の普通列車はほとんどが出雲市駅発着となり、西出雲駅・大田市駅で折り返す区間列車が設定されている。浜田側では江津駅折り返し列車が存在するほか、浜田駅で乗り換えとなるものが多く、浜田駅 - 益田駅間は運行本数が少なくなる。かつては三江線直通の普通列車も浜田行きが2本、浜原行きが1本設定されていたが、三江線は2018年4月1日に廃止され、当該列車は江津駅発着となった。また、2022年3月11日までは快速「アクアライナー」が運行されていた。2022年3月12日ダイヤ改正時点ですべての普通列車がワンマン運転を実施している。
島根・山口県境を挟むこの区間は、山陰本線の中でもとりわけ乗客・本数ともに少なく、1日10往復未満で、日中は4 - 5時間以上運転がない時間帯がある。全列車が1 - 2両編成のワンマン運転による普通列車である。多くの列車が益田駅 - 長門市駅間の運転となるが、益田駅 - 下関駅間を直通する列車や益田駅 - 東萩駅間および木与駅・東萩駅 - 長門市駅間、登校日の長門三隅発長門市行きの区間列車が運行され、上り1本のみ厚狭発東萩行きの美祢線との直通列車も運行されている。
2005年2月末に特急「いそかぜ」が廃止されて以降、益田駅 - 下関駅間は仙崎支線を除けば山陰本線で唯一特急列車が運行されていない区間となっている。さらに快速列車の定期運行も行われず、完全にローカル輸送のみの区間である。
この区間にはJR西日本管内の地方交通線で見られるような20 - 30 km/h程度に速度を落として通過する曲線箇所が存在する(飯浦駅 - 江崎駅間など)。
山陰本線は幡生駅までであるが、列車は下関駅まで運転される。この区間は輸送力が低いとされ、かつては急行「あきよし」「さんべ」などのように長門市駅で分割し、美祢線経由で運転されるものもあった。
2023年3月18日より全列車が終日ワンマン運転を実施している。それ以前は日中を中心にワンマン運転を実施しており、奈古駅・長門市駅・滝部駅 - 下関駅間を直通する列車の場合、奈古駅・長門市駅・滝部駅 - 小串駅間までがワンマン運転で、小串駅 - 下関駅間は車掌が乗務する列車もあった。ただ、下関市域、特に小串駅 - 下関駅間は、関門都市圏の都市圏輸送を担っていることもあって、日中の場合1時間に1本程度は運行されている。輸送力調整のため、小串駅で乗り継ぎとなる列車も多く、小串駅 - 下関駅間では3・4両編成になることもある。一部列車は小串駅ではなく滝部駅で乗り継ぎとなる。
2005年9月30日までは、関門トンネルを抜けて、JR西日本管内小串・長門市方面と、門司駅・小倉駅などJR九州北九州市内の駅を結ぶ直通列車が運転されていたが、2005年10月1日のダイヤ改正以後は、全列車が下関駅折り返しとなっている。
この区間では、2017年8月5日からは観光列車「○○のはなし」が土日祝日に運行されている。2007年7月1日から2017年1月29日まで、観光列車「みすゞ潮彩」が運転されていた(土日祝日のみ快速運転。ただし運行上、2回通る幡生駅を1回通過するのみで、あとは各駅停車であった)。2021年7月13日からは「○○のはなし」の車両を利用する観光客向け臨時列車「ゆずきち号」の運行が新下関駅 - 長門市駅で始まった。
2017年3月4日のダイヤ改正では、下関駅発上りの最終列車が23時台に引き下げられた。
1日6往復のみの運行となっている。週末などに普通列車の代わりに運行される観光列車「○○のはなし」(下関方面直通)を除く全列車がワンマン運転で、一部の線内折り返し列車と日中の下関駅発着の1往復(「○○のはなし」運転日の充当列車)を除き美祢線と直通運転する系統が基本である。これは仙崎支線が元々は美祢線の貨物支線として開業した経緯によるものである。1往復のみ2両編成である。
2014年3月改正時点で伯耆大山駅 - 米子駅間に3往復運行されていた高速貨物列車が、2015年3月14日のダイヤ改正において、伯耆大山駅のコンテナホームが供用を開始し、同駅に米子駅の機能を統合したため、全て伯備線内折返しとなったのを最後に、山陰本線内を通過する定期貨物列車が全廃された。日本貨物鉄道(JR貨物)における山陰本線の第二種鉄道事業免許についても、2015年4月1日付で廃止された。
平成30年7月豪雨は西日本を中心の広い範囲に被害をもたらした。鉄道輸送も例外ではなく、山陽本線(三原駅 - 海田市駅間、柳井駅 - 徳山駅間)では土砂流入や変電所水没、斜面崩壊など甚大な被害が発生しており、関東・関西と九州を結ぶ鉄道の大動脈の長期不通が予想された。7月13日より船舶やトラックによる代行輸送が開始されたが、輸送力は最大で平常時の27%となった。
7月17日にJR貨物とJR西日本(以下JR両社)が日本海側に貨物列車を迂回運転を実施することに関しての打ち合わせが行われた。この段階では伯備線が運転再開をしておらず、関西側は福知山線を経由することも想定された。その後、伯備線が8月1日に運転再開することが決まったことを受けて、迂回貨物のルートとして伯備線・山陰本線・山口線を経由することが確定し、8月3日にJR両社から迂回貨物列車実現に向けて検討を進めていることが発表された。8月22日、JR貨物に対して山陰本線・山口線(米子駅 - 新山口駅間)の第二種鉄道事業許可が出され、8月24日には迂回貨物を8月29日から(下り列車、岡山タ基準。上り列車は幡生操基準で8月31日より)運転開始することがJR両社から発表された。
山陽本線の全線復旧に合わせ、迂回貨物の運転は9月28日(岡山タおよび幡生操基準)でいったん終了したが、平成30年台風第24号による被災で再び山陽本線(柳井駅 - 下松駅間)が不通となったため、10月6日から11日まで迂回貨物が運転された。これは、第二種鉄道事業許可を11月30日まで申請しており、許可期間が残っていたためである。
岡山貨物ターミナル駅 - 米子駅間は岡山機関区、米子駅 - 浜田駅間は広島機関区米子派出、浜田駅 - 幡生操車場間は幡生機関区が乗務を担当した。
迂回輸送で必要となる運転士をJR西日本側で手配することは要員的に困難であったことから、JR貨物の運転士(岡山機関区2名、広島機関区5名、幡生機関区11名、門司機関区4名)に対して、JR西日本での教育・訓練が行われた。訓練運転は浜田駅 - 新山口駅間が8月4日から、米子駅 - 浜田駅間が8月6日から開始され、迂回貨物の運転が開始された8月29日および30日まで行われた。
機関車は、米子駅以東は伯備線貨物で実績のあるEF64形(愛知機関区所属)を、米子駅 - 幡生操車場間はDD51形(愛知機関区所属)を用いた。貨車は最も車両数の多いコキ104形を用いた。機関車の整備は、門司機関区が仕業検査や給油、給砂など、後藤総合車両所運用検修センターが給油などを担当した。
迂回輸送で必要となるDD51形をJR西日本側で手配することは、検査入場中であったり既に使用予定が決まっていたりしたことから困難であった。そのため、愛知機関区のDD51形を使用することとなり、機関車は検査期限に余裕のある3両(857・1802・1804号機)が選定され、稲沢駅→新鶴見信号場→岡山駅→米子駅というルートで送り込まれている。前述のように、門司機関区で機関車の整備を行う必要があるが、九州内は保安装置の関係でDD51形が自走することはできないため、幡生操車場 - 北九州貨物ターミナル駅間は前位にEH500形を連結して運転された。迂回貨物にDD51形を充当するため、DD51形による運用をDE10形に代走させて所要機を捻出している。
当初は輸送力確保の観点から、機関車はDD51形重連運転として編成を長くすることを検討していたが、山口線・山陰本線の踏切回路・線路有効長の関係から機関車+コキ7両となった。ただし、山口線内の勾配での空転を考慮し、9月9日までの上下列車および10月の上り列車はコキ6両で運転された。
かつて、山陰本線・山陽本線の門司駅 - 福知山駅間には日本一の走行距離を有する普通列車が運行されていた。鉄道ファンはその列車番号で824列車と呼んでいた。
そもそも昭和30年代まで、国鉄においては特急・急行列車の本数が少なかった半面で、長距離の普通列車が設定されていた。1956年11月のダイヤ改正当時では、東海道本線・山陽本線では東京駅 - 門司駅間運転の111・112列車(東海道本線区間で夜行運転、運転区間の営業キロは1102.8 km。「ムーンライトながら」の項目も参照)、日本海縦貫線では大阪駅 - 青森駅間には羽越本線を夜行で走る511・512列車、北陸本線と奥羽本線で2夜行になる513・514列車(運転区間の当時の営業キロは1055.6 km)が存在するといった具合である。
しかし、1961年10月に実施された「サンロクトオ」と呼ばれるダイヤ改正以降、国鉄では普通列車の乗客を新設ないしは増発した特急・急行列車に振り向けるため、これら長距離運転をする普通列車を削減するようになっていった。そして、その普通列車削減の流れが進んだ昭和50年代に、日本一の運行距離を有する普通列車となったのが、この824列車である。
1972年(昭和47年)3月15日ダイヤ改正以前には全線を直通する夜行列車826列車、829列車もあったが、夜行区間が急行に格上げ(「しまね」を経て夜行「さんべ」)されたり、夜行区間と昼行区間とが別列車に分断(夜行区間はのちの「山陰」)されて、この列車が残った。このため、本列車のスジ自体は山陰本線全通時にまでさかのぼる(戦時中は分断)が、日本最長となったのは、それまで最長であった大阪発新潟行きの普通列車が廃止された1972年10月のダイヤ改正 であった。
この列車は門司駅を朝5時30分頃に発車し、福知山駅にはその日が終わる頃に到着した。途中駅で特急・急行の待避や荷物輸送のための長時間停車をしていたこともあって、所要時間は約18時間半にもなり、表定速度は30km/hを若干上回る程度であった。また、客車はオハ35系・スハ43系・61系など手動扉の旧型のものが最後まで使用された。
その旧形客車の旅愁と運転区間が相まって、「乗り鉄」とも通称された鉄道旅行派のファンなどから注目される存在となり、宮脇俊三・種村直樹といった紀行作家による乗車記も書かれた。なお、上越新幹線開業に伴うダイヤ改正直前の1982年10月における、国鉄の長距離運行普通列車上位5位は以下のとおりである。
しかし、客車の老朽化が進んだことと、合理化および動力近代化の一環として客車列車を気動車・電車化した上で運行距離を短縮する施策が取られるようになったことから、824列車は1984年2月のダイヤ改正で下関駅 - 出雲市駅間運行の824列車と、出雲市駅 - 福知山駅間運行の548列車に系統が分割された。その後、さらに列車の運行区間が細分化され、2006年時点では824列車が運行していた時間帯に該当する列車が存在しない区間もある。
山陰本線は675kmの長大幹線で全線にわたって客車列車が多数運用されていた。
1972年3月以降は全線を走破する普通列車は無くなったものの、長距離客車列車は多数あった。当時の主な長距離普通列車は824列車(門司駅→福知山駅間)・831列車(豊岡駅間→門司駅間)、726列車(浜田駅→大阪駅間)、835列車(京都駅→浜田駅間)、721列車(大阪駅→出雲市駅間)などであった。
1970年代の普通列車は旧型客車でディーゼル機関車DF50形・DD54形が牽引していたが、1978年10月までに牽引機はDD51形に統一された。
1979年以降に福知山・米子・下関地区へ配置された50系客車の運用は100km前後の短距離が多く、長距離運用は旧型客車であった。
1984年2月のダイヤ改正で日本最長距離鈍行824列車が出雲市駅で系統分割され、旧型客車は京都駅 - 浜田駅間の運用へ短縮された。50系客車は香住駅 - 鳥取駅間を除く全線に運用区間が拡大され、長距離運用も東西で見られるようになった。
1985年3月のダイヤ改正は、急行・団体用から転用改造された12系1000番台が投入され大阪駅 - 福知山駅 - 出雲市駅間にて運用開始。旧型客車は篠山口駅 - 福知山駅 - 出雲市駅間の運用へ短縮。50系客車は京都駅 - 福知山駅間、豊岡駅 - 下関駅間の運用となった。福知山駅 - 豊岡駅間にて50系客車の運用が無かったのは城崎電化後は電車に置き換える計画があり、この区間は12系客車と旧型客車だけで運用された。
1986年11月、福知山線全線と福知山駅 - 城崎駅(現在の城崎温泉駅)間が電化され電車化。この時期より客車列車の衰退が始まる。客車列車の運用範囲は京都駅 - 福知山駅間・豊岡駅 - 出雲市駅間は50系客車と12系客車、出雲市以西は全て50系客車で国鉄分割民営化を迎えた。
この体制もつかの間で、1988年10月には京都駅 - 福知山駅間のうち、園部止の一部を除いて全廃。1990年3月のダイヤ改正では京都駅 - 園部駅間の電化によりこの区間の客車列車が廃止されるとともに、大量の気動車が転属となり、それにより豊岡駅 - 益田駅間のうち、豊岡駅 - 出雲市駅間・浜田駅 - 益田駅間 (1991年3月に気動車化) の一部列車を除いて気動車化された。しかし益田駅以西はかろうじて多数残った客車列車が1991年3月に朝夕の一部を除いて気動車化、1992年3月には全て気動車化されて、残る客車列車は豊岡駅 - 米子駅 - 出雲市駅間の計5往復となった。
山陰本線の中部に残された客車列車は12系客車(豊岡駅 - 米子駅間・鳥取駅 - 米子駅間の各1往復)と50系客車(鳥取駅 - 米子駅間・米子駅 - 出雲市駅間各1往復)と急行「だいせん」の末端の普通列車区間(倉吉駅 - 出雲市駅間)だけとなった。1992年6月頃は残された50系が全て12系客車へ統一された後は再び衰退の一途となる。
1994年12月には米子駅 - 出雲市駅間を気動車化、1996年12月には日本最長距離客車鈍行の豊岡駅 - 米子駅間の521・522列車が気動車化され、最後の客車列車の運用は鳥取駅 - 米子駅間の2往復だけとなる。
1997年3月22日、最後に残された客車列車も気動車化されて、急行「だいせん」の末端の普通列車区間のみが客車列車として残った。その「だいせん」も1999年10月に気動車に置き換えられ、山陰本線から定期客車普通列車が消滅した。
2006年3月18日のダイヤ改正では、寝台特急「出雲」が廃止され、山陰本線から定期客車列車が全廃された。
2022年時点で、山陰本線を走行する客車列車は、臨時列車「奥出雲おろち号」延長運転時(出雲市駅→木次駅間の片道)のみとなっていた。「奥出雲おろち号」は2023年に運行を終了し、山陰本線上から客車列車が完全に消滅した。
各年度の平均通過人員、旅客運輸収入は以下の通り。
鳥取県では明治時代中期に県内の道路整備が行われたものの、県外との交通は海運が主流であった。1890年(明治23年)頃は、鳥取から大阪へは徒歩で約1週間、航路では瀬戸内海を経由して2週間ほどを要した。その航路も春は荒天で欠航が多かった。
その頃までに、東京・神戸間や東京・仙台間に鉄道が開通していた。また1887年(明治20年)の私設鐵道條例によって全国で私鉄ブームとなった。山陰では、鳥取県と島根県の議員が合同で山陰地方への鉄道建設を目指すようになり、『鳥取新報』などの地元紙も山陰の鉄道に関する連載を行って地元世論を喚起した。1887年(明治20年)には早くも山陰と岡山を結ぶ路線が提唱された。
1890年(明治23年)から1891年(明治24年)にかけて鳥取・岡山の県議ら約250名が「境港-米子-倉吉-津山-岡山」ルートの請願を出した。この頃の倉吉は木綿や農機具(千歯扱き)生産で栄えていて、これらを境港へ輸送する手段を求めていたのである。
これに対し、日野郡出身で鉄を扱う商工業者らは中国鉄道株式会社を興し、鉄の輸送に便利な「境港-米子-根雨-津山-岡山」ルートを主張した。
さらに倉敷方面と米子方面の有力者たちが「境港-米子-新見-倉敷-玉島」ルートを目指す期成会を結成した。
鳥取市では「姫路-津山-鳥取」ルートを目指して市会の議決を行ったが、税負担を不服とする住民がこれに反対し、県へ問題を持ち込んだ。県、鳥取市長、鳥取市会の意見の隔たりが大きくなり、提訴や行政裁判が繰り返され、遂に市長と市議全員が総辞職する騒動になった。
これらの様々なルートで競争が行われたが、1892年(明治25年)の鉄道敷設法では、舞鶴から鳥取、松江、浜田を経て山口を繋ぐ日本海側の縦断線や、いくつかの陰陽横断線が盛り込まれた。ただし、具体的なルートや着工の見通しはそれ以後の決定とされた。9種類ものルートが検討の対象となった。
結局、1893年(明治26年)に官設の「境港-米子-鳥取-智頭-佐用-姫路」ルート、私鉄の中国鉄道による「米子-根雨-津山-岡山」ルートの建設が決まった。翌1894年(明治27年)には山陽鉄道が神戸駅 - 広島駅間を全通させ、山陰方面でも大いに期待が高まった。ところがその翌月、日清戦争が勃発し、山陰方面の鉄道建設は凍結になった。
戦争終結後、山陰方面の鉄道建設が再開されることになったが、より重要な路線を最優先で建設することとなった。再び建設ルートや官民どちらを優先するかで紛糾したが、最終的には「境港-米子-鳥取-智頭-佐用-姫路」ルートが優先されることになった。これには軍部の意向が働いていて、姫路の第10師団と鳥取の歩兵第40連隊、さらに重要港湾の境港の連絡路を優先したのだとみなされている。
1900年(明治33年)の着工時点では、795万円の国費が予算として充てられた。建設資材などを境港へ船で運び、そこから順次、先へ伸ばすのが輸送の面から合理的であったため、工事は境港から始まった。建設工事は県内外から大量の人夫を集めたほか、米子方面の建築業者の成長を促した。境港から東へ向かうルートはしばらく平坦路で地盤もよく、工事は順調に進んで1902年(明治35年)に境港駅-御来屋駅間が開通した。
このあと御来屋-八橋間の建設工事中に、帝国議会はルート変更を決めた。変更後のルートは「境港-米子-鳥取-和田山-福知山」となった。日露戦争を見据えた帝国議会が軍事上の最優先路線として、大阪と舞鶴軍港を結ぶルートの建設を急ぐことになり、これと連結することで姫路・大阪・舞鶴・鳥取・境港といった軍事拠点が一挙に連絡できるからである。また、まもなく米子から今市(出雲市駅)までの延長も決まった。さらに鉄道国有法によって、全路線が国有化されることになった。このときから、今市・香住間を「山陰西線」、香住・福知山間を「山陰東線」と称するようになり、「西線」の工事指揮のため米子に出張所が置かれた。この出張所が米子鉄道局に発展した。
御来屋から東を目指す建設工事は、日露戦争中に一時的に中断があったものの急ピッチで進められた。このうち倉吉付近のルート選定については諸説ある。建設ルートは、倉吉市中心部を通るわけでもなく、江戸時代からこの地方の水運の拠点であった橋津(現在の湯梨浜町沿岸部)を通るわけでもなく、両者の中間である上井に倉吉駅が造られた。これは最短路というわけでもなく、迂回ルートとなっている。『鳥取県史』では、このルートは鉄橋やトンネルの建設が最小限で済む低コストのルートであったと説明している。
「東線」に相当する区間では、京都鉄道が1899年(明治32年)までに京都駅 - 園部駅間を、園部駅 - 綾部駅間を国が建設した。福知山駅 - 綾部駅間は阪鶴鉄道の路線を延伸する形で舞鶴までを結ぶ阪鶴線の一部として1904年に開業した。京都鉄道・阪鶴鉄道の両社は国有化され、京都駅 - 綾部駅間が京都線として1910年に開通した。
建設ルートではにわか景気による様々な悲喜騒動があったものの、米子から鳥取までの工事は比較的順調に進み、1907年(明治40年)の皇太子(のちの大正天皇)行啓にあわせて「鳥取仮駅」(千代川左岸)まで開業した。さらに翌年に千代川の鉄橋完成により1908年(明治41年)に米子駅 - 鳥取駅間の開通となった。
しかし、鳥取駅 - 香住駅間は険しい山地を通るため難工事で、なかでも桃観トンネル・余部橋梁が最後になった。これらの完成を以って「西線」が開通したが、これは「東線」に比べて5ヶ月遅れてのことであった。こうして1912年(明治45年)3月1日に京都駅から出雲今市駅(現在の出雲市駅)までが全通することになった。鳥取市で行われた開通式典には大隈重信、原敬など2600人が参加した。一番列車が来ると各駅で花火を打ち上げ、小学生の旗行列や大人の提灯行列で出迎えたという。
山陰本線の開通は山陰地方を大きく変えた。それまで交通・運輸の中心であった海運は壊滅的に衰退し、多くの港町が荒廃した。村ごとにあった商工業者は京阪神の大手企業に太刀打ちできず次々と消えていき、地方の小町村は「都会へ安価な労働力を提供する地」へと変わっていった。一方、京阪神地方からの旅行客が激増し、観光地や温泉地が飛躍的に発展した。また、農業・漁業・林業などの第一次産業では、地元消費から京阪神へ出荷する商品の生産が大幅に伸びた。肉牛、二十世紀梨、養蚕の繭などが増産されたほか、第一次世界大戦の好況も相まって、材木・パルプ、綿布、和紙の出荷が大きく増えた。これらにより、産業構造は第一次産業偏重に大きく傾いていった。
出雲今市駅からは順次西へ延び、1928年に須佐駅まで延伸される。
宇田郷駅 - 正明市駅(現在の長門市駅) - 阿川駅間および正明市駅 - 仙崎駅は美禰線(美祢線)を延伸する形で1930年までに開業した。小串駅 - 幡生駅間は長州鉄道(小串駅 - 幡生駅 - 東下関駅)の一部を1925年に国有化したもので、国有化時に小串線となった。1928年には小串駅 - 阿川駅間が延伸された。1933年には須佐駅 - 宇田郷駅間が開業し、美禰線の宇田郷駅 - 正明市駅 - 阿川駅間・正明市駅 - 仙崎駅間と小串線を編入して京都駅 - 幡生駅間・正明市駅 - 仙崎駅間となった山陰本線が全通した。
なお、長州鉄道のうち、国有化されなかった幡生駅 - 東下関駅(現在の東駅)間については1926年に電化、翌々年の1928年には山陽電気軌道(サンデン交通の前身)へと譲渡され、同社の路面電車線と一体化して運営されるようになった。
全区間複線・電化。( ) 内の数字は営業キロ。
京都駅 (0.0 km) - 梅小路京都西駅 - 丹波口駅 - 二条駅 - 円町駅 - 花園駅 - 太秦駅 - 嵯峨嵐山駅(10.3 km) - 保津峡駅 - 馬堀駅 - 亀岡駅 (20.2 km) - 並河駅 - 千代川駅 - 八木駅 - 吉富駅 - 園部駅 (34.2 km)
便宜上、気動車列車の系統上の起点となる豊岡駅から記載する。
便宜上、幡生側の全列車が乗り入れる山陽本線下関駅も合わせて記載する。
なお、仙崎駅は無人駅である。
( ) 内の数字は起点からの営業キロ。
( ) 内の数字は京都駅起点の営業キロ。
( ) 内の数字は京都駅起点のキロ程。
石原駅 - 福知山駅間の福知山高校付近に新駅設置が要望されている。
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