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浅野長厚


浅野長厚


浅野 長厚(あさの ながあつ)は、江戸時代後期の大名。安芸国広島新田藩7代(最後の)藩主。官位は従五位下・近江守。

略歴

浅野家分家・浅野懋績の四男として広島にて誕生。幼名は万五郎、為五郎。早くに伯父の浅野長訓の養子となった。

安政5年(1858年)9月、新田藩主であった長訓が本家の広島藩を継いて11代藩主となり、懋昭の子(長厚の従兄)の長興(のちの長勲)が新田藩主を継ぐも、長興も広島藩主として本家に転出したため、文久2年(1862年)12月24日、長厚が広島新田藩主となった。文久3年12月16日、安芸高田郡の吉田に陣屋を構える許可を得る。幕末期の動乱では、本家と行動を共にしている。

明治2年(1869年)12月26日、版籍奉還により本家と所領を合併し、新田藩は廃藩となった。また、華族となることも辞退した。明治6年(1873年)8月28日、31歳で死去した。

浅野懋績

父の浅野懋績(あさの としつぐ、文化13年(1816年)9月15日 - 明治8年(1875年)3月9日)は、広島藩第7代藩主浅野重晟の四男・浅野長懋(ながとし)の子で、11代藩主長訓の実弟にあたる。幕末から明治にかけて画家として活動し、学雲林の名でも知られた。

系譜

  • 父:浅野懋績(1816-1875)
  • 母:不詳
  • 兄弟
    • 本人:浅野長厚
    • 弟:浅野長之(1864-1947) - 浅野本家を継ぐ
    • 弟:中川久任(1871-1935) - 中川久成の養子
    • 妹:益子 - 松浦厚夫人
    • 女子:光 - 三女。浅野忠純正室
  • 養父:浅野長訓(1812-1872)
  • 正室:浅野懋昭娘(懋績実弟)の娘 - 浅野長勲の姉妹

脚注

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Text submitted to CC-BY-SA license. Source: 浅野長厚 by Wikipedia (Historical)