Aller au contenu principal

都紀女加


都紀女加


都紀女加(つきめか、都紀女加王)は、『先代旧事本紀』に伝わる古代日本の皇族。

第15代応神天皇の曾孫(三世孫)で、筑志米多国造の始祖とされる。『日本書紀』『古事記』に記載はない。

系譜

『先代旧事本紀』「国造本紀」によれば、第15代応神天皇皇子の稚沼毛二俣命(日本書紀:稚野毛二派皇子(わかぬけふたまたのみこ)、古事記:若沼毛二俣王)の孫にあたるとしており、応神天皇の曾孫(三世孫)にあたる。

墓は、宮内庁により佐賀県三養基郡上峰町坊所にある都紀女加王墓(つきめかのみこのはか、北緯33度19分49.63秒 東経130度25分8.47秒)に治定されている。遺跡名は「上のびゅう塚古墳(かみのびゅうづかこふん)」。

古墳は前方後円墳で、前方部を西に向ける。墳丘長は49メートルで5世紀の築造と推定されるが、埋葬施設は明らかでない。墳丘外表からは埴輪・葺石が見つかっているほか、墳丘周囲に周溝が巡らされたことが明らかとなっている。昭和18年(1943年)に宮内省(現・宮内庁)によって都紀女加王の墓に治定された。

一帯の丘陵地には目達原古墳群(めたばるこふんぐん)として、大塚古墳・古稲荷塚古墳・稲荷塚古墳・塚山古墳・瓢箪塚古墳・無名塚古墳・横田南古墳等が存在していた。しかし昭和17年-18年(1942年-1943年)の目達原飛行場(目達原駐屯地)建設に伴って破壊され、上のびゅう塚古墳の北側に設けられた墳丘模型に改葬されている。なお、これら古墳群の近くには吉野ヶ里遺跡がある。

後裔国造

『先代旧事本紀』「国造本紀」では、次の国造が後裔として記載されている。

  • 竺志米多国造
    志賀高穴穂朝(第13代成務天皇)の御世に息長公同祖の稚沼毛二俣命孫の都紀女加を国造に定める、という。
    のちの肥前国三根郡米多郷(佐賀県上峰町一帯)または筑前国夜須郡馬田郷・下坐郡馬田郷周辺(福岡県朝倉市一帯)に推定される。都紀女加は安康天皇(第20代)・雄略天皇(第21代)の従兄弟にあたるため、「志賀高穴穂朝」とは安康天皇(和風諡号は穴穂天皇)を指すとも推測される。なお、『古事記』では若野毛二俣王(稚野毛二派皇子)の子の意富富杼王について「筑紫之末多君」らの祖と記されている。

脚注

参考文献

  • 斎藤忠「目達原古墳群」『国史大辞典』吉川弘文館。 
  • 『日本歴史地名大系 42 佐賀県の地名』平凡社、1980年。 
    • 「目達原古墳群」「都紀女加王墓」
Giuseppe Zanotti Luxury Sneakers

関連項目

  • 筑志米多国造
  • 米多北助
  • 飛鳥時代以前の人物一覧

Text submitted to CC-BY-SA license. Source: 都紀女加 by Wikipedia (Historical)


ghbass