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1999年の福岡ダイエーホークス


1999年の福岡ダイエーホークス


1999年の福岡ダイエーホークスでは、1999年シーズンについての福岡ダイエーホークスの動向をまとめる。

この年の福岡ダイエーホークスは、王貞治監督の5年目のシーズンであり、南海時代の1973年以来、26年ぶり13度目のリーグ優勝に輝いたシーズンである。

開幕前

1998年のパシフィック・リーグで67勝67敗1分の勝率5割でオリックスと並ぶ3位タイ、21年ぶりのAクラスとなったものの、シーズンオフに主力投手かつ前年度13勝を挙げ最多勝タイの武田一浩がFAで中日へ移籍、また前年度21セーブを挙げた岡本克道が故障により離脱、1991年から主力投手だった木村恵二が戦力外通告を受け西武へ移籍、前年加入した外国籍選手、ブライアン・ウィリアムズ、ルイス・ロペス、ライアン・トンプソンがいずれも1年で退団し、ドラフト会議では、即戦力候補で相思相愛だった新垣渚(沖縄水産)をオリックスと競合の上逃すなど、投手力に不安が残る中、新たに尾花高夫が投手コーチに就任、また球団専務取締役だった根本陸夫が1月から球団社長に就任した。根本は、社長就任から間もない1月29日、必勝祈願に訪れた福岡市の筥崎宮で、「お前たちは何を構えているんだ。世界の王と言われる監督も昔はラーメン店の息子。お前たちとなんら変わりはないんだぞ」と発言、それまで「世界の王」に気後れしていた選手の呪縛を解いたという。下馬評も決して高くはなかった。

開幕後

4月3日からの西武ドームでの開幕2連戦を1勝1敗、続く福岡ドーム地元開幕戦千葉ロッテ戦を工藤公康、藤井将雄らの力投で勝利した後、翌日の北九州市民球場でのロッテ戦で2-22という記録的大敗を喫する。

4月11日の近鉄戦(大阪ドーム)から4連敗し4勝7敗の借金3となるが、これが同シーズン最多の借金となり、逆に4月16日のオリックス戦(グリーンスタジアム神戸)から4連勝、特に4連勝目となる4月21日の近鉄戦(福岡ドーム)では、延長10回裏、井口資仁のサヨナラヒットで勝利、このシーズン、ホークスは実に12試合ものサヨナラゲームを記録(リーグタイ記録)するが、これがシーズン最初のサヨナラゲームとなる。

4月28日、日本ハム戦(東京ドーム)での勝利で勝率を5割に戻し、以後勝率5割を切ることはなかった。

4月30日、根本球団社長が急性心筋梗塞で急逝、同日から福岡ドームで開催された西武3連戦では、両チーム選手関係者が喪章を着け試合に臨み、同日は2年目の永井智浩がプロ初先発初完投勝利となる好投で10-1で快勝、5月2日には同じく2年目の星野順治がプロ初先発初完投勝利を挙げる。

5月7日からの対西武3連戦(西武D)では、福岡ダイエーホークス初の対西武3連戦3連勝を記録、5月9日時点で日本ハムを抜き単独首位に立つ。また2戦目の5月8日の勝利は、王監督の監督通算600勝目でもあった。

5月12日対千葉ロッテ戦、若田部健一が無四球完投勝利、1997年シーズン以来約1年7か月ぶりの勝利を挙げ復活を果たす。

6月に入り、引分を挟んだ7連勝、6連勝、3連勝をそれぞれ記録、20試合で16勝1分3敗という驚異的ペースで勝ち進み、40勝一番乗りを果たし貯金も16まで増やしたものの、6月25日からの西武3連戦(西武D)における3連敗を皮切りに10試合で7連敗を含む1勝9敗と突如絶不調に陥り、7月7日にはついに59日間立ち続けた首位の座を千葉ロッテに一旦明け渡す。

しかし、7月9日の日本ハム戦(福岡D)での勝利により再び首位に立つと、その試合から引分を挟み6連勝、うち3戦は2位千葉ロッテとの直接対決だったためゲーム差を一気に5.5まで広げた。オールスターゲーム直前のオリックス3連戦では負け越したものの、前半戦終了時で2位となった西武に5.0ゲーム差をつける。また7月22日のオリックス戦(神戸)で、秋山幸二が盗塁を決め、張本勲以来史上2人目となる400本塁打と300盗塁両方を達成した選手となった。

6月、中日との間でトレードが成立、河野亮を放出し、代わりに鳥越裕介を獲得。

オールスター明け、8月3日の千葉ロッテ戦(福岡D)から5連勝、同月12日の西武戦(西武D)から3連敗したものの、直後に4連勝するなど、オールスター明けの7月31日から8月31日まで16勝9敗で、8月31日の千葉ロッテ戦(千葉マリンスタジアム)における勝利により、福岡ダイエーホークス初となる優勝マジック20が点灯する。

しかし9月に入り、最初の10日間で2連敗3回、2勝6敗と足踏み状態になり、マジック消滅と再点灯を繰り返す。9月8日、福岡ドームでの対西武3連戦2戦目では、試合にこそ井口のサヨナラ満塁本塁打で勝利しマジック15を再点灯させたものの、2回裏に西武先発のルーキー松坂大輔が秋山に投じた144km/hの速球がすっぽ抜け秋山の顔面を直撃、秋山はそのまま球場近くの病院に緊急搬送、左頬骨の骨折で全治3週間と診断され、暫し戦線離脱することとなった。

その後、一度は2位西武に0.5ゲーム差まで迫られるが、9月11日の対近鉄戦(大阪D)で、工藤が8回裏1死までノーヒットノーランとなる好投(最終的には鈴木貴久のホームランによる1安打1失点完投)により勝利して以降、9月23日のオリックス戦まで8試合で7勝1敗と盛り返し、同試合終了時点で一気にマジックを2にまで減らした。23日の試合では、秋山が死球による骨折以来初の先発復帰を果たしたほか、先発投手の工藤が通算2000奪三振を記録している。

そして9月25日、129試合目となる福岡ドームでの対日本ハム戦に臨むこととなる。

試合開始前、デーゲームで西武がオリックスに敗れたため優勝マジックは1となり、同試合に勝てば優勝決定となる中、初回から秋山の12号先頭打者本塁打で幸先良く先制し、さらに2死1・3塁から城島健司のセーフティースクイズで追加点を挙げ2-0としながらも、先発の若田部が4回表1死満塁からフランクリンを2ストライクと追い込みながら3球目に満塁ホームランを許し2-4と逆転される。しかし5回裏、2死1・3塁から城島の遊撃内野適時打で1点差とし、7回裏、小久保裕紀の左中間への本塁打で同点に追いつく。8回表、若田部に代わり登板した篠原貴行が無死1、2塁のピンチを招くが、併殺打などで無失点に抑え、その裏、井口が右中間へ本塁打、ついに5-4と再逆転する。9回表1死からは、「勝利の方程式」ペドラザが登板、2人を抑えて5-4で勝利、ついに球団創設11年目にして初、前身の南海ホークス時代から通算しても1973年以来26年ぶり、また福岡県に本拠地を置くプロ野球球団としては1963年の西鉄ライオンズ以来36年ぶりとなるパシフィックリーグ優勝を果たした。優勝決定後、監督の王に続き、キャプテンの秋山、エースとしてチームを牽引した工藤の両名も胴上げされた。胴上げの選手の輪には、急逝後福岡ドームのベンチに毎試合飾られていた、在りし日の根本前球団社長の監督時代のユニフォーム姿の写真も持ち込まれた。

日本シリーズでは、セントラルリーグ優勝の中日有利の下馬評が多い中、第1戦先発の工藤が日本シリーズ新記録(当時)となる13奪三振の好投で完封勝利、秋山が第1戦第2戦の本塁打に加え、第3戦の好守備などで、西武時代の1991年に次ぎ2度目となる日本シリーズMVPを受賞(2球団での受賞は史上初)するなど活躍、工藤、城島のバッテリーはともに優秀選手賞に選ばれ、敵地ナゴヤドームで3連勝し4勝1敗で初(南海時代から通算しても1964年以来35年ぶり3度目、福岡の球団としては1958年西鉄以来41年ぶり)の日本一となった。

防御率、奪三振でリーグトップの成績でパシフィックリーグMVPに選ばれたエース工藤をはじめ、若田部、永井、星野の4投手が先発としていずれも2桁勝利を挙げたほか、藤井が26ホールドでリーグ最多、ペドラザがウォーレン(ロッテ、1勝2敗30セーブ)に次ぐリーグ2位の3勝1敗27セーブを記録。また吉田修司が中継ぎとして57試合、篠原がセットアッパーもしくは救援で60試合にそれぞれ登板し、藤井と並び試合中盤を支えた。篠原は規定投球回数にこそ達しないものの、シーズン最終盤まで間柴茂有(日本ハム)以来となる勝率10割に迫る14勝を記録し、一時は最多勝争いで松坂と並ぶ勢いでもあったが、9月30日、消化試合の対近鉄戦で、現役最後の打席となった山本和範に決勝本塁打を許し、勝率10割達成はならなかった。チーム防御率は首位の西武に0.07及ばない3.65の4位、奪三振数、完封勝利数、およびセーブ数では西武に次ぐ2位だった。

一方、打線は、規定打席に達した8選手のうち、チームで唯一全135試合フル出場の城島が.306だった以外3割打者がいないのみならず、規定打席に達したパシフィックリーグ全打者32人中、打率の下位3人をホークスの選手が占める有様(井口.224、浜名千広.226、小久保.234)で、チーム打率も優勝決定時にはリーグ最低、シーズン終了時でも6チーム中最下位の千葉ロッテと僅か.0006差の4位、本塁打数では小久保の24(リーグ最多は近鉄タフィ・ローズの40)、打点では城島と小久保の77(同101)が最多と低調、チーム成績も本塁打数が140の3位、打点は542の4位で、優勝チームにもかかわらず、城島がベストナインとゴールデングラブ賞、秋山がゴールデングラブ賞に選ばれたのみであった。いわば絶対的存在がいない中、リーグ記録タイの12試合ものサヨナラ勝ちが勢いを与え、前年度3割打者になりながら今シーズンは.263に終わった柴原洋や、控えの鳥越、大越基、坊西浩嗣、大道典嘉、林孝哉らが日替わり的にヒーローになる事もあった。

チーム成績

レギュラーシーズン

日本シリーズ

オールスターゲーム1999

  • 選出選手
  • 太字はファン投票による選出。

個人成績

投手成績

  • 色付きは規定投球回数(135イニング)以上の選手
  • 太字はリーグ最高

打撃成績

  • 色付きは規定打席(418打席)以上の選手
  • 太字はリーグ最高

できごと

  • 帽子のデザインは「FDH」の部分がオレンジから白に変更し、鍔の色も黒からオレンジに変更した。


選手・スタッフ

表彰選手

ドラフト

脚注

注釈

出典


Text submitted to CC-BY-SA license. Source: 1999年の福岡ダイエーホークス by Wikipedia (Historical)