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小野浩慈


小野浩慈


小野 浩慈(おの こうじ、1955年(昭和30年)5月3日 - )は、フリーアナウンサー。元フジテレビ・元ニッポン放送アナウンサー。独身。

経歴

  • 大分県出身。大分県立大分上野丘高等学校を経て千葉大学卒業。1979年、ニッポン放送入社。
  • 2006年3月までニッポン放送スポーツ部所属であったが、同社の再編のため同年4月3日付でフジテレビの編成制作局アナウンス室へ移籍。転籍した多くのアナウンサーは9月までで担当を降板していたが、小野は引き続きニッポン放送の番組も担当(ニッポン放送の番組担当時は出向扱い)。
  • プロ野球では、主に東京ヤクルトスワローズ戦の実況・リポートを、また読売ジャイアンツ戦のロードゲームのリポートも担当した。
    • フジテレビアナウンサーとなった2006年頃から、ニッポン放送での中継担当は金曜日、土曜日のみだった(自社制作だけでなく、NRN系列局への裏送りもニッポン放送アナウンサーとして担当した)。
  • Jリーグ草創期には、ほぼサッカー実況(ニッポン放送では「サッカーパーソナリティ」と呼称)専任になっていたこともある。Jリーグ人気が落ち着き中継頻度が減ると、再び野球中継も担当するようになったが、サッカー中継の経験はその後も生かされている(後述)。
  • 作曲が趣味で、日曜競馬ニッポンのBGMなどを手がけたことがある。『松本ひでおのショウアップナイターストライク!』では、松本ひでおアナウンサー率いるフォークグループ「ディープパープリン」の再結成のために曲を提供した。
  • サッカー中継では2002年6月30日の2002 FIFAワールドカップ決勝『ブラジル×ドイツ』戦の民放代表の実況、2005年6月8日の2006 FIFAワールドカップアジア最終予選『北朝鮮×日本』戦の実況(後者は東海ラジオ等一部のNRN局もネット)を担当。
  • 2009年3月29日をもって日曜競馬ニッポンを降板。ニッポン放送の番組から撤退することとなり、以後はフジテレビの番組に専念した。
  • 2015年5月31日付でフジテレビを定年退職。以後、フジテレビ子会社である東京フイルム・メート(現在のフジ・メディア・テクノロジー)所属となり、フリーアナウンサーとして活動。

主な出演番組

  • BASEBALL L!VE(2006年8月9日)
  • 日曜競馬ニッポン(司会・実況担当)
  • ニッポン放送ショウアップナイター
  • Jリーグ RADIO
  • みんなのケイバ→みんなのKEIBA 実況担当(2009年4月26日~2010年)
  • SWALLOWS BASEBALL L!VE
  • プロ野球ニュース(2019年8月17日放送から8年振りに復帰出演)
  • Jリーグカップ中継
  • ブンデスリーガ

競馬GI実況歴

確認できる範囲なので、下記の年以外にも多数担当している。

ニッポン放送時代
  • フェブラリーステークス(2001年、2003年、2006年~2008年)
  • 高松宮記念(2000年)
  • 桜花賞(2000年~2001年、2007年~2008年)
  • 皐月賞(1998年~2002年、2006年~2008年)
  • 天皇賞・春(2002年、2007年~2008年)
  • NHKマイルカップ(1999年、2008年)
  • ヴィクトリアマイル(2008年)
  • 優駿牝馬(1998年~1999年)
  • 東京優駿(1998年~2002年、2006年~2008年)
  • 安田記念(1998年~2001年、2008年)
  • 宝塚記念(2000年、2006年)
  • スプリンターズステークス(1998年~2001年、2006年~2007年)
  • 秋華賞(1998年、2006年~2007年)
  • 菊花賞(1998年、2001年、2006年)
  • 天皇賞(秋)(1997年~1998年、2000年、2002年、2006年~2007年)
  • エリザベス女王杯(2002年)
  • ジャパンカップ(1997年~2001年、2006年~2007年)
  • 朝日杯3歳ステークス(1998年~1999年)
  • 有馬記念(1998年~2002年、2006年~2007年)

関連項目

  • フジテレビのアナウンサー一覧

外部リンク

  • » 小野 浩慈 - 東京フイルム・メート
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Text submitted to CC-BY-SA license. Source: 小野浩慈 by Wikipedia (Historical)