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本町 (弘前市)


本町 (弘前市)


本町(ほんちょう)は、江戸時代から現在にかけての青森県弘前市の地名。郵便番号は036-8203。2017年(平成29年)6月1日現在の人口は291人、世帯数は184世帯。

地理

東部を青森県道28号岩崎西目屋弘前線が縦断し、町域の北部は元大工町・元長町・親方町、東部は鍛冶町、南部は相良町、南西部は在府町、西部は覚仙町・森町に接する。

歴史

  • 正保3年(1646年) - すでに町屋として町割りがされている(津軽弘前城之絵図)。
  • 慶安2年(1649年) - 鍛冶町とあり、70軒あまりの屋敷があり、そのうち53軒は鍛冶とあり、5丁目の南部(現在の桶屋町寄り)が銅屋町とされ、銅屋19軒(弘前古御絵図)。
  • 万治2年(1659年) - 5丁目が全部銅屋町とされる(津軽弘前古絵図)。
  • 寛文13年(1673年) - 銅屋町の記載が見られず、代わりに1丁目の在府町寄りが鍛冶町横町と見える(弘前中惣屋敷絵図)。
  • 延宝5年(1677年) - 1丁目は横鍛冶町、2~4丁目は長鍛冶町と変化し、五丁目は変わらず銅屋町(弘前惣御絵図)。
  • 宝永2年(1705年) - 城下町割りによって本町1~5丁目になる。現在の元大工町・塩分町から在府町に南進する町並みが1丁目、現在の本町を東西に横断する町並みが2~4丁目、現在の本町の東側、青森県道28号岩崎西目屋弘前線沿いが5丁目と呼ばれ、現在まで「エ」の字型の町並みを形成。以降、鍛冶・銅屋が現在の鍛冶町・銅屋町に移転し、本町1~5丁目となり(平山日記)、本町は職人町から商家街になる。
  • 宝暦4年(1754年) - 宝永5年(1708年)から延享元年(1744年)にかけての大火事で多くの商家が焼失。なんとか復興するが、多くは経営困難に。そこで弘前藩は当町以外での商売・販売を禁止。この政策により町内で出店する商人が増え、活気を取り戻す(平山日記)。隣接する元長町からも商人が移転。
  • 宝暦6年(1756年) - 家数100のほかに、相場会場が置かれる(本町支配町屋鋪改大帳)。
  • 明治初年 - 戸数172で、弘前の代表的な商家街であった(国誌)。
  • 1907年(明治40年) - 交通事情の変化(奥羽本線青森 ~ 弘前間開通)、陸軍第8師団の設置による人口増加、購買力の変化等の影響で、中心商店街的地位を土手町に譲り、次第に衰退。

沿 革

  • 江戸期 - 弘前城下の一町。
  • 明治初年 - 1899年(明治22年) - 弘前を冠称。
  • 1899年(明治22年) - 弘前市に所属。

地名の由来

  • 本鍛冶町の略称から。
  • しかし、町奉行の申し立てによると、"本町"ではなく"本通"とする案もあった(国日記)。

施設

教育

  • 弘前大学医学部
  • コミュニケーションセンター

医療

  • 弘前大学医学部附属病院
  • 平山歯科
  • 一戸歯科医院

消防

  • 弘前消防署

商業

  • 明治屋グランドビル
  • ニュー明治屋センター
  • 北星交通
  • エルク弘前
  • 東北電力弘前営業所

宿泊

  • ドーミーイン弘前
  • 小堀旅館

通信

  • NTT東日本弘前支店本町ビル

行政

  • 弘前税務署

小・中学校の学区

市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。

交通

  • 弘南バス
    • 本町、大学病院前(土手町循環100円バス、他)停留所。
    • 本町(弘前駅 - 金属団地・桜ヶ丘線、他)停留所。

脚注

参考文献

  • 角川日本地名大辞典 2 青森県(角川書店)

関連項目

  • 本町 (曖昧さ回避)



Text submitted to CC-BY-SA license. Source: 本町 (弘前市) by Wikipedia (Historical)