㛹子内親王(べんしないしんのう、乾元元年(1302年) - 貞治元年/正平17年5月20日(1362年6月12日))は、鎌倉時代末期・南北朝時代の皇族・女院。後二条天皇の第一皇女。母は平棟俊の娘(勾当内侍)。女院号は壽成門院/寿成門院(じゅせいもんいん/じゅじょうもんいん)。法号は清浄円。
母は後二条天皇の後宮に出仕中に天皇の寵愛を受けて皇女(㛹子内親王)を産む。7歳の時に父天皇が没する。叔父の後醍醐天皇在位の元応2年(1320年)、父の13回忌に先立つ8月22日に内親王宣下を受け、翌日には准三宮・女院号宣下を受けて、壽成門院(寿成門院)と称する。ところが、2日後の8月25日に行われた13回忌の追善法要の際に願主であった彼女が突如、出家をしてしまったと伝えられている。その後の経歴は不詳であるが、61歳で病没。風雅和歌集に2首、新千載和歌集に1首、新拾遺和歌集に2首、和歌が採録されている。
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