『哀しい気分でジョーク』(かなしいきぶんでジョーク)は、1985年に公開された日本の映画作品。及び同年2月21日に発売されたビートたけしの同名シングル。
売れっ子タレントの洋は多忙を理由に妻に逃げられ、一人息子・健と暮らしていた。しかしある日、健が「脳腫瘍に冒されて命が長くない」事を知った洋はそれ以降、仕事を減らして息子との時間を作るようになった。懸命に探した脳外科医からも「手術の成功確率は低い」と聞かされ、途方に暮れる洋は周囲の協力を得て、健とともに前妻が暮らすオーストラリアに向かった…。
当初報道されていたタイトルは『たった90日のララバイ』だった。ラスト近くで石倉三郎が「悲劇の父、××××(解読不能)『たった90日のララバイ』ってことでなあ」というセリフを言う。『男はつらいよ 寅次郎真実一路』との併映か、洋画系かは分からないが、1985年の正月映画第二弾と報道されていた。ちょうど同じ枠で東映がタモリ主演・野田幸男監督で『いいとも探偵局』という超人気番組の便乗映画を準備し、新世代のお笑い芸人による正月映画対決が期待されたが、タモリ主演映画は中止になった。『たった90日のララバイ』も一旦製作中止と報道されたが、『哀しい気分でジョーク』に改題され、1985年4月に公開された。1984年秋にあった製作発表では、1984年11月末に完成し、1985年2月松竹系でロードショーと発表されていた。
1984年晩秋、オーストラリアシドニーロケからクランクイン。
『映画情報』1984年12月号には「瀬川昌治監督だから、やはり基本的には人情喜劇だ。たけしは『戦場のメリークリスマス』でもコメディアンでない俳優だったし、テレビでも大久保清を演じたことがある(『昭和四十六年 大久保清の犯罪』)。『戦メリ』で毎日映画コンクールの助演男優賞を受けた味が忘れなくて、今度は主演男優賞の挑戦というわけだ。若手の有望監督の作品にでももう一本出れば、その可能性は大だね」などと書かれている。
アメリカのフォークソング「グリーングリーン」が鎌倉市立大船第二小学校(エンドクレジットで表記)と見られる参観日の合唱シーン他、劇中、何度も歌われる。映画の内容もグリーングリーンの日本語詞をヒントに創作したものと考えられる。
シドニーの夕陽をバックに親子で会話するシーンは感動的。オーストラリア以外の日本のシーンは、たけしが忙しかったのか、外ロケのシーンは少なく、自宅設定のマンションや公園以外はあまりなく、東京のメジャーな場所がほとんど映らず、どこでロケをやったか分からない。
後半にたけしが親子クイズ番組に出演した後、「俺は乞食じゃないんだぞ!」というセリフがある。
『シティロード』は「ビートたけしと難病映画。世にも似つかわしくなく見えるこの二つがウマ~~くドッキング。さすがにプログラムピクチュアのベテラン瀬川昌治監督の確かな演出力は、全くクサくならずに感動させちゃったりするのだ(中略)たけし版『君は海を見たか』というタッチで話は展開する。何といっても父親がビートたけしみたいなお笑いタレントという設定が効いている。"フマジメ"を"マジ"にやることは出来るけど、"マジ"を"マジ"にやるのは大変だぜというわけだ。難病シーンなどあまり見せず、子供もちゃんと一個の人格として描いている。傍でいいのは中井貴恵。たけしに惚れてる女性タレント役だが、リンゴの皮むきの上手い健気な好演している」などと評している。
『映画年鑑 1986年版』には「ビートたけしの人気だけをたよりにした企画。たけしの面白さはアドリブにあり、台本のある映画にすること自体に無理がある。ましてタダ同然で見られるテレビタレントにどの程度の興行価値があるのか、企画の失敗だ」などと書かれている。
『時代屋の女房2』
16,000円
たけし本人が歌う主題歌のシングル盤は1985年2月21日にビクター音楽産業(現:ビクターエンタテインメント)より発売された。後にアルバム『浅草キッド』(1986年8月15日発売)にも収録されている。
テレビでの歌唱時は前シングル『抱いた腰がチャッチャッチャッ』同様、たけし軍団をバックに歌うたけしの姿が見られた。
両曲とも作詞:大津あきら、作曲:大沢誉志幸、編曲:奥慶一。
全て日本テレビ系『金曜ロードショー』での放送。
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