1953年の読売ジャイアンツ(1953ねんのよみうりジャイアンツ)では、1953年における読売ジャイアンツの動向についてまとめる。
この年の読売ジャイアンツは水原茂監督の4年目のシーズンである。
前年のフランチャイズ制導入に続いて大洋ホエールズと松竹ロビンスの合併によりセ・リーグが6球団制に移行し(両リーグが12球団となるのは1958年から)、1996年まで続く130試合制が導入されるなどプロ野球が大きく変化したこの年、巨人を黒とオレンジをチームカラーとしニューヨーク・ジャイアンツ(現:サンフランシスコ・ジャイアンツ)のデザインをベースにした大リーグスタイルのユニフォームを導入(それまでは黒や紺色がメインだった)。チームは前年まで3番を打っていた青田昇を金銭トレードで大洋松竹に放出したが、それ以外の戦力は前年と不変だった。新ユニフォーム導入の効果もあったのかチームは4月を13勝3敗と勝ち越して開幕ダッシュに成功するとすべての月で貯金を稼ぎ、9月以降は25勝5敗の貯金20で他球団を突き放した。結局1度も首位から滑り落ちることなく3年連続のセ・リーグ優勝を達成。投手陣は大友工の27勝を筆頭に5人が2桁勝利をあげ、防御率ベスト10に4人を送るなど好調でチーム防御率はリーグ唯一の2点台となる2.48をマークし、打撃陣も青田の移籍を除けば前年と不変でチーム本塁打はリーグ2位を記録したほか、安打・二塁打・得点ともにリーグ1位で、引き続き他球団におそれられた。日本シリーズは3年連続で南海との対戦となったが、投打ともに南海を圧倒して4勝2敗1分で破り日本シリーズでも3連覇を達成した。ユニフォーム変更の年に優勝したこともあり、黒とオレンジはすっかり巨人のチームカラーとして確立された。
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