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穂積家 (伊予国)


穂積家 (伊予国)


穂積家(ほづみけ)は、日本の華族(男爵)、学者の家系。饒速日命の子孫・穂積氏の流れを汲み、宇和島藩士鈴木重麿の子・重樹が明治維新後に穂積姓に復したことに始まる。極位は正三位。

概要

穂積家は宇和島藩伊達家が仙台藩伊達家より分家する以前からの、伊達家譜代の家臣である。饒速日命(ニギハヤヒ)を祖に持つと言われる。鈴木重麿は宇和島藩に思想としての国学を導入した人物である。明治維新後、重麿の子である重樹は穂積姓に復し、父の学問を継ぎ、藩校に国学の教科が設けられるとその教授となり、また国学の私塾も営んだ。

穂積重樹の長男・穂積重頴は第一国立銀行頭取。次男の穂積陳重は日本初の法学博士の一人で東京帝国大学法学部長。貴族院議員(勅選)、男爵、枢密院議長、勲一等旭日桐花大綬章。三男の穂積八束は憲法学者で貴族院議員、正三位勲一等。

陳重の長男・重遠は「日本家族法の父」といわれ、東大教授・法学部長、最高裁判所判事を歴任した。二男・律之助は海軍造船少将。三男・真六郎は朝鮮総督府官僚・参議院議員。重遠の子・重行は大東文化大学学長(専攻は近代イギリス史)。

主な縁戚

  • 穂積陳重の妻・歌子は渋沢栄一と最初の妻・千代(尾高惇忠の妹)の長女である。また、陳重と歌子の長女は渋沢元治(栄一の甥)の妻、穂積八束の次女・万亀子は星野辰雄(栄一の庶子で星野錫の養子)の妻である。
  • 穂積陳重と歌子の次女・光子は石黒忠篤の妻である。光子と忠篤の息子に石黒孝次郎がいる。
  • 穂積陳重と歌子の三女・晴子は市河三喜の前妻である。市河の孫に長谷川三千子がいる。
  • 穂積八束の妻・マツは浅野総一郎の長女である。
  • 穂積八束とマツの三女・寿賀子は箕作新六(理学博士・東北大学教授、箕作佳吉の五男)の妻である。
  • 穂積重遠の妻・ナカは児玉源太郎の三女である。
  • 穂積真六郎の妻・敏子は芳賀矢一の二女である。真六郎の相婿に当たる尾高朝雄は尾高惇忠と渋沢栄一の孫である。
  • 穂積重威の妻・安芸子は桜井小太郎の長女である。
  • 穂積重行の妻は浅尾荘一郎の長女である。

系図

脚注

参考文献

  • 市河三喜『私の博物誌』中央公論社、東京、1956年。https://ci.nii.ac.jp/ncid/BN14827594/ 

Text submitted to CC-BY-SA license. Source: 穂積家 (伊予国) by Wikipedia (Historical)