国道246号(こくどう246ごう)は、東京都千代田区から神奈川県県央地域を経由して、静岡県沼津市に至る一般国道。「ニーヨンロク」の通称で知られる。
東京都と神奈川県を結ぶ一般道路としては、国道15号(第一京浜)、国道1号(第二京浜)と並ぶ重要な道路である。特に東京都心部から神奈川県厚木市付近までは片側2車線以上・立体交差中心の幹線道路として整備されている。神奈川県の県央、湘南、県西の各北側の地域と、静岡県の東部地域を経由し、終点の沼津市に至る。
一般国道の路線を指定する政令に基づく起終点および重要な経過地は次のとおり。
律令時代の頃、畿内から東国を結ぶ東海道の道筋は足柄峠を越える「足柄道」があり、この道が現在の国道246号に近いところに沿って通っていた。なお、都筑郡の郡衙は国道246号至近にある。ただし、必ずしも重複していたわけではなく、国道246号の直接の祖が現れるのは江戸時代の頃となる。延暦19年(800年)から始まった富士山噴火による火山灰の堆積によって足柄道が使用できなくなり、代わりに箱根峠越えの東海道が切り拓かれた。やがて、足柄道の復旧が行われたが、往時の勢いを取り戻すまでには至らなかった。
江戸時代に五街道の一つである東海道が徳川初代将軍家康によって整備されると、ほぼ足柄道に沿うかたちで新たに矢倉沢往還が整備され、東海道の脇往還として利用されるようになる。東海道同様、江戸と東海道沿道各地を結び、人や物資が往来し発展した。この矢倉沢往還は、現在の国道246号の原形となる経路をたどっている。
享保年間になると大山講が盛んになり、江戸から山岳信仰のある大山に詣でるための街道としても賑わった。丹沢山地南端に位置する大山阿夫利神社への参詣のため、多くの庶民から人気を集め利用されるようになり、この頃より大山道(大山街道)とも呼ばれるようになる。その名は、現在も神奈川県内の通称名や同県内および、東京都内の旧道などに残っている。
大山街道は明治・大正の道路施策のなかでは一地方道の扱いとなったが、1952年(昭和27年)の一級国道の路線指定に際しても、都県道に留め置かれた。まだこの頃の大山街道は田畑を縫う細い砂利道であったといい、東京 - 横浜 - 沼津間には東海道を継承する一級国道1号や15号があったため、翌1953年(昭和28年)の二級国道の路線指定の対象からも漏れている。国道として初めて指定されたのは、1956年(昭和31年)の二級国道の第二期路線指定で「二級国道246号東京沼津線」となったときである。この頃までの神奈川県川崎市・横浜市の沿線は、交通の便が良くなかったことから農業主体の集落が多く、牧歌的な雰囲気を残していた。ちょうどこの頃から、並行するように東名高速道路の建設が始められ、東急グループによる田園都市線を中心とした開発が進められるようになる。沿道の東京都の駒沢には、1964年東京オリンピックのスタジアム(駒沢オリンピック公園)も設置された。
1965年(昭和40年)の一般国道の路線を指定する政令で、一級・二級の国道区分が廃止されて一般国道に統合されたことに伴い、「二級国道246号東京沼津線」から「一般国道246号」となる。直轄国道となったこの頃より道路改良する土地に裕度があった国道246号は、輻輳が激しく改修の余地の小さい国道1号のバイパス路線として注目され、重点的に道路改良整備が一気に進められた。多摩田園都市の開発とともに、沿線は急速に宅地化され交通量が増大したため、1974年(昭和49年)以降に東京・横浜バイパスが建設されている。この東京・横浜バイパスとして整備された区間の旧道は、のちに移管されて国道指定解除を受けている。
起点の千代田区三宅坂から、赤坂、青山(表参道)を経て渋谷区渋谷(東京都道305号芝新宿王子線・明治通り交点)に至る区間は、「青山通り」の愛称で知られる。概ね片側3 - 4車線で、港区赤坂見附交差点に外堀通り、弁慶橋を超える立体交差がある。
渋谷区明治通り交点(渋谷署前交差点)から都県境多摩川(新二子橋)の区間は「玉川通り」と呼ばれ、城南地域の交通の軸となっている。渋谷署前交差点には、1968年(昭和43年)に完成した『マンモス歩道橋』と呼ばれる長大な歩道橋が、首都高速3号渋谷線の高架をくぐる形で架橋されている。
渋谷署前交差点からは首都高速3号渋谷線の高架の直下を通り、地下には東急田園都市線が走る。沿道は商業地域となっている。玉川通り区間は片側3車線であるが、一部の交差点では中央分離帯寄りの1車線は直進レーンと右折レーンを兼ねており、右折車を避けるための減速や車線変更を強いられる。このため、特に朝・夕の通勤時間帯は渋滞しやすい。なお、玉川通りは東京都内で最も二輪車の交通量が多い道路である。
三軒茶屋交差点で世田谷通りが西へ分岐し、世田谷区新町から瀬田交差点の間は、現ルートが新道として開通するまでは桜新町・用賀を経由していた。1907年(明治40年)から1969年(昭和44年)まで、旧道上を玉電(玉川電気鉄道→東急玉川線)が併用軌道で走っていた(一部専用軌道)。旧道は現在は旧大山街道と呼ばれ、新町から桜新町駅前付近までが世田谷区道、桜新町駅前付近から瀬田交差点までが東京都道427号瀬田貫井線となっている。
戦後しばらくは片側1車線かつ玉電が一部区間を除いて併用軌道で通り、歩道も設けられていなかったが、その後道路拡幅が行われ、大坂(目黒区青葉台。神泉町交差点 - 大橋間)、渋谷付近では片側5車線の道路となった。1969年(昭和44年)には玉電は廃止され、1971年(昭和46年)には車道の一部と元の玉電軌道部分を利用して首都高速3号渋谷線(渋谷 - 用賀間)が建設された。
用賀一丁目交差点で首都高速の高架と分かれ、瀬田交差点を経て、都県境の新二子橋へ至る。
新二子橋で多摩川を渡ると神奈川県川崎市に入る。この付近はベッドタウンの幹線道路にもなっているため、家電量販店などのロードサイド店舗が点在する。起伏の多い地形を利用した立体交差が連続し、片側2車線区間が続く。
神奈川県道102号との立体交差である新石川交差点の手前で横浜市に入る。江田駅東や下長津田、東原(下りのみ)など渋滞ポイントが幾つかあるものの、立体交差の多さにより概ね流れは良い。横浜市青葉区市ケ尾付近で東名高速道路横浜青葉ICに接続し、町田市鶴間の鶴間高架橋(東名入口交差点上)で国道16号と立体交差する。
境川を渡り大和市に入ると、山王原東交差点で国道467号と分岐する。国道246号はここから地下トンネル区間に入り、進路を南西に変えた後に大和市立大和小学校付近で再び地上に出る。
上草柳交差点から分岐し、神奈川県道40号横浜厚木線の相模大塚交差点間には大和厚木バイパスの現道に当たる支線が存在していた(現在は国道指定が解除され大和市に移管)。
相模川を渡り厚木市内に入ると、金田陸橋にて橋本方面からの国道129号と合流した後、水引陸橋の陸橋部が片側2車線(側道が片側1車線)であるほかは船子陸橋まで片側3車線が続く。この区間は国道246号と国道129号の重複区間のため日中の交通量が非常に多く、朝夕のラッシュ時には渋滞が多発する。船子陸橋にて平塚市方面への国道129号と分かれるが、国道246号は陸橋の側道を進む。
国道129号と分かれた後は片側1車線が続く。厚木市内 - 伊勢原市内 - 秦野市内は平面交差が多いうえにロードサイドショップも多いため、地域住民と通過交通の車両が交じり合って慢性的な渋滞を引き起こしている。伊勢原市から秦野市へ抜ける善波峠付近と、秦野市と松田町へ抜ける四十八瀬川と併走する区間は人家が少ないが、通過交通が多く抜け道も少ないため、時間帯によっては渋滞が多発する。
圏央道圏央厚木インターチェンジ付近から、伊勢原市の山間部を経由して秦野市へと抜けるバイパス道路(厚木秦野道路)が計画されている。秦野市菖蒲の八沢入口交差点付近で新東名高速道路新秦野ICに接続する。
足柄上郡松田町籠場で国道255号と分岐する。JR御殿場線の東山北駅付近は道路が狭く慢性的な滞りとなっていたが、2012年12月に山北バイパス(向原地区)が完成し、前後の区間と変わらない広さとなった。清水橋を過ぎると県境まで片側2車線が続き、渋滞は解消される。なお、清水橋より先は道幅そのものは4車線が確保されているものの、県境過ぎまでは車線が上下線交互にガードレールやペイントにより増加と減少を繰り返す。
静岡県内は昭和50年代に入り、裾野市内の一部、駿東郡小山町内の一部を皮切りに道路の拡幅整備や裾野バイパスなどの新道・バイパス整備が進み、1990年代には沼津市内 - 駿東郡長泉町内 - 裾野市内の整備も段階的に進んだ(特に駿東郡長泉町内 - 沼津市内は旧道と新道のルートが大幅に変更されている)。
2005年までには裾野市内 - 沼津市内(静岡県道83号沼津インター線との結節点)までの4車線拡幅が完了、2006年度には御殿場市内(御殿場警察署前) - 小山町内(生土)の4車線拡幅も完了し、小山町内の山間地を除きほぼ全区間で片側2車線化されている。バイパスのない伊勢原 - 秦野間とは対照的に流れがスムーズである。
裾野バイパスの沿道には、近年は郊外型のレストランや大型小売店の進出が目立つ。また、御殿場市内の一部区間では国土交通省による道路情報を路側放送で放送している。
国道246号の終点である沼津市に入り、東名高速沼津インターからの静岡県道83号沼津インター線が合流してからは伊豆への観光客向けの飲食店が多く、前記県道とともに沼津ぐるめ街道と呼ばれる。
2007年8月には、静岡県道83号沼津インター線との交点である沼津インター南交差点が立体化され、同交差点と国道1号の共栄町交差点を結ぶ市道が開通した。これにより静岡方面への流れがさらにスムーズになり、静岡県道83号沼津インター線の渋滞が若干ながら緩和されつつある。対照的に、国道1号との新たな結節点となった共栄町交差点を起点とした渋滞が昼夜を問わず発生し、新たな問題点となっている。なお、沼津インター南交差点から同市東熊堂(江原公園交差点)までの全通は2014年の予定であったが、現在も未開通である。
さらに2009年7月には、東名高速道路沼津ICを起点として、伊豆方面へ延びる東駿河湾環状道路が部分開通した。これは長泉ICで裾野バイパスと接続しており、裾野市街や長泉地区から沼津ICへ向かう新たなルートが誕生したことで、同じく静岡県道83号沼津インター線の渋滞緩和が図られた。
東京都心から静岡県沼津市を結ぶ一般国道としては、丹沢山地と箱根山の間の足柄峠付近の酒匂川に沿って神奈川・静岡県境を越える国道246号は、箱根峠越えの国道1号の北側で並行している。東海道(国道1号)の箱根山を迂回するルートをとるが、国道1号と比較して高低差は小さく、なだらかで安全面で優位と言える。東京都心部は国の政府・立法機関が集まる永田町を通り、赤坂・青山・渋谷を経由する青山通りにはオフィスビルやファッション街が立ち並ぶ。世田谷から川崎・横浜にかけては日本有数の高級住宅地を貫くことから、国道246号の知名度や重要度は高い。東名高速道路や東急田園都市線に並行しており、また東急グループによる多摩田園都市の大規模開発が進められたこともあり、沿線は市街地として昭和から平成期にかけて発展してきた。
なお、東急田園都市線のほぼ全線、相鉄本線の大和 - 海老名間、小田急小田原線の海老名 - 新松田間、JR東海御殿場線の松田駅 - 大岡間、首都高速3号渋谷線および東名高速道路は概ね、国道246号に沿うような位置関係である。特に東急田園都市線は、渋谷区道玄坂 - 世田谷区新町一丁目間は国道246号の直下を、また、直通先の東京メトロ半蔵門線から永田町駅 - 渋谷区宮益坂で直下を通過している。
東京都心の三宅坂から、赤坂、青山、渋谷を通り、世田谷、横浜の高級住宅街を抜けていくロケーションから、しばしばドラマや楽曲で描かれたり、ロケ地に選ばれたりしている。
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