生駒市(いこまし)は、奈良県の北西部に位置する市である。人口は約10万人であり、県内で3番目に多い。
江戸時代に創建された生駒聖天・宝山寺の門前町として発展した。生駒山地を挟んで大阪府と隣接している。生駒山地を貫く近鉄奈良線・けいはんな線で大阪市と結ばれている。現在は、大阪市・奈良市のベッドタウンとして知られ、また大阪都市圏の10%都市圏に属し、大阪都市圏中心部への通勤率は県内で最も高い自治体でもある(奈良府民#特徴も参照)。
2020年の国勢調査によると、県外就業率が全国1位の奈良県において、生駒市のその比率は51.5%と最も高い。2015年では昼夜間人口比率は77.3%(国勢調査)であり、高齢化等の影響を受け1995年の68.4%から上昇しているが、依然として全国規模に見ても低く、衛星都市としての性格が強い。(近畿地方の全市区町村で6番目、全国の全市区町村で32番目、全国の市で4番目に低い)。
奈良県の北西端に位置し、南北に細長く生駒山地や矢田丘陵などの山々に囲まれ、その間を南へ流れる竜田川や富雄川沿いの谷筋(生駒谷、平群谷、高山谷〈鷹山谷〉、鳥見〈富雄〉谷)や東西南北に広がる鉄道網を中心に市街地が広がる。市街地にも小高い丘や山が点在しており、起伏に富んだ複雑な地形をしている。
富雄川流域である市北部(旧北倭村)と大和川水系竜田川(生駒市内では生駒川)流域である中南部(旧生駒町)の間は小高い山及び丘で行き来しにくい。
高度経済成長初期から大都市大阪への人口集中が激化し、そのドーナツ化現象が近郊都市に波及し、都市化が始まった。近鉄奈良線沿線から都市化が進み、中部では1970年代後半から大都市への良好なアクセスや豊かな自然環境を活かして大規模な住宅都市の開発が始まり、ホワイトカラーなど高所得者層が東生駒や生駒台などの高級住宅地に流入した。その後も生駒駅・東生駒駅を中心に住宅地が広がっていった。
一方で、昭和末期頃からは、北東部の上町(当時)周辺では学園前駅を中心とした住宅地の開発も行われ始め、学園前のブランド力とバブル景気による価格高騰で、中部同様に高所得者層が多く転入した。真弓や北大和、鹿の台地域がこれにあたる。
そのため、中南部は近鉄奈良線など市内の駅(主に近鉄生駒駅)を利用するのに対し北東部は奈良市内の駅(主に学園前駅)を利用する傾向があった。しかし、市北部は関西文化学術研究都市の区域に指定されており、アクセス路線として近鉄けいはんな線が2006年に開通した事で、この傾向も徐々に変わりつつあり、それまで学園前駅を利用していた人々が、けいはんな線利用にシフトする流れが見られる。
また、以上のような宅地開発の歴史から大邸宅街は多くないものの、関西屈指の高所得者層が多い住宅都市となっている。
一方で、市内に平地が少ないために傾斜地も住宅地として開発せざるを得ず、生駒山ですらかなり上の方まで住宅地化している。それ故、一般的には観光用として敷設されるケーブルカーが、生駒市において(生駒ケーブル)は通勤・生活路線としても機能する。
山に囲まれた地形のため、台風の被害はかなり少ない。しかし、生駒市内を流れる川は小河川が多く、洪水の危険がある。また、生駒山地の西側には断層帯(生駒断層帯)が走っており、この断層帯は今後30年以内に地震を引き起こす可能性が日本国内の主な活断層の中でやや高いとされている。
※上記に掲載のない地域は630-0200である。
瀬戸内海式気候と内陸性気候を併せ持つ。夏と冬の気温の差(年較差)、そして1日における気温の差(日較差)のが大きい典型的な盆地性の気候である。
平成27年国勢調査(速報値)より前回調査からの人口増減をみると、1%増の118,297人であり、増減率は県内39市町村中3位。
太古の生駒は古代豪族の一つ平群氏の領地で、古代から中世と時を経るごとに平群氏の勢力は衰退し、『平群』という地名だけが残ることとなった。
奈良時代には都であった平城京の外周に位置する生駒(当時の平群)は生駒山のふもとに位置し、往馬坐伊古麻都比古神社(生駒神社)、生駒山口神社式内大社往馬神社社村の氏神様的存在でもあって近代の大和国平群郡南北生駒から奈良県生駒郡生駒町へと地名の変貌を遂げていったものである。
有里町にある竹林寺は奈良時代に行基によって開創されたとされ、詳細は不明だが、行基が建てた四十九院の一つ生馬仙房に比定される。また、行基の遺命で生駒山東陵に埋葬され、竹林寺境内の墓がそれとされる。
なお、古代の生駒については記紀の『平群氏』の項目及び平群氏を参照。
古代・中世の生駒は山間の寒村に過ぎなかったが、生駒山地は山岳修行の場として開かれていった(役行者が生駒山で暴れていた2匹の鬼を改心させ弟子にしたという伝説が在る)。一帯は南都と大坂を結ぶ街道として機能し、それらは現在でも清滝街道(現国道163号)、暗越奈良街道(現国道308号)として微かに当時の雰囲気を伝えている。
延喜式神名帳には大和国平群郡に往馬坐伊古麻都比古神社(旧式内官幣大社生駒神社)、生駒山口神社が記載されている。
この頃から高山で茶筌(茶筅)の制作が始まったとされる。その起源は諸説ある。
一つは、室町時代に茶道の創始者村田珠光が親交のあった鷹山宗砌(市北部の鷹山荘〈現在の高山町〉を支配していた鷹山氏の次男とされる)に茶の攪拌道具製作を依頼したことから茶筌が生まれたとする説である。宗砌の製作した茶筌が後土御門天皇に献上されたところ、お褒めの言葉と「高穗」の御銘を賜り、鷹山氏は地名と家名を高山に改めた。その後、高山氏が高山を去る際、この地に残った家臣の内16人に茶筌の製作を許可し、以後旧臣たちは茶筌の製作を一子相伝で引き継いでいったという。
このほか、奈良の宝来で茶筌の作り方を学び高山に戻った甚之丞という人物が豊臣秀吉に茶筌を献上し、それが大いに賞されたため高山全体で茶筌製造が盛んになったという説もある。いずれにしろ、1736年(享保21年)刊行の『大和志』において茶筌は高山村の特産物とされるようになっていた。
江戸時代に入り、1678年(延宝6年)に湛海律師が霊峰・生駒の中腹に宝山寺を開山すると、にわかに商売の神様として大阪庶民の信仰を集め、門前町として賑わった。
京都の皇室や江戸の徳川将軍家、郡山藩主柳沢家からの祈願もあった。
鉄道(大軌)が開通したが、当初、大軌は沿線開発よりも沿線の観光要素(生駒市では宝山寺など)を活かす方針であったが、宝山寺の門前町を含め、観光業による賑わいが増したことから、行楽地としての開発や、経営の安定化で沿線住宅地開発も始めた。
生駒山上ではブルーノ・タウトが設計した『生駒山嶺小都市計画』に代表される観光地としての開発が進み、別荘地や遊園地が立地し始め、宝山寺参拝と併せてにわかに大阪の行楽地として賑わいをみせる。
一方で鉄道による利便性の向上は宅地の立地にも影響し、1925年(大正14年)に生駒駅前で分譲された三勝園に端を発して、宅地の分譲が始まる。
縄文時代に使用されていた言語で生駒がどう呼ばれていたかに生駒の語源・由来を求めた、定説は次のようなものだ。(生駒検定より)
縄文時代に生駒付近で住まいしていた人々のことを日本書紀は愛瀰詩(えみし)と呼んでる。これは、三文字とも麗わしい文字を使用している(「瀰」は水の盛なさまの意)ように尊称である。。日本書紀は愛瀰詩を「一人で百人に当るほど強いが、戦わない人々」と紹介してる。この愛瀰詩(縄文人)が使用した縄文語の研究によれば、「イコマ」はもともと「イ・コマ」ではなく「イコ・マ」であり、イコ・マの語源を遡れば、イコ・マ→イク・オマ→ユック・オマー(yuk‐oma)となり、ユック・オマーとは、ユックがオマー(そこにいる。)という意味である。。ユックとは、当時、生駒山にたくさん生息していた鹿のことだ。
縄文時代、水の豊かな生駒山系一帯の、木の実の豊かな雑木の原始林には狩猟対象の動物が沢山棲息し、縄文人にとって生駒山は四季を通じて獲物の宝庫で、山に分け入って狩りさえすれば山の幸が必ず授かり人々は飢餓におち入らずに済んだという有難い山であった。そこで誰が言うともなく、この山は「ユックがそこにいる」山、すなわち「ユックのオマー(そこにいる)」山→「イク・オマ」の山→「イコ・マ」の山→「イコマ」の山と呼ばれるようになった。そしてやがて、イコマには膽駒、射駒、伊駒、伊古麻、伊故麻、生馬、往馬などの漢字が宛てられていった。
高原だから「イ(接頭語)・コマ(高原)」。放牧地(牧場)があったから「イ(接頭語)・コマ(駒=馬)」。奥まった小盆地(谷筋)が多いから「イ(接頭語)・クマ(隈)→イコマ」。大和の国の西方の隅(すみ)に位置するから「イリ(入り)・クマ(隅)→イコマ」。分かれ嶺があるから「クマル(分)→イコマ」。生駒への渡来人の国にちなんで「イ(接頭語)・コマ(高句麗)」。生きた駒(馬)のような山容をしているから。山中を駒(馬)が走り回っていたから。
これらはいずれも、弥生時代にまで遡って当時に使用されていた言語で生駒がどのように呼ばれていたかに語源・由来を求めるものだが、生駒にはすでに弥生時代以前の縄文時代に人が住まいしており、この時代にまで遡ったものでないので定説(ある事柄について、その説が正しいと広く認められている説・学説)とは言い難い。
2007年4月に当時の市長中本幸一、当時の市議会議長の酒井隆が生駒市発注の足湯の公共事業や、総合スポーツ公園用地売却に関してあっせん収賄等で逮捕され、大阪地裁、高裁、最高裁とも実刑の有罪判決が下される。なお、中本は2012年5月10日に肝臓がんで死去している。
山下真元市長(現・奈良県知事)のもと、市民投票条例案について検討がなされたが、同条例案の投票資格者に18歳以上の国民及び一定の要件を満たした18歳以上の定住外国人も含んでいる。これについては、事実上の外国人参政権付与との意見もあるが、投票結果に拘束力を持たすものではないため、間接民主主義を補完するものとして捉える意見もある。
2017年には大阪ガスなどの出資を得て、地方公共団体と大手エネルギー会社初の共同による地域小売電気事業者「いこま市民パワー株式会社」が設立され、小紫雅史市長が社長に就任した。
なお、衆議院議員選挙の選挙区は「奈良県第1区」、奈良県議会議員選挙の選挙区は「生駒市選挙区」(定数:4)となっている。
財政の健全性を示す経常収支比率は県内市町村平均、全国市町村平均を下回り健全性は高い。また財政力指数は県内一位である。
郵便局
生駒市内の郵便番号は「630-01xx」「630-02xx」(いずれも生駒郵便局の集配担当)となっている。なお、「630-01xx」区域(高山地区など)は民営化以前は高山郵便局が集配業務を担当していた(生駒郵便局の項も参照)。
図書館は市内5ヶ所あり、県内市町村で最多である。
人口は多いが衛星都市という性質が強いのため、人口の割に地域内総生産は小さい。市内経済の産業構造に占める割合は不動産業、保健衛生・社会事業の順に大きいが、特色として、情報通信業、不動産業、教育が盛んであり、第三次産業の集積が顕著である。
かつては市内の平坦地の多くに水田が広がり、丘陵地では灌漑施設を整備し棚田がみられたが、市内各地で宅地開発が行われたため、現在は耕地面積は農地は約6.6%で、主に市の南北の川沿い(富雄川・竜田川)に分布する。231の経営体からなり、年間農業生産額は2億8000万円である。主に米作が盛んで、農業生産の約7割、経営体の約8割を占める。また、次いで野菜の生産が多い。
商業施設は近鉄生駒駅周辺の商店街やデパート、国道168号沿いのいわゆる郊外型の大型スーパーや量販店、けいはんな線新駅周辺のファッションビルに集中していたが、旧来の商店街も「100円商店街」などの取り組みを行なうなど、活性化に向けた取り組みが見られる。
大規模店舗の増加とそれによる小規模店の減少で、小売店舗数は年々減少しているが、事業所あたりの売り場面積は増加している。
南都銀行の支店を除くと、有人店舗は近鉄生駒駅前周辺に集中している。国内4大銀行の内、三菱UFJ銀行のみ有人店舗が存在しない。
なお、大阪近郊では、みずほ銀行以外の都市銀行3行が出店している地域は多数(大阪府富田林市、松原市、箕面市、奈良県橿原市など)あるが、この3行の組み合わせで出店している市町村は他にない。
KCN(近鉄ケーブルネットワーク)の本社、放送センターがある。詳細はマスメディアの項を参照。
上記の通り、教育関連(学習塾、予備校、個人塾など)が盛んである。
また、生駒市の一つの象徴でもある生駒山上遊園地が市を代表する娯楽施設である。
かつて絶叫系ジェットコースターなどを売りにし、最盛期の1972年には年間72万人が来訪していたが、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンなどの開業により、来場者は大きく落ち込み2013年には年間16万人まで減少していた。近年、1999年から始めた生駒山へのハイキング客向けに入園料無料化や、同じく近鉄系列で地理的にも近いあやめ池遊園地の閉園を機に、対象を子供連れのファミリー層ややカップル層などに変え、遊具の再整備・ベビーカーなど向けの対応を行なった結果、遠足客も増えて2017年には(2013年の1.5倍となる)24万人が年間に来訪し、V字回復を遂げた。イベント時にはケーブルカー(山上遊園地への主要なアクセス線)が数時間待ちになるなど、混雑が激化する光景も見られるほどになった。
総務省の令和4年度地価調査によれば、住宅地平均地価は92,100 円/m2で県内最高である。また、同省自治税務局の令和2年度市町村税課税状況等の調によれば、平均所得は409万円で同じく県内最高である。
生駒市は放送関連施設が多数あり、生駒山にはNHK大阪や関西準キーテレビ局などの親局送信所(生駒市は朝日放送テレビ、読売テレビのみ)が立ち並ぶ他、奈良県北部一円にエリアを広げるKCN(近鉄ケーブルネットワーク)の本社・スタジオも生駒市に所在する。
その他、1978年から1986年にかけて世界初のCATVを利用した双方向映像配信実験(Hi-OVIS実験)が行なわれた。実験区域は東生駒駅周辺で、実験用の放送センターは東生駒駅前に設けられた。建物は現在もKCNのスタジオとして使われている。また、駅前には記念碑が建っている。
2003年より開始した地上デジタル放送においても、関西(在阪)テレビ局デジタル送信所の多くが生駒山に建っている。なお、毎日放送はデジタル放送の送信所をアナログの東大阪市から生駒市に、奈良テレビ放送はデジタル放送の送信所をアナログの大和郡山市(松尾山)から生駒市(生駒山奈良県寄り)に移した。
ラジオ放送については、NHK奈良放送局のNHK-FM放送が生駒奈良北中継局を設置する。民放は奈良県には県域放送局そのものが存在しないが、コミュニティFM局のならどっとFMが生駒市内に送信所を、広域局である朝日放送ラジオのFM補完中継局が生駒山頂の生駒市側に設置(テレビ送信所に併設)する。
関西文化学術研究都市高山地区に位置するなど生駒市は学園都市の性格を持つ。また大阪の衛星都市という性格上、大阪府下の学校や企業に在籍する市民も多い。また、最終学歴が大卒、大学院卒人口割合は34.97%で近畿地方の人口5万人以上の市町村で3番目に高く、市民の学歴の高さが見て取れる。
部活動においては、吹奏楽とハンドボールが盛んである。
中心となる駅:生駒駅
少子高齢化の影響から漸減していたのが、コロナ禍前までは持ち直し、生駒ケーブルを中心に僅かに増加傾向がみられていた。しかし、covid-19の感染拡大やそれによる外出制限の影響を多大に受け、令和2年度は大幅に減少した。令和3年度以降は感染の急拡大もおさまり、経済活動の再開の高まりを受け再び増加に転じている。
宝山寺の門前町という性格上、宝山寺関係の祭事が多い。
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