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東北地方太平洋沖地震


東北地方太平洋沖地震


東北地方太平洋沖地震(とうほくちほうたいへいようおきじしん)は、2011年(平成23年)3月11日(金)14時46分に日本の三陸沖の太平洋を震源として発生した超巨大地震である。気象庁による正式名称は「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震」(英: The 2011 off the Pacific coast of Tohoku Earthquake)。

地震の規模はMw9.0(気象庁)で、日本の観測史上最大規模だった。また宮城県栗原市で最大震度7が観測された。震度7が記録されたのは、1995年(平成7年)の兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)・2004年(平成16年)の新潟県中越地震以来、観測史上3回目である。

この地震による災害を総称して「東日本大震災」と呼ばれる。本震とそれに伴う大津波、その後の余震は東北から関東にかけての東日本一帯に甚大な被害をもたらした。人的被害は災害関連死を含め死者19,765人・行方不明者2,553人(計22,318人)・負傷者6,242人となっており、日本における第二次世界大戦後最悪の自然災害といわれている。また、国際原子力事象評価尺度で最も深刻なレベル7と評価された福島第一原子力発電所事故も併せて発生した。

概要

この地震は、2011年3月11日14時46分18.1秒、牡鹿半島の東南東約130 kmの太平洋(三陸沖)の海底(北緯38度06.2分、東経142度51.6分)、深さ約24 kmを震源として発生した。太平洋プレートと北アメリカプレートの境界域(日本海溝付近)における海溝型地震で、震源域は岩手県沖から茨城県沖にかけての南北約500 km、東西約200 km、およそ10万平方キロの広範囲にわたった。地震の規模を示すマグニチュードはMw9.0 - 9.1(気象庁は9.0、アメリカ地質調査所は9.1。Mj8.4)で、大正関東地震(1923年)のMj7.9, Mw8.2を上回る日本観測史上最大であるとともに、世界でもスマトラ島沖地震(2004年)以来の規模で、1900年以降でも4番目に大きな超巨大地震であった。

地震によって大規模な津波が発生した。最大で海岸から6 km内陸まで浸水、岩手県三陸南部、宮城県、福島県浜通り北部では津波の高さが8 - 9 mに達し、明治三陸地震(1896年)の津波を上回る最大溯上高40.1 m(岩手県大船渡市)を記録するなど、震源域に近い東北地方の太平洋岸では、その急峻な地形もあいまって高い津波が甚大な被害をもたらした。津波は関東地方の太平洋岸でも被害をもたらしたほか、環太平洋地域を中心に世界の海岸に達した。また、宮城県北部で最大震度7、岩手県から千葉県にかけて震度6弱以上を観測するなど広範囲で強い揺れとなり、関東地方の埋立地で大規模な液状化現象が発生した。一方東北太平洋岸では、地盤沈下により浸水被害が長期的に続いている。余震も過去例に無いペースで発生したうえ、通常の余震域外でも地震活動が活発化している。

津波、液状化、建造物倒壊など、東北の岩手県、宮城県、福島県の3県、関東の茨城県、千葉県の2県を中心とした被害は大きく、この地震による死者・行方不明者計約1万8,500人の大半は東北の3県が占めた。また、発電施設被害による大規模停電や一連の震災により、日本全国および世界に経済的な二次被害がもたらされた。

一方、地震と津波を要因とする人災により福島第一原子力発電所事故が発生し、10万人を超える被災者が屋内退避や警戒区域外への避難を余儀なくされた。警戒区域外でも、放射性物質漏れによる汚染が起きているほか、日本の原子力発電所の再稼働問題、電力危機なども発生した。

本地震の特徴として、いくつかが挙げられる。

海溝型地震であったこと
北アメリカプレートと、その下に沈み込む太平洋プレートの境界部、日本海溝と呼ばれる海域で発生した海溝型地震であった。
連動型地震であったこと
数十年 - 百数十年間隔で発生する海溝型のM8前後の大地震ではなく、それらが複数同時に発生する連動型地震であった。日本では19世紀終盤の近代観測開始以来初めて明瞭に連動型地震と断定されるものであった(スーパーサイクル参照)。
東北太平洋沖でこのような連動型地震が発生する事態は「想定外」であったといわれている
地質調査や文献調査では、南海トラフ沿いにおいて20世紀中盤から、関東地域において20世紀終盤から広く認識されていた一方、東北太平洋沖、北海道や千島列島の太平洋沖、九州や南西諸島の太平洋沖ではそれぞれ21世紀に入ってから(特に2004年のスマトラ島沖地震以降)その可能性を示す知見が得られつつあった程度で、地震学界でも強く認識されていなかった。そのため、被害想定でもM8前後の海溝型地震までしか想定されていなかった。本地震後、新たな知見の集約や地震想定を見直す動きが活発化している(#教訓参照)。
超巨大地震であったこと
Mw9.0は「超巨大地震」に分類され、19世紀終盤からの世界観測史上数回しか発生していない未曾有の規模であり、日本国内では観測史上最大の規模であった。
広範囲で強い揺れを感じたこと
規模が大きく震源域が南北に長かったため平行する本州・東日本の広範囲で強く揺れた。また、減衰しにくい長周期地震動によって名古屋、大阪など遠方でも揺れを観測し建物が損壊した。
揺れが長時間続いたこと
本震の地震動は東日本全域で6分間以上継続し、長い揺れとして体感された。長周期地震動は10分間以上、地球を自由振動させる超長周期地震動に至っては数十時間にわたって観測された。断層が滑る過程で、強い地震波を放出する破壊が数回に分けて断続的に発生したことが原因だとする説が発表されている。
短周期の揺れが主体であったこと
地震の規模に比して長周期の揺れは小さく、短周期の揺れが主体であったため、地震による直接の家屋被害は比較的起きにくかったといえる。ただし、家屋被害は宮城県と福島県を中心に広範囲に渡って発生している。
高い津波が発生したこと
東北・関東・北海道などの太平洋岸に数m以上の巨大津波が到達、内陸の浸水が広範囲に及んだ。津波地震でみられるような海溝寄りにおけるゆっくりとした断層の滑りや、津波が高さを増すような複数回にわたる滑りが生じていたことなどが原因だとする説が発表されている。
大きな地殻変動が生じたこと
東日本全域にわたる東方向への地殻変動や東北太平洋岸の地盤沈下などが、本震により急激に発生、その後も速度を緩めながらゆっくりと進行している。
液状化現象が多発したこと
関東地方の津波の影響を受けなかった埋立地を筆頭に液状化が顕著に現れた。
前震とみられる地震があったこと
本地震発生2日前の3月9日、前震とみられるM7.3、最大震度5弱の地震が三陸沖で発生した。その地震による震度1以上の余震は、本地震発生当日の3月11日午前まで発生している。
余震や誘発地震が多発していること
その規模の大きさに比例して余震の回数・規模ともに大きく、地震学で通常「余震域」とされる地域の外で「誘発地震」が発生した。研究者・行政双方から、東日本では本地震による地殻変動の影響などで、被害をもたらすような地震の発生が促されているとの発表がなされており、警戒が強められている。

名称

地震が発生した3月11日、気象庁はこの地震の現象を「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震」と命名した。

英文による名称として

  • 公式の名称、「The 2011 off the Pacific coast of Tohoku Earthquake」 - 気象庁、平成23年(2011年)3月11日命名。
  • Tohoku Region Pacific Coast Earthquake」 - 日本政府、首相官邸。
  • Tohoku - Pacific Ocean Earthquake」 - 防衛省、外務省、国土交通省、経済産業省など。
  • The Tohoku earthquake」 - アメリカ地質調査所 (USGS)、2011年3月16日時点。
  • The Sendai (earth)quake」 - 英語圏メディア。
  • The Japan (earth)quake」 - 英語圏メディア。
  • 「The Great East Japan Earthquake」- 東日本大震災

などがある。

地震発生後、しばらくの間は各メディアや組織・団体において震災としての名称は統一されておらず、「東日本大震災」や「東北関東大震災」などの呼称が用いられていたが、日本政府は2011年4月1日の持ち回り閣議で、この地震による災害およびこれに伴う原子力発電所事故による災害を「東日本大震災」とすることを了解、発表し、それ以降は各メディアでの呼称も「東日本大震災」に収束した。なお、気象庁は、自然現象としての「地震」の名称と、それにより引き起こされた「震災」の名称との違いに注意を喚起している。

その後、略称として月日より取られた「3.11」(さんてんいちいち、もしくは、さんいちいち)という記述も、メディアではしばしば見られる。なお、「3.11」は2011年新語・流行語大賞トップテンに選出された。

本震

気象庁や防災科学技術研究所などによると、この地震の要素は以下の通り。なお、発生時刻や震源は既知の地下構造モデルによって算出された理論上の精密値であり、実際の要素と多少のずれが生じている可能性がある。

  • 発生時刻: 2011年(平成23年)3月11日 金曜日 14時46分18.12秒(日本標準時)
  • 震源: 三陸沖(牡鹿半島の東南東約130 km付近、北緯38度6分12.6秒 東経142度51分39.6秒)
  • 震源の深さ: 23.74 km
  • 地震の規模
    • モーメントマグニチュード (Mw) 9.0
    • 気象庁マグニチュード (Mj) 8.4
  • 最大震度: 震度7(宮城県栗原市築館、計測震度6.67)
  • 最大加速度 (PGA): 2,933.7ガル(宮城県栗原市築館)
  • 発震機構: 西北西-東南東方向に圧力軸を持つ逆断層型(CMT解)
  • 地震の種類: 太平洋プレートが北アメリカプレート(オホーツクプレート)の下に沈み込んでいる沈み込み帯(海溝)である日本海溝で起きたプレート境界型地震

この地震により震度5弱以上を観測した地点は以下の通り。3月30日、4月25日、6月23日に一部の震度データが修正されている。この地震では発生から約3分後(14時49分)の震度速報で震度7が発表された。速報の段階で震度7が発表されたのはこの地震が初めてである。ちなみにこの地震における計測震度6.67は観測当時、史上最大のものである。また、仙台市で震度6強を観測したが、政令指定都市で震度6弱以上の揺れを観測したのは2005年の福岡県西方沖地震以来6年ぶりである。

宮城県栗原市で最大震度7を観測し、激しい揺れは2分間続いた 。震度7を観測したのは、2004年の新潟県中越地震以来7年ぶり、観測史上3回目。仙台市内では震度6強を観測した。このほかにも宮城県、福島県、茨城県、栃木県の一部で震度6強を観測するなど、震源域が広かったことから強震が広範囲にわたった。東京都内でも震度5強や5弱の強い揺れに見舞われた。関東地方において震度6弱以上の揺れを観測したのは火山性地震を除けば関東大震災以来88年ぶりである。

また、気象庁の推計震度分布図によると、福島県いわき市で局地的に震度7相当の揺れがあったと推計されたほか、防災科学技術研究所の強震観測網によると、栃木県芳賀町にある観測点で震度7相当の揺れ(計測震度6.51)を観測していたことも分かっている。ただし、前者は震度計による観測ではない推計値であり、後日精査した震度および震源データを用いて再作成した推計震度分布では震度6強以下に更新されている。また後者も気象庁が発表する地震情報で使用する震度観測点ではない。

このほかに北海道・東海・甲信越などの一部地域で震度4、近畿でも震度3を観測した。遠く鹿児島市でも震度1を観測しており、震源から1,300 km以上離れていることから、地震波はS波だけでも5分以上かけて到達している。東京大学地震研究所の解析によると、本震の揺れは東日本全体で約6分間続いた。 日本国内で震度1以上を観測した地点がなかったのは宮崎県・沖縄県の全域と兵庫県・広島県・山口県・高知県・佐賀県・長崎県・熊本県・大分県・鹿児島県の一部地域のみ。長野市松代町の気象庁精密地震観測室(現・気象庁松代地震観測所)は、地震発生から2時間半おきに、この地震によると見られる5回の表面波を確認。地震波は時速14,000 km(大気中のマッハ11相当)で地球上を5周したと見られる。

メカニズム

規模

日本観測史上最大の規模

気象庁は当初マグニチュードを、気象庁マグニチュードで7.9と速報値を発表したが、16時00分に8.4という暫定値を発表した。その後、新たにモーメントマグニチュードで17時30分に8.8と発表し、1900年以降で最大だった1933年昭和三陸地震のMw8.4や1963年択捉島沖地震のMw8.5を上回って、日本の近代地震観測史上最大となった。さらに、3月13日には外国の安定した遠地波形データと50分間の観測データを用いて9.0と発表した。通常、日本の地震で使用されるマグニチュードは「気象庁マグニチュード (Mj)」と呼ばれるもので、発表されたM7.9、8.4は気象庁マグニチュードの値であったが、M8.8、9.0は「モーメントマグニチュード (Mw)」の値であった。M9.0は、大正関東地震(Mw 8.2,1923年)の約16倍、兵庫県南部地震(Mw 6.9,1995年)の約1450倍のエネルギーに相当する。

気象庁は、地震発生3分後にMj7.9と推定した時点ではマグニチュードの「頭打ち」が起こっているとは認識できず、従来から想定されていた宮城県沖地震が発生したものと判断した。しかし実際には地震があまりに巨大だったため、地震発生から約1時間14分後(16時)に発表された暫定値の気象庁マグニチュード8.4でも正確な規模の把握はできなかった。通常15分程度で算出できるモーメントマグニチュードも、国内の広帯域地震計がほぼ振り切れたため対応できず、国外の地震波形データを用いMw8.8と算出したのは約54分後(15時40分)と時間が掛かった(報道発表は精査後の17時30分、地震発生から約2時間44分後)。しかし、気象庁松代地震観測所では、アメリカ地質調査所 (USGS) が運営するライブ・インターネット地震サーバー (LISS:Live Internet Seismic Server) などのデータを解析し地震から約10分後にはM9を算出していたがこの計算結果は警報に使用されなかった。また、アメリカ地質調査所は当初、モーメントマグニチュードを8.8と発表、地震発生から約34分後に8.9、約6時間後に9.0と速報値、同15日に確定値を発表し、1900年以降に世界で発生した地震の中で4番目の規模と発表した。

発表値の推移
  • 3月11日
    • 14時49分 速報値 7.9、変位M
    • 16時00分 暫定値 8.4、変位M
    • 17時30分 暫定値 Mw 8.8
  • 13日12時55分 暫定値 Mw 9.0

海溝型地震・広い震源域

気象庁や東京大学地震研究所などによると、この地震は、断層面が水平に対して10度と傾きが浅く、西北西-東南東方向(ほぼ東西方向に近い)に圧縮される、低角逆断層(衝上断層)型のずれであった。水平方向の変位量が大きく、東北地方の太平洋沖地域に特徴的なタイプの海溝型地震である。断層の破壊が始まった震源地は三陸沖だが、断層破壊があった震源域は日本海溝下のプレート境界面に沿って南北に長く、最終的に、岩手県沖から茨城県沖までの南北約500 km、東西約200 km、深さ約5 km - 40 kmの範囲で、合計約10万 km2の広範囲に及ぶ。一方、スマトラ島沖地震 (2004年)では破壊域が長さ1,000 kmを越えたが、東北地方太平洋沖地震ではその半分程度の500 kmの破壊域でM9の規模であり、これは宮城県沖の震央付近での変位量が極めて大きかったことを意味している。

連動型地震

気象庁は地震発生後、この地震は単一ではなく、3つの地震が連動したもの(連動型地震)と解析した。会見で同庁地震予知情報課の課長は、「5分前後かけて連続して発生するという、複雑な起こり方をしている。極めてまれで、気象庁の観測で初めての経験」と述べた。文部科学省の地震調査委員会は13日に臨時会を開き、破壊断層は南北に400 km、東西に200 kmの広範囲で、少なくとも4つの震源領域で3つの地震が連動発生したと述べた。東京大学地震研究所は、「大きな断層破壊が、1.宮城県沖、2.宮城県のさらに沖合、3.茨城県北部沖の陸に近い部分、の順に起こった」と説明している。このうち第2の断層破壊で非常に大きな地殻変動が起きており、最大滑り量は30 m超あるいは60 mと推定されていたが、最終的にこの滑り量は平均で62 mと計算された。この最大滑り量は2004年スマトラ島沖地震など世界の他の超巨大地震よりも大きく世界最大のものである。震源域の中で強い地震波を放出した点(破壊が大きいところ、セントロイド)は大きく震源の東側付近と茨城県沖の2つに分かれており、連動型地震特有の長く複雑な破壊過程を経た。震源域が広いため広範囲で揺れを観測し、プレート境界深部が破壊したため震源域近部では強震となった。また、プレート境界浅部が2度にわたって破壊したことで2つのピークを持つ大津波を生じた。

地震波の解析により、プレート境界の海溝側の浅い部分と陸地側の深い部分で往復する形で破壊が進行したことが判明し、2011年5月20日付けのサイエンスに発表された。海溝側の浅い部分の破壊は津波地震の特徴でもあり、これにより津波が巨大化した可能性も指摘されている。

  1. 発生から3秒間は浅い(約25 km)海溝側で、3月9日に発生したM 7.3の前震よりも小さい、緩やかな初期破壊。
  2. 40秒かけて深部(約40 kmまで)に破壊が伝播し、短周期の地震波により陸上の激しい揺れをもたらす。
  3. 続いて発生60 - 75秒後にかけて浅い海溝付近でダイナミックオーバーシュート(dynamic overshoot、動的過剰滑り)により長周期の地震波と大規模な津波を発生。
  4. その後、再び深部へ破壊が伝播し、発生90秒後にかけて短周期の地震波により再度陸上の激しい揺れをもたらす。大きな破壊は100秒後までに止む。

この蓄積された歪を超える滑りであるダイナミックオーバーシュートによる強大な津波の発生メカニズムが明らかとなり、1896年の明治三陸地震津波は海溝側の浅部の滑りにより強大な津波が発生したものと理解される。

また、海底活断層や約100万年前に日本海溝から北米プレート下に沈み込んだ海山が関与している可能性も指摘されている。この地域のプレート境界は元来摩擦が少なく固着しにくいとされ、M9規模の超巨大地震が発生した原因はこれまで不明となっていたが、この海山が留め金として働いていた可能性があるという。

小山 (2013) らは、本地震が従来連動型地震の起こりにくいとされてきた比較的高角の沈み込み帯である日本海溝で発生したこと、三陸沖中部から茨城県沖の陸側の震源域の連動に加えて海溝寄りまで震源域となり2重の地震セグメント帯 (Double Segmentation) であったことなどから、Single Segmentationと推定される1707年宝永地震や1960年チリ地震などとは異なる発生過程をたどったと考えた。従来低角でチリ型の沈み込み帯に分類されていた南海トラフやチリ海溝南部は地震前には明確な地震空白域を形成しているが、本地震の発生した日本海溝では明確な空白域は見られない、あるいはDouble Segmentationと推定される本地震や1964年アラスカ地震などでは狭い範囲に超大すべり域が存在するなどの特徴が見られ、超巨大地震にも多様性があることが示された。

地震波・揺れの特徴

本地震の本震による揺れの特徴として、広範囲で強い揺れに見舞われたこと、揺れの継続時間が長かったこと、長周期地震動が広範囲で長時間発生したこと、短周期の揺れが主体で家屋被害は比較的起きにくかったことが挙げられる。

本震では、地震動の発生源である断層の破壊が複雑な過程で約150秒間も続いた。この中には、1.宮城県沖3箇所、2.宮城県のさらに沖合、3.福島県沖3箇所、4.茨城県北部沖、5.茨城県中部沖での計5回の大きな断層破壊が含まれており、各地の地震波形にそれが表れている。地震波は秒速3 - 7 kmという限りある速度で伝播するため、異なる場所で発生した地震波が時間差で到達し、破壊継続時間以上の長さで強い震動が継続した。後日の詳細な震源過程解析によれば、例えば野津厚(2012)はSPGAモデルを導入し、発震からの約150秒間を9のサブイベントに分けることで地震波形を精度良く再現できるとしている。

  • 野津の解析によるサブイベントの発震時間
  1. 14:46:43.5 S1-1 破壊開始(宮城県沖)、1978年宮城県沖地震のスーパーアスペリティの再活動
  2. 14:46:46.9 S1-2 (宮城県沖)
  3. 14:47:33.4 S1-3 (宮城県沖)
  4. 14:47:26.3 S2 (宮城県沖の海溝軸付近の浅い部分)
  5. 14:47:57.1 S3-1 (福島県沖)
  6. 14:48.04.4 S3-2 (福島県沖)
  7. 14:48:15.0 S3-3 (福島県沖)
  8. 14:48:25.8 S4 (茨城県沖)
  9. 14:48:30.9 S5 (茨城県沖)

青森県から神奈川県にかけての各地で、震度4以上の揺れの継続時間が軒並み2分(120秒)を超え、特に崩壊範囲の中間に位置する福島県いわき市で3分10秒(190秒)に達するなどした。また、地震動を感じ始めてから最大の震動を記録するまでの時間が長く、宮城県仙台市では約30秒後、茨城県日立市では約70秒経過後であった。仙台市や塩竈市でも3分程度揺れが継続し、数十秒間だった1995年兵庫県南部地震や1978年宮城県沖地震と比べて非常に長かった。

また日本全国で長周期主体の地震動を観測した。変位応答スペクトル波形では周期7秒付近に変位40 - 50 cmのピークがあり、7秒前後の固有振動周期をもつ建物の揺れが大きかったと分析されている。また高層建築物の高層階で片振幅最大30 - 60 cm程度の変位が観測された。それでも、M9という地震の規模の割には長周期の揺れは小さかった。

岩手・宮城・福島・茨城・栃木の各県で観測された本震の地震波の波形を速度応答スペクトル解析した結果によると、極短周期地震動・短周期地震動に当たる周期0.1 - 1秒の範囲で最も大きな揺れが見られる地点が多く、それより長い周期では相対的に揺れは小さかった。宮城県栗原市築館(震度7)、塩竈市、茨城県日立市では、「キラーパルス」(一般的な木造住宅への破壊力が最も生じやすい揺れの周期)に当たる周期1 - 2秒では100カイン (cm/s) であり、木造家屋の倒壊被害が目立った1995年の兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)における200 - 300カインに比べて小さく、家屋被害は起きにくい揺れだったと考えられる。震度7を観測した栗原市においても全半壊した建物は47棟で、死者は0人だった。一方で家屋被害は宮城県と福島県を中心に、茨城県にまで及んだ。震源域の中間に位置する福島県では、震源に近い浜通りだけではなく、内陸の中通り地方でも土砂の崩壊や家屋損壊が目立ち、矢吹町(震度6弱)では30%の家屋が全半壊し、郡山市(震度6弱)でも2万棟の家屋が全半壊するなど、他県の内陸市町村に比べて特に被害が集中した。

過去の地震・想定地震との比較

地震調査委員会の想定

この地震の震源となった三陸沖は、フォッサマグナより東側の日本(東北日本孤)を乗せている北アメリカプレート(オホーツクプレート)に対して、太平洋の広範囲を乗せている太平洋プレートが年間約8 cmの速さで東南東から押し寄せ、青森県から千葉県にかけての沖合にある日本海溝を境にして東北地方・関東地方の下に沈み込んでいる。太平洋プレートが沈み込んでいるこの付近には、M7を超えるような海溝型地震の震源域が多数存在しており、本地震発生前の段階で地震調査委員会ではこの地域を以下の8つの領域に区切ってその発生間隔や確率を評価していた。

このうち「宮城県沖地震」の領域は30年以内にM7.4前後の地震が99%で発生するという評価がなされていた上、平成17年の地震によってそのアスペリティの一部(3つのうち1つ)が破壊された、つまり宮城県沖地震は平成17年(2005年)に部分的に再来したと考えられ、残りの2つのアスペリティは近いうちに破壊されて地震を起こすと考えられていた。

断層の破壊が最初に始まった(震源)「三陸沖南部海溝寄り」やその海溝側にあたる「三陸沖から房総沖の海溝寄り」の中部で20 mを超える非常に大きな断層運動が発生したのをはじめ、この地震の南北500 km・東西200 kmにおよぶ震源域は、「三陸沖中部」、「宮城県沖」、「福島県沖」、「茨城県沖」の計6つの領域に及んでいた。破壊は牡鹿半島沖の震源から南北へ連鎖的に進んでいったが、北米プレートの下に沈み込んだフィリピン海プレートの北東端が地殻破壊の南下を食い止め、「房総沖」の北隣の「茨城県沖」で止まった。また、北側では1994年三陸はるか沖地震あるいは1968年十勝沖地震(「三陸沖北部」に該当する)の震源域南端付近で止まっている。このような広い震源域を持つM9の巨大地震は、従来想定されていなかった。

想定に入れられなかった過去の巨大地震

この地震の震源域は、869年(貞観11年)に宮城から福島にかけての太平洋沖で発生したM8.4(産業技術総合研究所による)の貞観地震の推定震源域と類似しており、地震発生直後よりこの再来である可能性が指摘された。貞観地震は以前より文献記録によって知られていたものの、2000年代になって津波堆積物の調査によって石巻・東松島で海岸から3 km内陸まで遡上、仙台で同2 km、名取・岩沼で同4 km、亘理・山元で同2 kmと大規模な津波を伴う巨大地震であったことが明らかになった。堆積物の広域調査から同様の巨大地震は紀元前390年頃、430年頃、貞観11年(869年)、1500年頃と過去4回発生しており、再来間隔は450 - 800年程度と推定する報告があった。また、東北学院大学の地質調査により、約2千年前の弥生時代にも津波が発生しており、本地震で発生した津波浸水域と同程度の浸水域が仙台平野では発生していた可能性があることが地震後報道された。これらのことから、東北地方太平洋沖地震発生後に海溝型地震の長期評価見直しを進めた政府の地震調査委員会は2011年11月24日、津波堆積物の調査結果を反映して、紀元前4 - 3世紀頃、4 - 5世紀頃、869年の貞観地震、15世紀頃、今回の地震、合わせて都合5回、三陸から房総にかけて約600年周期で海溝型地震が発生していると認定し、次回の地震規模はM8.3 - 9.0としている。なお、869年貞観地震は日本海溝深部、1896年明治三陸地震は日本海溝浅部の、お互い隣接する細長い震源領域の地震と考えられており、本地震は「貞観地震と明治三陸地震が同時発生した」と見る研究者もいる。

2011年4月13日、東北大学の当地震の緊急報告会で、東北アジア研究センター教授の平川新は、江戸時代に整備された宿場町が、今回の地震で津波被害を受けていないことを指摘。「慶長16年(1611年)に発生した慶長三陸地震では、当地震と同等規模の津波浸水域が発生したとされ、その経験を基に宿場・街道などが整備された」、「明治時代以降の土地利用で津波経験の記憶を喪失した」との報告を行った。また、同報告会では、貞観地震で発生した津波よりも本地震で発生した津波の方が大規模だったとの報告も行われている。

石橋克彦は「日本三代実録」の記録を基に、今回の地震が貞観地震より大規模なもので震源域が南に延びていたかもしれないと推定している。理由は、貞観地震では京都(今回震度3)や関東(今回震度4 - 5)の地震記事がないというものである。

岩手県大槌町では岩手県や大槌町の調査により、本地震による津波の浸水範囲は、明治三陸地震による津波の浸水範囲とほぼ同程度だったことが判明している。同年5月15日にこれが発表されるまで町側は津波の規模や被害を想定外としていたが、実際には本地震から過去115年前にも同規模の津波が襲来したことが明らかになり、改めて三陸沿岸一帯が「津波常襲地帯」であることが浮き彫りになった。

Collection James Bond 007

予知及び前兆現象

東北地方太平洋沖地震では地震予知は成功せず、巨大地震の発生前に起こるとされているプレスリップ(前兆すべり)も観測されなかった。地震学界で確立されていると考えられていた地震の規模、発生域と発生間隔を予測する確率論的な「長期予知」においても、この地震のように東北地方太平洋沖の広範囲が破壊してMw9.0に達するような巨大地震は予見されておらず、前項の地震調査委員会の発生評価にもなかったことから、「想定外」の事態であった。

ただ、このような地震を予見しうる手掛かりはいくつかあった。比較沈み込み学の「日本海溝は沈み込む太平洋プレートが古いため超巨大地震は発生しない」という定説に対して、古い海洋プレートが沈み込んでいる地域で起きた2004年スマトラ島沖地震によって疑問が提起されていた。また2000年代に日本の地震学界での支持が広がっていた「アスペリティモデル」に対しても矛盾が指摘されていて、地震の活動度に地域差がある東北沖では地震の少ない地域では「非地震性のすべり」がひずみを解消しているという説を見直す動きもあった。また2000年代後半以降、地質調査により仙台平野内陸などでほとんど知られていなかった巨大地震の津波の痕跡が次々と明らかになっていてこれらの知見を確率論的地震予知に反映しようとする動きが始まっていた。しかし、2011年3月11日時点では、超巨大地震発生の想定にはまだ至っていなかった(東北地方太平洋沖地震及び津波のメカニズムも参照)。

こうした経緯から、地震後は従来の説を見直す動きや様々な方法で地震予知をしようとする動きが活発化している。また、地震の発生想定の拡充を求める意見や、「確率が低いから地震は来ない」といった楽観論を生みやすい確率論的な地震予知に対する批判、反省を行う向きがあり、予知よりも減災、防災に力を入れるべきとする見解を表明する地震学者もいる。

事後の検証において、1976年から2011年までの期間に本震震源域で発生した Mw 5.0 以上の地震と潮汐力の関係を調査したところ、1976年からの約25年間は相関関係がなかった。しかし、2000年頃から次第に相関関係が現れ、本震の発生直前では明瞭な傾向が出現し、断層に掛かる力が最大になる時間帯に地震が多く発生していた。特に、前震とされる3月9日11時45分(三陸沖)M 7.3 の震源と本震の破壊開始点の間の領域付近には強い相関が現れていたが、本震以降は潮汐力との関係は見られなくなった。

静穏化

長期的な静穏化と短期的な静穏化の複数の『静穏化』現象が生じていたことが複数の研究者により報告されている。この静穏化の後、後述の前震活動が始まった。

中長期的
  • 勝俣啓(2011)は、気象庁の一元化震源カタログを用いて1965年から2010年までのM4.5以上の地震のデータを解析したところ、本震で最もすべり量の大きかった領域の深部側で約22年前の1989年頃から静穏化が起きていたとしている。
  • 松浦律子(2011)らは、1885年以来のM6以上の地震カタログを使い解析したところ、相対的静穏化が2000年頃に明瞭に出現し2008年には通常のレベルに戻っていたと報告している。

前震活動

3月9日(水曜日)11時45分(本震の約51時間前)に、本震震源の約50 km北東に当たる北緯38度19.7分、東経143度16.7分、深さ8 kmの三陸沖を震源とするMw7.3、宮城県栗原市・登米市・美里町で最大震度5弱を観測する地震が発生し、青森県から福島県にかけての太平洋沿岸に津波注意報が発表され、大船渡市で0.6 mの津波を観測した。また、翌3月10日6時23分にはその近くでM6.8・最大震度4の当時最大余震と考えられていた地震が発生するなど、3月11日の巨大地震当日にかけて震度1以上を観測する余震が発生していた。気象庁はこれが「前震だった可能性がある」としている。また、2011年2月13日から、3月9日の地震とほぼ同じ場所でM5.5を最大とするM5クラスの地震がまとまって発生していた。

これより約1カ月前の2月中旬以降、3月11日の本震の破壊開始点北側で2度の短期的スロースリップイベント(ゆっくりすべり)が発生し、3月11日の本震の破壊開始点に向かう微小地震の震源移動が続いていた。1度目は、2月中旬から2月末にかけて、2度目は3月9日のM7.3の地震の発生後で、これらのスロースリップにより、モーメントマグニチュード(Mw) 7.1に相当する地震エネルギーが解放されたと考えられる。この短期的スロースリップが、巨大地震の発生を促進した可能性が指摘されている。一方、3月11日の本震の破壊開始点西側の領域では、約10年前の2002年ころから長期的スロースリップが生じており、「この長期的スロースリップが2011年の地震の発生を早めた可能性がある」とする研究がある。

地震学において前震では、地震の規模と回数の関係式(グーテンベルグ・リヒター則)における系数b値が通常の1よりも小さな値となり、「地震の規模に比して小さな余震が少ない」ことが知られている。この3月9日の地震ではb値が約0.47と、通常の日本海溝付近における0.8に比べて顕著に小さく、前震の可能性が高い有力な根拠の一つとされているほか、日本海溝地域で1960年代から2011年までb値が減少し続けていたことが明らかとなった。

ただし、3月11日の本震と震源域が重複せず隣接していることから、前震ではなく9日の地震により11日の地震が誘発された可能性を指摘する研究者もいる。

電離層全電子数

北海道大学教授の日置幸介によるGEONET(GPSの連続観測網)の公開データを用いた調査では、地上局とGPS局を結ぶ経路がちょうど震源域上空の電離層における最大電子密度高度約300 kmと交差する局において電離層全電子数 (TEC) の変化を推定した結果、電子密度の増大が地震発生の約40分前から発生しており、これを地図面に投影すると20分前から地域の特定ができることが分かり、1994年北海道東方沖地震や2010年チリ地震でも確認されたことから「巨大地震の直前予知には有望な手法」だとしている。また、電気通信大学名誉教授の早川正士は、アメリカ・ワシントン州ジム・クリークの超長波局NLKが250キロワットで送出している24.8kHzビーコンの、東京調布での夜間継続観測において、地震発生約5日前の3月5日と3月6日電離層に振幅が小さくなる異常があったとしている。

すべり欠損

プレートの相対的平均速度から期待される相対変位量から実際の相対変位量を引いた値が、「すべり欠損」と呼ばれるが、宮城県沖ではこのすべり欠損が蓄積し続けていたと考えられる。つまり、歪みの蓄積量に対し地震による放出量が不足し、放出されない歪みが蓄積され続けていた。実際の観測データで見ると2003年と2005年に相次いで宮城県沖地震が発生したが2003年と2005年の放出量は1978年より少なく、一部の研究者は注視していた。また、海溝軸付近で約50 mの最大滑り量を観測しているが、松澤はプレート間の相対滑り込み速度は年間8 cm程度であることを考えると、約600年分のすべり欠損が一回の地震で解消されたことになるとしている。

余震・誘発地震活動

余震

余震の多発

余震活動は極めて活発で、本震から1時間足らずの間にM7以上の強い地震が立て続けに3回発生した。このうち、本震30分後の15時15分には茨城県沖を震源とするM7.6の最大余震が発生し、茨城県鉾田市当間で震度6強を観測した 。本震の直後、東北大学地震・噴火予知研究観測センターが設置していた地震計の3割が破壊されたり、通信回線が途絶したりするなどしてセンターは余震の観測データを受け取れなくなり、気象庁が発する地震情報や緊急地震速報に支障が生じる事態となった。

一連の余震は、岩手県沖から茨城県沖までの幅約200 km、長さ約500kmの範囲を震源としている。3月中にM5以上の余震は479回、震度1以上の余震は3,016回発生した。2021年3月6日までに観測されたものでは、M5以上が990回、M6以上が135回、M7以上が11回、最大震度4以上のものは429回、最大震度1以上のものは14,710回あった。M5以上の余震の回数は日本観測史上最大であった1994年北海道東方沖地震の4 - 5倍の記録的なペースで推移しており、2004年スマトラ島沖地震 (Mw9.1) や2010年チリ地震 (Mw8.8) の余震活動と比べても活発である。特に福島県浜通りから茨城県北部にかけては、4月11日の地震を最大として活発な地震活動がみられ、M3以上の地震は2012年8月までに1600回を超えた。

また発生数もさることながら、単独で被害をもたらすような大きな余震が時間を経て度々発生するのも本地震の特徴である。本震から1ヶ月近く経過した4月7日には宮城県沖を震源とするM7.2、最大震度6強の余震が発生し4人が死亡した。また、4月11日には福島県浜通りを震源とするM7.0、最大震度6弱の余震(福島県浜通り地震)が発生し4人が死亡した。本震から1年経過後も活発な余震活動が続き、2012年3月14日には千葉県東方沖を震源とするM6.1、最大震度5強の余震が発生し1人が死亡した。2012年12月7日には三陸沖を震源とするM7.3、最大震度5弱の余震が発生し最大98 cmの津波を観測し3人が死亡した。2016年11月22日には福島県沖を震源とするM7.4、最大震度5弱の余震が発生し最大1.4mの津波を観測した。2021年2月13日には福島県沖を震源とするM7.3、最大震度6強の余震が発生し1人が死亡した。このほか、2011年7月10日、2013年10月26日、2014年7月12日にもM7以上の余震が発生している。

気象庁は3月13日から4月21日にかけて、M7.0以上の地震が3日以内に発生する「余震の発生確率」を発表、当初は70%と高かったが次第に低下していった(余震の発生確率を参照のこと)。その後4月28日には、減少がみられることから発生確率の発表を行わなくなり「今後もまれに大きな余震が起こることもある」とした。一方同年4月時点で、東京大学准教授の井出哲は「M7レベルの地震は10回以上は起きる」、当時東京大学地震研究所の大木聖子は「最大余震が1年後に発生することもありうる」、との指摘をしている。また、同年11月18日に気象庁は地震予知連絡会で、同月15日から12月14日までの1か月間に本震域や周辺においては15%の確率でM7以上の余震が発生するとの分析結果を報告した。これは発生したM5以上の余震の傾向から得たもの。また余震は減少傾向にはあるものの3月11日以前の7倍の確率であり、大きな余震への警戒を要するとしている。2016年3月、政府の地震調査委員会の委員長・本蔵義守は、「(本震から5年以上経った今でも)M8を超えるような規模の余震が起きてもおかしくない。」と述べた。

余震の広域性

一連の余震は、本震の震源域に当たる岩手県沖から茨城県沖までの幅約200 km・長さ約500 kmの範囲と、そこに隣接する海溝軸の東側(アウターライズ)を震源としている。多くは本震と同種の「海溝型地震」(プレート境界地震)であるが、震源域西側の地殻の浅い所では「内陸地殻内地震」(内陸直下型地震:大陸プレート内地震)、震源域西側の地殻の深い所では「スラブ内地震」(深発地震:海洋プレート内地震の一種)、海溝軸東側では「アウターライズ地震」(海洋プレート内地震の一種)も発生している。特に日本海溝東側の海溝外縁隆起帯(アウターライズ)では本震による地殻変動の影響で、余震が発生した場合に後述のようにより規模が大きくなる可能性が高まったことも指摘されている。このほか、次節で述べるように震源域から数百kmも離れた所でM6以上の比較的大きな地震が多数発生しており、巨大地震による地殻変動の影響が考えられることもこの地震で特徴的とされる。

余震の表現を取りやめ

2021年2月16日、気象庁は今後は本地震の震源域で発生した地震を余震と表現しないことを検討していると発表した。同年4月1日、それ以降は余震と表現しないことを決定した。その理由として、本地震前の発生頻度に近づいており、余震域での地震の回数が減少していること、10年以上が経過し本震の影響により発生したかどうかの判断が難しくなったことなどを挙げている。また、余震という表現では大地震は起きないという印象を与えかねず、防災意識の低下を防止するためでもあるという。ただし、本地震の余震活動が終わっているわけではなく、震源域での1年あたりの地震活動は本地震発生前よりも多い状況が続いていることから、気象庁は引き続き注意するよう呼びかけている。

誘発地震

この地震では震源域から離れたところでも被害地震(下記に其各を詳細記載している遠隔誘発地震。1つは長野県下水内郡栄村で発生。JR飯山線の夜間ラッセルモーターカーが単線である為に行き違いで、震源地間近のJR森宮野原駅へ停車中に発生し、ラッセルモーターカーの進行方向の道床が崩落した。軌道は宙吊りとなった為に時刻がずれて、ラッセルモーターカーが通過中であれば大事故に成る処であった。2つ目として、静岡県の御殿場市付近でも発生した。)が発生している。これらも大きな視点では、一連の地震活動の中に含まれると考えられており、震源域で発生する余震と区別して「誘発地震」や「広義の余震」と呼ばれている。複数の専門家が、本地震によって東日本を中心に地殻変動や応力の変化が生じ、地震の発生が促進された地域があるとの見解を発表している。

表面波による動的誘発

神奈川県箱根町の箱根火山地下浅部では、本震の揺れが継続中であった14時49分から50分にかけてM3.8 - 4.2の地震が4回立て続けに発生し、本震の地震動と重なって局地的に最大で震度6弱の揺れを観測したことが、神奈川県温泉地学研究所が独自に設置した地震計の地震波解析で判明した。震源は駒ケ岳・大涌谷の深さ2 - 6 km地点、M4規模であったため強い揺れは0.5秒程であった。箱根の断層が本震の影響を受けやすい向きであったために、本震による長周期の地震動(表面波)に誘発されたものとみられている。この地震は箱根に本震の表面波が到達した頃から発生しており、本震の地震波に伴う地盤の動的応力変化によって発生した動的な誘発地震と考えられている。

また、京都大学防災研究所の宮沢理稔が行った、気象庁や研究機関など日本各地約1500箇所の地震計のデータから本震や余震による直接の地震波を取り除く手法による解析では、本震後約15分間に関東から伊豆諸島、四国、九州までの広い範囲で約80 - 100回以上、M5未満の誘発地震が発生していたことが判明した。以前より活動が活発な飛騨や北伊豆で顕著に増加した。さらに誘発地震は本震の震源域から南西方向に秒速3.1 - 3.3 kmで広がっており、これは表面波の伝達速度と一致する。本震のLg波 Rg波などの表面波により起励され、「火山近傍」「プレート境界付近」「近年の規模の大きな地震が発生した余震域」などの地震が起きやすい地域で誘発されたとみられていて、動的誘発作用(ダイナミックトリガリング)によるものと推察されている。動的誘発作用が広がっていく過程が確認されたのは初めてとされる。

本震後の陸側プレート内部での誘発地震

3月12日未明には長野県北部でM6.7、最大震度6強の地震が発生し、引き続いて震度6弱を観測する地震が2回発生するなど長野県北部から新潟県中越地方で活発な地震活動がみられた。さらに15日夜には静岡県東部でM6.4、最大震度6強の地震が発生した。これらの地震は内陸の活断層における地震であり、気象庁は3月12日に「太平洋沖での地震と直接関係はないが、地殻変動などにより誘発された可能性は否定できない」と述べ、今後も震度6弱の余震が連続して起こる可能性があると注意を呼びかけた。

この他には、秋田県内陸北部、福島県浜通り、茨城県南部、長野県中部、栃木県北部でも震度5強以上の地震が発生している。気象庁精密地震観測室では、6月30日に長野県中部の地震 (M5.4) が発生した震源域付近において、本地震後から震度1以上の有感地震の増加を観測しており、本地震による地殻変動が影響した可能性があるとの見解を示している。震源域の付近に位置し本震後に発生確率が上がったとされた牛伏寺断層との関連については、「震源の状況から別の断層によるものとみられる」との見解を示している。また、福島県会津地方から山形県置賜地方にかけては本震以降に群発地震が発生し、2011年5月7日のM4.6を最大として2011年12月末までに体に感じない微小地震を含め、16000回を越える地震を観測している。

本震後には東日本全体で地殻変動が観測されていることから、これらの地震は東日本内陸部の地殻に加わっていた応力が大きく変化した事が引き金になって発生したものと考えられている。このような地震は特殊な例ではなく、過去の海溝型の大地震後にも余震域周辺および震源域とは離れた場所で、数年間に渡って誘発地震が発生したケースがある。

本震後のプレート境界での誘発地震

関東地方南方沖では北アメリカプレートと太平洋プレートに加えてその下にフィリピン海プレートが沈み込んでいて、沈みこんだプレートが地下50 - 100 km程度に位置する茨城県南部は以前より地震が多発している地帯だが、本震後も誘発地震が多数発生した。3月24日 (M4.8) と4月2日 (M5.0) の地震は沈み込んだフィリピン海プレートと上盤側の北アメリカプレートとの境界付近で発生しているが、4月16日 (M5.9) と7月15日 (M5.4) の地震はフィリピン海プレートの下にさらに沈み込んでいる太平洋プレートとのプレート境界付近で発生しており、震源となるプレート境界が異なっている。いずれも震源地としては内陸部であるが、プレート境界で発生する海溝型地震に分類されている(詳細は「東北地方太平洋沖地震の前震・本震・余震の記録」を参照)。

その他の地域では本震における未破壊領域となっている、南北に長い日本海溝にある本震の震源域の南端(房総沖および千葉県東方沖)や北端(三陸沖北部、1994年の三陸はるか沖地震の震源域)での波及地震の発生が懸念されている。さらに、この他にも同海溝の北隣にある千島海溝(十勝沖及び根室半島沖)、北アメリカプレート内の他の境界部(糸魚川静岡構造線および日本海東縁変動帯)での波及地震に注意する必要があるという指摘がある。

加えて、産業技術総合研究所の石川有三招聘研究員は関東南部におけるフィリピン海プレートの境界部でも地震活動が活発化していると指摘している。南関東直下地震の確率が上昇したとの報道が2011年9月以降にされているほか、調査により関東地方地下のフィリピン海プレートの深さが従来の想定よりも浅い所にあることが判明したことを受けて2012年3月には同地震の見直した震度推定が公表されるなど、関東地方でも被害地震の発生が懸念されている。

東北太平洋沖で早ければ2011年4 - 5月中にも再びM8級の巨大地震が発生する可能性が高いと見る専門家もおり、これが4月に報道されていた。当時京都大学防災研究所准教授の遠田晋次は、M8級の誘発地震が発生した場合、仙台市に10 mの津波が襲来すると計算している。文部科学省の地震調査委員会(地震調査研究推進本部)は、「三陸沖から房総沖の海溝寄り」の領域で発生すると予測されていた津波地震の想定Mt(津波マグニチュード)を従来の8.2前後から8.6 - 9.0前後に更新し、誘発される可能性があると発表した。また、同じくM9規模の超巨大地震である2004年のスマトラ島沖地震のように、数年かけて周辺で大地震が続発する可能性があるという指摘もなされている。

スロースリップ現象の誘発

千葉県房総半島沖では、明瞭な振動を伴わないスロースリップが誘発され、従来は平均6年間隔で発生していたが前回の発生から4年目で発生した(「千葉県東方沖地震 (1987年)#千葉県東方沖のスロースリップ現象」も参照)。この活動の総放出エネルギー量は、モーメントマグニチュードMw6.5と推定されている。

地殻変動

地震活動の変化

本震のすべり量が大きい日本海溝の海溝軸付近では、プレート境界より深いところの海洋プレート内部では余震が多発しているものの、プレート境界の逆断層型の余震は少ない。原因として、本震時にすべり量が大きかった場所ではひずみが十分に開放された一方、その周囲では本震や余効変動によってひずみが蓄積しているため余震が多発しているのではないかという考えがあるほか、この地域では通常プレート間の固着が非常に強固であることから、本震後すぐに強固な固着が復活してしまった可能性が指摘されている。

また、震源域に近い海域での大規模な誘発地震の発生が注目されている。宮城県・福島県遠方沖、日本海溝東側の海溝外縁隆起帯にあたる太平洋プレート上に設置した海底地震計等により4月から2ヶ月間行われた、海洋研究開発機構 (JAMSTEC) による海洋プレート内地震の調査では、深さ約20キロの浅い領域は本震発生以前の正断層型のまま変化はないが、約40キロの深い領域では本震発生以前の逆断層型から正断層型の地震に変化していた。本震の影響によりプレート内部の応力の方向が変化している可能性などが考えられ、これまでと異なり深い部分まで応力の方向が揃ったため、プレート内部の地震がM8級の巨大地震に及ぶ可能性も指摘されている。日本海溝東側のように沈み込む手前の海洋プレート内で発生する地震はアウターライズ地震と呼ばれており、大きな津波が発生しても震源が陸地から遠いため揺れが小さくなるといった「津波地震」と類似した特徴があるため、避難行動が遅れて被害が拡大する恐れがある。本震40分後の15時25分に発生したM7.5の余震が該当し、過去には1933年昭和三陸地震もこのタイプで甚大な津波被害を出した。

地殻変動・沈降(地盤沈下)

本震および、余震を含む余効変動により、大きな地殻変動が発生した。東日本全域が東方向に10 cm以上移動するなどその範囲は広い。東北から関東、甲信越までの東北日本の地殻は普段より太平洋プレートの沈み込みによる西方向への圧縮力を受けていたが、東北地方太平洋沖地震とその後の余効変動では逆に東方向への引っ張り力を受けており、地震活動の変化が懸念されている。また陸側の太平洋プレート上の震源域付近では隆起、震源域の西側では沈降が発生したため、東北から関東にかけての太平洋岸では軒並み地盤沈下が起きて二次被害をもたらしている。震源に近いところではさらに大きな地殻変動が起きていて、研究によっては震源に近い海底で東に推定50 m以上という、世界の地震観測史上類を見ない急激な移動が生じた。

  • 国土地理院の計測による上下方向の最大移動は、宮城県石巻市鮎川浜の電子基準点付属標「牡鹿」で1.14 m沈降である。
  • 国土地理院の計測による水平方向の最大移動は、宮城県女川町江島の二等三角点「江ノ島」での東南東方向5.85 mである。また、岩手県陸前高田市で4.473 m、東京都足立区で0.41 m動いた。遠い所では新潟県村上市1.41 m、石川県輪島市0.58 m、福井県勝山市0.26 m、岐阜県飛騨市で0.33 m移動している。なお3月12日の長野県北部地震 (M6.7) は、水平移動0.92 mの場所で起こっている。
  • 国土地理院の計測によると、すべての日本の地図(経緯度)の基準となる東京都港区麻布台(狸穴)にある日本経緯度原点が、27.67 cmだけ真東へ移動した。また、国会前庭にある日本水準原点が、24 mmだけ沈下した。
  • 陸域観測技術衛星 (ALOS)「だいち」のレーダーからも、広範囲で地殻変動があったことが解析された。
  • 同上の地球観測研究センターでは被災地の地球観測衛星写真を公開している。また、GoogleはGoogle EarthおよびGoogle マップで被災前後の地球観測衛星写真を公開している。
  • 海底基準点(海底に設置された電子基準点)のデータでは、震源域のほぼ真上に位置する「宮城沖1」が東南東に約24 m移動し、約3 m隆起したものが最大であった。他の地点でも、「宮城沖2」が東南東に約15 m移動し約60 cm沈下、「福島沖」が東南東に約5 m移動するなどのデータが観測された。「宮城沖1」は本震だけで約20 m以上移動したと見られ、これらの観測結果により、震源付近の海底の移動距離は陸上の約4倍以上となることが確認された。(本震前と約3週間後の3月28日 - 29日の比較、GPS観測、海上保安庁4月6日発表)
    • 宮城県沖の太平洋プレートの移動は、地震前は年8.3 cmだったが、2012年9月以降は北西方向に年18 cmだったことが分かった。
  • 海洋研究開発機構の調査によると、震源近くから海溝付近では、南東〜東南東に約50 m、上方に約7 mから10 mの地殻変動があった。

本地震による津波が陸地をさかのぼったことに加えて、広範囲で地盤沈下が発生したことで、東北地方太平洋側の海岸が一部沈没した。津波によるものと地盤沈下によるものを合わせた浸水面積は、青森県から千葉県までで合計561 km2に達した。海岸線の一部沈没により一部自治体の面積が減少し、将来的に地図の書き換えが必要になると考えられるが、国土地理院は被災地に配慮し、地図の書き換えは当面行わないとした。自然災害による面積の変更は例が無いという。国土地理院は平成23年(2011年)4月5日から10日にかけて3県13市町28か所の水準点、三角点や電子基準点の標高を計測し、以下の通り地盤沈下の変動量を発表した。

地震後は余効変動が継続し、GEONETによる観測結果から地震時に沈降した茨城県沿岸から宮城県沿岸にかけては地震2年後の調査時点で余効変動により隆起に転じ部分的に回復したが、三陸海岸北部では依然沈降が続いていることが判明した。また、この余効変動は本震より深部のプレート境界滑りによるものと考えられるが、その回復的隆起は小さい。東北地方太平洋岸は10万年スケールの地質学的なデータでは年間約0.5ミリメートル隆起していると推定されるのに対し、100年スケールの測地学的な観測データは沈降を示しており、さらに今回の超巨大地震で大きく沈降し余効変動でも相殺できるとは考えにくく矛盾があるとされた。

地震から約4年後の2015年2月のGPSによる観測結果では、地震直後に比べて地盤がかなり隆起した。沈降分をかさ上げして復興したため、漁業者は高すぎる岸壁に困っている。

  • 38 cm : 石巻市大字寄磯浜
  • 36 cm : 女川町大字女川浜
  • 32 cm : 東松島市矢本
  • 29 cm : 南三陸町志津川
  • 21 cm : 気仙沼市笹が陣
  • 19 cm : 岩手県大船渡市赤崎町

自転への影響

NASAジェット推進研究所の地球物理学者であるリチャード・グロスによると、東北地方太平洋沖地震によって地球の形状軸が約17cm移動し、地球の自転がごくわずかに速まり、一日の長さ(LOD(Length of Day)が1.8µs(マイクロ秒)短縮された。つまり、この地震は地軸をずらすほど巨大なものであったということである。ただし、LODの変動に最も大きな影響を与えるのは潮汐であり、巨大地震の影響は潮汐の影響の1/100以下の微少なものに過ぎない。

類似の現象は他の同規模の巨大地震の際にも発生しており、2004年スマトラ島沖地震の際には形状軸が約7cmずれ、一日は6.8µs短縮した。また、2010年チリ地震では形状軸が約8cmずれ、一日は1.26µs短縮した。すなわち東北地方太平洋沖地震では、形状軸がスマトラ・チリ両地震の倍以上移動したということである。

また欧州宇宙機関(ESA)によると、地球の重力も(局地的ではあるが)変化していたという。

副振動

この地震の本震発生時から終息後数分間、副振動(セイシュ)とみられる、閉鎖性水域の水面のゆっくりとした大きな変動が観測された。日本では少なくとも2か所、西湖で1 - 2分周期・1 m程度の水位変化が観測されたほか、芦ノ湖でもゆっくりとした1 m程度の水位変化が観測された。長周期地震動と地殻変動が原因と推定されている。また、ソグネ・フィヨルドの中域に位置するノルウェーのライカンゲルでも観測されているほか、カナダのニューファンドランド島では井戸の水位変動が観測された。

火山活動

東北地方、関東地方、中部地方、伊豆諸島を中心に日本各地の火山において、地震後火山性地震の活発化が観測されたが、噴火の前兆とされるような活動は見られず次第に沈静化した。しかし、871年鳥海山噴火や1707年富士山噴火(宝永大噴火)、1991年ピナトゥボ山噴火、2006年ムラピ山噴火などの例から、噴火が誘発される可能性は否定できないとする報告がある。

液状化

この地震により、東日本の広範囲で地盤の液状化現象が観測された。東京湾岸の、東京都江東区新木場、江戸川区清新町、港区、中央区、大田区、神奈川県横浜市金沢区、川崎市、千葉県浦安市、千葉市のほか、河川周辺の造成地でも茨城県ひたちなか市、神栖市、潮来市、稲敷市、埼玉県久喜市南栗橋、宮城県大崎市などで被害が発生した。

この地震による関東地方の揺れは、加速度(揺れの大きさ)自体はそれほど大きくないものの、規模に比例する形で長周期地震動が大きく、それが長時間続いたこと、大きな余震が多発したことによって、液状化の被害が拡大したとの見方がある。

各地の総面積は少なくとも42 km2に上り、直前に起こったカンタベリー地震の34 km2を上回る最悪の被害面積となった。

津波

日本国内

津波警報

この地震で気象庁は、気象庁マグニチュード7.9という推定に基づき、まだ揺れの続いている中の14時49分、岩手県、宮城県、福島県の沿岸に津波警報(大津波)、その他の全国の太平洋沿岸などに津波警報・津波注意報を発表し、予想される津波の高さについて、宮城県で6 m、岩手県と福島県で3 mと発表した。しかし、実際の津波の高さはこれを大きく上回った。通常は地震発生15分後に算出されるモーメントマグニチュードがこの地震では算出できず、津波警報の続報に生かせなかった。3m程度ならば2階に避難で助かると考え逃げ遅れた人も多かった。また15時には岩手県沖の海底水圧計で5 mの津波が観測されていたが、津波の予測に水圧計を使うことは気象庁のマニュアルになかった。その後、水圧計よりも陸側に設置されたGPS波浪計や沿岸の検潮所などで高い津波が観測されたため、津波警報・注意報は15時14分、15時30分に更新・拡大された。岩手県釜石沖のGPS波浪計では15時12分に6.7 mを観測し、これはマニュアルによれば沿岸では10 m以上の高さになるとされる値だったが、15時14分の警報更新では10 m以上の予想は宮城県のみで、岩手県と福島県では6 mの予想だった。15時30分には岩手県から千葉県九十九里・外房までの予想高さが10 m以上になったが、すでにその時間帯には三陸沿岸に津波が襲来していた。

3月12日(土)3時20分までに太平洋沿岸の北海道から小笠原諸島、四国までと青森県日本海沿岸には津波警報(大津波)が、北海道日本海沿岸南部や東京湾内湾、伊勢湾、瀬戸内海の一部、九州、南西諸島などには津波警報が、日本海や瀬戸内海の沿岸などには津波注意報が発表され、日本の沿岸の全てで津波警報(大津波)、津波警報、津波注意報のいずれかが発表されたこととなった。仙台市宮城野区・太白区・若林区・青森県太平洋側沿岸をはじめとして全国各地に避難指示が発令された。気象庁が津波警報・注意報を全て解除したのは、丸二日以上経過した3月13日17時58分だった。なお、気象庁が津波警報(大津波)を発表したのは1年ぶり(そのうち、青森・岩手・宮城では1年ぶり、北海道では約18年ぶり)である。

津波警報 (大津波) 等が発表された地域

本震発生の翌日(3月12日(土))の未明(午前3時20分)の時点で発表されていた津波警報(大津波)・津波警報・津波注意報は次の通り。

この時点で、日本における全ての沿岸部に、津波警報(大津波)・津波警報・津波注意報のいずれかが発表されていた。

観測された津波

地震によって、観測史上最大級の非常に大規模な津波が発生し、北海道から千葉県にかけて大津波が押し寄せた。特に岩手県・宮城県・福島県の3県では、海岸沿いの集落が軒並み水没したのをはじめ、仙台平野などの平野部では海岸線から数km内陸にわたる広範囲が水没、遡上した津波により河川沿岸ではかなり内陸まで水没した。陸に押し寄せた高い津波は、各地で防潮堤や堤防を乗り越え、建築物や構造物を破壊し、それらが瓦礫となって車などと一緒にさらに内陸まで侵入した後、引き波となって瓦礫を海まで引きずり出した後、後続の波によって再び内陸へという形で繰り返し沿岸を襲い、甚大な被害を出した。また、震源から見て日本列島の裏側に当たる日本海側沿岸や瀬戸内海沿岸、東京湾内でも津波を観測している。航空写真などを基に国土地理院が分析したところによると、津波により浸水した範囲は、青森・岩手・宮城・福島・茨城・千葉の6県62市町村で561 km2に及んだ。

計器観測された津波高

津波の第一波は、震源に近い観測所では地震発生とほぼ同時刻に数十cm程度の海面変動が観測され、陸に近い分岐断層のずれによる津波が早い段階で到達した可能性も考えられていた。しかし、気象庁は後日の精査により、釜石・大船渡・石巻・相馬の4地点については、津波によるものと海震などによるものとの区別が難しいことから速報値を取り消し、「11日午後2時台」として何分かは「不明」と発表し「今後も第1波到達時刻の特定は難しい」との見解を示した。宮古港では15時1分に124 cmの引き波を観測し、第一波の到達時刻と特定された。

検潮所の測定による津波の高さは、岩手県の宮古で8.5 m(15時26分)以上、釜石で4.2 m(15時21分)以上、大船渡で8.0 m(15時18分)以上、宮城県の石巻市鮎川で8.6 m(15時26分)以上、福島県の相馬で9.3 m(15時51分)以上などだった。ただ、東北地方のこれらの検潮所は津波によって途中から観測データを送信できなくなったため、それ以降については記録が残っていない。このうち相馬の記録のみ、引き波の後の最初の押し波が全て記録されているが、気象庁はこの記録について、これ以降の津波の記録が他の検潮所と同様に計測できておらず、後続の波がこれよりも高くなった可能性を考慮して「9.3 m以上」と表現している。このほか、青森県の八戸で4.2 m(16時57分)以上(一時的に欠測の部分あり)、茨城県の大洗で4.0 m(16時52分)を記録している。福島県のいわき市小名浜では3.3 m(15時39分)だった。距離が近い東北地方だけでなく、北海道の太平洋岸で1 - 3.5 m程度、千葉〜九州の太平洋沿岸で1 - 3 m程度、日本海側でも1 m未満の津波が観測された。

沖合に設置されたGPS波浪計は、岩手県北部沖〜福島県沖において15時12分から15時19分の間に最大波を観測し、このうち最大のものは岩手県南部沖(釜石沖)の6.7 mだった(沿岸ではさらに高くなる)。岩手県南部沖では少なくとも7回の津波を観測した。

東北大学教授今村文彦はシミュレーションの結果として、津波により土砂が削り取られて流速や高さが増加したとしている。例えば気仙沼市では高さ8 mが土砂の効果で16 mになり、陸前高田市では速さが1.5倍になり、引き波の速さが2倍になった。

また、波源域から発せられた直接波だけでなく、太平洋の対岸にあたる南米で反射した長周期(30分から60分)の津波を約50時間後に津波コーダとして海底水圧計は観測していた。

気象庁による各津波予報区内で観測された津波の高さは以下の通り。

推定された津波高

日本気象協会は、岩手県宮古市から福島県相馬市までの沿岸の津波高(海上での津波の高さ)は約8 - 9 mあったと推定した。一方、陸上の比較的海岸に近い地点での浸水高は、浸水した痕跡などから、釜石で9.3 m、大船渡で11.8 m、岩手県から宮城県牡鹿半島までの三陸海岸で10 - 15 m前後、仙台湾岸の高いところで8 - 9 m前後としている。陸前高田市、南三陸町、宮古市などでは建物の4、5階まで浸水した。津波の溯上高(斜面を駆け上がった高さ)は、三陸海岸では30 m以上のところがあった。全国津波合同調査チームの調査によると、津波の遡上高は岩手県大船渡市の綾里湾において40.1 mにまで達したものが最大と見られており、この記録は明治三陸地震の最大記録38.2 m(同市綾里地区)を上回り、日本の観測史上最大の遡上高となった。また東京大学地震研究所准教授の都司嘉宣によると、宮城県女川町の笠貝島では溯上高が43 mに達していた可能性がある。他に、宮古市田老地区の小堀内漁港近くで37.9 m、岩手県野田村で37.8 m、宮城県女川町で34.7 m、大船渡市三陸町綾里で30.1 mの遡上高が確認されている。福島県の警戒区域内での津波は、東京大学大学院教授佐藤愼司(海岸工学)らと福島県の共同で2012年2月に初めて調査が行われ、最大で21.1 m(富岡町小浜)に達していたことが分かった。

津波の波形と発生メカニズム

岩手県北部沖から宮城県北部沖のGPS波浪計では、潮位は最大波の数分前に小さく上昇し、その直後に高く鋭い波形が現れた。また女川町沖の波高計は15時16分に+5.77 mだったが、15時23分には-5.05 mとなり落差約11 mの引き波となっている。釜石沖に敷設された海底ケーブル式水圧計による海面変動の記録(TM1, TM2)でも、最初に海面が徐々に2 m程度上昇したのち、約11分後にパルス的な3 m程度の急上昇が見られた。プレート境界の比較的深い部分の断層破壊によってもたらされたのが最初の長く緩やかな海面上昇で、それに続く急激な高い津波は、海溝近くでの大規模な断層破壊によるものと考えられている。

一方で、この二つの異なる波長の津波は異なる波源から生じたものとする推定があり、海底電位磁力計による観測結果から長波長の緩やかな海面上昇は宮城県沖の広範囲の断層滑りが原因であるのに対し、短波長のパルス波は震源から約100 km北東の海溝付近が波源と考えられ、この位置は明治三陸津波の波源域に近く、何らかの関連が示唆されるとしている。この、短波長の津波は震源から約150 km北東の日本海溝付近で発生した海底地滑りの可能性があり、これが津波を巨大化させた一因である可能性があるという。また、海洋研究開発機構が海溝軸まで及んだ地震断層と推定していたものは、海溝周辺の地形変形を検討した結果、地すべりの可能性があるとされる。

地滑りのメカニズム

プレート同士の摩擦で500度以上の熱が生じ、内部の水が膨張した結果、隙間を押し広げる力が働いて滑りやすくなった。

各地で被害を出した津波

宮城県女川町では、鉄筋コンクリート製のビルが基礎部分ごと地面から抜けて横倒しになった。このような例は世界的にも稀。町はビルを被害資料として保存する方針だったが、後に解体された。

東北大学の今村文彦によるとNHKが仙台市若林区で撮影した津波の映像を分析し、津波の速さは沿岸から1 km内陸の地点では秒速約6 m・時速20 km以上であったと明らかにした。名取川では津波が陸地の倍の速さで逆流し、堤防からあふれ出して流れ落ちる過程でさらに加速したことで内陸6 kmまで浸水したり、川沿いの集落も被害を受けた。

また、今村の話によれば千葉県旭市飯岡地区では「エッジ波」という現象により、17時26分に7.6 mという津波を観測したという。

仙台平野では名取川、鳴瀬川、阿武隈川、七北田川などで数km以上津波が遡上した。北上川では、津波が河口から約50 km上流の地点まで遡上したことが河川水位の記録データから判明した。十勝川においても、河口から約13 km上流の地点まで遡上した。関東地方では利根川で河口から約40 km上流まで、荒川で河口から約28 km上流まで遡上していることが確認された。

岩手県の宮古市田老地区では、チリ地震津波から集落を守ったとされる高さ10 m、総延長2433 mの防潮堤を津波が乗り越え、防潮堤は580 mにわたって粉砕された。岩手県釜石市では、ギネス世界記録に「世界最深の防波堤」と認定されている全長2 km、深さ63 mの防波堤、釜石港湾口防波堤が平成21年(2009年)に完成しており、津波によって防波堤自体は全体の7割が倒壊したものの、釜石市街地への浸水を約6分遅らせることができたとの分析結果が報告されている。これに対し同県の普代村では、高さ15.5 m、全長155 mの防潮堤、普代水門により村の海岸地域が守られ、村全体で死者0名、行方不明者1名の人的被害に留まっている。一方、釜石市唐丹町小白浜での破壊の状態から、防潮堤は向かってくる津波に対しての耐波力は有していたが、越流した引き波を想定した設計が不十分であったため防潮扉が破壊され、後続波に対しては無防備となったと考えられている。

その後の余震によっても、たびたび津波警報や津波注意報が出された。7月10日9時57分ごろに発生した三陸沖を震源とするM7.3、最大震度4の余震では、本震以降で初めて津波を観測した(岩手県の大船渡と福島県の相馬でともに10 cm)。

日本国外

太平洋津波警報センターが、アメリカ合衆国ハワイ州現地時間3月10日21時31分(地震発生から1時間45分後)に、同州に対し津波警報を発令。太平洋津波警報センターはその他、ロシアやニュージーランド、南米のチリなども含む約50の太平洋沿岸の国・地域に津波警報を発令した。

日本から太平洋を隔てて遠く離れた中南米沿岸にも津波が押し寄せる恐れがあるとして、各国は市民に注意を呼び掛けた。沿岸地域や島嶼部では、津波を警戒して避難命令が出された。

南極スルツバーガー棚氷(英: Sulzberger Ice Shelf)付近(南緯77度西経148度)の海上に長さ9.5 km幅6.5 km厚さ80 mの氷山が漂流していることが欧州宇宙機関の人工衛星Envisatによる観測で確認され、地震に伴う津波(高さ0.3 m)が繰り返し到達し、棚氷の一部を破壊し巨大な氷山を造ったとNASAが2011年8月9日明らかにした。

太平洋を往復した津波

津波は太平洋を越え、チリのタルカワノ観測所では2 mの津波を観測した (NOAA)。その津波の反射波が日本に戻ってきて47 - 48時間後に30 - 60 cmの津波が、小名浜、尾鷲、串本の各検潮所で観測されたと見られる。

緊急地震速報

本震に対し、気象庁は石巻大瓜観測点で初期微動(P波)を検知(14時46分40.2秒)した5.4秒後に緊急地震速報(予報)の第一報を発表し、8.6秒後に緊急地震速報(警報)を宮城県・岩手県の全域、福島県の浜通りと中通り、山形県の最上地方と村山地方、秋田県の内陸南部に発表した。震源が海底だったこともありほとんどの地域で主要動が到達する前に緊急地震速報が発表された。実際に震度7を観測した宮城県栗原市ではS波到達まで15秒の猶予があった。しかし、この地震発生の際に発表された緊急地震速報では、予測震度と実測震度が大きく乖離している地点があり、震度5弱以上の強い揺れを観測した青森県、関東・甲信越地方には一般向け緊急地震速報は発表されず、青森・関東・甲信越を放送エリアとする民放のテレビ・ラジオ番組、該当地域にない携帯電話のエリアメール機能などで注意喚起がされなかった。また、地震検知5.4秒後に発表された予報第1報でのマグニチュードは4.3・最大震度1程度以上と過小評価され、一般向けの警報を発表したのはM7.2と推定した地震検知8.6秒後の第4報だった。

気象庁気象研究所は原因としてそれぞれ、最大振幅から推定するマグニチュードの上限に達してしまったこと・震源域の広がりを十分に考慮できなかったこと、地震の最初の振幅が過去の経験則と比較して小さかったことを挙げている。なお速報の第14報において茨城県北部でも震度5弱以上が予想されたが警報の更新条件である60秒以内に満たなかったため発表されなかった。

また本震後に、緊急地震速報が過大に予測されたり、強い地震でも発表されないなど、適切に発表できなくなる問題が発生した。気象庁は原因として、異なる場所でほぼ同時に発生した複数の地震を1つの地震として処理してしまうため、また停電や通信回線の途絶によりデータ処理に使用できる地震計の数が減少したためとしている。この問題に対し気象庁は、ほぼ同時に起きた地震のうち緊急地震速報(警報)の発表対象としていない小規模の地震を計算の対象から外すことにより、2つの地震を誤って結び付ける頻度を減らすシステム改修を行った。

被害・影響

「東日本大震災」と命名された本地震による日本国内の被害は、地震そのものによる被害に加えて津波・火災・液状化現象・福島第一原子力発電所事故・大規模停電など多岐に渡り、1都9県が災害救助法の適用を受けた。人的被害は災害関連死を含め死者19,759人、行方不明者2,553人(計22,312人)、負傷者6,242人となっており、津波被害を受けた東北地方の太平洋沿岸を中心に関東地方や北海道でも死傷者が出る事態となった。この死者・行方不明者数は、明治以降の日本国内における地震被害としては、明治三陸地震の21,959人を上回り、関東大震災の105,385人に次ぐもので、太平洋戦争後に限っても阪神・淡路大震災の6,437人を大きく上回り、戦後最悪の自然災害となった。物的被害は、全壊122,006棟、半壊283,160棟、一部損壊749,934棟。

津波と原発事故の影響を連続して受けた福島県浜通りなどを中心に複合災害の状況を呈し、避難区域においては救助・捜索活動が中止される事態も発生した。

対応・支援と復興

津波警報の発表があった沿岸地域では、消防・消防団・警察・自主防災組織・自治体担当者などによる避難誘導が行われたが、中には津波により負傷・殉職した者もいた。発生当日より国内各地から消防の緊急消防援助隊・警察の広域緊急援助隊が派遣され、(原発避難地域も含めて)被災地の救助・捜索・警備などに当たった。最大約6,100人・総数約28,600人(のべ派遣人数は10万人)の消防隊員が派遣された。また最大約4,900人・6月末時点で4,000人以上の警察官が派遣されたほか、海上保安庁も救助・捜索・港湾復旧などを行った。また自衛隊も最大で10万7,000人、7月21日時点でも2万3,000人規模で救助・捜索・避難所支援や復興支援活動を行い、7月下旬に岩手県・宮城県、12月下旬に福島県(原発事故対応を含む)での活動を終えた。

国内の多数の企業・団体も震災後に物資提供や金銭などの支援を表明している。また通信・報道企業が災害用伝言板・安否情報提供の運用や情報インフラ支援などを行ったのをはじめ、震災の影響に応じた様々な支援やサービスを提供しているところがある。(震災に対する支援活動参照)

地震直後より、国際連合を始めとした国際機関、アメリカ合衆国やロシア連邦を始めとした世界各国が日本に対して支援の用意があると表明、様々な対応や支援を行っている。特にアメリカは、洋上基地として原子力空母ロナルド・レーガンを派遣するなどの「トモダチ作戦」を展開した。

諸外国政府による公式な対応、支援以外にも、日本国内外を問わず様々な組織・団体または有志が、この地震に対しての支援を表明・実行している。

この地震に対する救援・支援の輪が広がったことから、日本漢字能力検定協会が公募選定する2011年の『今年の漢字』には『絆』が選ばれ、その理由の筆頭に東日本大震災が挙げられた。

復興方針の骨格を決める東日本大震災復興基本法(6月20日可決、6月24日施行)、国の復興業務を一本化した復興庁(2012年2月10日設置)を軸として政府の復興事業は進められている。しかし、当初より原発事故や計画停電に関する件を中心として政府や東京電力などに対して「対応が遅い」などの批判が相次いだ。津波被災地の多くで仮設住宅の建設や基幹産業である水産業の中枢である港湾の復旧が重点的に進められているほか、国の予算配分や有志による義援金の配分に基づいて復興計画が進められている。

教訓

長期評価の見直し

この地震では、政府が東北地方沖で従来想定していたものとはかけ離れた規模の地震が発生した。そのため政府の地震調査委員会は、東海地震、東南海地震、南海地震などの海溝型地震の長期評価の見直しを行なった。2011年11月に、三陸沖から房総沖までの長期評価を見直したものを発表し、今回のような地震 (Mw8.4 - 9.0) が平均600年間隔で発生していると認定した。また、三陸沖から房総沖までの海溝寄りで、津波マグニチュード (Mt) 8.6 - 9.0(明治三陸地震並み)の津波地震が30年以内に発生する確率が約30%あるとした。

津波想定の見直し

国の中央防災会議の専門調査会は、この地震を教訓とした津波対策について検討した。そのうえで、これまでは過去の文献などから確実に地震の全体像が分かった切迫性のある地震だけを考慮して想定を行ってきたが、これからは確度の低いものでも考えうる最大のものを想定することを求めた。また、この地震による津波が防潮堤を超えて甚大な被害をもたらしたことから、津波のレベルとして、住民の避難を柱にした総合的な対策を取るべき最大規模の津波と、防潮堤などで浸水を防げる比較的頻度の高い津波の、2つを想定する必要があるとした。

津波警報の見直し

この地震では最初に発表された津波警報の予想高さが実際より低く、避難の遅れにつながった面があった。これは、地震発生直後に算出できる気象庁マグニチュードが、モーメントマグニチュード8を超える巨大地震では過小評価となってしまうからである。そのため気象庁は津波警報の改善を検討し、マグニチュード8を超える可能性がある場合には、その海域で想定される最大マグニチュードに基づいて津波警報の第一報を出す方針を決めた。津波警報の発表には、通常の場合、3分程度で算出できる気象庁マグニチュードをもとにする。しかし、強い揺れの範囲が明らかに広い場合や津波地震であると推定できる場合など、気象庁マグニチュードが過小評価である可能性がある場合には、事前に想定された最大のマグニチュードか、あるいは観測から得られる別の適正なマグニチュードを用いて第一報を発表する。このような場合には規模の推定が困難で、また最大限の危機感を伝えるため、第一報では予想高さを発表せず「巨大」などの表現とする。そして時間の経過とともに精度の高い津波警報に切り替えていく。また東北地方太平洋沖地震では第一波として「0.2 m」のような低いものが発表されて油断を招いたため、後続のさらに高い津波が来る前は「観測中」と発表する。新しい津波警報は、2013年3月7日から運用が始まった 。

情報

情報開示・広報

また、原発事故に関連する事故状況や拡散予測の開示、計画停電の発表などに関して、政府や東京電力などが公表が遅い、公表をすべきとの批判を浴びるような例が多数見られた。これに対してIncident Command Postと呼ばれる専門の情報官が指示や広報を担うアメリカのシステムを参考にし、クライシスコミュニケーション(英語)の観点から災害時の情報提供・広報活動を見直すべきとする識者もいる。

災害時のメディア

地震発生後の停電地域や津波の被災地を中心に、情報不足が発生した。従来の報道機関は特別の体制をとって震災に関する報道を行った。他方、従来見られなかったようなソーシャルメディアを介した簡易性・双方向を特徴とする情報発信・入手が広く用いられた。その一方でサイバー犯罪が行われたり、デマ情報・チェーンメールが誤った情報を流布させるといった問題も発生した。福島第一原子力発電所事故関係でも、風評被害、健康への影響や各種基準を巡る情報の錯綜、被曝に関する楽観論と危険論双方の主張の対立、日本の原子力政策を巡る議論など、様々な方面に波紋を呼んだ。

日本国外の対応

脚注

注釈

出典

関連項目

  • 地震の年表
  • 震度7
  • 東北地方太平洋沖地震に関する記事の一覧
  • 東日本大震災
  • 東北地方太平洋沖地震の前震・本震・余震の記録
  • 福島第一原子力発電所事故
  • 日本海溝
    • 三陸沖地震
    • 宮城県沖地震
    • 福島県沖地震
    • 茨城県沖地震
  • 超巨大地震
  • 連動型地震
    • 千島海溝
    • 相模トラフ巨大地震
    • 南海トラフ巨大地震
  • 群発地震
  • 誘発地震

外部リンク

  • 政府・行政サイトへのリンク
    • 内閣府 東日本大震災関連情報
    • 首相官邸 東日本大震災で被災された皆様への支援制度情報等
    • 復興庁
  • 本地震の記録・解説へのリンク
    • 気象庁
      • 平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震 ~The 2011 off the Pacific coast of Tohoku Earthquake~
      • 【気象庁技術報告】平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震調査報告 ISSN 0447-3868 平成24年12月
      • 東日本大震災 ~東北地方太平洋沖地震~ 関連ポータルサイト
      • 震度データベース検索 (地震別検索結果) - 本震の各地の震度
      • 平成23年3月 地震・火山月報(防災編)
    • “平成23年(2011年)東日本大震災に関する情報提供”. 国土地理院. 2022年5月17日閲覧。
    • 地震調査研究推進本部 平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震に関する情報
    • 防災科学技術研究所 東北地方太平洋沖地震トップページ
    • 東京大学地震研究所 2011年3月 東北地方太平洋沖地震
    • 京都大学防災研究所 平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震 災害調査活動
    • 静岡大学防災総合センター 小山真人 東日本沖で起きた巨大地震について
    • 東北大学大学院工学研究科附属災害制御研究センター 東北地方太平洋沖地震に関する情報
    • Japan Quake Map 毎日の放出エネルギー, 日本の地震地図 - カンタベリー大学(ニュージーランド) Paul Nichollsによる。
  • 津波の記録・解説へのリンク
    • 東北地方太平洋沖地震津波合同調査グループ 全国津波痕跡調査の取りまとめ結果
    • 港湾空港技術研究所 津波調査結果など

災害情報・ライフライン・伝言・復興支援・ボランティア・法律問題等へのリンクは、東日本大震災に対する支援活動の各項目を参照。


Text submitted to CC-BY-SA license. Source: 東北地方太平洋沖地震 by Wikipedia (Historical)


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