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北葛飾郡


北葛飾郡


北葛飾郡(きたかつしかぐん)は、埼玉県の郡。

人口70,592人、面積46.23km²、人口密度1,527人/km²。(2024年4月1日、推計人口)

以下の2町を含む。

  • 杉戸町(すぎとまち)
  • 松伏町(まつぶしまち)

郡名はそれまでの武蔵国葛飾郡を埼玉県に属する地域と東京府に属する地域に分けた際、北にあたる埼玉県側を北葛飾郡、南にあたる東京府側を南葛飾郡としたことによる。

郡域

発足時の郡域は、現在の行政区画では概ね以下の区域に相当する。

  • 久喜市(八甫、西大輪、東大輪以北。旧桜田村と旧栗橋町に相当)
  • 幸手市(大字槇野地、花島、中島、細野、西関宿を除く)
  • 春日部市(古隅田川以東)
  • 越谷市(元荒川以東)
  • 吉川市(全域)
  • 三郷市(全域)
  • 杉戸町(大字目沼、木津内、宮前、鷲巣、木野川、椿、深輪、屏風を除く)
  • 松伏町(中川以西の全域)

中葛飾郡統合後の郡域は、上記2町以外では、現在の行政区画では概ね以下の区域に相当する。

  • 久喜市(八甫、西大輪、東大輪以北。旧桜田村と旧栗橋町に相当)
  • 幸手市(全域)
  • 春日部市(古隅田川以東。旧庄和町は全域)
  • 吉川市(全域)
  • 三郷市(全域)

以下の地域は隣接する郡から当郡に編入されている。

  • 南埼玉郡 → 北葛飾郡 : 久喜市鷲宮、上内、葛梅、中妻、久本寺および鷲宮一 - 六丁目、鷲宮中央一・二丁目、葛梅一 - 三丁目、栄一丁目
    • 昭和の大合併で旧桜田村と合併する前の初代鷲宮町の区域に相当する。
  • 千葉県東葛飾郡 → 北葛飾郡 : 幸手市西関宿

これらを全て含めると概ね埼玉県内の大落古利根川と江戸川に挟まれた区域になる。

歴史

古代の下総国葛飾郡中・北部が中世に入って下河邊庄となり、さらに江戸期の利根川東遷事業によって利根川の西岸となったため武蔵国へ編入(武蔵国葛飾郡)された地域にあたる。

郡発足以前の沿革

  • 「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での、後の当郡域の支配は以下の通り。●は村内に寺社領が存在。幕府領は小笠原甫三郎支配所、佐々井半十郎支配所が管轄。下記のほか大塚村(旗本領)が存在。記載はないが村数には数える。(1宿165村)
  • 慶応4年
    • 7月10日(1868年8月27日) - 旧幕府代官の桑山効が武蔵知県事に就任し、佐々井支配所管轄の幕府領を引き継ぐ。
    • 8月8日(1868年8月27日) - 熊本藩士の佐々布直武(尚之丞)が下総知県事に就任し、小笠原支配所管轄の幕府領を引き継ぐ。
  • 明治元年
    • 12月18日(1869年1月30日) - 下総知県事が佐々布直武から水筑竜に交代する。
    • 12月23日(1869年2月4日) - 武蔵知県事が桑山効から河瀬秀治に交代する。
  • 明治2年1月13日(1869年2月23日) - 下総知県事・水筑竜、武蔵知県事・河瀬秀治の管轄区域にそれぞれ葛飾県小菅県を設置する。この頃に一橋徳川家領が葛飾県の管轄となる。
  • 明治4年
    • 7月14日(1871年8月29日) - 廃藩置県により、藩領が岩槻県となる。
    • 11月14日(1871年12月25日) - 第1次府県統合により、武蔵国葛飾郡のうち大場川および小合溜井以北の区域が埼玉県の管轄となる。
  • 1873年(明治6年) - 中野村が保村中野分へ改称する。
  • 1874年(明治7年) - 大寿院新田が清地村に編入する。(1宿164村)
  • 1877年(明治10年) - 安戸村・上戸村・大島新田が合併して戸島村となる。(1宿162村)

郡発足後の沿革

  • 1879年(明治12年)
    • 3月17日 - 郡区町村編制法が埼玉県で施行され、武蔵国葛飾郡のうち埼玉県に属する区域を北葛飾郡として発足する。郡役所が杉戸宿に設置され、中葛飾郡とともに管轄する。
    • それにともない、2か所ずつ存在した蓮沼村、広島村がそれぞれ南広島村(現吉川市)、北広島村(現久喜市)、南蓮沼村(現三郷市)、北蓮沼村(現杉戸町)へ改称し、新井村は北新井村へ改称する。
  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、以下の町村が発足する。八輪野崎村は同年桜田村へ改称する。(3町21村)
  • 1896年(明治29年)
    • 4月1日 - 北葛飾郡・中葛飾郡の区域をもって、改めて北葛飾郡が発足する。中葛飾郡7村(豊岡村桜井村宝珠花村富多村南桜井村川辺村金杉村)が本郡の所属となる。(3町28村)
    • 8月1日 - 郡制を施行。
  • 1915年(大正4年)11月1日 - 吉川村が町制施行して吉川町となる。(4町27村)
  • 1917年(大正6年) - 桜井村の一部(大字細野)が吉田村に編入する。
  • 1923年(大正12年)4月1日 - 郡会が廃止され、郡役所は存続する。
  • 1926年(大正15年)7月1日 - 郡役所が廃止され、以降は地域区分名称となる。
  • 1943年(昭和18年)7月1日 - 戸ケ崎村・八木郷村が合併して東和村が発足する。(4町26村)
  • 1944年(昭和19年)4月1日 - 栗橋町・豊田村・静村が合併し、改めて栗橋町が発足する。(4町24村)
  • 1949年(昭和24年)10月1日 - 栗橋町から豊田村静村が分立する。(4町26村)
  • 1954年(昭和29年)
    • 7月1日(4町21村)
      • 幸松村・豊野村が南埼玉郡春日部町・豊春村・武里村と合併して春日部市が発足し、郡より離脱する。
      • 宝珠花村・富多村・南桜井村・川辺村が合併して庄和村が発足する。
    • 11月3日 - 幸手町・行幸村・上高野村・権現堂川村・吉田村が合併し、改めて幸手町が発足する。(4町17村)
  • 1955年(昭和30年)
    • 1月1日(5町16村)
      • 桜田村の一部(大字八甫、西大輪、東大輪、外野、上川崎)が南埼玉郡鷲宮町(わしのみやまち)と合併して北葛飾郡鷲宮町(わしみやまち)が発足する。
      • 桜田村の残部(大字中川崎、下川崎)が幸手町に編入する。
    • 2月11日 - 杉戸町・田宮村・堤郷村・高野村が合併し、改めて杉戸町が発足する。(5町13村)
    • 3月1日 - 吉川町・旭村・三輪野江村が合併し、改めて吉川町が発足する。(5町11村)
    • 4月1日(5町9村)
      • 桜井村および豊岡村の一部(大字目沼、木津内、宮前、鷲巣、木野川)が合併して泉村が発足する。
      • 八代村および豊岡村の残部(大字槇野地、花島、中島)が幸手町に編入する。
    • 4月20日 - 松伏領村・金杉村が合併し、改めて松伏領村が発足する。(5町8村)
  • 1956年(昭和31年)
    • 4月15日 - 松伏領村が松伏村へ改称する。(5町8村)
    • 9月30日 - 彦成村・早稲田村・東和村が合併して三郷村が発足する。(5町6村)
  • 1957年(昭和32年)
    • 4月1日 - 栗橋町・豊田村・静村が合併し、改めて栗橋町が発足する。(5町4村)
    • 7月17日 - 泉村が杉戸町に編入する。(5町3村)
  • 1964年(昭和39年)
    • 4月1日 - 庄和村が町制施行して庄和町となる。(6町2村)
    • 10月1日 - 三郷村が町制施行して三郷町となる。(7町1村)
  • 1969年(昭和44年)4月1日 - 松伏村が町制施行して松伏町となる。(8町)
  • 1972年(昭和47年)5月3日 - 三郷町が市制施行して三郷市となり、郡より離脱する。(7町)
  • 1986年(昭和61年)10月1日 - 幸手町が市制施行して幸手市となり、郡より離脱する。(6町)
  • 1996年(平成8年)4月1日 - 吉川町が市制施行して吉川市となり、郡より離脱する。(5町)
  • 2005年(平成17年)10月1日 - 庄和町が春日部市と合併し、改めて春日部市が発足して郡より離脱する。(4町)
  • 2010年(平成22年)3月23日 - 栗橋町・鷲宮町が久喜市・南埼玉郡菖蒲町と合併し、改めて久喜市が発足して郡より離脱する。(2町)

変遷表

行政

北葛飾・中葛飾郡長
北葛飾郡長

脚注

参考文献

  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 11 埼玉県、角川書店、1980年7月1日。ISBN 4040011104。 
  • 旧高旧領取調帳データベース
  • 北葛飾郡制誌
  • 南埼玉郡制誌
  • 埼玉県市町村合併史 上巻・下巻

関連項目

  • 葛飾郡
  • 東葛飾郡
  • 西葛飾郡
  • 南葛飾郡
  • 中葛飾郡

Text submitted to CC-BY-SA license. Source: 北葛飾郡 by Wikipedia (Historical)