株式会社荏原製作所(えばらせいさくしょ、英語: Ebara Corporation)は、東京都大田区羽田旭町に本社を置く、ポンプ・タービン等の風水力機械、浄水設備・排水処理装置等の環境装置・設備等を製造する日本の企業。
東京証券取引所プライム市場上場企業。日経平均株価の構成銘柄の一つ。カタカナで「エバラ」とも記述されるが、エバラ食品工業とは共通点が本社・工場が旧荏原区(現:品川区)にあったという部分のみであり、資本・人材を含めて関連は一切ない。ブランドステートメント(コーポレートスローガン)は「Looking ahead, going beyond expectations」「Ahead Beyond」。
1912年(大正元年)の創業以来の主力製品であるポンプを主として、送風機、タービン、冷凍機、空調システムなどの風水力を媒体とする機械製造において、世界トップクラスの高い技術力を持つ。また、風水力機械製造において培った技術を生かし、半導体や電子部品の製造に必要な真空ポンプ装置やCMP装置、メッキ装置、さらには原子炉冷却材循環ポンプなどの製造も行っている。
ポンプ製造から発展した上水道と下水道の水処理施設や、ごみ処理・廃棄物処理プラント等の環境装置・設備の設計コンサルティング、建造設置等を行う環境エンジニアリング事業も営んでいる。この他にも、燃料電池やバイオマスなど、環境負荷を低減する技術開発・事業化に注力していたが、環境エンジニアリング事業は2009年(平成21年)度に子会社と事業統合する形(水処理事業とごみ処理事業の2社に集約)で分社化し、2009年(平成21年)5月には燃料電池事業からの撤退を発表するなど、環境関連の事業の大幅な再編を行っている。
創業者である畠山一清が、創業の精神として創業当時から“熱と誠“という言葉を唱えている。
2013年(平成25年)3月期の連結売上構成は、風水力事業71.7%、エンジニアリング事業12.3%、精密電子事業15.6%である。
本社を含む羽田事業所の老朽化に伴い、本社の港区への移転が計画されていたが、2000年(平成12年)に発覚した藤沢工場のダイオキシン流出問題で計画が頓挫し、移転予定地をリクルートコスモス(現・コスモスイニシア)へ売却した。
藤沢工場(現在の藤沢事業所)は、藤沢飛行場の跡地に建設された。
2007年(平成19年)には、羽田の同社敷地内に、首都圏の拠点を集約する本社ビルを建設し、2008年(平成20年)4月より利用が開始された。なお、近年の業績不振の影響を受け、本社ビルを含めた羽田事業所の土地・建物をヤマト運輸に売却している。工場は千葉県富津市の富津工業団地に移転し、本社ビルについては賃借にて使用されている。ヤマト運輸は当地に羽田空港隣接地であることを生かした一大物流拠点「羽田クロノゲート」を設置した。しかし、旧工場の解体、引き渡し後に石綿(アスベスト)を含有するスレート片が敷地内に混入していた事が発覚し、契約の瑕疵にあたるとして追加の除去費用としてヤマト運輸により荏原製作所への損害賠償訴訟に発展し、クロノゲートの稼働開始が遅延するトラブルが発生した。 2016年4月、東京地裁はヤマト運輸の訴えを一部認容し、約85億円の請求のうち56億円余りの賠償を荏原製作所に命じた。荏原製作所は、判決を受けて、石綿を含有するスレート片は東京都心や近郊の公園など100箇所近くから発見されており、判決が確定すれば、相当数の土地の土砂を廃棄物として処理する必要が生じ、不動産実務や建設実務に及ぼす影響は多大であるとして、控訴するとコメントしている。
社名は、株式会社としての創立時の本社及び工場が、東京府荏原郡品川町(現在の品川区)に置かれていたことに由来する。
荏原製作所の社内売店で『荏原ようかん』、『荏原一口ようかん』という名前の「ようかん」を販売している。この製品は「株式会社本宮」(大田原市)が開発・製造を担当し荏原製作所にOEM供給されている(類似の著名な事例としては光学機器メーカーのニコンのニコンようかんがある)。
旧羽田工場は80年代後半の稼働停止・解体の時期、テレビドラマ・映画のアクションシーンが問題なく撮影できる都内有数のロケ地として頻繁に使用されていた。
主要代理店の一つである荏原実業と株式を持ち合うが、れっきとした別会社である。荏原製作所はかつての第一勧銀グループの一員であるが、荏原実業はどの企業グループにも属さない独立系の企業である。
また、荏原商事は資本関係はないものの荏原製作所の代理店として創業し、主力代理店の一つとして活動している。
旧社名が「株式会社荏原」であったEBACとは一切無関係で、EBACの公式サイトには「当社は(株)荏原製作所様とは別会社でございます。お電話のおかけ間違いにご注意下さい。」と注意書きがなされている。
1935年(昭和10年)2月6日、従業員300人中128人が賃上げなどの要求を求めてストライキに突入。同年3月31日には、会社側が用意した暴力団が介入して暴力沙汰も生じた。同年4月14日、満州国皇帝来訪を目前にストライキを続けることは出来ないとして、68日目にして調停が成立。ストライキに参加した従業員の大半が解雇される結果となったが、争議に参加した従業員の多くが会社側の強硬姿勢に辟易して転職を進めていたことも背景にあった。
2000年(平成12年)3月23日に、藤沢工場にある自家用廃棄物焼却炉(現在は撤去済)からダイオキシンを含むスクラバー排水が未処理のまま、引地川水系稲荷雨水幹線に排出され、引地川が汚染されていたことが神奈川県・藤沢市の調査で発覚した。原因は排水管の誤接続であった。環境基準値の8,100倍という高濃度のダイオキシンが7年5ヶ月にわたり流し続けられたことから、河川・魚・地下水や流域の市民の健康被害などが心配されていた。事件発覚直後には、引地川河口の鵠沼海岸で予定されていたサーフィン大会が中止となったり、河口付近の漁業・観光関係者に影響を及ぼすなどの被害も発生していた。5月31日には、引地川の魚類の摂取以外で健康に影響が生じるおそれはないという判断が、環境庁(現:環境省)から出された。
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