1952年の読売ジャイアンツ(1952ねんのよみうりジャイアンツ)では、1952年における読売ジャイアンツの動向についてまとめる。
この年の読売ジャイアンツは水原茂監督の3年目のシーズンである。
水原監督就任3年目のチームは前年途中から入団の与那嶺要が開幕から1番に座り、千葉茂・青田昇・川上哲治と続く強力な打線はセ・リーグ他球団から恐れられた。チームを4月を20勝9敗と大きく勝ち越して前年同様開幕ダッシュに成功すると、すべての月で勝ち越し名古屋(この当時は中日新聞社と名古屋鉄道の共同経営となっていた)・阪神といったライバル球団を寄せ付けず2年連続でセ・リーグを優勝。投手陣は別所毅彦が33勝をあげる大車輪の活躍でMVPを受賞したほか、藤本英雄・松田清など4人が2ケタ勝利をあげ、チーム防御率は2.45でリーグ1位となった。カード別成績では最下位の松竹に同一カード10連勝を記録するなど相性がよく、16勝4敗と大きく勝ち越した。日本シリーズは鶴岡一人監督率いる南海と2年連続の対決となったが、別所や大友工といった投手陣の好投、与那嶺・川上などを擁する打線の活躍で4勝2敗で南海を下し2年連続の日本一となった。
Owlapps.net - since 2012 - Les chouettes applications du hibou