1974年の日本シリーズ(1974ねんのにっぽんシリーズ、1974ねんのにほんシリーズ)は、1974年10月16日から10月23日まで行われたセ・リーグ優勝チームの中日ドラゴンズとパ・リーグ優勝チームのロッテオリオンズによる第25回プロ野球日本選手権シリーズである。
金田正一監督率いるロッテオリオンズと読売ジャイアンツのV10を阻んだ与那嶺要監督率いる中日ドラゴンズの対決となった。ジョージ・アルトマンを負傷で欠き、有藤道世もケガを押しての出場と戦力的には不利だったが同年の日本シリーズはロッテが4勝2敗で勝利し、毎日時代の1950年以来2度目の日本一を果たした。
ロッテは年間勝率1位でのシリーズ出場はこの年が最後。2005年はプレーオフ勝利によるパ・リーグ優勝で年間勝率は2位、2010年はパ・リーグ3位でクライマックスシリーズ勝利による出場である。
中日はこの年を皮切りに日本シリーズ6回連続敗退でこれはシリーズ記録。2007年は日本一になったが2位からの出場で、1位からの出場はこの年から8回連続敗退で現在も継続中である。
第1戦、2戦および4戦が逆転、第6戦が延長戦と混戦だった。また、両チームともに守りにミスが多く、特に8対5とロッテが制した第2戦では両チームともに3失策。6試合で計17失策であった。また、第2戦では両チーム合わせて13人の投手を起用する試合になった(新記録)。MVPは弘田澄男が獲得。
当時ロッテは宮城県仙台市の宮城球場を暫定本拠地としていたが、設備上の問題もありロッテ主管は後楽園球場で行われた。
1・2・6・7戦が当初のスケジュールで平日開催だったのはこの年が最後である(雨天順延の例を除く)。
なお、第1戦に中日が勝利した時点で、セ・リーグチームの勝敗が81勝57敗3引分、第3戦時点でも82勝58敗3引分で、ともにセ・リーグの勝ち越しが24となった。これが2021年終了時点でも両リーグ通じて日本シリーズ史上最多の勝ち越しである。
10月16日 中日 入場者22148人
(ロ)金田、水谷則、成田、木樽、●村田(1敗)-村上
(中)松本幸、三沢、渋谷幸、○星野仙(1勝)-木俣
本塁打
(ロ)弘田1号ソロ(4回三沢)
[審判]セ岡田和(球)パ道仏 セ竹元 パ岡田豊(塁)セ久保田 パ斎田(外)
公式記録関係(日本野球機構ページ)
10月17日 中日 入場者24798人
(ロ)木樽、八木沢、三井、水谷則、○成重(1勝)、村田-榊、土肥、村上
(中)鈴木孝、竹田、渋谷幸、稲葉、●星野仙(1勝1敗)、星野秀、水谷-木俣
本塁打
(ロ)山崎1号ソロ(6回竹田)、有藤1号ソロ(8回星野仙)
(中)広瀬1号ソロ(5回木樽)
[審判]パ斎田(球)セ松橋 パ道仏 セ竹元(塁)パ大野 セ久保田(外)
3-5とリードされたロッテは8回、有藤通世の本塁打、弘田澄男の適時打と前日に続いて星野仙を攻略。急遽リリーフした星野秀孝から得津高宏が2点適時打を放ち逆転。一方、ロッテの村田は8回9回を無安打に抑えた。
公式記録関係(日本野球機構ページ)
10月19日 後楽園 入場者29103人
(中)○松本幸(1勝)、S鈴木孝(1S)-木俣
(ロ)●成田(1敗)、八木沢、水谷則、成重-土肥、村上
本塁打
(中)谷沢1号3ラン(4回成田)、島谷1号ソロ(6回成田)、谷沢2号ソロ(6回成田)
(ロ)前田1号3ラン(8回松本幸)
[審判]セ松橋(球)パ大野 セ岡田和 パ道仏(塁)セ竹元 パ岡田豊(外)
公式記録関係(日本野球機構ページ)
10月20日 後楽園 入場者43128人
(中)稲葉、水谷寿、竹田、●渋谷幸(1敗)、三沢、星野秀-木俣
(ロ)○金田(1勝)、S村田(1敗1S)-村上
本塁打
(中)高木守1号ソロ(1回金田)、マーチン1号ソロ(6回金田)
(ロ)弘田2号ソロ(6回渋谷幸)、有藤2号ソロ(6回渋谷幸)
[審判]パ岡田豊(球)セ岡田和 パ大野 セ久保田(塁)パ斎田 セ松橋(外)
公式記録関係(日本野球機構ページ)
10月21日 後楽園 入場者28187人
(中)●鈴木孝(1敗1S)、竹田-木俣
(ロ)○木樽(1勝)-村上
[審判]セ竹元(球)パ斎田 セ久保田 パ大野(塁)セ岡田和 パ道仏(外)
公式記録関係(日本野球機構ページ)
10月23日 中日 入場者23433人
(ロ)○村田(1勝1敗1S)-村上
(中)松本幸、●星野仙(1勝2敗)-木俣
本塁打
(ロ)千田1号ソロ(5回松本幸)
(中)大島1号ソロ(6回村田)
[審判]パ道仏(球)セ久保田 パ斎田 セ松橋(塁)パ岡田豊 セ竹元(外)
公式記録関係(日本野球機構ページ)
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