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平釜線


平釜線


平釜線(ピョンブせん)は朝鮮民主主義人民共和国平壌直轄市中区域にある平壌駅から大韓民国京畿道坡州市の都羅山駅までを結ぶ、朝鮮民主主義人民共和国鉄道省の鉄道路線である。

概要

日本統治時代には京義線として、京釜線と共に京城(現:ソウル)を起点とする朝鮮から満洲・中国方面への連絡を担う重要幹線と位置付けられていたが、南北分断と朝鮮戦争を経て軍事境界線を挟む形で路線が分断されたことに伴い、北朝鮮側の路線を平壌駅を境として北側を平義線、同国の施政下においては南限の開城駅までを平釜線(釜は釜山を指す)と改称し、現在に至っている。

一般営業が行われているのは開城駅までである。開城 - 都羅山間は2003年に韓国側の京義線との鉄道連結事業により整備(再開通)されたもので、2007年から貨物輸送等を実施していたものの、現在は運行中断状態となっている。詳細は京義線・東海線鉄道および道路の連結事業を参照。

同国の主要都市の一つである開城と平壌の間を結ぶ路線であるため、重要度は高い。但し2002年当時の時刻表によれば、平壌から直通する急行列車は存在せず、準急行と各駅停車のみが設定されていた。

現在は平壌-開城高速道路を走るバスを用いているが、以前は平釜線を外国人北朝鮮ツアーでの板門店訪問の際に使用していたこともあったという。朝鮮民主主義人民共和国の鉄道の項目も参照。2018年に北朝鮮と韓国が実施した共同調査結果では、施設の老朽化と電力不足によって速度が出せない状況にある。

路線データ

  • 路線距離:平壌-開城間187.3 km
  • 駅数:27(両端駅を含む)
  • 軌間:1,435 mm
  • 電化区間:全線(直流3000 V)
  • 複線区間:なし

沿革

  • 1906年4月3日 - 京義線(京城-新義州間)の全区間が開通する。
  • 1945年 - 日本統治時代終焉によるソ連軍占領により、平壌-沙里院間が北朝鮮の路線となる。
  • 1953年 - 朝鮮戦争休戦により軍事境界線の西側が南下したため、平壌駅-開城間が北朝鮮の路線となる。
  • 2000年
    • 6月15日 - 6.15南北共同宣言により、南北間の鉄道が接続されるきっかけが設けられる。
    • 7月31日 - 南北閣僚級会談で、平釜線と京義線の接続が合意される。
  • 2003年6月14日 - 平釜線-京義線の連結式が挙行された。イベントは韓国と北朝鮮で別々に行われた。
  • 2007年
    • 5月17日 - 京義線汶山駅-平釜線開城駅間で列車の試運転が実施される。孫河駅、板門駅が開業。
    • 12月11日 - 鳳東駅が貨物列車専用駅として再開業する。
  • 2008年11月28日 - 汶山駅-鳳東駅間の貨物列車の運行を中断。
  • 2009年8月25日 - 12月1日の措置が解除され、列車運行再開。

駅一覧

  • 括弧内は旧駅名。
  • 礪峴駅-開豊駅間で北緯38度線を跨ぐ。

廃駅

  • 1950年廃止:長湍駅(板門 - 都羅山間。廃止当時は大韓民国京畿道坡州市と朝鮮民主主義人民共和国黄海北道開城市に跨って位置していた。)

脚注

注釈

出典

参考資料

  • 国分隼人『将軍様の鉄道 北朝鮮鉄道事情』新潮社、2007年1月20日。 
Collection James Bond 007

関連項目

  • 朝鮮民主主義人民共和国の鉄道
  • 大韓民国の鉄道
  • 朝鮮総督府鉄道(鮮鉄)
  • シベリア鉄道
  • 京義線・東海線鉄道及び道路の連結事業

Text submitted to CC-BY-SA license. Source: 平釜線 by Wikipedia (Historical)


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