草津駅(くさつえき)は、滋賀県草津市渋川一丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅である。当駅から山陽本線(JR神戸線)の西明石駅(兵庫県明石市)までの約120 kmが複々線区間となっている。
東海道本線と草津線の2路線が乗り入れ、東海道本線を所属線とする。東海道本線は「琵琶湖線」の路線愛称設定区間に含まれている。草津線は当駅を終着駅とし、一部の列車は東海道本線の京都方面との直通がある。駅番号は東海道本線(琵琶湖線)にのみJR-A24が付与されている。
関西鉄道は草津駅から草津市山田町の山田港まで鉄道を延伸する計画を持った。山田港以降は大津まで湖上輸送を行い、その先の京都へは琵琶湖疎水を用いて官設鉄道より安い運賃でアクセスすることを目論んだ。路線は初めは天井川である草津川をくぐる計画であったが、工事費がかさむのを避けるため西方に向かって草津川の河床が低くなった位置に鉄橋を架ける路線が構想された。それでも既に敷設された官設鉄道をまたぐ部分で巨額の資金を要した。資金不足に加え、関西鉄道が京都 - 名古屋間ではなく大阪 - 名古屋間での輸送を主軸に考えるようになったことから山田に延伸する計画は立ち消えた。
非電化時代は駅本屋に面した単式ホームが草津線用の1番のりばと下り本線の2番のりば、ホームのない中線を挟み、上り本線である3番のりばと同副本線の4番のりばの島式ホームという構造であった。
電化工事にあたって、草津駅に電力工事区が設置された。1965年(昭和30年)11月、琵琶湖側に延長260 mのプラットホームが1本新設された。構内の線路は4本だったのが6本に増え、東海道本線は島式ホーム2面4線で下り線には貨物待避線を持ち、草津線は単式ホーム1面1線であった。草津線のホームには貨物ホームや貨物仕分線なども設置されていた。構内にある草津川トンネルは当時供用していたトンネルの琵琶湖側18 mの位置に上下線用のトンネルを新設した。この時、架線を張るために大径のトンネルを建設することから草津川の河床は70 cm上げられ、水害対策として川幅も20 mから30 mに拡幅されている。この工事に先立つ1952年(昭和27年)には草津川を平地化する案も出たが、費用面で滋賀県と国鉄の調整がつかずトンネル化に落ち着いた経緯がある。
電化は1956年(昭和31年)11月19日に完成し、東海道本線の列車の本数は増加したが、当時非電化だった草津線との直通列車がなくなったことで草津駅で全て乗り換えなければならなくなり、草津線ユーザーからは直通列車を復活するよう要望が出されることとなった。
1967年(昭和42年)4月12日に橋上駅に改築された。
1970年(昭和45年)3月9日に輸送需要の増大が予想され当駅 - 京都駅間が複々線化。これに伴いホームが増設された。また、折り返し施設や貨物待避線の新設が行われた。さらに同年11月に草津線の線路を変更し東海道本線からの直通草津線上り列車は東海道本線を立体交差で越える構造になった。駅の配線切替は12か月にわたって計52回行われ、1969年(昭和44年)5月31日から翌日に行われた作業は翌日まで16時間かけて行われたもので作業員1350人、運行に影響が及んだ列車400本を超えた。
草津線の旧線路敷は道路に転用されている。草津線(旧線)分岐点横には草津線用蒸気機関車の転車台・給炭所・給水塔の設備もあった。現在それらの跡地は保守車両基地とマンションになっている。かつては貨物業務の扱いと草津線直通列車の機関車の交換作業と操車場機能があった。上下線の外側には側線が残っているが、現在は使用されていない。
草津線を開業した関西鉄道が駅南側に検修庫などを持っていた。使用廃止後も跡地が平成になるまで残っていたが、現在は近鉄百貨店草津店とマンション(近鉄不動産物件)になっている。
日中時間帯は1時間に7本(新快速が3本(うち1本は当駅発着)、普通(大阪方面行きは高槻駅から快速)が4本)が停車する。朝夕のラッシュ時は本数が多くなる。
当駅には下記の特急列車が停車する。
日中時間帯は1時間に2本が発着するが、平日は1時間に1本となる時間帯もある。なお、朝夕のラッシュ時は京都駅方面へ直通する列車(京都行きは朝と夕方以降(※平日朝は1本のみ網干駅へ直通)、京都駅始発は夕方以降)も運行されるため、本数が少し増える。なお、京都駅始発の草津線直通列車は当駅で東海道本線(琵琶湖線)の列車との接続を行う。
2009年までは日本貨物鉄道(JR貨物)の貨物駅でもあったが、臨時車扱貨物のみの取り扱いであり、最後まで貨物列車の発着はなかった。これは一旦廃止された貨物取扱を、国鉄分割民営化直前に将来の貨物取扱再開に備え「開閉期間・取扱範囲は別に定める」として再開させたものであった。
民営化前の1986年まで旅客駅西口の北側に有蓋車用の貨物ホームが存在した。
南洋軒が販売する主な駅弁は下記の通り。
駅弁類は1889年7月1日の鉄道開業後、同年7月6日に草津村大路の南新助により構内営業出願、同月18日許可、8月1日販売開始である。
かつては駅構内のホーム(1番のりば・2番のりば)上に売店を設けていたが、後に閉店し、現在は駅コンコース(改札外)で販売を行っている。
2020年度の1日平均乗車人員は23,947人で、JR西日本の駅では第25位である。長らく滋賀県内の駅では当駅が最も乗車人員が多かったが、2014年度に南草津駅を下回って第2位となった。しかし、2020年度は新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の流行による影響で南草津駅の乗車人員が大きく減少し、当駅を上回る減少率を記録したため6年ぶりに再び県内第1位へ戻った。
滋賀県の県庁所在地の駅である大津駅より多く、草津線との接続駅でもある。また、さらには関空特急はるか、特急びわこエクスプレスの他、大津駅には停まらない特急ひだの停車駅(滋賀県内で停車するのは当駅と米原駅のみ)である。
草津駅の利用者が駅へのアクセス手段は徒歩が大半を占め、バスや自動車によるアクセスは割合が低い。
滋賀県統計書によると、近年の1日平均乗車人員推移は下表のとおりである。
実質的表玄関は旧市街地である草津宿、百貨店など大型商業施設や市役所が存在する東口である。
西口にも大型ホテルや小規模商業施設など市街地が形成されており、人の往来は多い。駅のコンコースが、駅東西の市街地を結ぶ自由通路としての役割を持つ。2013年(平成25年)から、草津市では、草津駅を中心に歩いて暮らせる「草津市中心市街活性化基本計画」が進められており、実際に駅前ショップやカフェの充実、草津川跡地整備工事などによって歩行者の数が増加した。
草津駅南側には2007年まで下笠道踏切という踏切が存在していた。下笠道踏切は、草津駅に西口がなかった頃から、草津市西部への連絡路として交通量が多く、開かずの踏切として知られていた。そのため自動化が遅れたが、草津駅のホーム下を抜ける自動車専用の地下道ができ、下笠道踏切は歩行者専用になって自動化された。その後歩行者専用の地下道が建設され、2007年4月6日の開通をもって、下笠道踏切は閉鎖された。
1954年(昭和29年)の草津市の市制への移行による行財政制度の整備に伴う都市化、1956年(昭和31年)の東海道本線の電化に伴う鉄道駅中心とする都市構造の変化の影響により草津の商店街の中心が草津川南側の本町地区から草津駅北側の大路井地区へ移り変わった。
1966年(昭和41年)7月に国道1号と駅前広場を結ぶ都市計画道路が開通する。1967年(昭和42年)3月に駅前広場は約3倍の4200平方メートルに拡張され、路線バスやタクシーの乗り場が新たに整備された。駅前にあった国鉄官舎などの建築物は移転して駅前広場周辺に再立地した。その翌年の1968年(昭和43年)には大型店のヒカリ屋と平和堂が草津駅前に進出・出店した。この影響で、草津川南側の商店街の衰退化が著しくなった。
1970年(昭和45年)に草津市は専門家に草津市駅前再開発計画の立案を依頼し、1971年(昭和46年)6月に公表して駅前地区を5ブロックに分けて再開発する計画を立てたが、踏切の立体交差化に対する反対や国鉄用地の買収の停滞によりこの計画は一度頓挫した。次いで1974年(昭和49年)に草津市は再び再開発計画を立案し、総面積4万8千平方メートルの駅前地区を5ブロック(A-F地区)に分けた案を立てた。このうち、駅東口広場の南側にある「A地区」では権利者たちが「クリーン街づくり研究会」を結成し、1981年(昭和56年)11月に草津駅前A地区市街地再開発準備組合を発足させた。1982年(昭和57年)4月に設計業者に依頼してモデルプランを公表し、「スーパーでは得られないシティ間隔にあふれたナウイ施設」をスローガンとした商業施設を建設し、立体駐車場や駅との連絡通路を設ける予定となった。その後、1985年(昭和60年)12月1日に草津駅前A地区再開発組合を設立し、1986年(昭和61年)12月1日に建築物の工事に着工された。1989年(平成元年)4月1日に「エルティ932」として開業した。エルティ932が開業する前年の1988年(昭和63年)12月10日に草津駅東口から国道1号へ通じる都市計画道路(通称名:サンサン通り)が開通した。
1968年(昭和43年)3月に西口が完成。当時草津駅の乗降客は4万人だったが、そのうちの1.6万人は駅西側に居住していた。完成までは駅を利用するには1日200回・13時間も遮断する下笠か渋川の踏切を渡らなければならず、駅西口への要望が強かった。駅西口の完成時までに3400平方メートルの駅前広場と幅員22メートル、延長65メートルの取り付け道路が新設され、琵琶湖方面へのバスターミナルが併設された。なお、タクシーが配車されるようになったのは1972年(昭和47年)2月以降である。
近江鉄道バス、帝産湖南交通(東口のみ)、滋賀バス(東口のみ)の路線バスとまめバス(草津市)、草津・栗東・守山くるっとバス(西口のみ)、くりちゃんバス(東口のみ)のコミュニティバスが乗り入れるが、事業者ごとに乗車位置が異なり、同じ行き先でも乗車位置が異なるため、利用者には分かりづらいといえる。
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