大谷 育江(おおたに いくえ、1965年〈昭和40年〉8月18日 - )は、日本の女性声優。東京都出身。マウスプロモーション所属。
代表作に『ポケットモンスター』(ピカチュウ)、『名探偵コナン』(円谷光彦)、『ONE PIECE』(トニートニー・チョッパー)、『金色のガッシュベル!!』(ガッシュ・ベル)、『姫ちゃんのリボン』(姫子・エリカ)などがある。
1986年に東京アナウンスアカデミー(現:東京アナウンス・声優アカデミー)声優科を卒業し、江崎プロダクション付属養成所へ入所。2年後にマウスプロモーション(旧江崎プロダクション)に所属し、同年、『めぞん一刻』でデビュー。当時はとても緊張しており、このアニメは毎週テレビで見ており、島本須美、神谷明などそうそうたるメンバーと肩を並べて演技ができることに興奮していた。百聞は一見に如かず、すごい共演者に囲まれて、まだ養成所生の半年目だったが、色々なことが一気に習得でき、「ああマイクはこうやって入るのか」「大きな声を出すときは一歩下がるんだ」など、とても勉強になったという。テレビアニメ『コボちゃん』のコボ役で初主役。当時は新聞で『コボちゃん』を読んでいたため、決まったと聞いた時は驚き、「まさか、自分が」と思っていたため、とても嬉しかったという。デビュー当初は外画の吹き替えが多かった。当時の洋画はベテラン声優が8割で、新人がちらほらいるというような状況で、先輩の演技を見て盗むこともたくさんあり、悩んでいると先輩がこっそりアドバイスをくれることもあった。収録が終えた後に一緒に食事に行った席などで「あの場面はすごく良かった」、「あのシーンでは、こうするといいと思うんだよね」のように教えてくれた。駆け出しの頃は貧乏であったことから、食事に誘われても「ちょっとお金がないので」と断ろうしていた。その時に「何言ってるんだ。俺たちが払うからいいんだよ」と先輩がおごってくれたりもしており、「俺たちも食えなかった頃には先輩に食わせてもらってたから、俺たちに返さなくていいんだよ。君がこの仕事で食えるようになったら、後輩に食わせてやれ」とも言われた。先輩にアドバイスをくれたり、信頼関係が築けたりと、得したことがたくさんあった。リスペクトできるような先輩がいないと、単なるムダな時間になってしまうのかもしれないが、2012年時点では後輩からリスペクトされるような役者でいたく、そうなれているのか常に振り返っているという。
2012年に第六回、2023年に第十七回声優アワード「キッズファミリー賞」を受賞。
趣味は読書、ハーブの香りのお風呂に入浴すること。特技は英語の発音、日本舞踊。
声優としては、多くのアニメを担当するほか、外画吹き替え、ゲーム作品も数多く務めている。元気な少年役に定評がある一方で、元気な少女、大人しい可憐な少女役もこなす。
演じるうえで気を付けていることは、「演じよう」と思わないことであり、「演じよう」と思うとマネになってしまうため、そのキャラクターになりきった時に「体と心から何が出てくるんだろう」と考えるようにしている。そうでないと、いくらセリフをすらすらしゃべっても、全部ウソになってしまい、「簡単にできることではない」と思い、「いつもそれが完璧にできています」と言い切れないくらい難しいが、そうなれるように心掛けているという。
今では様々な作品に出演してくれるようになり、なかには10年以上の付き合いになるキャラクターもいるが、1回ごとにそのキャラクターと向き合って演じているだけのため、特に何か思うことはないという。もし最初から「この作品は15年続く予定なので、そのつもりで演じてください」と言われたところ、「どうしよう」と考えていたかもしれないといい、同じキャラクターを演じるうえで、慣れてしまわないようには気を付けているという。キャラクター自身が新鮮に感じるものだったら、新鮮に感じなくてはならないため、「これについて知っている」という知識、経験を削除し、ピュアな気持ちで演じたいと語る。
子供の役を演じることが多いため、年齢相応の大人として日常生活を送っていたところ、演じる時の年齢的なギャップが大変だという。頭の中からいちいち削除するのが大変のため、無意識に経験値を削除した状態のまま日常生活を送り、子供のような反応をしてしまうことがある。そのリアクションをとるのはおかしいため、社会生活を送っている時には大人の反応をするように気を付けているという。2011年時点では無意識だが、以前より人物を観察するようになり、直接的に役に立っているわけではないが、役づくりするうえで手助けになったりしているという。
一番難しかったのはボキャブラリーも技術も足りなかった時期の「もえたぎるものがあるけど抑えてしゃべる」演技であった。登場人物が熱くなっていると、どうしても大きな声になってしまうが、「落として、落として」と言われ、落とすと声が小さくなってしまった。その時に声を小さくすることなく、しっかり発声しながら演技するというのがすごく難しかった。「出しすぎちゃったからもう少し落として」「引っ込めすぎちゃったからもうちょっと出して」のくり返しで頭ではわかっていたが、そのもうちょっとができなかった。その当時はまた「目盛」が自分の中になかったんだと語る。
ジャンルによって演じ方が違うと思ったことはないが、ゲームでは、画面の前にいるユーザーに本気で話しかけることを意識している。洋画の吹き替えでは、できるだけ原音のニュアンスを感じることをこころがけ、その世界の空気感を大切にしている。
キャラクターソングを歌う際に、気をつけていることはキャラクターが歌っているということを大切にしている。音程・リズムにこだわらず、「ああ、その子が歌っているんだな」と聞こえることを心がけている。「上手に歌ってみたい」と思う大谷自身がキャラクターに勝ってしまわないように、キャラクターソングでは「その子が歌っている」ことを大切にしているという。
初めてのデートの場所は東京タワーであると語っている。外見が年齢に比べて若々しく山寺宏一は「『超音戦士ボーグマン』で彼女を見てまだ10代かと思った」という。
子供の頃は結構人見知りであり、「ご挨拶しなさい」と言われて「こんにちは」と言えるが、そのあと人物にとけ込めなかった。小学生の低学年の頃は「おとなしい子」とどこに行っても言われていた。周囲をじっと観察し、色々考えていたが、それを口に出さないタイプだった。しかし口喧嘩では負け知らずで、男の子とやりこみ、正義感が強く、女の子がいじめられたりしていれば乗り込んでいき、口での攻撃を始めていたという。黙っているとおとなしい子に見えるが、いったんしゃべりだすと「あれ、なんか違う……」と相手が思うような、そんなギャップもあるかもしれないという。
物心ついた時から、歌、芝居などの物語を表現する仕事につきたいと考えていたという。小学校低学年の頃は歌手になりたいと考えていたが、「美人でお金持ちじゃないと芸能界に入れない」と考えていたため、断念したという。
父が映画、洋画の吹き替えが好きだったこともきっかけの一つだったといい、「舞台女優なら誰かの人生を表現することもできる」と思い、小学3、4年生の頃には「舞台女優になりたい」と考えていた。
当時から小柄で、学芸会などで中々いい役をもらえず、背が高くて美人のクラスメイトがたくさんおり、ヒロインはそういう子が演じること多かったため、物語のナビゲーターのようなおじいさん役などのセリフ、出番が多い役に立候補していた。学芸会を観に来てくれた母から聞いた話によると、隣の席の人物が指して「あの小さな子の声がいちばんよく聞こえるね」と言っており、凄く嬉しかったという。「とにかくセリフをしゃべりたい、誰かに伝えたい」という思いでしていたことから、「声が大きい」というのは一番の褒め言葉だった。しかし「セリフをしゃべりたい」という思いはその後も変わらなかったようで、声優養成所時代のアフレコ実習で『ロミオとジュリエット』を演じていた時も、ジュリエット役は「競争率が高いだろうから」とロミオ役に立候補したりしていた。
中学校進学後もその夢は変わらなかったが、通っていた中学には演劇部がなく将来役者になるために何ができるかを考えていたという。中学校・高校と、「身長が伸びるのではないか」という考えからバレー部に入っていた。結局、背は伸びなかったという。中学2、3年生の頃は「勉強しよう」と言い合って友人同士で演技のレッスンをしており、オーディションに応募していたが、書類選考で落選。高校時代は演劇部にも所属していたが、年1回の文化祭のときに劇を上演することが唯一の活動の状態だった。後輩がたくさん入部しており、女性のみの上演脚本がなく脚本と演出を担当して高校演劇大会に出場したこともある。
東京都立竹台高等学校卒業後、一般企業に就職し、6年間勤めていた。志としては「劇団に入って仕事として役者をしていきたい」と考えていたが、どの劇団に入ればいいのかわからず、下町育ちで、高校卒業後の進路が近所で噂になったりしていたため、「世間の目をくらますため」という理由もあった。「働いてお金を貯めつつ、どの劇団がいいのかリサーチしよう」と考えていたが、就職してから1年経っても日々の生活に追われ、何もできていないことに気が付いて「このままではいけない」と考えていた。その時に東京アナウンスアカデミーの短期集中コースの生徒募集を目にして当時は正社員だったため、週何回も長期間通うことは無理だったが、「1週間なら有給休暇を使えばなんとかなる」と思い、参加。劇団員などプロたちが集まるワークショップのようなものだと思っており、「レッスンを受けながら、さまざまな劇団の情報を仕入れられたら」、「きっと劇団への道も開ける」、「東京アナウンスアカデミーに行けば、プロの役者が来ていて、どこの劇団がいいかという情報が入る」と勘違いしていたという。
そこではなりより役者としての「気持ちの持ち方」の基礎、土台部分を学ばせてくれた。その時は職業としての声優を目指す人物たちがいるということ、そして、劇団に入団したらプロになれるなどの、決まった道筋はないということだった。講師から「プロとして活躍している人でも、みんな地道な努力を重ねている。素人の君たちがここで学んだだけで、プロになれるかといったら無理だ。常に努力をしていかなければプロにはなれない」、「無名の養成所に行こうが名門に行こうが、そこで何をするかによって成功する道がつかめるかどうかが決まってくる」と、徹底的に叩き込まれたという。
結局、「私はなぜここにいるの?」という感じで目的だった劇団の情報を仕入れることはできなかった。集中講座の受講者20%が「声優科」に進むと聞いて、「声優の訓練をしながら劇団を探すのもいいかな」と思い、演技の勉強を続けるために、東京アナウンスアカデミー声優科実践コースに進む。実践コース修了時の公開オーディションで落ちた。同時に劇団の試験を受けていたが、1次、2次試験と落ちて、その時に凄く泣いて「本当に私のやりたいことはなに?」、「また1年間、何もしない事になってしまう」と焦っていた。「本気でやりたいなら本気になろう」と考えていたが、その頃に劇団、養成所も募集が終えており、「どうしよう」と思っていたその時にのちに所属するとになるマウスプロモーション(旧江崎プロダクション)の付属養成所の第1期生を募集することを知った。入所オーディションが、大雪のために1か月延期になっていたことを聞いて「声優」と思っていたが、「そこならまだ間に合う、今度こそ仕事との二足のわらじではなくレッスンに専念するつもりで頑張ろう」、「表現者として役者の勉強ができるなら」と覚悟を決めて、受けていたところ合格することができ、声優になるきっかけになったという。勉強することに違いないことから1年間そこに行き、その間に「今度こそちゃんと劇団をリサーチして行こう」と思っていた。その時に養成所の講師で声優の世界の大先輩でもある谷育子、納谷六朗、北村弘一がおり、「ここで声優も舞台でやるのも演技するという点では同じだ」ということがやっと結びついたという。その後も声優の職業を目指すつもりはなく「役者の仕事と声優の訓練はそれほど遠くないから」と考えており、「夢は舞台女優です、私は舞台女優になるんです」と肩書きのように言い続けていたという。
両親には養成所に通い始めたことを報告していたところ父は「やりたいことをやりたい」と応援してくれたが、母は「立派な会社に入っているんだから夢なんて追いかけるのはやめなさい」と言われていた。
先輩から舞台は毎日昼間に稽古があるため、劇団を受けていた時から両立が難しく退職しようと覚悟は決めていたことから会社を退職する決心をする。その頃、声優の仕事もしており、その会社は副業禁止だったことも理由であり、当時は母に会社を退職を言っていたところ反対されたという。その後は「あのときは反対してごめんね」と謝ってくれたという。
職業としての声優を「本気でやってみよう」と思ったのはテレビアニメ『がんばれ!キッカーズ』。養成所に入所して半年後ぐらいに、『がんばれ!キッカーズ』のオーディションに受かり、養成所に行きながら仕事していた。その時に「声優なんて簡単な仕事だ」という気持ちもあり、現場で一緒した先輩に「声優をやりたかったの?」と聞かれ、「本当は舞台女優を目指してるんです」と言っていたという。
当時、谷育子、納谷六朗、北村弘一から厳しく指導してくれており、そういう先輩たち出会えたからこそ、2011年時点の大谷があると語る。本気で腹をくくったのは「今、幸運にもレギュラーをいただいている、その幸運を生かせなくて何が舞台だ」とそこからである。2011年時点では「声優」という言葉にプライドを持っているという。
養成所の2年目の終わりの所属審査で「あなたに残って欲しいのですが、残っていただけますか?」と言ってくれていた。その時はとてもうれしかったが、正直、「私にできるだろうか?」と不安でいっぱいであった。「もっと勉強を続けたいのですが、どこでトレーニングを受けても所属させてもらえるんですか?」と聞いていた所、「どんなプロの人でも、トレーニングは毎日続けている。おおいに勉強してください」と言われた。そこでようやく安心して、「よろしくお願いします」と返事していた。
声優には舞台、顔出しの映像作品で活躍している先輩たちがおり、全員が声の仕事を専門にしているわけではないということに気付いた。
それまでは職業としての声優に興味がなく実体が見えてなかったといい、「声優で名前をはせられなかったら、舞台役者になっても大したものにはなれないから、まずは声優のトップを目指そう」と気合いを入れ直したという。
『ポケットモンスター』シリーズにおけるピカチュウの声は日本国外放送でも吹き替えはなく世界共通で使用されている。
愛着のある作品として次女・ステファニー役を演じた海外ドラマ『フルハウス』を挙げている。内容の素晴らしさに加え、姉役の坂本千夏を始め、優れた共演者に囲まれ「関わることができて奇跡的。幸運だった」と語っている。収録前のリハーサルでは観客の一人としてステファニーやタナー家の繰り広げる騒動を楽しんでいて、シリアスなエピソードでは感極まるあまり、本番中でも号泣してしまうことも少なくなかったという。続編の『フラーハウス』で数十年ぶりにステファニーを演じる際には、「私のバイブルだったこの作品にもう一度巡り会えた感激は言葉では表しようがありません」と喜ぶ一方で、「自分の期待が大きい分、身の引き締まる思いです」とファンの期待に応える決意を語っていた。
一方、前々から赤ちゃん役を演じたいと願っていたところ、おジャ魔女どれみシリーズ(第2シリーズ)での新キャラクターである、魔女の赤ちゃん「ハナちゃん」役に抜擢される。赤ちゃん役は想像以上に難しく、これまでの話の内容と台本が一致していない場合もきちんと合わせたり、周囲の赤ちゃんを観察して収録に臨むなどした結果、プロデューサーの関弘美から「本当にスタジオに赤ちゃんがいるかと思ってビックリした」と言われ、大谷自身とても嬉しかったとのこと。
2006年1月から一時、全レギュラー番組を降板していた。代役は以下の通り(注・正式にアナウンスされたもののみ記載)。
太字はメインキャラクター。
※はインターネット配信。
いずれも声の出演。
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