民進党の派閥(みんしんとうのはばつ)では、民主党・民進党・旧国民民主党、希望の党、旧立憲民主党・新立憲民主党、新国民民主党の派閥・議員グループについて解説する。報道では民進党(民主党)のグループと呼称されることが多い。
民主党・民進党・旧国民民主党は法的に同一の組織であり、旧立憲民主党・新立憲民主党や希望の党・新国民民主党は人的に密接に関係があるため、本記事で一括して掲載する。
民進党の前身である民主党の国会議員は、政治信条・出身政党・支持母体・中心的な政策課題などに基づいた党内集団を形成していた。報道では、自民党の派閥が各派の領袖の名を取って「○○派」と呼称されるのに倣い、民主党の派閥(グループ)も代表者や領袖の名を取って「○○グループ」と呼称された。
自民党の派閥は官僚派・党人派などの個人的経歴、起源となる政党、世襲的な沿革や人間関係、選挙区事情などによって発生・存続した党内集団で、派閥参加にあたり政治信条・政策等の考え方の相違はそれほど問題とはならない。55年体制かつ中選挙区制の時代、自民党は一党優位の与党であり、自民党総裁に就くことが内閣総理大臣に就くことを意味したうえ、同一の選挙区に自民党候補を複数擁立できたため、派閥が発達した。各派は領袖を総裁にし、構成員を政府・議院・党内の役職に就けることを目指したため、党内に対立構造を生み、大きな影響力を有した。派閥の領袖・幹部は多くの政治資金を集めて派閥の構成員に分配し、派閥の構成員は派閥の領袖・幹部らが示唆する政治行動を採ることにより、派閥は強い結束力と行動力、上意下達の統率力を持った。
これに対して民主党の派閥(グループ)は、民主党が55年体制の終焉後、かつ、小選挙区制の時代に生まれた政党であるため、自民党の派閥とは多くの点で異なっていた。民主党のグループには、出身政党・支持母体を核に発生したものもあったが、政治信条・国家観・政策課題上の関心を同じくする者が寄り集まった勉強会・研究会といった性格のものも多く、複数のグループに所属する者もいた。民主党代表をはじめとする役職の獲得を目標にしないグループもあり、結束して党の役職を求めていくといった活動をあまり行わないことも多かった。また、グループのリーダーがメンバーに政治資金を分配するといった関係も生じにくく、トップダウンでグループの意思を統一させることも難しかった。民主党代表選においても、一般世論と同様に、演説・選挙活動を通じて知らされる代表候補の政治信条・政策・個人的関係・印象などを各自が判断して投票行動を決める議員が多かった。このため、グループの実態は「どの派の考え方が時流に沿っているかによって支持を決める中間派が大多数」ともいわれ、緩やかなまとまりを持つ集団とされていた。
民主党が党勢を拡大し、所属議員数も増加するに従って、政治的・社会的にも大きな力を持つようになると、党内グループも党内外に影響力を強め、自民党の派閥に似た機能を持つものも増えた。2009年、第45回衆議院議員総選挙により民主党が政権を獲得した後は、この傾向がより強まった。特に、民主党の元代表で政権交代時の幹事長でもある小沢一郎を中心としたグループは、早くから派閥類似の機能と体制を持ち、同総選挙で誕生した大量の新人議員は、小沢チルドレンと呼ばれて多くは小沢グループに所属し、小沢の政治的影響力を高めた。
民由合併により自由党から合流した議員を中心とする小沢グループのほか、旧民主党の結成時に社民党(旧社会党)から合流した議員を中心とする横路グループ、民友連の統合による民主党の結成時に新党友愛(旧民社党)から合流した議員を中心とする川端グループ、旧民主党の結成時にさきがけなどから合流した議員を中心とする菅グループの4グループは、比較的強い結束力を持つとされていた。
近年では、細野派が、自民党の派閥と同じく他の党内グループとの掛け持ちを禁止し、政治資金パーティーで集めた政治資金をメンバーに分配するなど、自他ともに認める「派閥」として活動していたが、2017年5月の細野の会長辞任以降は勉強会に近い緩やかな政策グループとなり、政治資金パーティーの年次開催も当面休止となった。
なお、党内には特定のグループに所属していない議員も少なからず存在していた。
近年は、グループを掛け持ちする議員が減少し、派閥的様相を強めている。
2009年の政権交代時、鳩山政権発足時には、党幹事長の小沢一郎と党代表で首相の鳩山由紀夫から一字をとって「小鳩体制」と呼ばれ、党の実権を握っている小沢と協調している小沢グループ・鳩山グループ・横路グループ・川端グループ・羽田グループが「主流派」、小沢から距離を置く前原グループ・野田グループが「非主流派」、双方と微妙な距離を取る菅グループが「中間派」とみられていた。
2010年に菅政権が発足すると、党内情勢は一転して、代表選で菅を支えた菅グループ・前原グループ・野田グループが「主流三派」と呼ばれ、これと相対した小沢グループ・鳩山グループ・樽床グループが「非主流派」となり、横路グループ・川端グループ・羽田グループが「中間派」となった。また、これらの代表選を通じて、いざという時の「数」の大切さを認識した前原グループなどがさらに結束を固めるべく、自民党の派閥さながらに毎週会合を持つようになるなど「派閥化」の兆候も見られるようになった。さらに、小沢鋭仁グループ・平野グループ・原口グループ・玄葉グループなどの新興中間派が相次いで立ち上げられた。
2011年に野田政権が発足すると、主流三派に加え、玄葉グループと代表選後に発足した鹿野グループが主流派入りを果たした。さらに、中間派・非主流派からも要職に起用して、党内融和を図った。しかし、2012年夏には、野田政権が最重点政策課題とした消費増税法案をめぐって党内対立が激しくなった。結局、同法案の衆議院本会議の採決時に小沢グループのメンバーの大半は反対票を投じ、多くは民主党を離党して、国民の生活が第一を結党した(同採決時に造反しつつ党に残留した新人議員らが福田グループを立ち上げた)。また、新たに赤松グループ・細野グループなども立ち上げられ、党内グループの再編が加速した。
2012年12月の第46回衆議院議員総選挙では多くの衆議院議員が落選して民主党は下野し、野田は代表を辞任した。グループのリーダー、主要メンバーの落選により消滅に追い込まれたグループも相次ぎ、12月の代表選後に発足した海江田執行部体制では勢力図は一変した。産経新聞の調べによると、海江田執行部体制における民主党の主要グループは赤松グループ・大畠グループ(鹿野グループから改称)・細野グループ・前原グループ・菅グループ・野田グループの6グループで、その中では赤松グループ・大畠グループ・細野グループが主流派とみなされている。また毎日新聞では、旧民社党グループ(高木グループ、川端グループから改称)、旧社会党グループ(横路グループ)なども主要グループとして挙げられている。2013年7月、細野が第23回参議院議員通常選挙惨敗の責任を取って幹事長を辞任したため、細野グループ(後に細野派と改称)は非主流派に転落した。2014年9月の維新の党結成後、野党再編への姿勢が問われる中、自主再建派とされる海江田万里は同月中に行った党役員人事の刷新により中立派とされる岡田克也と枝野幸男を執行部入りさせ、結果的に野党再編派とされる細野派・前原グループを孤立させたと指摘された。
2015年1月の代表選では、細野派・長島グループ・前原グループの一部が細野を、野田グループ・玄葉グループ・前原グループの一部・旧民社党系グループの一部が岡田を、赤松グループ・大畠グループが長妻昭をそれぞれ支持し、細野対岡田の決選投票で赤松グループが岡田を、大畠グループが細野をそれぞれ支持した結果、岡田が代表に選出された。このため、岡田執行部体制における党役員人事ではリベラル系への配慮がなされた。
2016年3月に維新の党が合流して民進党が発足すると、旧維新の党グループ(江田・松野グループ)が結成され、党内最大勢力となった。9月の代表選では、野田グループ・旧民社党系グループ・赤松グループが主流派、前原グループ・細野派・長島グループが非主流派、大畠グループ・旧維新の党グループが中間派とされ、主流派に加え細野派・旧維新の党グループの一部の支持を得た蓮舫が代表に選出された。しかし、蓮舫執行部体制が発足すると、野田佳彦元首相の幹事長起用などへの反発から、代表選で蓮舫を支持した赤松グループが離反し、旧維新の党グループも主流派(江田グループ)と非主流派(松野グループ)に分裂するなどしたため、野田グループ・細野派・旧民社党系グループ・江田グループが主流派、前原グループ・大畠グループ・松野グループ・長島グループ・赤松グループが非主流派とされた。2017年4月、松野グループが正式に旗揚げしたほか、離党を表明した長島が除籍され、細野が執行部の憲法改正論議への消極姿勢を批判して代表代行を辞任(5月には細野派の会長も辞任、8月には民進党を離党し、細野派は旧細野グループと改称)するなど、非主流派を中心に動きがあった。
2017年9月の代表選では、前原グループ・大畠グループ・松野グループ・旧民社党系グループ・旧細野グループ・旧長島グループが前原を、赤松グループが枝野をそれぞれ支持し、菅グループ・野田グループ・江田グループが自主投票の方向となった結果、前原が代表に選出された。
2017年10月の第48回衆議院議員総選挙では、民進党は公認候補を擁立せず立候補予定者に希望の党へ公認申請させ、希望の党を全力支援する方針を9月28日の両院議員総会で決定した。しかし、公認漏れや不参加表明で希望の党に参加しなかった候補者が立憲民主党や無所属で立候補し、民進党出身者は3分裂して選挙戦に臨むこととなった。民進党分裂後も大半のグループは維持され、野田グループは立憲民主党・希望の党・民進党所属議員に分かれ、菅グループ・赤松グループは立憲民主党所属議員が中心のグループとなり、前原グループ・旧細野グループは希望の党所属議員によるグループとなった。
2020年9月、国民民主党が一部議員を除き、立憲民主党に合流し、新立憲民主党を結成した。結果、赤松グループ・菅グループ・野田グループ・階グループ(旧細野グループから改称)・直諫の会は立憲民主党のグループ・派閥となった。前原グループに所属していた議員も、立憲民主党所属である。一方、民社協会(小林グループ)は合流に参加しなかった議員による国民民主党のグループとなった。
2021年、旧国民民主党に所属していた議員によって、泉グループが設立された。また、社会民主党から一部議員が立憲民主党に合流したことに伴い、社民フォーラムが結成された。第49回衆議院議員総選挙後には、最大派閥・サンクチュアリが赤松から近藤グループへと代替わりを果たした。
2009年の政権交代前から、概ね出身党派や世代に基づくグループが形成された。1996年結成の旧民主党系のグループとしては、旧さきがけ右派中心の鳩山グループ、同左派中心の菅グループ、社民党(旧社会党)系中心の横路グループ、旧日本新党系の中堅・若手を中心とする前原グループ、護憲派の平岡・近藤グループ(後に近藤グループと改称)があり、政治的立場はリベラルな傾向にある。一方、旧新進党系のグループとしては、旧自由党系の小沢グループ、旧新党友愛(旧民社党)系の川端グループ(後に高木グループと改称)、旧民政党系の羽田グループ、松下政経塾出身者を中心とする野田グループがあり、政治的立場は比較的保守的な傾向にある。
2009年の政権交代後、鳩山政権下ではグループの形成の動きは特になかったが、翌2010年の菅政権成立後には、中堅・若手議員らにより多くのグループが形成されている。2010年のうちに、6月の代表選における樽床支持派を中心に樽床グループ が結成された一方、非主流派に転じた鳩山グループから小沢鋭仁グループ・平野グループ が自立し、独自の活動を開始した。2011年に入ると菅おろしが本格化し、中堅の有力議員を担ぐ形で原口グループ・玄葉グループ が結成された他、若手・新人議員らによるグループの結成も相次いだ。さらに、同年8月の代表選における鹿野支持派を中心に鹿野グループ が結成された。この内、樽床グループ・小沢鋭仁グループ・平野グループ・原口グループは、その構成から比較的小沢グループに近いとされていた。野田政権成立後、2012年に入ると消費増税法案への賛否をめぐって党内対立が激化し、7月に小沢グループの多くが民主党を離党して国民の生活が第一を結党した一方、9月の代表選における赤松支持派を中心に赤松グループが結成され、10月には細野グループが結成された。しかし、同年12月の第46回衆議院議員総選挙で民主党は惨敗して下野し、多くのグループが衰退した。
なおこの間、これらのグループの他に、個別的政策に焦点を絞った主張を掲げるグループも形成されている。2010年の菅政権下では、韓国併合に関する菅談話に批判的な保守派議員らにより、松原仁を中心とする日本国研究会が結成された。2011年の野田政権成立後には、馬淵澄夫を中心とする原子力バックエンド問題勉強会、小沢鋭仁と馬淵を中心とする円高・欧州危機等対応研究会が結成された。
2014年には、1998年の民主党発足以降に初当選した「第3世代」 を中心に動きがあり、保守系が長島グループを結成したほか、一時期は細野グループが結束を強化する形で細野派に改組された。
2016年3月に維新の党が合流して民進党が発足すると、旧維新の党グループ(江田・松野グループ)が26人(第24回参議院議員通常選挙後は23人)で結成され、党内最大勢力となったが、9月の代表選後に江田と松野が対立し、2017年4月に非主流派が松野グループとして分裂した。しかし、2017年10月の第48回衆議院議員総選挙で民進党は希望の党・立憲民主党に分裂した。
2017年の総選挙で民進党は参議院議員を残留させたまま、旧立憲民主党と希望の党に分裂した。2018年5月7日、民進党は希望の党の吸収を決定し、旧国民民主党に改称した。その際参議院民進党の左派系議員は立憲民主党に移籍し、左右分裂が固定化した。その後数回の選挙を経て、立憲民主党と国民民主党による統一会派が決定したことを受け、若手議員らを中心に直諫の会が結成された。2020年、旧民進党議員の再結集を目指し、新立憲民主党が結党した。これを受け、旧国民民主党から参加した議員を中心に新政権研究会が結成された。また、同時期に社会民主党から多くの地方議員を含む議員が立憲民主党に合流し、社民フォーラムを結成した。
以下の色分けで表記する。
参考までに、各グループ代表者の所属党派の変遷を以下に示す(下線は旧代表者)。
前述のように、民主党・民進党のグループは自民党の派閥に比べ緩やかな組織であるため、報道機関は人数に曖昧さを持たせて表現することが多い。以下では各グループの所属人数の変遷を記載する。
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