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河北郡


河北郡


河北郡(かほくぐん)は、石川県(加賀国)の郡。ここでは前身にあたる加賀郡(かがぐん)についても記述する。

人口62,790人、面積130.92km²、人口密度480人/km²。(2024年5月1日、推計人口)

以下の2町を含む。

  • 津幡町(つばたまち)
  • 内灘町(うちなだまち)

郡域

1878年(明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、下記の区域にあたる。

  • かほく市の大部分(箕打・元女・黒川・瀬戸町・八野・野寺・夏栗・二ツ屋・中沼と学園台の一部を除く)
  • 金沢市の一部(金沢区に属した区域を除く、概ね浅野川以北)
  • 内灘町
  • 津幡町の大部分(牛首・瓜生・上河合・下河合・上大田を除く)

歴史

古代から近世まで

当初は加賀郡(かがぐん)を称した。史書において「加賀郡」の名称が確認できるのは、731年(天平3年)の「天平二年越前国正税帳」が最古である。律令制により郡制が行われる以前では、「国造本紀」に「加我国造(かがのくにのみやつこ)」が越前国に属したとの記述があり、また平城京跡からは「越前国香々郡」と記された木簡も発見されている。「かが」の名称は柳田國男が「地名の研究」で芝原という地形からきているとしているが、異論もある。

823年(弘仁14年)3月1日、江沼郡と共に分国され加賀国となった。当時は手取川以北かつ大海川以南の地域であったが、同年6月4日に、加賀郡の浅野川以南を石川郡として分置した。室町時代頃から河北郡の名前が使われはじめた。

1671年(寛文11年)5月4日、河北郡は加賀郡と改称されたが、1700年(元禄13年)8月21日、河北郡に戻された。

近代以降の沿革

  • 明治初年時点で、全域が加賀藩領であった。「旧高旧領取調帳データベース」に記載されている明治初年時点での村は以下の通り。《 》は同データベースでは左記の村に含まれていると見られる。下記のほか金沢城下の一部が本郡に所属。(266村)
  • 明治2年6月17日(1869年7月25日) - 版籍奉還により加賀藩(通称)の正式名称が金沢藩となる。
  • 明治4年7月14日(1871年8月29日) - 廃藩置県により金沢県の管轄となる。
  • 明治5年2月2日(1872年3月10日) - 金沢県が改称して石川県となる。
  • 明治5年(1872年) - 鉢伏新村・笠島新村が合併して七窪村となる。(265村)
  • 明治初年から10年代にかけて、下記の同名村の改称が行われる。
    • 2ヶ所ずつ存在した北村、中村、荒屋村が、それぞれ浜北村(現・かほく市)、山北村(現・津幡町)、上中村(現・金沢市)、下中村(現・津幡町)、東荒屋村(現・津幡町)、西荒屋村(現・内灘町)に改称。
    • 森村(現・津幡町)が山森村に、中山村(現・津幡町)が戸室中山村にそれぞれ改称。
  • 明治11年(1878年)12月17日 - 郡区町村編制法の石川県での施行により、行政区画としての河北郡が発足。郡役所を南森下村に設置。金沢城下各町は金沢区となり、郡より離脱。

町村制以降の沿革

  • 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制の施行により、以下の町村が発足。特記以外は現・金沢市。郡役所の所在地が森本村となる。(1町33村)
  • 明治24年(1891年)7月1日 - 郡制を施行。郡役所が津幡町に移転。
  • 明治40年(1907年)8月10日 - 下記の町村の統合が行われる。いずれも新設合併。(1町17村)
    • 高松村 ← 金津谷村、高松村
    • 川北村 ← 川筋村、河崎村、木越村
    • 花園村 ← 田近村、崎田村、花園村
    • 倶利伽羅村 ← 萩坂村、倶利伽羅村
    • 笠谷村 ← 笠井村、笠野村
    • 浅川村 ← 金浦村、湯ノ谷村、医王山村
    • 英田村 ← 東英村、種谷村
    • 宇ノ気村 ← 西英村、金津村
    • 三谷村 ← 直江谷村、小原谷村、薬師谷村
    • 小坂村 ← 小金村、坂井村、中口村、金川村
  • 大正11年(1922年)8月1日 - 高松村が町制施行して高松町となる。(2町16村)
  • 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
  • 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
  • 昭和10年(1935年)時点での当郡の面積は332.51平方km、人口は66,683人(男31,917人・女34,766人)。
  • 昭和11年(1936年)4月1日 - 小坂村が金沢市に編入。(2町15村)
  • 昭和15年(1940年)2月11日 - 七塚村が町制施行して七塚町となる。(3町14村)
  • 昭和23年(1948年)2月11日 - 宇ノ気村が町制施行して宇ノ気町となる。(4町13村)
  • 昭和24年(1949年)6月1日 - 川北村が金沢市に編入。(4町12村)
  • 昭和25年(1950年)4月1日 - 高松町の一部(横山・谷・笠島・上田名・余地)が分立して金津村が発足。(4町13村)
  • 昭和26年(1951年)4月1日 - 英田村の一部(大熊)が笠谷村に編入。
  • 昭和29年(1954年)
    • 3月31日 - 津幡町・中条村・笠谷村・井上村・英田村が合併し、改めて津幡町が発足。(4町9村)
    • 5月16日 - 津幡町が羽咋郡河合谷村を編入。
    • 6月1日 - 大場村・八田村・花園村・三谷村・森本村が合併して森本町が発足。(5町4村)
    • 7月15日 - 高松町が羽咋郡南大海村と合併し、改めて高松町が発足。
  • 昭和32年(1957年)
    • 2月1日 - 倶利伽羅村が津幡町に編入。(5町3村)
    • 4月5日 - 浅川村が金沢市に編入。(5町2村)
  • 昭和35年(1960年)4月1日 - 金津村が宇ノ気町に編入。(5町1村)
  • 昭和37年(1962年)
    • 1月1日 - 内灘村が町制施行して内灘町となる。(6町)
    • 6月1日 - 森本町が金沢市に編入。(5町)
  • 平成16年(2004年)3月1日 - 高松町・七塚町・宇ノ気町が合併してかほく市が発足し、郡より離脱。(2町)

変遷表

行政

脚注

注釈

出典

参考文献

  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 17 石川県、角川書店、1981年7月1日。ISBN 4040011708。 
  • 旧高旧領取調帳データベース
  • 石川県『石川県史 第四編』石川県、1931年。 
Collection James Bond 007

Text submitted to CC-BY-SA license. Source: 河北郡 by Wikipedia (Historical)



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