関根 茂(せきね しげる、1929年11月5日 - 2017年2月22日)は、将棋棋士。山川次彦八段門下。棋士番号は61。2002年に引退。
東京府南葛飾郡(現:東京都葛飾区)出身。妻は関根紀代子女流六段。
農林技官からプロ棋士になった異色の経歴を持つ。加藤一二三は奨励会同期となる。
高校時代に将棋に熱中し、作家・菊池寛を顧問に、永井英明が創立していた若者の将棋の会「青棋会」に参加する。この会には清水孝晏(将棋史研究家・『将棋世界』編集長となる)、田辺忠幸(観戦記者)、斎藤栄(作家)らが参加していた。
農林技官となるが、将棋の夢がすてがたく、1951年、22歳で1級で奨励会入り。公務員を務めながら修行し1953年に四段に昇段してプロ入り。
1985年から4年間、日本将棋連盟理事を務めた。2011年5月まで日本将棋連盟監事を務めた。
詰将棋作家として知られ、現役時代から詰将棋の手筋研究などを行っていた。引退後に、長年にわたって夕刊フジの詰将棋欄を担当し知名度を上げた。この問題は、後にiアプリ用ソフトとして配信されたり、PC用詰将棋ソフトに一部作品が収録されたりもしている。本人著の詰棋書によると、難解、晦渋な作品は好まないとのこと。
2017年2月22日、老衰のために死去。87歳没。
(2023年10月12日現在)
(2014年2月21日現在)
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