明徳館(めいとくかん)は、三河国奥殿藩の藩校。
大給松平家10代目当主にして奥殿藩7代目藩主である松平乗利(大給乗利)は、その藩政において文武を奨励していたが、弘化3年3月(1846年3月または4月)藩士子弟の教育を目的として開いた藩校が明徳館である。乗利は明徳館とともに演武場も設けている。明徳館の教授には中根五右衞門を、演武場の師範役には成瀬文庫をそれぞれ当てた。
明徳館は安政3年(1856年または1857年)、学問所と改称された。文久3年(1863年)に藩庁を信濃国佐久郡に移転するまで存続した。
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