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タルボサウルス


タルボサウルス


タルボサウルス(学名: Tarbosaurus、「恐れさせるトカゲ」の意)は、後期白亜紀の終わりごろである約7,000万年前のアジアに生息した、ティラノサウルス科の獣脚類の恐竜の属。化石はモンゴルから発見されており、中国の一部からも断片的なものが発見されている。

数多くの種が命名されたものの、1999年以降の古生物学者はタルボサウルス・バタール(Tarbosaurus bataar)のみを有効とみなしている。本種は北アメリカのティラノサウルス属のアジアにおける代表種とみなす研究者もおり、この場合タルボサウルス属は余分となる。タルボサウルスとティラノサウルスがシノニムでないとしても、少なくとも両者は近縁属であると考えられる。同じくモンゴルから産出したアリオラムスはかつてタルボサウルスに最も近縁な親戚と考えられていたが、キアンゾウサウルスが発見されてアリオラムス族に記載されたことで反証が示された。

大半のティラノサウルス科のように、タルボサウルスは巨大な二足歩行の捕食動物であり、体重は最大5トンで60本もの歯が生えていた。下顎には独特の固定機構がある。体格に見合わないほど小さな2本指の前肢はティラノサウルス科によく知られる特徴であるが、タルボサウルスの前肢は体格と比べてその中でも最小であった。

タルボサウルスは水路が交叉する湿潤な氾濫原に生息していた。この環境においてタルボサウルスは頂点捕食者であり、おそらくハドロサウルス科のサウロロフスや竜脚類のネメグトサウルスのような大型恐竜を捕食していた。タルボサウルスは多数の化石標本が知られており、完全な頭骨と骨格も複数ある。これらの化石により、系統学や頭骨の機構、脳の構造に焦点を当てた科学研究が可能となっている。

記載

ティラノサウルスよりもわずかに小型であるものの、タルボサウルスはティラノサウルス科で最大のものの1つであり、最大の個体は全長10 - 12メートルであった。完全に成長しきった個体の体重はティラノサウルスの体重に匹敵するかわずかに軽いと考えられ、約4 - 5トンとよく推定される。

知られているタルボサウルスの最大の頭骨は1.3メートルを超え、ティラノサウルスを除くどのティラノサウルス科よりも大型である。頭骨はティラノサウルスのものと同様に上下に高いが、特に後側では幅広でなかった。頭骨が後側で広がっていないことは、タルボサウルスの目が直接前方を向いていなかったことを意味し、ティラノサウルスの立体視はタルボサウルスでは成立していなかったことになる。頭骨には大きな孔が開いており、軽量化に役立っていた。顎には58 - 64本の歯が並び、これはわずかにティラノサウルスよりも多い一方、ゴルゴサウルスやアリオラムスのようなティラノサウルス科の属よりは少なかった。大半の歯の断面は楕円形をなすが、上顎の先端に生えた前上顎骨歯の断面はD字型であり、この異歯性はティラノサウルス科の特徴である。上顎骨歯は最長で歯冠が85ミリメートルに達した。歯骨では、歯骨の後方と関節する角骨の外側表面の縁により、タルボサウルスとアリオラムスに特有の固定機構が生み出されていた。他のティラノサウルス科にはこの縁がなく、下顎は前者のものよりも柔軟性が高かった。

ティラノサウルス科は体型においては多様性に乏しく、タルボサウルスも例外ではなかった。頭はS字型の首に支えられ、長い尾を含む他の脊柱は水平に保持されていたタルボサウルスの前肢は小さく、ティラノサウルス科の中でも体格に対する比率では最少である。前肢は鉤爪の生えた2本の指がそれぞれに備わり、近縁属と同様に鉤爪のない第3中手骨も複数の標本で確認されている。また、ホルツの研究したタルボサウルスの標本における第2中手骨の長さが第1中手骨の長さの2倍未満であり、他のティラノサウルス科の第2中手骨は第1中手骨の約2倍の長さであったことから、タルボサウルスは他のティラノサウルス科よりも指 IV-I の退化が進んでいると彼は提唱した。また、タルボサウルスの第3中手骨は比率としてアルバートサウルスやダスプレトサウルスのような他のティラノサウルス科よりも短く、通常第3中手骨は第1中手骨よりも長いが、ホルツが研究したタルボサウルスの標本では第3中手骨が第1中手骨よりも短かった。

前肢とは対照的に3本の指が前へ伸びた後肢は長く太く、二本足で体を支えていた。長い尾は頭部と胴部のカウンターウェイトとして作用し、重心は腰の上にあった。

発見と命名

1946年、ソビエト連邦とモンゴルによる合同遠征がモンゴルウヌムゴビ県のゴビ砂漠で行われ、巨大な獣脚類の頭骨と複数の椎骨がネメグト層で発見された。1955年にソ連の古生物学者エフゲニー・マレーエフは、この標本を、彼が命名した新種ティラノサウルス・バタール(Tyrannosaurus bataar)の基準標本 (PIN 551-1)に指定した。種小名はモンゴル語で「英雄」を意味する баатар/baatar のスペルミスである。同年にマレーエフは新たな獣脚類の3つの頭骨を記載・命名し、これらを1948年と1949年に行われた同じ発掘調査で発見された骨格とそれぞれ関連づけた。この最初の標本 PIN 551-2 は Tarbosaurus efremovi と命名され、属名は古代ギリシャ語で「恐怖」「不安」「畏怖」「崇拝」を意味する τάρβος/tarbos と「トカゲ」を意味する σαυρος/sauros に由来し、種小名はロシアの古生物学者兼SF作家のイワン・エフレーモフにちなむ。他の2つの標本 PIN 553-1 と PIN 552-2 は北アメリカのゴルゴサウルスの新種 Gorgosaurus lancinatorG. novojilovi に分類された。これら3つの標本は全て最初の標本より小さかった。

アナトリー・コンスタンティノヴィッチ・ロジェストヴェンスキーによる1965年の論文では、マレーエフの標本を異なる成長段階にある同じ種であると解釈し、彼はさらに北アメリカのティラノサウルスとは別の動物であると考えた。彼は1955年に記載された全ての標本と新しい化石を含めた分類群タルボサウルス・バタールを新設した。マレーエフ自身を含め後の論文執筆者はロジェストヴェンスキーの解析に同意したが、タルボサウルス・バタールではなく Tarbosaurus efremovi の名前を使う研究者もいた。アメリカの古生物学者ケネス・カーペンターは1992年に標本を再調査した。彼はマレーエフの当初の発表通りに標本がティラノサウルスに属すると結論付け、マレーエフが Gorgosaurus novojilovi と命名した標本を除いて全てをティラノサウルス・バタールに纏めた。カーペンターは Gorgosaurus novojilovi の標本はティラノサウルス科の小型独立属を代表すると考え、 Maleevosaurus novojilovi と命名した。ジョージ・オルシェヴスキーは1995年にティラノサウルス・バタールにチンギス・カンにちなんだ新しい属名ジェンギスカン(Jenghizkhan)をつけた一方、Tarbosaurus efremoviMaleevosaurus novojilovi を認め、これらをネメグト層から産出した同時代の独立した3属とした。後に1999年の研究ではマレエヴォサウルスが幼体のタルボサウルスとして再分類された。1999年以降に発表された全ての研究ではたった1つの種だけが認められており、どの論文でもタルボサウルス・バタールあるいはティラノサウルス・バタールと呼称されている。

1940年代の最初のロシアモンゴル遠征の後、ポーランドとモンゴルのゴビ砂漠への合同遠征が1963年から1971年まで行われ、ネメグト層から産出したタルボサウルスの新たな標本を含む数多くの新しい化石が発見された。日本とモンゴルの研究者が参加した遠征が1993年から1998年に行われたほか、カナダの古生物学者フィリップ・J・カリーが協力した私的遠征が21世紀の転換期にあり、これらによりさらなるタルボサウルスの化石が発見・収集された。30を超える標本が知られており、15を超える頭骨や複数の頭骨以降の完全骨格もある。

タルボサウルスの化石はモンゴルと中国のゴビ砂漠付近でのみ発見されており、両国ともタルボサウルス化石の輸出を禁じているが、私的コレクターに強奪された標本もある。2012年5月20日にニューヨークで開催されたイベントで Heritage Auctions が発行したカタログに疑惑が浮上し、100万ドルの密輸取引が発覚した。モンゴルの法律により、ゴビ砂漠で発見される標本は全て適切なモンゴルの機関が保管しており、カタログに掲載されたタルボサウルス・バタールが盗掘されたものであることに疑いはなかった。モンゴル大統領と多くの古生物学者が売買に異議を唱え、間一髪で調査が入り、標本がゴビ砂漠でしか発見されないもので、正当な所有権はモンゴルにあることが確認された。裁判で盗掘者エリック・プロコピは違法密輸の罪を認め、タルボサウルスの標本は2013年にモンゴルへ戻され、スフバートル広場に一時展示された。プロコピはパートナーやイングランドの商業ハンター仲間クリストファー・ムーアと共に恐竜を販売していた。この事件を経て、タルボサウルス・バタールの複数の骨格を含め数十のモンゴル産恐竜がモンゴルへ戻された。

シノニム

中国の古生物学者は1960年代中頃に中国の新疆ウイグル自治区ピチャン県スバシ累層で小型獣脚類の断片骨格 IVPP V4878 を発見した。1977年に董枝明がこの標本を記載して新属新種 Shanshanosaurus huoyanshanensis と命名した。1988年にグレゴリー・ポールがシャンシャノサウルスをティラノサウルス科として認め、アウブリソドンに分類した。後に董とカリーは標本を再調査し、より大型のティラノサウルス科の種の幼体とみなした。二人は特定の属に分類することを控えたが、可能性としてタルボサウルスを提案した。

Albertosaurus periculosusTyrannosaurus luanchuanensisTyrannosaurus turpanensisChingkankousaurus fragilisは the Dinosauria 第2版ではタルボサウルスのジュニアシノニムと考えられていたが、ブルサッテらは2013年にチンカンコウサウルスを疑問名と評価した。

1976年にセルゲイ・クルザノフが命名したアリオラムスは、モンゴルのわずかに古い堆積層から産出した別のティラノサウルス科の属であり、タルボサウルスに極めて近縁であると複数の解析で結論付けられている。アリオラムスは成体として記載されたが、長く上下に低い頭骨は幼体のティラノサウルス科の特徴である。これにより、カリーはアリオラムスが幼体のタルボサウルスに相当する可能性があると推論したが、歯の本数が多いことと鼻先の突起の列からはそうでないことが示唆される、と注記した。

分類

タルボサウルスは獣脚亜目ティラノサウルス科ティラノサウルス亜科に分類される。この亜科に分類されるほかの属には、北アメリカのティラノサウルスやダスプレトサウルス、おそらくモンゴルの属であるアリオラムスがいる。本亜科に属する動物はアルバートサウルスよりもティラノサウルスに近縁であり、アルバートサウルス亜科より大きなプロポーションの頭骨や長い大腿骨を持つ頑強な体つきで知られる。

タルボサウルス・バタールは元々ティラノサウルスとして記載され、この位置付けを支持する後の研究もある。本属を姉妹群として独立した属のまま扱う研究者もいる。2003年の頭骨の系統解析では、他のティラノサウルス亜科には見られない負荷を分散するための頭骨の機構がアリオラムスとタルボサウルスに共通していたため、アリオラムスが最も近縁と断定された。実証されていたなら、両属の関係はタルボサウルスをティラノサウルスのシノニムとする考えに対する反証となり、アジアと北アメリカで独立にティラノサウルス亜科の系統が進化したことを示唆していたであろう。知られているアリオラムスの2つの標本は幼体の特徴を示している一方、歯の本数が多い(76 - 78本)ことと鼻先に沿った骨の隆起が独特な列をなすことから、タルボサウルスの幼体ではない可能性が高い。

より昔のティラノサウルス亜科の恐竜 リトロナクス が発見されたことで、タルボサウルスとティラノサウルスの近い関係がさらに明らかになり、リトロナクスがカンパニアンのズケンティラヌスとマーストリヒチアンのティラノサウルスおよびタルボサウルスからなる系統群の姉妹群であることが判明した。リトロナクスの更なる研究からは、アジアのティラノサウルス上科が適応放散の一例であることも示唆された。

以下はローウェンらが2013年に行った系統解析に基づくクラドグラム。

古生物学

他の大型ティラノサウルス科の何属かがそうであるように、タルボサウルスの化石は比較的豊富で保存状態も良い。事実、ネメグト層から収集された全ての化石の四分の一がタルボサウルスのものである。タルボサウルスは北アメリカのティラノサウルス科ほど完全には研究されていないものの、その生物学的観点に即した結論を導くことは可能である。

2001年にブルース・ロスチャイルドらは獣脚類の疲労骨折と腱断裂、および行動を示唆する証拠を調べる研究を発表した。疲労骨折は特別な症状ではなく繰り返される外傷によって生じるため、他のタイプの症状よりも普段の行動で起こる可能性が高い。研究で調査されたタルボサウルスの足の骨18本のうち疲労骨折が見つかったものはなかったが、手の骨10本のうち1本が1ヶ所に疲労骨折を患っていた。足の疲労骨折は走行中や移動中に生じうる一方、手の疲労骨折は足に見られるものよりも特別な行動があったことを示唆しており、もがく獲物と接触して生じた可能性が高い。一般に、疲労骨折や腱断裂が存在することは、死体漁りよりも捕食行動をベースにした食性であったことを示す。

2012年にオルニトミモサウルス類のデイノケイルスのホロタイプ標本の腹肋骨断片2つに噛み跡があると報告された。噛み跡の形状と大きさはネメグト層産の既知の最大の捕食動物であるタルボサウルスの歯に合致する。摂食の際についた跡は様々で、刺し傷、抉れた溝、筋、歯の断片、およびこれらの組み合わさったものが確認されている。噛み跡はおそらく攻撃行動ではなく摂食行動を示しており、噛み跡が体のほかの部位で発見されないことはタルボサウルスが内臓を重視していた事実を示唆している。タルボサウルスの噛み跡はハドロサウルス科や竜脚類の化石でも断定されているが、他の獣脚類に噛み跡が残っている化石記録は少ない。また、本属の歯のエナメル質の同素体解析によっても、タルボサウルスは針葉樹林にて竜脚類(ネメグトサウルスなど)やハドロサウルス科(サウロロフスなど)を獲物としていた事が示されている。

頭骨の機構

タルボサウルスの頭骨は2003年に初めて完全に記載された。研究者はタルボサウルスと北アメリカのティラノサウルス科の重要な相違点を記しており、その多くは噛む際の頭骨にかかる負荷の処理に関連している。上顎が物体を噛む際、力は上顎の歯を持つ主要な上顎骨を介して周囲の頭骨へ送られる。北アメリカのティラノサウルス科では、この力は上顎骨から鼻先の癒合した鼻骨へ向かい、鼻骨は骨の支柱により涙骨と後方で固く繋がっていた。これらの支柱が骨を互いに固定しているため、力は鼻骨から涙骨へ送られたと示唆されている。

タルボサウルスには骨の支柱がなく、鼻骨と涙骨の繋がりも弱かった。その代わりタルボサウルスは上顎骨の後方への突起が大きく発達し、涙骨で構成される鞘の内側に合致していた。この突起は北アメリカのティラノサウルス科では薄い骨の板になっている。大きな後方への突起から、タルボサウルスでは上顎骨から涙骨へより直接的に力が送られたことが示唆されている。また、タルボサウルスの涙骨は前頭骨と前前頭骨に固定されていた。上顎骨、涙骨、前頭骨、前前頭骨の発達した繋がりにより、上顎全体が強度を増していた。

タルボサウルスと北アメリカの親戚におけるもう一つの大きな相違点は、タルボサウルスの下顎がより強固であることである。北アメリカのティラノサウルス科を含め多くの獣脚類で下顎骨後方と歯骨前方が幾分柔軟であったが、タルボサウルスは角骨の表面の隆起からなる固定機構を持ち、歯骨の後方で正方形の突起と関節していた。

タルボサウルスの強固な頭骨は、後期白亜紀の北アメリカの大部分には生息しなかった、ネメグト層から産出する巨大なティタノサウルス科竜脚類を狩るための適応であるという仮説もある。また、頭骨機構の相違点はティラノサウルス科の系統も左右する。タルボサウルス型の頭骨内関節はモンゴル産のアリオラムスにも見られ、ティラノサウルスではなくアリオラムスがタルボサウルスに最も近縁であることが示唆されている。それゆえ、タルボサウルスとティラノサウルスの類似点はその巨大な体躯に関連して平行進化で独立に発達した可能性がある。

また、眼窩はティラノサウルスと異なり前方を向いてなかった(詳細は「脳の構造」節を参照)。

噛合力と捕食行動

タルボサウルスが捕食者かつスカベンジャーであった証拠があり、これはサウロロフスの遺骸に発見された化石化した噛み跡として確認できる。タルボサウルスの咬合力は約3万5600 - 4万4500ニュートンとされ、おそらくティラノサウルスのように骨を噛み砕くことができた。

脳の構造

1948年にソ連とモンゴルの研究者が発見したタルボサウルスの頭骨(PIN 553-1、元々は Gorgosaurus lancinator)には頭蓋内腔が保存されていた。この空洞の内側にエンドキャストと呼ばれる石膏の型を取り、マレーエフはタルボサウルスの脳の形状の予備的な観察に成功した。さらに新しいポリウレタンのゴム型により、タルボサウルスの脳構造と機能の詳細な研究が可能となった。

タルボサウルスの頭蓋内構造はティラノサウルスのものに似ており、相違点は三叉神経や副神経といったいくつかの脳神経根の位置だけであった。ティラノサウルス科の脳は鳥類よりもワニなど非鳥類型爬虫類のものに似ていた。全長12メートルのタルボサウルスの脳の合計容積はわずか184立方センチメートルと推定されている。

嗅球と末端神経および嗅覚神経は大きく、ティラノサウルスと同様にタルボサウルスの嗅覚が鋭敏であったことが示唆されている。鋤鼻球は大きく、嗅球とは区別される。嗅球は当初、フェロモンを感知するのに使用された発達した鋤鼻器を示唆するものとして提唱された。これはタルボサウルスが複雑な交尾行動を取っていたことを暗示する可能性があったしかし、鋤鼻球は現生のどの主竜類にも存在しないため、他の研究者が断定に異議を唱えた。

聴覚神経もまた大きく、優れた聴覚を示唆しており、これは聴覚コミュニケーションと空間認識に役立った可能性がある。この神経は前庭部位も発達しており、優れたバランス感覚と調整能力が暗示されている。対照的に、視力に関する神経と脳の構造は小型で発達していなかった。爬虫類の視覚処理に関与する中脳は、 視神経と眼球運動を制御する動眼神経と同様に、タルボサウルスでは非常に小さかった。目が前方に面してある程度の立体視も可能であったティラノサウルスと違い、他のティラノサウルス科に典型的な狭い頭骨を持つタルボサウルスの目は主に横側に面していた。このことから、タルボサウルスは視力ではなく嗅覚と聴覚に頼っていたことが示唆されている。ただし、現行のタルボサウルスの標本の“成体”とされる標本の多くが、実際には全長9メートル前後の亜成体と目されており、これを真に成体である全長12メートルのティラノサウルスと比較するのはいささか無理がある(詳しくはティラノサウルスの項を参照)。

生活史

タルボサウルスの大半の標本は成体か亜成体の個体であり、幼体のものは非常に珍しい。しかし、2006年には長さ290ミリメートルの完全な頭骨を持つ幼体の骨格が発見され、タルボサウルスの生活史の情報がもたらされた。この個体はおそらく2,3歳で死亡した。成体の頭骨と比較して幼体の頭骨は構造が弱く、歯は薄く、幼体と成体で食べ物の好みを変えて異なる年齢のグループとの競争を避けていたことが示唆されている。タルボサウルスの幼体の強膜輪の調査から、幼体が夜行性あるいは薄明に行動していた可能性が示唆されている。成体のタルボサウルスも夜行性であったかは、化石証拠がないため現状明らかでない。

皮膚の印象化石と足跡

Bugiin Tsav 産地の以前盗掘者に破壊された大型骨格から、皮膚の印象化石が発見された。この印象化石が示すウロコは直径2.4ミリメートルで、互いに重なっておらず、骨格が破壊を受けたため正確な位置は評価できないものの胸に関連した領域に位置していた。また、タルボサウルスの化石の一つからは喉袋が知られており、繁殖期のディスプレイに用いた可能性があるとされるが、標本がどこから得られたものか・現在どこにあるのかは不明で、未検証の不確かなものである。Mikhailovは、この喉袋の標本についてネメグト層のもので、Kurzanovによって発見されたが収集はされなかったと述べた。

2003年にフィリップ・J・カリーらはおそらくタルボサウルスのものである2つの足跡をネメグト層から報告した。この足跡は自然の型であり、すなわち足跡そのものではなく足跡を埋めた砂岩が保存されていたということである。この足跡には Bugiin Tsav で発見されたものに似た、広い領域の皮膚の印象化石が保存されていた。また、足が地面に押し込まれた際にウロコが残した垂直方向に平行な滑った痕跡も確認されている。足跡は長さ61センチメートルで、大型個体のものである。別の大型の足跡も発見されているが、侵食に影響され詳細は読み取れない。

古生態学

知られているタルボサウルスの化石の大多数はモンゴル南部ゴビ砂漠のネメグト層から発見された。この地層は放射年代測定が行われたことは無いが、化石証拠の動物相からは、約7000万年前の後期白亜紀の終わり頃である前期マーストリヒチアンに堆積したと示唆されている。シャンシャノサウルスが発見されたスバシ累層もマーストリヒチアンである。

タルボサウルスが主に発見されるネメグト層は、保存されている巨大な水路と土壌堆積物から、下に位置するバルン・ゴヨト層やジャドフタ層よりも遥かに湿潤な気候であったことが示唆されている。しかし、カリシェ堆積物があることから、少なくとも周期的な干ばつがあったことが示唆されてもいる。堆積物は大型河川の水路と氾濫原に堆積した。この層の岩の単層から干潟と浅い湖の存在も示唆されている。また、堆積物から豊かな生息域であったことが分かり、巨大な白亜紀の恐竜を維持できる多様な食物に溢れていたことが示されている。より古いジャドフタ層から産出したティラノサウルス科の未同定の化石はタルボサウルスの化石に非常に似ており、ネメグト層よりも古く乾燥した生態系にもタルボサウルスが生息していたことを示唆する可能性がある。

ネメグト層では軟体動物の化石も産出しており、魚類やカメといった他の水生動物も多様性に富んでいる。ワニには貝を砕くことに適した歯を持つシャモスクスが複数種いた。哺乳類化石はネメグト層では非常に希少であるが、エナンティオルニス類のグリニアヘスペロルニス目ジュディノルニス、現生カモ目の初期の属であるテヴィオルニスなど数多くの鳥類が発見されている。数多くの恐竜もネメグト層から記載されており、アンキロサウルス科のサイカニア、パキケファロサウルス科のプレノケファレなどがいる。最大の捕食動物であったタルボサウルスはサウロロフスやバルスボルディアといった大型ハドロサウルス科、あるいはネメグトサウルスやオピストコエリカウディアといった竜脚類を捕食していた可能性が高い。成体はティラノサウルス科のアリオラムス、トロオドン科(ボロゴヴィアトチサウルス、ザナバザル)、オヴィラプトロサウルス類(エルミサウルス、ネメグトマイア、リンチェニア)、基盤的ティラノサウルス上科のバガラアタンなどの小型獣脚類との競争はほぼなかったであろう。植物食の可能性もある巨大なテリジノサウルスや、アンセリミムスやガリミムス、巨大なデイノケイルスといったオルニトミモサウルス類は肉食であったとしても小型の獲物だけを食べていたため、タルボサウルスとの競争関係にはなかった。しかし、他の大型ティラノサウルス科やコモドオオトカゲと同様に、幼体や亜成体のタルボサウルスは小型獣脚類と巨大な成体との間の生態的地位を埋めていたことであろう。

出典


Text submitted to CC-BY-SA license. Source: タルボサウルス by Wikipedia (Historical)