『キテレツ大百科』(キテレツだいひゃっか)は、藤子不二雄の藤本弘が執筆した漫画『キテレツ大百科』を原作としたテレビアニメ作品。
1987年11月2日に90分の単発のテレビスペシャル版として放送された。セルアニメによる藤子アニメ放送はフジテレビ系列では初。人形アニメを含めれば『シスコン王子』(安孫子単独作漫画のアニメ)以来23年ぶり。
翌1988年3月27日からほぼ同一のスタッフ、キャストで毎週日曜19:00からテレビシリーズが放送開始。系列局はスペシャル版と同じくフジテレビ系。1996年6月9日の終了まで8年間(全331話)に亘る長期放送となった。
テレビアニメ化に合わせて新作漫画の『新キテレツ大百科』が、田中道明の執筆によって『月刊コロコロコミック』で1988年5月号から1994年2月号まで連載された。
最高視聴率は、1994年1月16日放送(第243話「5年1組熊田薫! 今年の抱負は良い豆腐」)の25.7%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。最終回の視聴率は17.6%(関東地区)。
原作漫画の連載期間は3年間(1974年~1977年)と短く、掲載誌も月刊誌であったため話数が少なく、アニメ版はほとんどがオリジナルストーリーである。同じ藤子・F・不二雄の作品で、「毎回不思議な道具を使った物語が展開する」という点でストーリー的に似通っている『ドラえもん』(テレビ朝日版第1期)との差別化を図る試みが続けられた。原作通りに時間軸が止まっているのではなく、国際花と緑の博覧会(1990年)などバブル景気に沸く日本社会や、クイズ番組の出演をテーマとしたエピソードなど、放送当時の世相を反映した内容が描かれている。大部分の脚本を執筆した雪室俊一の影響力も強く、オリジナルエピソードのほとんどはブタゴリラとその家族、トンガリを中心にした物が多い。
原作とアニメではキャラクターデザインが若干異なる が、アニメ化にあたり新たに藤子がアニメ用のデザインを描き下ろした。その為、本作にはキャラクターデザインの担当者が存在せず、各話のゲストキャラクターデザインは総作画監督が担当した。なお、藤子のデザインは『藤子・F・不二雄大全集』の2巻の巻末に収録されている。
キテレツたちが住む「表野町」は架空となっているが、西武鉄道の車両が多く登場し、例えば第202話ではキテレツとコロ助が新宿にある伊勢丹新宿本店にて買い物をした後に西武鉄道の特徴的な黄色い電車に乗って帰宅する場面が存在し、第216話でも英太郎が田無行の電車を降りて帰宅する場面が存在する為、東京都内かつ西武新宿線沿線と考えられる。また勉三の通学先が高尾大学で、第293話で近未来都市として多摩センターに赴き、330話で登場する橋の名称が「新多摩玉大橋」で、一戸建ての住宅街と商店街が形成されているなどから、多摩をモチーフとしていることが伺える。
『ドラえもん』とは異なり、リカーリング人物である妙子や五月、友紀等が遠方に移住する要素があるため、大百科で作った発明品や車、鉄道等でタイムスリップを伴わずに遠出するエピソードが複数存在。そのうち、上越新幹線・北斗星・山形新幹線などに乗り込むエピソードで写実的なのはその乗物と目的地である仙台や新潟、札幌等の大まかな風景のみであり(機関車等の番号が適当になっていたこともある)、キテレツが操るパソコンを初め、ゲームボーイやミニ四駆といった放送当時に流行したアイテムも多く描かれている。
放送中期まではキテレツが作った発明品が中心となって巻き起こるエピソードと、ゲストキャラクターが中心人物となり陰で発明品を使ってストーリーが展開する人情ドラマ仕立てのエピソードが互いに作られていたが、末期(1994年)に入るとブタゴリラや熊八の天然ボケとトンガリのヒステリックな性格描写が強まるようになり、彼らが発端となって展開されるドタバタ・珍騒動的なエピソードも多かった。
1993年頃までは本放送のヒッチハイクとして、電気事業連合会が本作とタイアップしたテレビCM(電気エネルギーの現況・家庭内の省エネを啓発する内容、最後のコロ助のナレーションとテロップを各地域の電力会社に差し替えたバージョンもある)を流し、放送休止の日にも流されていた。
改編期特番・7月の大型特別番組『FNS27時間テレビ』・プロ野球中継(主に明治神宮野球場のヤクルト戦)のため放送休止になることが度々あり、1995年11月のフジテレビに至っては『ロミオの青い空』と共に一度も放送されなかった。27時間テレビでのコラボ放送もなされたことはない。
また、当時は選挙の投票終了が午後6時で締め切りのため選挙特番がこの時間に行われていたが、1990年の第39回衆議院議員総選挙の日以外は休止の措置が取られている。
放送終了後、フジテレビにて1997年から2000年3月までローカル枠で断続的に再放送された。それ以降、番組購入ながら独立U局を中心としたローカル局やアニマックスでテレビシリーズの再放送が行われているが、予告映像は一部の回やアニマックスの話数順での放送のみに留まっている。2015年にはHD解像度でテレシネされたデジタルリマスター版として、6月18日よりアニマックスで改めて1話から放送開始した。
話数が長大であり、全話のビデオソフト化が実現したのは2003年で、それ以前は1990年頃に小学館から発売されたVHSパッケージが最新だった。2010年7月10日からWiiの間「シアターの間」で第1回は無料・以後は有料で配信されていた。
以下、制作者側のコメントを要約したもの。詳細については、それぞれのリンク先を参照。
アニメ版は放送開始から6年を経た1994年春に終了が一旦決定し、同年初頭の時点で最終回である「愛のフィナーレ! さよならコロ助大百科」が制作・完成していた。しかし後番組が決定せず、「後番組の体制が整うまで適宜延長する」という対応が取られた。結局後番組となる『こちら葛飾区亀有公園前派出所』(こち亀)の制作が決定したのは1996年初頭のことで、同作が放送開始となる同年6月まで、『キテレツ大百科』は2年以上もの間放送延長するという異例の事態となった。
その後、『こち亀』の放送が1996年初夏と決定したことから、本作は既に完成していた最終話を含めて全332話と調整、1996年6月16日終了の予定だった。しかし終了直前、5月26日放送分の枠にバレーボール女子アトランタオリンピック世界最終予選の中継(日本対ルーマニア戦) が入ることが決まったため、6月2日放送予定だった実質的な最後の制作話「ルルル! 未知からのメッセージ」が制作途中で中止されてお蔵入りになり、スタッフはそのまま『こち亀』の制作に移行した。そして1週間繰り上げて6月9日に2年前に完成していた最終回が放送され、アニメ版は8年3か月の放送にピリオドを打った。脚本の雪室俊一は「もう半年は続けるつもりでいたので、消化不良だった」と語っている。旭通信社(現:ADKホールディングス)企画スタッフの片岡義朗は、終了に際して原作者の藤子・F・不二雄の元ヘ報告に行った際、後番組候補を聞かれた片岡が「『こち亀』です」と答えると、「それは良いですね」と答えたという。その約3ヶ月後、藤子・F・不二雄は逝去した。
奇天烈大百科のページをオレンジにした背景。
系列は放送終了時点(打ち切りの場合は打ち切り時点)のもの。
キティフィルム子会社の「ファイブエース(5-Ace、現在はキティライツ&エンターテインメントへ統合)」がビデオ化権を獲得し、1988年から最終話までの全話が2003年5月から2004年にかけてビデオソフト化された。また、それに先駆けて2002年11月から「よりぬきキテレツ大百科」のタイトルでVHSソフトも発売されている。なお、いずれも映像の修繕は、ほぼ為されていない。現在は、全巻廃盤となっている。1987年のテレビスペシャルは現在未DVD化である。
2010年に藤子・F・不二雄ミュージアム開業記念企画として発売された「藤子・F・不二雄TVアニメアーカイブス」シリーズ(発売元:TCエンタテインメント・テレビ朝日 販売元:スーパービジョン)に選り抜き形式で収録されている。
2021年現在、Blu-ray版はリリースされていない。
Owlapps.net - since 2012 - Les chouettes applications du hibou