平沼内閣(ひらぬまないかく)は、枢密院議長の平沼騏一郎が第35代内閣総理大臣に任命され、1939年(昭和14年)1月5日から1939年(昭和14年)8月30日まで続いた日本の内閣。
1939年(昭和14年)1月5日任命。在職日数238日。
1939年(昭和14年)1月5日任命。
1939年(昭和14年)1月19日任命。
1939年(昭和14年)1月19日任命。
※ 内閣発足当初(前内閣の事務引継は除く)。
前の第1次近衛内閣の崩壊を受けて、枢密院議長の平沼騏一郎が組閣した。共産主義に対抗する枢軸としてドイツとの関係強化をしようとしていたが、昭和14年(1939年)8月23日にドイツ(ナチス・ドイツ)が突然ソビエト連邦と独ソ不可侵条約を締結したことを受けて平沼首相は8月28日にいわゆる「複雑怪奇」声明を残して内閣総辞職した。
というような談話を発表した。
この談話は当時の日本外交の国際認識の欠如を象徴的に示している。当時の読売新聞社説は「外交政策を樹直さねば〔ママ〕ならなくなった点につき責任をとったもの」と見なし、「ドイツの不信行為」に対応するため「国内の体制を一新」することが必要であり、近衛内閣の大部分が留任していた平沼内閣が解散することはやむを得なかったと評した。
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