第1次キャメロン内閣(だいいちじキャメロンないかく)は、デーヴィッド・キャメロンによって組閣されたイギリスの内閣。2010年5月6日に行われた総選挙により、第一党となった保守党と、第三党となった自由民主党との連立内閣。総選挙後、第二党に転落した労働党のゴードン・ブラウン首相が辞任。女王エリザベス2世の任命により2010年5月11日にキャメロンが首相に就任し、翌日の5月12日に組閣を実行。翌13日に初閣議を行った。
この総選挙ではどの政党も単独で議席の過半数を占めることができず、議会はハング・パーラメント(宙吊り議会)となったため、比較第一党となった保守党と第三党となった自由民主党が連立内閣を組むことになり、自由民主党からは副首相となったニック・クレッグ党首を含め5名が入閣した。
英国で連立内閣が組まれるのは、第二次世界大戦中の大連立となった1940年から1945年までのチャーチル挙国一致内閣以来のことで、戦後では初。議会がハング・パーラメントとなったことは戦後ではこれまでに1974年2月の総選挙の後と2017年の総選挙の後の2例があるが、どちらの場合も比較第一党となった政党が少数与党内閣を組み小政党からの閣外協力を得ながらその場をしのいだ後に、あまり時間を置かない時期に解散・やり直し選挙を行って単独過半数の確保を実現している。
通常、イギリスで政権交代が起きた際は、それまでの野党が組んでいた影の内閣の「大臣」がそのまま正式な大臣に就任することが通例である。しかし、キャメロン内閣では連立政権のためにいくつかのポストを自由民主党に譲ったため、影の内閣の名簿と、組閣後の閣僚名簿にズレが生じている。また自由民主党側も、実際に就任したポストと影の内閣の名簿の間には若干の差異がある。
デービッド・キャメロン、ニック・クレッグという現職の党首2名に、ウィリアム・ヘイグ、イアン・ダンカン・スミスという過去に党首を経験した2名を加えた、党首の経験者を4名も抱える異例の布陣である。
また、日本人の血を引く(クォーター・母方の祖母が日本人)イアン・ダンカン・スミスに、日本で英語教師を務めた経験を有するジェレミー・ハント、そして父親が大和日英基金の理事で母親(オランダ人)が幼少期にインドネシアで日本軍によって抑留された経験のあるニック・クレッグと、様々な形で日本に縁のある閣僚も目立つ。
※略称については以下を参照
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