共産主義者同盟マルクス・レーニン主義派(きょうさんしゅぎしゃどうめいマルクス・レーニンしゅぎは、略称:ML派)は、共産同系の日本の新左翼党派。
共産同系(共産同または社学同)で、機関紙名または党派名より「ML派」と呼べる党派には以下があるが、当記事では1および2について記載する。
第1次共産同は、60年安保闘争敗北後、総括をめぐり四分五裂した。再建の動きはいくつかのグループによってなされたが、最初は傘下の学生組織である社学同から再建が行われた。社学同の再建もマル戦派、ML派、独立派、関西派の各グループが個別に行い、1963年9月に「マルクス・レーニン主義者同盟(共産同再建大会実行委員会)」(社学同ML派)が結成された。この社学同ML派は、「非マル戦派の共産同」の意味で「共産同ML派」と呼ばれる事もあるが、この時期の共産同でML派を正式名称にしていたのは社学同ML派だけであった。
社学同ML派の多数派は1965年-1966年の共産同再統合(第2次共産同)に加わるが、社学同ML派の少数派は第2次共産同に加わらず、1968年に「日本マルクス・レーニン主義者同盟」(ML同盟)と学生解放戦線(SFL)を結成し、武装闘争路線を堅持し、毛沢東思想を日本革命の指導理念として主張した。このML同盟(ML派)は1968年-1970年ころの大学闘争・大学紛争の時期において、全共闘を構成する党派の1つとして活動、東大闘争の東大安田講堂事件では列品館での攻防で名を挙げた。安田講堂の防衛隊長の今井澄(のち参議院議員)を輩出した。1970年末に、この党派は解散し、多くは熊本県など九州の諸県に亡命。一部はマルクス主義青年同盟(マル青同)に連なっていった。
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